265 / 405
264.アルトワールからの使者
しおりを挟む「――ふう」
宛がわれた部屋に戻るなり、彼女は思いっきり気を抜いた。
ぎっちぎちに締め上げているコルセットの紐をほどき、ヒールの痛い靴を脱ぎ捨て、首に来る重量の髪飾りを外し、ドレス姿のままソファーに身を投げた。しわも折り目も気にしない豪胆さである。
――疲れた。
――とてつもなく疲れた。
アルトワールではもう高位貴族さえ忘れがちになっている、上流階級マナーと礼儀作法、それに古典的ダンス。
マーベリアの流儀に合わせて覚えてきたが、とにかく疲れた。
昨今の気のゆるみと比例して、疲労が募っている。
本来なら慣れているべき立場なのに。
「お行儀が悪いですよ。アーシャ様」
そんな彼女が捨てていった物を拾い上げながら、幼馴染の侍女がたしなめる。
「いやぁ、今時ここまで堅苦しい国ってあったのね。もうなんか……もういらないんじゃない? 階級とか」
「王族が一番言っちゃダメなセリフだと思いますけどね」
侍女は、テーブルにある冷たい果実水をコップに注ぎ、主に差し出す。彼女はおいしそうに喉を鳴らして一気に飲み干した。
「でもワインはおいしかった」
「同感です」
「前情報通りね。食べ物がおいしい」
「そうですね。作物の出来がいいのでしょうね」
長らく外国人と外国の文化を遠ざけていたマーベリア王国の、王が変わる。
それに伴い、次期国王リビセィル・シルク・マーベリアは、これまでの鎖国気味だったマーベリアを変えたいと、各国の使者の前ではっきり言葉にした。
開国宣言である。
つまり――これからよろしくお願いします、と。周辺国に挨拶をしたのである。
確かに鎖国を始めた数百年前は、世が乱れていた。戦争や領地争いも頻繁に起こっていたし、滅んだ国や集落も少なくない。
だが、それにしたって数百年だ。
数百年もの鎖国は長すぎる。
まあ完全に他国を排除してはいなかったものの、外国人に排他的な国民性から、どうしたって付き合いづらい国になっていた。
おまけに、機兵という恐ろしい陸上兵器もあった。
他国を排する傾向が強く、何を考えているかわからない国の上に、独自の強い兵器も持ち合わせる。
周辺国としては、警戒しない方がおかしい国だった。
――そんなマーベリアが、国王の代替わりで国を開くという。
ほかの国の感想は違うとは思うが、平和ボケのアルトワール王国からすれば、敵かもしれないマーベリアが敵じゃなくなるだけでも御の字だ。
そして、ぜひ輸出入を行い優れた文化を吸収して、利益を生みたい――できることなら双方利益が出る形で。
不用意に敵を作るのは、平和ボケには向いていない。どこともそれなりに仲良くしてうまく付き合っていくのがアルトワールの理想である。
「二週間くらい滞在するんだっけ?」
「ヒエロ様はそのように日程を組んでいるようですね。変更はなかったかと」
「二週間かぁ。あーあ。建国物語の続きが気になるなぁ。ササラン王女の恋の六角関係どうなるのかしら」
「正確には『どうなったのか』ですね。もう放送はされているはずなので」
「……やめなさいよ。観たくなるでしょ」
「アーシャ様が私を付き合わせなければ私は観られたんですけどね。あーあ。マーベリア行きに拒否権があったらよかったのに」
「あ、主人に対して反抗的。これは不敬罪と国家反逆罪だわ。厳罰ものね」
「えー勘弁してくださいよー」
「だめだめ。死刑死刑」
「あー死んだー。これで通算三百三十二回目の死亡だわー。しかも外国での死亡だわー。お風呂の準備ができてますよ」
「うん。お兄様が来たら待たせといて」
たとえいる場所は変わっても、幼馴染のノリは変わらない。
だからこそ、この二人は明確な身分の差があっても、一緒にいられるのだ。
「――ようこそ、ヒエロ様」
主が風呂に消えた直後、待ち人がやってきた。
「こんばんは、ルナリナ。アーシャは?」
「入浴中です。部屋で待っていてほしいとのことです」
「わかった」
部屋に通されたヒエロは、さっきアーシャが座っていたソファーに腰を下ろす。溜息が出る辺り、彼もお疲れのようだ。
「ルナリナ。何か面白い発見はあったかい?」
「機兵の技術は気になりますね。あの技術なら中継塔に転用できるのでは?」
「なるほど」
「あとはニア・リストン様ですね。あの方強すぎませんか?」
「あれは私も意外だった。冒険家リーノの弟子だという話だが……」
――侍女からワインを出されたが口を付ける間もなく、これまた身分の違いはあれど付き合いの長いヒエロと侍女は、ぽんぽんと弾むように意見の擦り合わせを盛んに行い。
「お兄様、いらっしゃい」
ようやくアーシャが風呂から出てきた。
「ああ。さすがに長居しづらいから、要点だけ話す」
「ええ」
バスローブ姿というあられもない格好である。
侍女を挟んだ上での兄妹と言えど、分別は必要である。
――というのもあるが、ヒエロは時間が惜しいと思っている。
せっかく今まで訪れる機会のなかったマーベリアに招かれているのだ。やるべきこと、やりたいことがたくさんあり、時間を無駄にしたくない。
「それで――」
アーシャはヒエロの向かいに座り、侍女と戯れていた時とは違う顔で対峙する。
「撮影はどうだったの?」
「撮影は成功した。マーベリアの政策に納得もできた」
――今日、ヒエロ率いるアルトワールの撮影班が、東の砦へ向かった。
そこで、長年国を閉じていたマーベリアの問題を見て、そして撮影してきた。
「事前に聞いていた通り、人を襲いそうな巨大な虫がいた。マーベリアはあれと戦ってきたそうだ」
機兵という兵器が必要だった理由。
敵対意識を臭わせることで、諸外国の侵攻・侵略を牽制していたこと。いつか戦争を仕掛けて来そうだと思っていたのは、虫と外国の挟撃を避けるためだった。
いくら代替わりに合わせて開国を目指すと決めたとは言え、ここまでストレートに国の問題をさらけ出したのには驚いた。
撮影班を連れてきてほしいと要求されて、何をするかと思えば――
手に汗握るような、機兵と人間による名勝負となった御前試合と。
そしてマーベリアに巣食う驚異の撮影を頼まれた。
色々と驚くことが多く、ゆっくり考えたいことも多いが、何より――
「虫の魔石、あれは撮影用に使えそうだ。数が多いなら格安で入手できるかもしれない」
アルトワールから撮影班を引き連れてきた、第二王子ヒエロ。
「なるほど――ではその虫の魔石をメインに交渉してみましょう」
そして、留学先である聖王国アスターニャの聖教学園を卒業してから、外交官として世界を飛び回る、アルトワール王国第二王女アーシアセム。
――知れば知るほどニア・リストンの功績がよくわかるマーベリアの地で、彼女が作った揺らがない足掛かりをしかと踏み、アルトワールの外交が始まっていた。
20
お気に入りに追加
506
あなたにおすすめの小説
クラス転移したけど、皆さん勘違いしてません?
青いウーパーと山椒魚
ファンタジー
加藤あいは高校2年生。
最近ネット小説にハマりまくっているごく普通の高校生である。
普通に過ごしていたら異世界転移に巻き込まれた?
しかも弱いからと森に捨てられた。
いやちょっとまてよ?
皆さん勘違いしてません?
これはあいの不思議な日常を書いた物語である。
本編完結しました!
相変わらず話ごちゃごちゃしていると思いますが、楽しんでいただけると嬉しいです!
1話は1000字くらいなのでササッと読めるはず…
新婚初夜に浮気ですか、王太子殿下。これは報復しかありませんね。新妻の聖女は、王国を頂戴することにしました。
星ふくろう
ファンタジー
紅の美しい髪とエメラルドの瞳を持つ、太陽神アギトの聖女シェイラ。
彼女は、太陽神を信仰するクルード王国の王太子殿下と結婚式を迎えて幸せの絶頂だった。
新婚旅行に出る前夜に初夜を迎えるのが王国のしきたり。
大勢の前で、新婦は処女であることを証明しなければならない。
まあ、そんな恥ずかしいことも愛する夫の為なら我慢できた。
しかし!!!!
その最愛の男性、リクト王太子殿下はかつてからの二股相手、アルム公爵令嬢エリカと‥‥‥
あろうことか、新婚初夜の数時間前に夫婦の寝室で、ことに及んでいた。
それを親戚の叔父でもある、大司教猊下から聞かされたシェイラは嫉妬の炎を燃やすが、静かに決意する。
この王国を貰おう。
これはそんな波乱を描いた、たくましい聖女様のお話。
小説家になろうでも掲載しております。
余命半年のはずが?異世界生活始めます
ゆぃ♫
ファンタジー
静波杏花、本日病院で健康診断の結果を聞きに行き半年の余命と判明…
不運が重なり、途方に暮れていると…
確認はしていますが、拙い文章で誤字脱字もありますが読んでいただけると嬉しいです。
【長編・完結】私、12歳で死んだ。赤ちゃん還り?水魔法で救済じゃなくて、給水しますよー。
BBやっこ
ファンタジー
死因の毒殺は、意外とは言い切れない。だって貴族の後継者扱いだったから。けど、私はこの家の子ではないかもしれない。そこをつけいられて、親族と名乗る人達に好き勝手されていた。
辺境の地で魔物からの脅威に領地を守りながら、過ごした12年間。その生が終わった筈だったけど…雨。その日に辺境伯が連れて来た赤ん坊。「セリュートとでも名付けておけ」暫定後継者になった瞬間にいた、私は赤ちゃん??
私が、もう一度自分の人生を歩み始める物語。給水係と呼ばれる水魔法でお悩み解決?
婚約破棄され森に捨てられました。探さないで下さい。
拓海のり
ファンタジー
属性魔法が使えず、役に立たない『自然魔法』だとバカにされていたステラは、婚約者の王太子から婚約破棄された。そして身に覚えのない罪で断罪され、修道院に行く途中で襲われる。他サイトにも投稿しています。
王太子妃なのに冤罪で流刑にされました 〜わたくしは流刑地で幸せを掴みますが、あなた方のことは許しません〜
超高校級の小説家
恋愛
公爵令嬢のベアトリスは16歳でトルマリン王国の王太子と政略結婚して王太子妃となった。しかし、婚礼の儀と披露式典を終えて間もなく、王城に滞在する大聖女に怪我をさせたと言いがかりをつけられる。
全く身に覚えが無いのに目撃証言が複数あり、これまでも大聖女に対して嫌がらせをしていたという嫌疑をかけられ、怒った王太子によって王太子妃の位を剥奪され流刑に処されてしまう。
流された先は魔族という悪しき者達が住む魔界に通じる扉があると言われる魔の島と恐れられる場所だった。
※7話まで胸糞悪いです。そこからはお気楽展開で書いてますのでお付き合いください
※最終話59話で完結
途中で飽きた方もエピローグに当たる最後の3話だけでも読んで、ベアトリスの復讐の顛末を見ていただけると嬉しいです。
婚約破棄とか言って早々に私の荷物をまとめて実家に送りつけているけど、その中にあなたが明日国王に謁見する時に必要な書類も混じっているのですが
マリー
恋愛
寝食を忘れるほど研究にのめり込む婚約者に惹かれてかいがいしく食事の準備や仕事の手伝いをしていたのに、ある日帰ったら「母親みたいに世話を焼いてくるお前にはうんざりだ!荷物をまとめておいてやったから明日の朝一番で出て行け!」ですって?
まあ、癇癪を起こすのはいいですけれど(よくはない)あなたがまとめてうちの実家に郵送したっていうその荷物の中、送っちゃいけないもの入ってましたよ?
※またも小説の練習で書いてみました。よろしくお願いします。
※すみません、婚約破棄タグを使っていましたが、書いてるうちに内容にそぐわないことに気づいたのでちょっと変えました。果たして婚約破棄するのかしないのか?を楽しんでいただく話になりそうです。正当派の婚約破棄ものにはならないと思います。期待して読んでくださった方申し訳ございません。
ぬいぐるみばかり作っていたら実家を追い出された件〜だけど作ったぬいぐるみが意志を持ったので何も不自由してません〜
望月かれん
ファンタジー
中流貴族シーラ・カロンは、ある日勘当された。理由はぬいぐるみ作りしかしないから。
戸惑いながらも少量の荷物と作りかけのぬいぐるみ1つを持って家を出たシーラは1番近い町を目指すが、その日のうちに辿り着けず野宿をすることに。
暇だったので、ぬいぐるみを完成させようと意気込み、ついに夜更けに完成させる。
疲れから眠りこけていると聞き慣れない低い声。
なんと、ぬいぐるみが喋っていた。
しかもぬいぐるみには帰りたい場所があるようで……。
天真爛漫娘✕ワケアリぬいぐるみのドタバタ冒険ファンタジー。
※この作品は小説家になろう・ノベルアップ+にも掲載しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる