狂乱令嬢ニア・リストン

南野海風

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264.アルトワールからの使者

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「――ふう」

 宛がわれた部屋に戻るなり、彼女は思いっきり気を抜いた。

 ぎっちぎちに締め上げているコルセットの紐をほどき、ヒールの痛い靴を脱ぎ捨て、首に来る重量の髪飾りを外し、ドレス姿のままソファーに身を投げた。しわも折り目も気にしない豪胆さである。

 ――疲れた。
 ――とてつもなく疲れた。

 アルトワールではもう高位貴族さえ忘れがちになっている、上流階級マナーと礼儀作法、それに古典的クラシックダンス。
 マーベリアの流儀に合わせて覚えてきたが、とにかく疲れた。

 昨今の気のゆるみと比例して、疲労が募っている。
 本来なら慣れているべき・・・・・・・立場・・なのに。

「お行儀が悪いですよ。アーシャ様」

 そんな彼女が捨てていった物を拾い上げながら、幼馴染の侍女がたしなめる。

「いやぁ、今時ここまで堅苦しい国ってあったのね。もうなんか……もういらないんじゃない? 階級とか」

「王族が一番言っちゃダメなセリフだと思いますけどね」

 侍女は、テーブルにある冷たい果実水をコップに注ぎ、主に差し出す。彼女はおいしそうに喉を鳴らして一気に飲み干した。

「でもワインはおいしかった」

「同感です」

「前情報通りね。食べ物がおいしい」

「そうですね。作物の出来がいいのでしょうね」

 長らく外国人と外国の文化を遠ざけていたマーベリア王国の、王が変わる。
 それに伴い、次期国王リビセィル・シルク・マーベリアは、これまでの鎖国気味だったマーベリアを変えたいと、各国の使者の前ではっきり言葉にした。

 開国宣言である。
 つまり――これからよろしくお願いします、と。周辺国に挨拶をしたのである。

 確かに鎖国を始めた数百年前は、世が乱れていた。戦争や領地争いも頻繁に起こっていたし、滅んだ国や集落も少なくない。

 だが、それにしたって数百年だ。
 数百年もの鎖国は長すぎる。

 まあ完全に他国を排除してはいなかったものの、外国人に排他的な国民性から、どうしたって付き合いづらい国になっていた。

 おまけに、機兵という恐ろしい陸上兵器もあった。
 他国を排する傾向が強く、何を考えているかわからない国の上に、独自の強い兵器も持ち合わせる。

 周辺国としては、警戒しない方がおかしい国だった。

 ――そんなマーベリアが、国王の代替わりで国を開くという。

 ほかの国の感想は違うとは思うが、平和ボケのアルトワール王国からすれば、敵かもしれないマーベリアが敵じゃなくなるだけでも御の字だ。

 そして、ぜひ輸出入を行い優れた文化を吸収して、利益を生みたい――できることなら双方利益が出る形で。
 不用意に敵を作るのは、平和ボケには向いていない。どこともそれなりに仲良くしてうまく付き合っていくのがアルトワールの理想である。

「二週間くらい滞在するんだっけ?」

「ヒエロ様はそのように日程を組んでいるようですね。変更はなかったかと」

「二週間かぁ。あーあ。建国物語の続きが気になるなぁ。ササラン王女の恋の六角関係どうなるのかしら」

「正確には『どうなったのか』ですね。もう放送はされているはずなので」

「……やめなさいよ。観たくなるでしょ」

「アーシャ様が私を付き合わせなければ私は観られたんですけどね。あーあ。マーベリア行きに拒否権があったらよかったのに」

「あ、主人に対して反抗的。これは不敬罪と国家反逆罪だわ。厳罰ものね」

「えー勘弁してくださいよー」

「だめだめ。死刑死刑」

「あー死んだー。これで通算三百三十二回目の死亡だわー。しかも外国での死亡だわー。お風呂の準備ができてますよ」

「うん。お兄様が来たら待たせといて」

 たとえいる場所は変わっても、幼馴染のノリは変わらない。
 だからこそ、この二人は明確な身分の差があっても、一緒にいられるのだ。




「――ようこそ、ヒエロ様」

 主が風呂に消えた直後、待ち人がやってきた。

「こんばんは、ルナリナ。アーシャは?」

「入浴中です。部屋で待っていてほしいとのことです」

「わかった」

 部屋に通されたヒエロは、さっきアーシャが座っていたソファーに腰を下ろす。溜息が出る辺り、彼もお疲れのようだ。

「ルナリナ。何か面白い発見はあったかい?」

「機兵の技術は気になりますね。あの技術なら中継塔に転用できるのでは?」

「なるほど」

「あとはニア・リストン様ですね。あの方強すぎませんか?」

「あれは私も意外だった。冒険家リーノの弟子だという話だが……」

 ――侍女からワインを出されたが口を付ける間もなく、これまた身分の違いはあれど付き合いの長いヒエロと侍女は、ぽんぽんと弾むように意見の擦り合わせを盛んに行い。

「お兄様、いらっしゃい」

 ようやくアーシャが風呂から出てきた。 

「ああ。さすがに長居しづらいから、要点だけ話す」

「ええ」

 バスローブ姿というあられもない格好である。
 侍女を挟んだ上での兄妹と言えど、分別は必要である。

 ――というのもあるが、ヒエロは時間が惜しいと思っている。

 せっかく今まで訪れる機会のなかったマーベリアに招かれているのだ。やるべきこと、やりたいことがたくさんあり、時間を無駄にしたくない。

「それで――」

 アーシャはヒエロの向かいに座り、侍女と戯れていた時とは違う顔で対峙する。

「撮影はどうだったの?」

「撮影は成功した。マーベリアの政策に納得もできた」

 ――今日、ヒエロ率いるアルトワールの撮影班が、東の砦へ向かった。

 そこで、長年国を閉じていたマーベリアの問題を見て、そして撮影してきた。

「事前に聞いていた通り、人を襲いそうな巨大な虫がいた。マーベリアはあれと戦ってきたそうだ」

 機兵という兵器が必要だった理由。
 敵対意識を臭わせることで、諸外国の侵攻・侵略を牽制していたこと。いつか戦争を仕掛けて来そうだと思っていたのは、虫と外国の挟撃を避けるためだった。

 いくら代替わりに合わせて開国を目指すと決めたとは言え、ここまでストレートに国の問題をさらけ出したのには驚いた。

 撮影班を連れてきてほしいと要求されて、何をするかと思えば――

 手に汗握るような、機兵と人間による名勝負となった御前試合と。
 そしてマーベリアに巣食う驚異の撮影を頼まれた。

 色々と驚くことが多く、ゆっくり考えたいことも多いが、何より――




「虫の魔石、あれは撮影用に使えそうだ。数が多いなら格安で入手できるかもしれない」

 アルトワールから撮影班を引き連れてきた、第二王子ヒエロ。

「なるほど――ではその虫の魔石をメインに交渉してみましょう」

 そして、留学先である聖王国アスターニャの聖教学園を卒業してから、外交官として世界を飛び回る、アルトワール王国第二王女アーシアセム。

 ――知れば知るほどニア・リストンの功績がよくわかるマーベリアの地で、彼女が作った揺らがない足掛かりをしかと踏み、アルトワールの外交が始まっていた。



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