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57.士官学校卒業と妖精のおっさん
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卒業生代表としての挨拶を終えたフレイオージュは、一歩下がる。
本日晴天。
士官学校にある多目的ホールには、今年卒業となる訓練生と関係者が集まっていた。
フレイオージュと同期となる二年生たち。
二年生を送るために集まった、来年は同じ立場になるであろう一年生たち。
教員たちに、卒業生の親族たち。
そして――無事迎えられたこの日を、卒業生たちを祝福するように頭上を元気に飛び回る、妖精たち。
百人近い人たちが一堂に介し、万感の思いでこの日を迎えた。
士官学校では、つらいことの方が多かった。
基本的に身体をいじめ、精神の鍛練をし、時々怪我をしたり、訓練しても上達しないことに苛立ったりうまくできないことに悩んだりして。
昨日まで一緒にがんばっていた同期がいなくなることもしょっちゅうだった。
課題を乗り越えられずに去ったり、実力のなさを痛感して諦めたり、実力はあるのに集団行動に馴染めなかったりして。
そんな様々な理由を聞くと、一概に学校をやめる者へ失望の念を向けるのも筋違いに思えて、残された在学生も複雑な気持ちになったりして。仲間なら助けるべきだと考えたり、仲間だからこそ手を差し伸べないこともあったり。
二年間はあっという間で、しかしとてつもなく濃い時間だった。
二年間で随分と顔立ちが変わったと思う。
もう皆、一端の騎士の顔……というのは言い過ぎかもしれないが、少なくとも入学当初の訓練生とは別人のように成長している。
彼らは、そしてフレイオージュは、これからこの国を、民を守るために騎士になるのだ。
――フレイオージュが敬礼すると、卒業生全員がそれに倣う。
一糸乱れぬその動きは、訓練生としての自分やこの学校との決別であり、卒業生であることの証明だった。
卒業式が終わると、そのまま簡単な卒業パーティーへと突入する。
この多目的ホールは雨天時の訓練によく使われる場所だが、今日だけはいつもとは違う装いである。
というか、いつもと違っておめかししている、と言った方が正しいだろうか。
テーブルが運ばれ、真っ白なクロスが敷かれ、料理や飲み物が並んでいるのだ。
今日だけは身体をいじめる訓練など関係ないそれらが、卒業式という特別なイベントを表している。
感極まったのか泣き出す卒業生がいたり。
自慢の我が子を褒め称え泣き出すお父さんがいたり。
世話になったのだろう卒業生に挨拶をして泣く下級生がいたり。
「……」
友達がいないフレイオージュにも、在学中は話したこともない同期や下級生が、「なぜだ」と逆に問いたいくらい何人も話しかけてきた。そんなに話しかけることがあるのか。それならなぜ在学中に来なかったのか。今日で終わりなのにもっと早く来てくれてもよかったのではないか。
そんなことをちらっと頭の隅で考えながら、口下手なりに対応する。
同期と再会の約束をしたり、結局騎士団には入れず地方の砦に兵士として着任するという進路の話を聞かされたり、ササリア・ルフランにそれとなく再び告白されたり。
この二年間の生活すべてよりも、この一日だけで話した発言数と時間の方がずっと長かった。
――誇らしい日も、あっという間に終わりに近づく。
明日から騎士団寮に入ったり、訓練に合流したり、早くも任務に就く者もいる。
今日が終わりではない。
卒業して、明日からが本番なのである。
その本番に向けて、二年間死ぬような思いをして、必死にやってきたのだ。最後くらいハメをはずそう、なんてふざけたことを言う者はいない――ちょっとしかいない。まあ半数くらいか。二次会か。行くのか。……誘わないのか。
フレイオージュはそわそわしながらあっちこっち同期が盛り上がっているところを無駄にうろうろしてみたが、適当なところで妹ルミナリに捕まった。「帰ろう」と。
二次会とやらに誘われる可能性を信じてフレイオージュは少し抵抗したが「もう見てられないよ……」と悲しそうに言われては、引き下がるしかなかった。エサを求めて徘徊する熊のようにうろうろしていた姉の姿を妹に見られていたらしい。
だったらもう、帰るしかないではないか。
「……」
――帰って泣くか、とフレイオージュは思いながら、妹に手を引かれてとぼとぼと帰途に着くのだった。
少々心が痛くなることもあったりなかったりした卒業式も、表向きは無事に終わり。
フレイオージュはしばしの空白の時間にいた。
日課の訓練はするが、それ以外は完全に予定がない。
来月から騎士隊の一員として着任することが決まっているが、それまでの間は自由にしていいと言われている。
これまで訓練漬けだったから少しは骨休めしろ、と。
父シックルに言われ、予定のない日々をぼんやり過ごしていた。
士官学校を卒業したので、もうシックルはフレイオージュに訓練をしろだのなんだのと命じることはないと言った。
もう一人前だから、自分のことは自分で決めろ、と。
母アヴィサラも同じ気持ちらしく、よほどのことがなければ調剤の手伝いをしろと言うことはない、と言っていた。
何もない時間。
屋敷の庭に設置されたテーブルに着き、春風に当たりながら紅茶を飲み、ルミナリが勧めてくれた本を読む。なんでも悪役令嬢なる存在にいじめ倒されるヒロインが王子様と恋愛をして幸せになるという、流行りの小説らしい。
だが、どうも肌に合わないようで、閉じてしまった。
フレイオージュなら、やられたらやり返す。
仮に反抗できない身分が上の者にやられたなら、バレないようにやり返す方法を考えるし、実行もする。
ただ泣きながら耐える脆弱にして現状を良くしようと欠片の努力もしないヒロインに感情移入ができないので、あまり楽しめなかった。
「……」
ふと花壇を見ると、妖精のおっさんがミツバチのように、色とりどりに咲いている花の上を飛び回っていた。
何が楽しいのか元気よく飛び回っていて、羽からこぼれ落ちる光の粒子をまき散らしている。
「……」
――もしや草木の成長を促す魔法の一種だろうか……――
そんなことを考えつつぼんやりおっさんの姿を追っていると、目が合った。目が合ったらこっちに飛んできた。
「……」
さっきまで読んでいた小説の上に着地し、真顔で見上げてくる。
「……」
かわいい。
……とは、言い切れないところも、なくはない、のだろうか。
改めて見ても、可愛いとは言い難いフォルムだ。
横から強引に持ってきて頭頂部を器用に隠す1・9分けの髪に、妖精らしさのない老いて疲れの見える顔立ち。
嫌に整った口髭。
下っ腹は雫状に膨らんだ、堕落を知る中年体系。
美しいのは透明であり七色の光を帯びる羽くらいのものだ。
このおっさんと出会い、もうじき一年が経つ。
妖精護符は一年間の契約である。多少何かの理由で前後するが、確実に一年前後で契約は終了となる。
こうしてちゃんと、まじまじとおっさんを見るのは、久しぶりだ。
可愛いとは、やはり思えない。
だが、愛嬌はある。愛着だけは湧いている。それはもう滾々と。一年も一緒にいれば多少の愛着だって湧いて当然だろう。
「……」
じっと見つめ合う。
不思議な存在である。
この個体に限り、おっさん型であることも含めて不思議だ。
彼は何かを訴えてきているのか。それともただ単に見ているだけなのか。見ているようで見ていないのか。
慌ただしい日常の中、改めておっさんのことを考えることなど、ほとんどなかった。そもそも妖精は人の常識の通用しない存在であり、意思の疎通もできないと言われている。フレイオージュもおっさんと意志が通じたと思ったことはない。
言い方は悪いが、ペットのようだった。
決して飼い主の言うことを聞かない、猫のような存在。
……なんて言ったら、猫に失礼だろうか。少なくとも向こうは可愛げの塊だ。
「……!」
そんな止めどなくどうでもいいことを考えていると――一瞬、ほんの一瞬、おっさんが消えたように見えた。
目の錯覚だろうか。
消えたように見えたが。
いや。
また消えた。
「……」
――まさか、これが、契約の終わり……?――
そう認識すると、おっさんは消えては現れ、現れては消えるという、不可思議な現象を起こし出した。まるで明滅するホタルのように。
と……おっさんはふらりと飛び立つと花壇へ向かい、戻ってきた。
一輪の紫の花を、フレイオージュの瞳と同じ色のサルカの花を持って。
「……」
紳士然とした態度で跪き、フレイオージュに花を捧げる。真顔で。まっすぐ見上げてくる。
「……」
なんとなくわかった。
これは、別れの挨拶だ。
フレイオージュがサルカの花を受け取ると……おっさんは光の粒となり、消えてしまった。
「……」
妖精護符での契約は一年間。
こういう日が来ることは最初からわかっていたし、この日が来ることを覚悟だってしていた。
だが、覚悟と気持ちは別物だ。
フレイオージュはしばし、静かに、涙を流した。
「……」
――おっさん、ありがとう。きっとあなたがいなければ、二年目の課題はきっと普通にこなすだけの味気ないものだったと思う……――
果たして、色々と集中力を乱したり先輩騎士たちに迷惑を掛けたりしていたおっさんに、ありがたいと思う気持ちを向けることが正しいのかどうか微妙なところだが。
しかし、確かに、フレイオージュはおっさんとの別れを惜しんだのだった。
こうして、フレイオージュと妖精のおっさんの一年は、特別なことなど何もないままに、とても静かに終了したのだった。
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