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15.金評価とその夜

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 士官学校に課題の報告を済ませると、フレイオージュはまっすぐ家に帰った。

「……」

 ――ああ……――

 家に帰って、風呂に入って、数日ぶりの自室で久しぶりに完全に気を抜く。
 言葉も出ないほど気持ちいい。

 夕飯の前だというのにベッドに身を投げ、疲れと睡魔に引きずり込まれるようにうとうとする、この背徳感。

 子供の頃から、何かしら必ずある用事で時間に追われる日常を過ごしているフレイオージュには、なかなか許されない怠惰で贅沢な時間の使い方だった。

 今夜は早く休んで、明日に備えるつもりではあるが――予定にない休息の気持ちよさに、さすがのフレイオージュも負けそうである。
 というか今は勝つ気も、そもそも戦う気さえも起きない。

 旅から帰ってきたばかりの今なら許されるだろう。

「――お帰りなさい、お姉さま!」

 夢と現実と眠りの狭間をうとうとしていると、妹ルミナリがバーンとドアを開けて入ってきた。どうやら士官学校から帰ってきたらしい。

「……」

 珍しくフレイオージュは起き上がる気力も湧かず、ゆるく手を振るだけで答える。毎朝しっかりねじ伏せている睡魔のくせに、今だけは鋼鉄猪のように難敵だ。

「あー……お疲れみたいね」

 第一期課題が終わり、最高の金評価を受けたことは学校で聞いてきた。

 さすがは姉、さすがは自慢の姉だと思い、ぜひとも内容を聞きたかったのだが――今のフレイオージュを見れば、妹じゃなくても疲れているとしか判断できないだろう。

 これは出直した方がよさそうだと、気を遣って出ていこうとしたルミナリだが――

「――えっ!? この妖精、どうしたの!?」

「――っ!?」

 フレイオージュは一瞬で鋼鉄猪の如き睡魔を片付け、飛び起きた。

 ルミナリが見ているのは、妖精のビンがあるテーブルの上だ。目を向ければすぐにわかった。

「……!」

 ルミナリが声を上げるはずである。

 妖精のおっさんはテーブルの上で、腹を抱えてうずくまっていた。放つ光は弱々しく明滅しているが、動きはない。9・1分けの髪の隙間からしっかり見えるむきだしの頭皮が痛々しい。

「な、なに? 病気?」

「……」

 その質問の答えを持たないフレイオージュは、首を横に振る。

 ――なんだこれは。

 そもそも妖精とは、魔力の塊のような存在だ。
 可視と不可視の境界も、接触と非接触の境界も簡単に超える存在だ。

 それが、まさかの病気?
 肉体を持っているように見えて、その実持っていないのに?

 妖精のおっさんと契約をして、フレイオージュは妖精のことを調べた。

 果たしておっさん型の妖精がいるのかどうか類似するケースはないか。ないのか。本当にないのか。あってくれ頼む。おっさんみたいな妖精とはなんなんだ。おっさんみたいな妖精なのか妖精みたいなおっさんなのかさえわからなくなってきた。誰か助けてくれ。誰か妖精を教えてくれ――そんな風に深刻に考えていた時期があったのだ。

 今でこそ色々吹っ切れた気はするが――まあその辺はさておき。

 いろんな逸話やしでかしたことや、どんな助けになるかの一例なども調べたが……こんな現象、見たことも聞いたこともない。

「――えっ!?」

「――っ!?」

 ルミナリの声と、フレイオージュの声にならない声が重なる。

 天井に対して背を向けるようにして丸くなる、妖精の背中にぴりっと亀裂が入った。

 隙間から光が漏れてくる。
 弱々しい明滅を繰り返す光ではなく、目もくらむような光だ。

「……」

「……」

 姉妹揃って驚きに固まる中、妖精の背がぱくりと割れ、そして――




 ――おっさんが出てきた。

 ――もちろん真顔だった。




「だ、……脱皮!?」

 そう、これは紛れもなく脱皮。
 古いおっさんの皮を脱ぎ捨てて、新しいおっさんへと生まれ変わる現象。

 そしてフレイオージュはもう気づいている。

「……」

 ――あ、やっぱり……――

 そもそも妖精とは、魔力の塊のような存在である。
 可視と不可視の境界も、接触と非接触の境界も簡単に超える存在である。

 そんな存在が病気になるなんてことはないし、脱皮など必要とするわけがないじゃないか。

 そう、要するにただのいたずらである。

「す、すごい……妖精って脱皮するんだ!? それに、脱皮したての妖精のこの輝きって……――これって妖精さん学会にレポートを提出するべき出来事じゃない!? こうしちゃいられない!」

「……っ」

 ――いやただの冗談……行ってしまった……――
 しかし興奮する妹は脱皮現象を完全に信じてしまったようで、フレイオージュが止める間もなくバーンとドアを開け放ちばたばたと部屋を出ていった。「お母様ー! 大変ですー!」と言いながら。

「……」

 妹は嵐のようにやってきて、嵐のように去っていった。
 
 残されたのは、すっかり目が覚めたフレイオージュと、もうすでに通常運転に戻ってビンの枝に横たわり真顔でこちらを見ている妖精のおっさんだけである。

 脱皮した古いおっさんの皮もどこかへ消えてしまっていて、本当に何事もなかったかのようだ。

「……」

 気が抜けた。
 それと同時に、ほっとしたし安心もした。

「……」

 ――なかなか凝ったいたずらだったな――

 脱皮する妖精か。
 いずれ何かの折に、ちょっとした笑い話にでもできるかもしれない。

 振り返ると、ルミナリがさっき開け放ったドアの向こうから、若い使用人の女性が佇みこちらを見ていた。

「あ……お、お嬢様、夕食の時間です」

 ――まだオートミール家に来て日が浅い彼女は、初めてフレイオージュが妖精を見て微笑んでいるのを見て、すっかり見惚れていた。

「……」

 しかしそんなことは知らないフレイオージュは頷くと、自室を後にした。




「金評価か。そうか。まあおまえの実力なら当然だな」

 夕食の席で、父シックルに報告を求められて、フレイオージュは簡潔に話した。

 重要なのは結果である。
 過程は求められた場合だけでいい。

「私の娘だ。魔帝じゃなくとも金評価くらいは取るだろう」

 父はなかなか娘たちを褒めることはない。
 子供の頃は、厳しいばかりの父を疎ましく思うこともあったが――

 ――だがフレイオージュは気づいた。父が一気にワイングラスを空ける時は、上機嫌の証拠なのだと。

 フレイオージュは大いに干渉されて育った。
 叱られること、注意・忠告を受けること、訓示やことわざを言われることが多かった。率直に褒められたことなど数えるほどしかない。

 窮屈でたまらない家庭だった。
 だが、父のくせを見抜いてからは、かなり落ち着いた。

 父は不器用な人なのである。

 素直に褒めることはしないが――しかし、ワインを飲み干すそれが賛辞の代わりだと思うと、不器用だがわかりやすかった。そして飲み過ぎだ。もう八杯目だ。よっぽどフレイオージュの金評価が嬉しいらしい。

「シックル。飲みすぎ」

「……」

 さすがに母アヴィサラの冷たい眼差し付きの注意が入り、グラスを持つ手が止まったが。

 その冷たい目が、今度はフレイオージュを向く。

「フレイ。明日、医務局へ行きます。一緒に来なさい」

「……」

 フレイオージュは頷く。

 父も不器用だが、母も不器用である。
 母は、嬉しい時ほど自分の仕事を手伝わせることに、フレイオージュは気づいている。

「――お母様! やはり何度考えてもあれは脱皮だったわ!」

「――妖精は脱皮なんてしません」

 そして妹はたぶん気づいていないと思う。二重の意味で。



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