薄氷 【R-18】

るりあん

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前編

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 なにかもっと建設的なことをしたい――


 こんな気持ちになったのは、大晦日に会っている相手が恋人ではない、からだろうか。
 年末年始には必ず帰省をしていたのだけど、今年は仕事だと嘘をついた。
 帰ったら、毎年恒例の同窓会に顔を出さなければ変に思われる。そして、同窓会に出席すれば、私はきっと平静ではいられない。

 ***

 5年も遠距離恋愛をしてきて、そろそろ結婚を、と考えていたのは私だけだったと知ったのは今年のお正月だ。
 会えるのはお盆とお正月だけという状況で、私だって寂しくなかった訳ではない。それでも付き合ってこられたのは、彼を信じていたからだ。
 けれど。

『お前は見た目もいいし、東京だと出会いもたくさんあるだろう』

 そんな、根拠のない推測だけで、彼は私を捨てた。そうして、選んだのは、高校時代一番地味で目立たなかった娘。
 平気な顔して行けるわけない。彼の姓になった彼女も出席するであろう同窓会なんて。

 ***

「暇なんだろ、年越し蕎麦、食べにいかないか」

 田舎に帰らないと言った私を、会社の先輩が大晦日に誘い出してくれた。
 まあ、一人でいてもうじうじ考えることになるんだから、誘ってくれて良かったとも思う。
 いつもの本屋で待ち合わせ、一番初めに見つけた蕎麦屋で食事を済ませて、そのままシティホテルの一室にしけこんだ。
 ごてごて飾り立てられていない、あっさりと業務的でもあるこの雰囲気が、会ってただヤるだけの私たちの関係には合っている(と、彼は言う)。
 先にシャワーを借り、バスタオルを巻いたままの姿で、彼が出てくるのを待っている間、私は遠慮なくビールの缶を開け、テレビをつけた。
 荘厳な鐘の音と共に年末恒例の地味な番組が、あと少しで年が明けることを告げている。
 適当にチャンネルを変えるが、賑やかなバラエティ番組や、年越しライブ、初詣での正しい参拝の仕方や、厄除けのことなど、この時期にしか放送されないそれらは、私にはどこか遠い――異次元での出来事のように感じた。

 古い年と新しい年の狭間。

 来年(と言ってもあと数分だけど)、私は32――どうやら、厄年にあたるらしい。
 前厄の今年は失恋から始まった、あまりいい年ではなかった。前厄でこれなら、本厄の来年はいったいどうなるのか。
 母親が勧めるように、お祓いにでも行った方がいいのかもしれない。

「なんだか、思い詰めた表情だな?」

 お祓いをしてくれそうな近くの神社のことを考えていると、いつの間にか彼が浴室から出てきていた。冷えたビールを冷蔵庫から取り出し、数度喉を鳴らしてから私の隣に腰掛ける。
 あと数分でカウントダウンが始まるというところで、私はテレビを消し彼に向き合った。
 賑やかだった空間が一瞬で、冷めたように静まり返り、空調の機械的なモーター音が耳に入ってくる。

「ん、年が明けたらお祓いにでも行こうかなって」
「お祓い? ……そりゃまた、風流な――」
「来年、私は本厄だし――、今年以上に良くない年になるのって、いやだもん」

 空になった缶をテレビの前に置き、彼がゆっくりと私に手を伸ばしてきた。
 額にかかった前髪を手のひらで掬い上げ、いたずらっぽく私の瞳をのぞきこむ。

「そういうの、信じるんだ?」
「信じてるわけではないけど、今の私には他に信じるものもないし」

 ふうん。と、どうでも良さそうに彼は相槌を打つと、私の首筋に口付けながらバスタオルを剥ぎ取った。けれど、不用意に口にしてしまった厄年という迷信は、私に纏わりついたまま剥がれ落ちず――まるで、薄い氷の上に立っているような気分だ。
 微妙なところでバランスを取り、何とか持ちこたえている。けれど、何かの拍子に氷が割れ、下に堕ちてしまうような気がする。
 私の足元を支える薄氷は、彼に他ならない。
 そして、ふと。何の根拠もなく、新しい年に彼という氷が溶けてなくなってしまうような不安に襲われた。
 あり得ない話ではない。
 こんな関係、いつまでも続くはずがない。
 瞳を覗き込んだまま、彼は私の背中に手を当て、ゆっくりとベッドに押し倒した。
 ひんやりと柔らかな感触が背を包み込むと同時に、彼の唇が鎖骨を確かめるようになぞり、手が脇腹を優しく這い始める。
 徐々に体が熱を持ち、高まっていくのを感じながら、私は彼の髪を指で梳いた。

「ねえ、33のとき、なにか――お祓いとかした?」
「残念だが、男の大厄は42。まだ、もうちょっと先だな」
「そっか」

 私の体を舐めながら、律儀に会話に付き合ってくれるのはいつものことだ。
 理性の箍が外れたところでなされる会話には、天邪鬼さや拗ねた態度を挟む余裕がない。
 元彼と同級生の彼女のことが案外早く吹っ切れたのも、たぶん、この人とのビジネスライクな関係があったからだろうとも思う。
 その点では、彼があの時声をかけ、強引に誘ってくれたことを、とても感謝している。

 ***

 ――『今日、俺と、ヤらない?』

 正月休み開け早々の会社帰り、私は個人的に彼から声をかけられた。
 総務の私は大抵の社員の顔は覚えていたから、彼のことは知っていたけど、企画部の彼とはそれまで会話らしい会話など交わしたことのない仲だった。
 仕事ができる割には妙に軽くて、そのギャップがいいと、時折女子社員の間でも話題に上る人物で、実際、出張関係の書類などを提出する際には、冗談で誘いをかけてくるところがある。
 おそらく、どの女子社員に対しても、ノリでそういうことを言っているのだろうけれど。
 それでも彼の誘いに乗ったのは、失恋の直後というタイミングだったからだ。
 もちろん、鼻の横をそっと掻きながら放たれた彼のこのセリフは冗談で、ただ飲みに誘われただけだと判断したためでもあった。どうせやけ酒を飲むなら、一人より二人の方が、無茶な飲み方をしないだろうとふんで。
 けれど、それは冗談では終わらなくて――気が付いたら、二人で朝を迎えていた。
 言い訳をさせてもらえるなら、彼の話術が巧みだったということと――多分、寂しかったのだと思う。
 それから私たちは、たびたび会うようになった。
 体の相性も、だけれど、体だけの関係という微妙な距離も、良かったのかもしれない。
 付き合っているわけではない、けれど、寂しくなった時には体を温めあえる、そういう存在が、あの時の私には必要だったのだ。
 今思うと、堕落していっていると感じながらも、ギリギリのラインで彼が、それ以上堕ちないように私の手を掴んでいてくれた。
 そうして、時々肌を重ねるだけの私たちの間にはいつの間にか幾つかの暗黙の了解みたいなものができていた。

 ***

 滴り落ちるほどに濡れたことを確認すると彼は私をうつ伏せにし、ゴムの封を口で開けて慣れた手つきで装着した。

 まず、ラブホテルは使わない。――これは、前述の通りだ。
 ゴムは必ず使用。――これはセフレとしてあたりまえのこと。
 それから、挿入はバックで。――なぜか毎回そうであるから、たぶん、彼はその体位が好きなのだろう。
 で、お互いの恋愛は尊重する。――これは、この関係が始まった時に一度だけ彼から話題になった。それ以降は、私も次の恋なんてする気になれなくて尊重するなんてところまではいかなかったけれど――彼も、一度だって恋愛の話なんてしなかったけれど。体だけの関係としては最初にはっきりさせておくべきところではある。

 そんなことを考えているうちに、彼は固く勃起したそれを、ねっとりと濡れた部分に擦り付けていた。ただそれだけで、この先の期待に胸がきゅっと縮こまり、張りつめた感触に背筋が反り返る。
 片手で私の腰を押さえつけた彼が、ゆっくりと中へ入って来た。私のお尻に彼の肌がぺたりと押し付けられるまでじっくりと、その感触を味わうように。
 ほんの十数センチのものが入っただけなのに、そこから生まれた刺激が子宮を通り、背筋を伝って頭の芯へ上がってくる。

 でも。
 もしも、彼を恋愛対象として好きになったら――?
 彼は、それさえも、尊重してくれるというのだろうか。

 彼の腰が、私の膣内(なか)をゆっくりと掻き回すにつれ、結合している部分から生まれる甘い刺激が、私を満たしていく。
 収まり切らない快感が、唇から零れた。
 まだ、こんなの、序盤だというのに、背は弓なり、断続的に上がる声が抑えられない。
 彼が揺れる胸を掴んだ。ただ、それだけで、繋がっているその部分が彼を絞り上げる。

「――っ、……なんか、あった?」

 奥まで突っ込んだまま、ゆっくりと腰を回しながら彼が聞いた。

「どう、して?」

 行為の最中でも普通の会話を交わすのは、嫌いではない。これ見よがしにいやらしい言葉を発されるよりも、卑猥な感じがするのは、私だけだろうか。

「なんとなく……、いつもと違うから」
「そう、かな」

 彼は時々、鋭い。
 そして、そういう時はたいてい、誤魔化しきれない。

「言えないのなら、別にいいけど――」

 と言いながら、彼の両手が胸の先端を捏ねる。
 私は崩れ落ちそうになって、肘に力をいれた。
 刺激が加えられるたびに私の口から甘い呻きが漏れ、身体中が敏感になり、頭が痺れてくる。

「我慢するなよ」

 それは、私が口を開かないことを言っているのか、この刺激に対してか。
 ジンジンしてまともに考えられなくなったところで、彼のもう一方の手が結合部分を朔り始めた。茂みの奥の花芯を人差し指が捕らえ、捏ね始める。
 挿入されたまま、乳首と陰核を刺激されて、体の内側がビクビク震え始めていた。
 このままだと、すぐにイかされてしまいそうだ。

「っ……なんか、……こういうのって、ぜんぜん、建設的……じゃないなって――」
「……」

 彼は口を挟むことなく、腰を、指を動かしながら静かに聞いている。

「……なんだか、薄氷、のうえにいるみたい、で……、不安……に、なる」

 無防備に裸体を晒しているせいか、自分でも驚くほど素直になれるから不思議だ。
 だけど彼は、ふうん、とつまらなさそうに一言そう答えて、私の中に入っていたものを抜いた。
 こんなこと、初めてで。

「ふうん……って……」

 慌てて四つん這いのまま彼を振り返ると、彼は見たこともないほど真面目な表情で見つめ返してきた。
 そして、体だけの相手に言ったところで、それこそ建設的ではないと気が付く。
 感情を絡めてしまったら、この薄い氷は、きっと割れてなくなる。彼と一緒にいたいなら、自分の気持ちは抑えておかなければならない。
 まずいことを口にしたと後悔の念が立った。

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