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399.ハーバルヘイムと交渉する 四日目
しおりを挟む「今日は面白くなかった」
「宝物庫を壊しておいてその言い草か」
「壊したんじゃなくて出ただけだけどね」
昨日同様、伝言を頼んで私の傍から離れたキトンの代わりに、サエドが付いている。
そして彼を連れて、今日もまた王城の庭園へとやってきた。
空模様が少し怪しい。
ここのところ安定していたが、ちょっと雲が出てきているな……夜から天気が崩れるかもしれない。
「……なあ、聞いていいか?」
「ん?」
「おまえはこの国をどうするつもりだ?」
……うん。
「私にもわからないわね」
「おい」
「そのための交渉でしょう? そっち側次第よ。どこに着地するかなんて私が知るわけないじゃない」
王族を全員始末することになるか。
現国王だけ始末することになるのか。
王侯貴族全員が粛清対象になるのか。
それとも、私が納得できる代償を払いきるのか。
「ちなみにあなたはどうしてほしい?」
「今すぐ帰ってほしい」
「帰ってどうするの? また襲われるのを待つの? そして同じことを繰り返すの?」
「……」
「でしょ? 結論がどうなるかはわからないけど、少なくとも私が納得できる結論にたどり着くまではこのままよ」
まあ、国王辺りはそろそろ心が折れるんじゃないかとは思うが。
……まず謝ってほしいんだけどなぁ。
そうすれば私ももう少し歩み寄れるんだけどなぁ。
でもなぁ。
我が子を捨て駒にするような外道には、そんなあたりまえの常識は頭にないのかな。
「……なあ」
「ん?」
「どこに向かって歩いている? これはどこへ向かっている?」
「ああ。あの離れよ」
と、植え込みや花壇の向こうに見える、建物を指さす。
「あそこ、王妃の住んでいる場所なんでしょ?」
「おい、やめてくれ。頼むから余計なことはしないでくれ」
「はっはっはっ」
「なんで笑ってるんだよ! 待てって!」
――というわけで、あの国王よりは常識人であろうことを信じ、王妃の様子を見に行くとしよう。
サエドの話……いや反応では、病気っぽいのだが。
「あの……どちら様ですか?」
近くで見ると、小さいながらも立派な離宮である。
ここだけ庭のテイストも違うので、この離宮用に特別に整えられているのだろう。
そして、近づく私が目に入ったようで、ここで働いているのだろう侍女が立ち塞がる。
「王妃に用があって。会わせてくれない?」
「……どちら様ですか? お客様が来られるとは聞いておりませんが」
うん、真面目で結構。
「サエド」
「すまないが退いてくれ。害はない……はずだ」
「え、え、いやちょっと! ダメですって!」
サエドが侍女の腕を掴んで押さえると、私はその横を通り建物に侵入した。
止めたって私は諦めないので、変に抵抗して侍女が怪我をしないようにの対処である。サエドは私の強さをよくわかっているから、向こうが折れたのだ。
「え?」
気配を探り、当たりであろう方向へ行く。
途中で擦れ違った侍女が「こいつ誰だ」みたいな顔をして私を見るが、止められる前に素通りした。
ここ、かな。
小さい離宮だけに部屋数も少ない。
室内の気配は二つ。
一つは動いているがも一つは動いていないので、ここだと思うが。
とりあえずノックすると……
「はい――えっ誰?」
侍女が出てきたな。十代半ばくらいの女性だ。……第一声からしてまだ不慣れって感じがするな。
「国王の……いや、ハーバルヘイムの客なんだけど」
「客……あ、国賓の方、ですか?」
「まあ、招かれてはないけどね」
「は……?」
「王妃に会いに来たの。正直国王じゃお話にならなくてね。……その反応からして、私のことは王妃には伝わってないのかしら?」
「え、えっと……」
「失礼」
戸惑う侍女とドアのわずかな隙間に身体をねじ込み、するりと室内に侵入する。
恐らく魔道具を使用し温度を保った室内は、冬であってもかなり温かい。
動いている者には暑いくらいだが……寝ているだけの者には、丁度いいのかもしれない。
そんな部屋には、大きなベッドとサイドテーブルがあるだけだ。私室などではなく、療養するためだけの部屋なのだろう。
「ちょ、ちょっと待ってください。勝手に入っては――」
「いいわ」
そして、ベッドに横たわる女性が、声を発した。
上半身を起こそうとする彼女の背中を、侍女が慌てて駆け寄り支える。
「――こんな格好でごめんなさいね。前もって来ることがわかっていたら、化粧の一つもしたのだけれど」
薄い肌着をまとっただけの、初老の女性が笑いかけてくる。そして侍女がそんな彼女にガウンを羽織らせる。
歳は四十半ばくらいだろうか。
美しい金髪に淡い紫の瞳を持ち、顔色は悪くとも芯の強さを証明するように力を帯びている。化粧はしていないがそれでも美しい人だと思う。
あの国王、いや一国の国王の隣にいる女性としては、納得できる人物である。
「気にしないで。そのままでも充分綺麗だから。……あなたが王妃?」
「ええ。そういうあなたは、ハーバルヘイムに刃を向けている侵入者よね?」
あ、よかった。さすがに私のことは知っていたか。
知らなかったら説明に困ったので、助かった。
何せ口だけでの説明では誰にも信用されないだろうからな。現に交渉初日は信じられてなかったようだし。
「あなたの立場を考えると、私も挨拶をしておいて然るべきなのにね。会いにいけなくてごめんなさい。見ての通り、性質の悪い風邪に弄ばれているの」
「風邪なの?」
「ええ。毎年この時期は風邪を引くのよ。生活に支障のでない軽症の年もあるけれど、今年は重くて。公務もあるから年末年始に間に合うよう療養中よ」
ああ、風邪か。
命に別状がないなら、不幸中の幸いだな。
「つらいわよね、病気は。私も幼少時に重いのをやってね。生死の境をさまよった結果、魔力回路が壊れたのよ。おかげでずっとこんな髪の色よ」
と、私は王妃のベッドサイドに歩み寄る。さっき王妃が「ハーバルヘイムに刃を向けている侵入者」と言ったので、侍女がかなり警戒している。……いや、無理やり部屋に侵入したせいかもしれないが。
「ちょっとお話をしに来たんだけど。あなたは外してくれる?」
「……」
侍女は私を睨むだけで、なんの反応も示さない。
なるほど、王妃は慕われているようだ。
「ベラ、行きなさい」
「え、シャエナ様……?」
「この子は安い暴力は振るわない。何があろうと病床の女なんて歯牙にも掛けないわ。そういうタイプならすでに人死にが出ているもの」
そうよね、と問われて私は頷く。
よくわかっているじゃないか。
きっと接して話もしている国王や宰相や高官たちより、王妃の方が私の本質を理解している。
ベラと呼ばれた侍女は、不承不承という顔をして、私を睨みながら部屋を出ていった。
「慕われているわね」
「おかげで助かっているわ。――紅茶が好きなんですって?」
「ええ。この国に来て一番最初に行ったのは『薔薇の聖棺』の本店よ。私の侍女も紅茶を淹れるのは上手いけど、あそこの店長はもっと上手かったわ」
「『月光の夜』は?」
「ん?」
「あら、知らないの? 『薔薇の聖棺』の姉妹店で、どちらかと言うと若者向けはそっちのお店なのよ。『薔薇の聖棺』は古い昔ながらの貴族用だから。伝統と実力ははあるけど新鮮さには欠けるのよね」
ほほう。そんな店もあるのか。
「興味深い話ね」
サイドテーブルの近くにあった椅子を借り、しばらく、なんでもない世間話をした。
恐らく王妃は、私がどういう人なのかを知りたかったのだろう。
私も王妃がどんな人かを知りたかったので、急いで本題に入ることもなかった。
「――ごほっ、ごほっ」
静かに話が盛り上がっていた中、王妃が咳き込んだのを見て、潮時を悟った。
「悪かったわね。病気だし、私が気を遣うべきだったわ」
「いいえ。久しぶりに外国の人と話せて楽しかったわ」
肩に掛けていたガウンを預かり、背中を支えてやり、ゆっくりと王妃をベッドに横たえる。
「明日は無理よね? 明後日の交渉、あなたに出てほしいのだけど」
「ええ、必ず行くわ。這ってでも」
…………
うん。
あの愚図では恐らく無理だろうが、この人なら、いいところで結論を出してくれそうだ。
「じゃあ――」
私は人差し指を立て、王妃の肩に触れた。
「病を吹き飛ばすおまじないを掛けていくから。明後日また会いましょう」
彼女の「氣」を操作し、意識を奪う――と、今度は身体中でぐるぐる巡回させてやる。
一時的に回復力を高める「八氣」……肉体年齢を操作する「活氣」に近い使い方だ。
起きていると「氣」が乱れるので、寝ている時の方が効果が高いのだ。なので寝かしつけてから操作しておいた。
早くも王妃の額から汗がにじんできている。
身体中を巡る「氣」の巡回で、激しい新陳代謝が始まっている証拠だ。
「――半日くらい目が覚めないから。あとよろしく」
部屋を出て、すぐ傍で待機していたさっきの侍女に後を頼み、離宮を出る。
出入り口で待ち構えていたサエドと、すでに戻ってきていたキトンと合流し、もう少しだけ庭を散策して部屋に戻った。
一夜明けて、翌日。
サァァァァァァ
雨の降る中、ハーバルヘイム城の敷地内にある演習場で。
「いよいよ後がないって感じね」
大勢の兵士。
馬に乗り隊列を組む騎士たち。
そして、大急ぎで集めたのだろう高位貴族たちと、それが使役する召喚獣たち。
数日という猶予しかなかっただけ急ごしらえであろう軍勢は、それでも一万以上の人数が集まっていた。
そして彼らの刃の切っ先は、私一人に向けている。
一万対一。
総力を投入して、か。
「……それじゃ無理だってそろそろわかってもいいと思うんだけどな」
――四日目の交渉が始まる。
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