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73.待望の前に訪れるは……
しおりを挟む「ヨウさん、行きましょうか」
えー……
「行く? 行かなきゃダメ?」
渋って渋って渋り倒した俺に、レンさんはきっぱりと言い切った。
「ダメですね」
どうやらどんだけ渋っても答えは変わらないようだ。
「行きたくねえなぁ……」
思わず素が出てしまうくらい、気が進まない。引きこもりとかこんな気持ちなんだろうか。とにかくもうほんと行きたくない。月曜日の百倍は憂鬱だ。マジで。こんなにも気が滅入ったのは弓原陽としてもアクロディリアとしても初めてだ。これまで一位を独走していた「友達に三十時間やりこんだポケ○ンのデータ消された時」以上に気が滅入っている。
「ダメですよ。行かないとダメです」
……ダメか。ダメかー。どうしてもダメかー。
「何をためらっているんですか。今日で一学期が終わるのに」
これからしばらく休みになると思えば今日一日くらいがんばろうと思うだろう、とでも言いたげなレンさん。
でも俺からすれば、やっぱり行きたくない日でしかない。
どうせもう明日から夏休みになるんだし、だったら一日くらいサボッてもいいんじゃなかろうか!?
……なんて、無理なんだろうなぁ。
ま、このままごねてたらレンさんガチ切れしそうだし、俺もいいかげんにしとくか。ぐずっていたって運命は変わらなそうだしな。
「行くか」
思いっきり気が滅入ったまま、俺は立ち上がった。
今日で飛燕魚の月 (七月)が終わり、明日から紅獅子の月 (八月)に突入する。
このタットファウス魔法学校では、紅獅子の月がそのまま全部夏休みとなる。寮生活をしている生徒たちが帰郷を許される期間で、早い奴はこれから行われる終業式が終わったらさっさと学校から出て行くのだ。
まあ生憎、まだ雨期が過ぎていないので、天気は悪いんだが。
しかし多くの生徒が、これからの長い休みに心躍らせているに違いない。この辺は現代日本の学生と同じだと思う。
俺の憂鬱の理由は、三つある。
一つは、一番でかい理由と言っても過言ではない、レンのことだ。
レンの弟の病気のこと、病を癒すイベントのこと、そして色々あって手に入れた『天龍の息吹』のこと……
まあ、率直に言えば、レンは俺を選ばなかったってことだ。アルカに頼んだのかどうかは確認していないが、ここからスケジュールは詰まりに詰まってしまうのだ。だからたぶん、俺に話す気はないんだと思う。
……思い返すだけでがっくりくるわ。俺に頼めよー。もうー。
二つ目は、俺のアクロディリアとしての帰郷だ。
俺はこのあと、実の家族じゃない家族と対面し、実の家族じゃない家族として過ごさなければいけないという、なんかこう……かなり気まずいというか、図々しいことをしなければならないのだ。向こうは娘として接するけど、こっちはさぁ……中身は違う人なわけじゃん? これは気まずいよ。というか相手に悪いよ。
アクロディリアと親しくない人を騙すのはまだ気が楽だが、アクロディリアと親しい人を騙すのは、それも家族を騙すのは、ちょっと居た堪れない。
そして三つ目は、これから全校生徒が体育館に集まり終業式が行われる、ということ。
初めて俺がアクロディリアとして食堂に行った時の、苦い記憶が蘇る。もはやトラウマになっている。
またみんなに批難の目を向けられると思うと、そりゃ気が滅入るさ。
……まあ、行くしかないんだけどな。
女子寮から出て、玄関から校舎に入る。
外国の学校をモデルにしたらしく、いちいち靴を脱ぐ文化はないので土足だ。すでに何十人何百人と踏みしめたのだろう玄関マットでしっかり土を落とす。
あとは生徒の流れに紛れ込んで、体育館に行くだけだ。
……それなりに密集すると、バレないんだな。意外と制服メガネに見慣れてない生徒もいるようだ。
そうだな、貴族辺りにはもう有名だけど、庶民には浸透してないのかもしれない。
「あ、フロントフロン様」
周囲のざわつきが、ピタリと止んだ。
気づいていなかった周囲の生徒たちが、俺の存在と正体に気づき、ずざざっと距離を取った。お、おい……色々漏らしちゃった小学生のような対応すんなよ……
「おはよう、フロントフロン様」
この状況で空気も読まず声を掛けてきたのは、先日「大盾の騎士」として覚醒したグランである。もし周囲に人がいなければ再びタイキックの系に処すところだ。……いや、人目がないところで改めてやっとこう。一発貸しな! 後輩!
「おはよう。……なんで声掛けるのよ」
「え? ダメだった?」
ダメに決まってんだろが! 何きょとんとしてんだよ! ……でも嬉しくないかと言われればまあまあ嬉しいけどね! 嫌われてるだけじゃないんだぞーと言い切れて! アッピールできて!
ずざざっと周囲から距離を取られたその中を、グランとともに歩く。
「聞いてくれよ! 俺、ようやく一角鹿を一人で! 一人で倒したんだ!」
どうやらこの小僧、最近の雨にも負けずに冒険に出ていたらしい。
「盾で?」
「盾で!」
「え? 盾でしょ。どうやって?」
「体当たりしてきたところを、こう、盾で受け流して!」
「受け流して……?」
「あ、まず皮の盾に角を突き刺さらせるんだよ。そして受け流すと」
あ、首の骨やるわな。それ。一角鹿ってあれだろ? 額にまっすぐ突き出た角がある鹿で、草食動物のくせに結構獰猛だと有名なやつだよな。肉は食ったぞ。牛肉っぽい味なのな。
「俺さ、長く冒険者やってたけど、一角鹿を狩ったことさえなくてさ……もう嬉しくて嬉しくて……」
「はいはいよかったね」
盾使いとしてすごいのは知っている。
だが今となっては、そんなに剣の才能がなかったのかと、そっちの方が気になってきた。
努力は才能を超える的な、たとえだかことわざだかあった気がするが、こいつには適用されなかったんだな。……まあゲーム設定という身も蓋もない答えなんだろうけどよ。
「そういえば、最近購買部で遊んでるって聞いたんだけど」
「ああ、そうね」
キルフェコルトが面白いくらいに、そして最近は気の毒になるくらい投げナイフ下手でね。そのくせ負けず嫌いだから、ここんところ連日誘われてるよ。
「軽すぎて投げてる気がしない」と何度も言っているが、いいかげん下手な言い訳じゃなくて本気なんだと俺も思い始めた。
おまけに、偶然何かしらの用事があって購買部にやってきた生徒を捕まえて誘うもんだから、昨日なんて二十人くらい集まってやってたよ。そりゃ授業を受けてる八年生以外の耳にも入るってもんだ。
……とまあそんな話を手短に言うと、グランは驚いていた。
「王子様が参加してるってほんとだったんだ」
「意外?」
「どうなんだろう。話したことさえないから、どんな人たちか知らないし。でも一緒に遊んだとか、そういう噂を聞いたのは初めてかな。いつもは偉業を成し遂げた、みたいな噂ばかりだから」
偉業か。
まあ乙女をトキメかせるために生まれたような完璧王子たちには相応しい噂なんだろうな。
でも俺にとっては掴みどころのない金髪王子と、投げナイフ苦手な筋肉王子でしかないけどな!
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