狂乱令嬢ニア・リストン

南野海風

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348.閑話 入学試験 前編

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「すいませんでした。おれ、いや、私は武客様のお弟子様をお迎えに来た月下寮の一教師、タイホンといいます。すいません」

「あ?」

「ひいっ」

「――リノキスさん。もういいでしょう」

 ニアの傍にいるだけに、色々な揉め事というか、試合直前のご挨拶・・・は結構見てきたミトである。

 最初こそ驚いたり怖かったり、暴力的な発言や挑発に傍目にも怯えたりしていたが、それにももうとっくに慣れてしまった。

 そんな今、ここで、ミトの中ではこの世でもっとも早い対決を見てしまった。


 ――「お嬢様の悪口は許さないけど? まさか自分が勝てるとでも思ってるの?」

 ――「あ? あんたもあの弱そうな武客のガキの関係者か? ははっ、負ける理由がねえだろ」

 ――「へえ? ちなみにあの方、私と同じくらい強いんですが……試してみます?」

 ――「ああそうかい。道理であんたも弱そうに見」


 バチンと、強打された肉が弾けたかのような音がした。
 気が付けば、リノキスのローキックがやってきた男の左太腿に炸裂していた。

 あの音は、肉の表面を打った音だ。
 抉り込むように突き抜ける、筋組織を破壊し骨を砕く類ではない――と思ったところでミトは思い出した。

 そういえば骨を折るな、とニアは言っていたな、と。
 さすがリノキス、忠実である。

 ちなみに「私と同じくらい強い」というのは、嘘なのだが――ミトはその辺の真相は確かめていない。
 ニアはリノキスの弟子だという話は聞いたが、時々ぽろりと零れる二人の発言では、そうではなさそうだ。

 まあ何にしろ、二人がミトより強く、また恩人であることに変わりはないので、知らなくていいこととしている。

「私の実力はこの程度よ。次は本気で入れるけど、やるのよね?」と凄んだリノキスに、とてつもなく痛い足のせいで声も上げられずぶわっと脂汗をにじませた男は、完全に心が折れた顔で首を横に振った。

 ――早かったな。

 蹴り自体も速かったが、試合の成立と終了、そして心の折り方まで、何もかもがミトの中では一番速かった。

 こういうのを見ると、ニアはたとえ無礼な言動や失礼があった相手でも、結構まともに相手をしているんだな、と実感する。
 それこそニアなら、これより速くいろんな決着が付けられるはずだから。

「あの、試験を……」

 露骨にリノキスに怯えて、大柄な身を縮ませている教師タイホンに、本題を告げる。
 正直、今のミトにはリノキスよりも教師よりも己の試験のことしか考えられない。

 怯えているタイホンが、一般成人女性には少し高い背丈のリノキスから、恐らく十歳の平均ど真ん中辺りであろう小さな子供であるミトを見て――一瞬更なる恐怖の色が見えた。

「……ぶ、武客様の、弟子……弱いはずがない……」

「いえ、私は弱いですよ」

 リノキスと比べても、ニアと比べても。

 まだ真剣勝負はしていないが、ジンキョウにも勝てる気がしないし、最近朝一緒に走っている若い男も……「氣」を使って走っているミトに遅れないなら、きっと強い。

 こと「氣」の関わる世界なら、ミトはまだまだ弱いと自覚している。

 シィルレーンやクランオール、そして憎きリビセィル王子などのマーベリア勢も、ニアの修行でしっかりミトに追いついてきていた。
 武の下地がある戦う王族である彼らは、理屈を把握してからの伸び方はすごかった。――特にすごかったのは修行への意気込みだったが。それは強くもなるだろう、と言いたくなるほど追い込んでいた。

 その辺を考えると、たまたま「氣」の骨を掴むことができただけのミトは、なんと裏付けとなる実力の乏しいことか。

 そんなことも朧気に理解し、考えられるようになってきた、間違いなく武の道を歩み始めたミトだが――

「あの、それより、試験を。お願いします。試験をお願いします」

 とにかく今は試験だ。
 色々と考えさせられているが、考えたところで底の抜けたツボのようにどこぞへと流れていくだけである。

 とにかく今は試験だ。それしか頭にない。




 ――「「わああああああぁぁぁ!!」」

 足を引きずりながら案内するタイホンに付いていくと、建物に囲まれた中庭のような場所に出た。

 石畳の敷いてある、何もない広場である。
 そこには大人の男女数名が待ち受けていて――

「来たぞ! 武客の弟子だ!」

 と、建物の中の誰かが叫ぶと――建物中の窓から一斉に、おびただしいほどの子供たちが顔を出した。

「ああ、だからこの時間なのね」

 リノキスの呟きが耳に入る。

 どういう意味かと視線を向けるが、その前に待ち構えていた男性、タイホンと同じく教師らしき中年男性がミトの前に立った。

「もちろん、普通の入学試験なら一人でひっそり受けるところだが。君が受ける試験は特別なんだ。私たち教師たちは当然だが、生徒たちも認めないと合格にはならない。
 要するに、周りにいる子供たちも審査員だと思ってほしい」

 子供たちも審査員。
 なるほど、リノキスの呟きも理由がわかった。

「月下寮にようこそ、ミト。今から特別免除生としての入試試験を行うが、準備はいいかね?」

 逆に言うと、入学費や月謝が免除になる特別免除生枠狙いじゃなければ、ニアが付き添いで来られる時間を指定できたのだろう。

「――はい」

 もし選べるなら入学費でも月謝でも払ってニアに見てもらいたかった――なんて、そんな本音は今更言えないので、せめてニアに恥を掻かせる試験内容にはするまいと、覚悟を決めてミトは返事をした。



 
 得意とする武器は槍だが、ウーハイトンに来てからは槍の代わりに根を握っている。

 己の背丈よりも長い木の棒だ。
 たかが木だと思ったが、これが存外丈夫で、人を殴ったり突いたりするくらいならそう簡単には折れない。

 学校側に用意してもらった根を借りて、まずは指示された演武を見せる。

「うん、悪くない」

 先程から対応している月下寮の校長・イカンは、華麗な演武を見せたミトにそう言った。

 ――教師陣はひそひそ話しつつ、「それなりにまとまっている」と結論を出した。この年齢でここまでぶれやずれがなく動ければ、充分及第点だ。動作の一つ一つも変な癖がなく綺麗だ。

 ただ、噂の武客の弟子としては、まだまだ足りない。
 周囲の期待で高いハードルを用意されているのだ、それを越えるにはこんなものでは全然足りない。

「次の試験は、試合形式だ」

 やはり、これが一番わかりやすい。

「我々は手加減するが、打ち込むこともあることは覚悟しなさい。――ラゴン先生、お願いします」

「はっ」

 中肉中背の男性教師が、ミトと同じ規格の根を持って前に出てきた。

「私は防御が得意だ。私に一発でも入れられれば、試験は終わりでいい」

「わかりました」

 ミトが構えると、教師ラゴンもゆるりと構える。

 力のこもっていないゆるい構えだが、だからこそ恐ろしい。
 こういうのは緩急のせいでより速く見えるのだ――と、いつだったかニアがジンキョウに説教をしていた。構えなどに騙されるな、と。どうせ行き着く先は自然体だから型や構えなどに心血を注ぐな、と。ミトにはちょっと高度過ぎてわからない理屈だった。

 ただ、何にしろ。

 ――軽く、軽く……軽く……力を入れ過ぎないように……

 ミトの心配事は、教師ラゴンをうっかり自分が殺してしまわないかどうかだった。何気に「氣」を習得していない者との立ち合いは、ほとんどしたことがないのだ。ニアにしろリノキスにしろ、ミトの全力攻撃なんて欠伸しながらでもかわしてしまうから。

 ――手加減、手加減……手加減……ニア様が「手を抜くな」と叱るくらい手加減して……

 教師陣も、建物の至る所から見ている子供たちも、固唾を飲んでこの試合を見ている。

 誰も動かない。
 いや――ミトだけが、じりじりと距離を詰めていた。

 ほんの少しずつ、慎重に教師ラゴンの間合いに踏み込んでいく。
 一切の油断もないラゴンは、じっとミトの目を見て、仕掛けてくるタイミングを計っている。




 間合いが侵される。
 根の先が交差する。




 と――

「ぐぅ!?」

 ラゴンが後方に吹き飛んだ。二転三転と石畳を転がり……すぐに脇腹を押さえて立ち上がるが、その顔は苦悶に満ちていた。

 そしてミトはほっとしていた。

 手加減に手加減を心掛けた甲斐があって、殺していなければ骨も折っていない。完璧だ。

「な、何をした!? ……いや、これは……」

 そうだ。

「ただの突きです」

 ミトが一番最初に覚えた、ただの初歩的な突きだ。
 難しいことなど何もない、形だけなら素人だってすぐに習得できるような、技とも言えない技だ。

 しかし、違うのは熟練度と修練度。
 ひたすらこの技を練習し続けたシィルレーンと、一緒になって磨いてきたものだ。

 槍が刺さり、肉に閉じ込められる前に引き抜く。
 この基本中の基本の技が、もはや必殺技にまで昇華している――速度だけならリノキスの「雷音」に勝るとも劣らない。

 だから、打ち込まれた教師ラゴンにさえ、見えなかったのだ。


 
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