狂乱令嬢ニア・リストン

南野海風

文字の大きさ
上 下
177 / 405

176.気持ちの整理と、王の要請と

しおりを挟む




「――最近元気がないですね。なにか悩み事ですか?」

 いつもは言いかけてやめるリノキスは、いよいよその気持ちを口に出してしまった。

 何かを察したのか。
 それとも、軽々しく聞けないほど疲れているように見えていたのか。

 私の様子がおかしいことにはすぐに気づいていたようだが、あえてそれを言わなかったリノキスは――もうすぐ冬休みというこのタイミングで、さりげなさを装って言った。

 色々考えた結果、ここが一番と判断したのだろう。
 私の反応によっては、割って入ることになるレリアレッドが、場の雰囲気を壊してしまうから。

「今現在の悩みは宿題だけど。代わりにやってくれるの?」

「それは自力でがんばってください」

 そう言うと思ったよ。リノキスはそういう奴だ。




 王国武闘大会の熱が引いてきた、冬の終わりのこと。
 冬休み中にあった大会から、もうすぐ三ヵ月が過ぎようとしていた。

 進級試験も終わり、冬休みが明けたら私は小学部四年生になる。月日が流れるのは早いものだ。

 ――ニア・リストンが生きたのが四年、か。

 いよいよ、彼女より私の方が長く、ニア・リストンをるようになってしまうわけか。

「ねえリノキス」

 私はペンを置いて、テーブルの上で手を組んだ。

 いつも通りなら、もうすぐレリアレッドが遊びに来る。宿題している私の前で魔法映像マジックビジョンを観るのだ。
 どうも二年周期らしく、この冬が終わると、寮の部屋がまた変更になるそうだ。

 二年目と三年目は隣の部屋だったレリアレッドとは、恐らくはまた離れ離れになるだろう。
 まあ、遠くなろうがなんだろうが、同じ建物の中の話だ。すっかり入り浸るのに慣れた彼女は今後もガンガンに来るかもしれないが。

 ――そんな邪魔が入る前に、ほんの少しだけ、話をしよう。

 きっとそれくらいでちょうどいいのだ。
 叶わぬ願いをぶちまけるのも違うし、無茶な期待を掛けるのも違うから。

「あなたは、もっと強くなりたいとは思わないの?」

 修行自体は続けているが、それはどちらかと言うと強さを維持するためのものだ。強くなるためにはやはり実戦が早いし確実である。リネットは強制だが。兄に「氣」を教えたあいつはどうあっても強くなってもらうが。

「どうでしょうね。現時点でお嬢様の護衛くらいはできるようになりましたので、正直これ以上強くなっても、という気もしていますけど」

 うん。
 いいと思う。

「それくらいがいいと思うわ」

「そうですか?」

「ええ。いずれガンドルフにも言おうと思っていたけど――」

 組んだ手に顎を乗せて、目を伏せる。

「強くなった先って、何もないのよ。本当に何もなかった」

 記憶にはないが、記憶にないからこそ、きっとそうなのだろうと思う。

 激戦の記憶。
 修行の記憶。
 技の記憶。
 武に関する知識の記憶。

 これらは、ふとした拍子に思い出すことがある。
 あくまでも「気がする」程度でかなり曖昧なものだが、しかし、さすがに知識にないことがふっと浮かぶことはないと思う。

 だからきっと、この「気がする」は、正しいのだと思う。

 だが、ほとんどそんなものばかり。
 過程にあったものばかりだ。

 昇り詰めた結果、その先のことは、まったくと言っていいほど思い出せないし、思い出すこともない。
 きっと、そこでは魂に刻まれるような出来事は、何もなかったからだろう。

 家族は、いたかもしれない。
 弟子は確実にいた。

 だが、肩を並べる者はいなかった。
 隣には誰もいなかった。

「強さというものは、すべてを捨ててまで求めるものではなかった」

 あの武闘大会を経て、妙にやり遂げた気がしたのは、その辺のことを本能的に悟ったからだと思う。
 時間を掛けてじっくり考えて、なんとなくわかってきた。

 弟子はきっと伝えたのだろう。
 私の教えたことをすべて、後世に。

 ただ、私ほど馬鹿ではなかった。
 皆、私ほど愚かではなかったのだ、と。

 武のためにすべてを捨てて高みに行った私ほど強さに酔いしれることもなく、また強さのために大切なものを捨てることもしなかったのだろう。
 その結果が、今の弱い武闘家たちだ。

 彼らはどこかで理解したのだ。
 この先には何もないことを。大切なものを捨ててまで欲するほどのものなど、何一つないことを。

 それを理解できなかった私だけが、何も残らない道を行き、何も残らない最期を遂げたのだ。

 私ほどの馬鹿はいなかったのだ、と。
 きっと手塩にかけて育てた弟子たちは、私の技は継いだが、生き様は継がなかったのだ、と。

 あの武闘大会の、弱い武闘家たち。
 彼らは私の人生を否定する存在だった――だからひどくがっかりした。

 ――こんな話をリノキスにしても、私のために望まぬ道へ踏み出しかねないからな。

 だから特に彼女には言えない。
 そしてガンドルフには、とりあえず「結婚して幸せな家庭を築くために強くなれ」とでも言ってやろうと覆う。

 強くなることを目標に挑む修行は純粋で尊いが、人はいつまでも純粋ではいられないし、そうであることも決して良くはないだろうからな。
 大人は子供のために、多少は汚れておくものだ。

「なんだかよくわからないんですが……」

 わからないように言っているから仕方ないが、まとめてみるとこんな話である。

「私は強くなりすぎて困っちゃったって話よ。戦う相手がいないもの。理解者もいないし。
 遠くから見上げた武は輝いていて、欲しくて欲しくて必死で手を伸ばして、いろんなものを捨ててまで掴んではみたけど、実際は輝きなんて一つもなくて。

 ひどく陳腐で安っぽくてなんの価値もなかった、って話」

 ――うむ、私の人生など、言葉にすればたったそれだけのものだった。

 本当に、たったそれだけのものだった。
 すべてを捨てて身に付けた武を後世に残したかったが、託した弟子たちは残さなかった。だからがっかりした。

 ニア・リストンとしての仕事は一区切りついた。
 そして私自身がこの時代に託した武は、すでに途絶えていた。

 だから、なんとなく、生きる理由がなくなかったように思えた。
 そう、それだけだ。

「やっぱりよくわかりませんが、でも強くなった価値はあるでしょう?」

「そう?」

「だって、あなた・・・はその強さで、お嬢様の身体を生かしましたから」

 なるほど。
 私の前の・・人生は、今生・・のニア・リストンを生かすためにあった、か。

 ――そう考えると、そこまで悪くはない気はするな。

 それだけの価値があれば充分だろう。
 ずっと沈んでいた気持ちが、少しだけ軽くなった気がする。




 やっと気持ちの整理が付いてきたかな、という冬休みの直前に、

「お邪魔していますよ。ニア」

 久しぶりにヒルデトーラが部屋にやってきた。
 というか、戻ってきたら居た形である。彼女はこのパターンが多いな。

「変わった香りね」

 部屋には、リノキスが淹れたのであろう紅茶の香りが広がっている、のだが。この香りは紅茶じゃないかもしれない。覚えのない匂いだ。

「わたくしが持ってきた、ムサシ會の抹茶というものです。大まかに言うと茶葉を粉末にしたお茶ですね」

 ほう、ムサシ會の。では高級品だな。

「高いんじゃないの?」

「かなり」

 だろうな。
 聞いた話では、ムサシ會は交通手段が確立している飛行船であっても、二ヵ月以上掛かるほど遠い国だ。
 輸送費を考えればお茶一つであってもかなりの額になるだろう。

「でもお気になさらず。お父様からニアへの贈り物ですから」

 ん?

「王様からの贈り物?」

「ええ。武闘大会の労いの気持ちを込めて、と。それと伝言で、ニアに相談があるのでちょっと来てくれ、とのことです」

 …………ああそう。

「この抹茶というもの、厄介事の香りがするのね」

「父がすみません。でも本当に相談したいだけのようですよ」

 そうか。

 相手が対等の立場なら、本当に相談で済むのだろうが。
 しかし一国の王と貴人の娘では、それはもう、ただの相談という体の命令に近いものだと思う。

 そもそも立場上、相談なんて受け付けない、なんて言えるわけもないからな。

 何の用だか知らないし気も進まないが、行くしかないか。



しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

クラス転移したけど、皆さん勘違いしてません?

青いウーパーと山椒魚
ファンタジー
加藤あいは高校2年生。 最近ネット小説にハマりまくっているごく普通の高校生である。 普通に過ごしていたら異世界転移に巻き込まれた? しかも弱いからと森に捨てられた。 いやちょっとまてよ? 皆さん勘違いしてません? これはあいの不思議な日常を書いた物語である。 本編完結しました! 相変わらず話ごちゃごちゃしていると思いますが、楽しんでいただけると嬉しいです! 1話は1000字くらいなのでササッと読めるはず…

新婚初夜に浮気ですか、王太子殿下。これは報復しかありませんね。新妻の聖女は、王国を頂戴することにしました。

星ふくろう
ファンタジー
 紅の美しい髪とエメラルドの瞳を持つ、太陽神アギトの聖女シェイラ。  彼女は、太陽神を信仰するクルード王国の王太子殿下と結婚式を迎えて幸せの絶頂だった。  新婚旅行に出る前夜に初夜を迎えるのが王国のしきたり。  大勢の前で、新婦は処女であることを証明しなければならない。  まあ、そんな恥ずかしいことも愛する夫の為なら我慢できた。  しかし!!!!  その最愛の男性、リクト王太子殿下はかつてからの二股相手、アルム公爵令嬢エリカと‥‥‥  あろうことか、新婚初夜の数時間前に夫婦の寝室で、ことに及んでいた。  それを親戚の叔父でもある、大司教猊下から聞かされたシェイラは嫉妬の炎を燃やすが、静かに決意する。  この王国を貰おう。  これはそんな波乱を描いた、たくましい聖女様のお話。  小説家になろうでも掲載しております。

余命半年のはずが?異世界生活始めます

ゆぃ♫
ファンタジー
静波杏花、本日病院で健康診断の結果を聞きに行き半年の余命と判明… 不運が重なり、途方に暮れていると… 確認はしていますが、拙い文章で誤字脱字もありますが読んでいただけると嬉しいです。

【長編・完結】私、12歳で死んだ。赤ちゃん還り?水魔法で救済じゃなくて、給水しますよー。

BBやっこ
ファンタジー
死因の毒殺は、意外とは言い切れない。だって貴族の後継者扱いだったから。けど、私はこの家の子ではないかもしれない。そこをつけいられて、親族と名乗る人達に好き勝手されていた。 辺境の地で魔物からの脅威に領地を守りながら、過ごした12年間。その生が終わった筈だったけど…雨。その日に辺境伯が連れて来た赤ん坊。「セリュートとでも名付けておけ」暫定後継者になった瞬間にいた、私は赤ちゃん?? 私が、もう一度自分の人生を歩み始める物語。給水係と呼ばれる水魔法でお悩み解決?

婚約破棄され森に捨てられました。探さないで下さい。

拓海のり
ファンタジー
属性魔法が使えず、役に立たない『自然魔法』だとバカにされていたステラは、婚約者の王太子から婚約破棄された。そして身に覚えのない罪で断罪され、修道院に行く途中で襲われる。他サイトにも投稿しています。

王太子妃なのに冤罪で流刑にされました 〜わたくしは流刑地で幸せを掴みますが、あなた方のことは許しません〜

超高校級の小説家
恋愛
公爵令嬢のベアトリスは16歳でトルマリン王国の王太子と政略結婚して王太子妃となった。しかし、婚礼の儀と披露式典を終えて間もなく、王城に滞在する大聖女に怪我をさせたと言いがかりをつけられる。 全く身に覚えが無いのに目撃証言が複数あり、これまでも大聖女に対して嫌がらせをしていたという嫌疑をかけられ、怒った王太子によって王太子妃の位を剥奪され流刑に処されてしまう。 流された先は魔族という悪しき者達が住む魔界に通じる扉があると言われる魔の島と恐れられる場所だった。 ※7話まで胸糞悪いです。そこからはお気楽展開で書いてますのでお付き合いください ※最終話59話で完結 途中で飽きた方もエピローグに当たる最後の3話だけでも読んで、ベアトリスの復讐の顛末を見ていただけると嬉しいです。

婚約破棄とか言って早々に私の荷物をまとめて実家に送りつけているけど、その中にあなたが明日国王に謁見する時に必要な書類も混じっているのですが

マリー
恋愛
寝食を忘れるほど研究にのめり込む婚約者に惹かれてかいがいしく食事の準備や仕事の手伝いをしていたのに、ある日帰ったら「母親みたいに世話を焼いてくるお前にはうんざりだ!荷物をまとめておいてやったから明日の朝一番で出て行け!」ですって? まあ、癇癪を起こすのはいいですけれど(よくはない)あなたがまとめてうちの実家に郵送したっていうその荷物の中、送っちゃいけないもの入ってましたよ? ※またも小説の練習で書いてみました。よろしくお願いします。 ※すみません、婚約破棄タグを使っていましたが、書いてるうちに内容にそぐわないことに気づいたのでちょっと変えました。果たして婚約破棄するのかしないのか?を楽しんでいただく話になりそうです。正当派の婚約破棄ものにはならないと思います。期待して読んでくださった方申し訳ございません。

ぬいぐるみばかり作っていたら実家を追い出された件〜だけど作ったぬいぐるみが意志を持ったので何も不自由してません〜

望月かれん
ファンタジー
 中流貴族シーラ・カロンは、ある日勘当された。理由はぬいぐるみ作りしかしないから。 戸惑いながらも少量の荷物と作りかけのぬいぐるみ1つを持って家を出たシーラは1番近い町を目指すが、その日のうちに辿り着けず野宿をすることに。 暇だったので、ぬいぐるみを完成させようと意気込み、ついに夜更けに完成させる。  疲れから眠りこけていると聞き慣れない低い声。 なんと、ぬいぐるみが喋っていた。 しかもぬいぐるみには帰りたい場所があるようで……。     天真爛漫娘✕ワケアリぬいぐるみのドタバタ冒険ファンタジー。  ※この作品は小説家になろう・ノベルアップ+にも掲載しています。

処理中です...