上 下
49 / 58

ちょっとしたおねだり

しおりを挟む
 その後、カペラは早速、王都のグレン侯爵に文を書いて早馬を立てた。
 翌日届いた返信には、エリックとレオンも呼び寄せる旨と、ルセイヤン伯爵夫人も一緒に王都に戻るよう伝えて欲しいと認められていて、これによりカペラの『エリックとルセイヤン伯爵夫人から離れる』という希望はもろくも潰えた。
 けれど、王都に戻れば侯爵もいるのだし、ルセイヤン伯爵夫人の興味を引くものはエリック以外に沢山あるだろう。
 もうエリックのことは考えないと決めての王都行きなのに、さて皆一緒にとなったら心の隅で期待してしまう自分の優柔油断さに、カペラは我ながら嫌気になる。

 王都にやってきて、予想通りカペラは時間を持て余した。
 伯爵夫人はグリブレイユ公爵の屋敷内にある自室に戻って、カペラには穏やかな日々が訪れたが、エリックは、昼間は時には侯爵と一緒に、またある時には別々に外出し、夜は夜で、二人で執務室にこもり夜遅くまで翌日の仕事の相談をしているためゆっくり話す時間もない。
 さすがにこの状況で構って欲しいと言えるほど彼女は子供でもなく、かといって仕事が終わった頃を見計らって誘いをかけるほどの勇気もなく――カペラは退屈な日々を過ごしていた。
 こういうとき、一般的な貴族の女性は退屈しのぎにサロンや社交界に顔を出すのだろうが、残念ながら田舎育ちのカペラはそういう場所は苦手だ。
 むしろ修道院時代に勤労奉仕の際に目にした平民の暮らしの方が彼女には興味深い。
 見かねたレオンが、街へ誘い出してくれたのは、カペラが王都へきて10日ほどたってからだった。
 彼は馬車で街のあちこちを案内してくれた。長屋の間の細い路地、花屋の屋台が出ている小さな公園、川沿いの石畳――。下流へ向かうと港へ出るという大きな川を上流に向かい、街の外縁部にある森まで来たところで、レオンは馬を馬車から外し、あらかじめ用意してくれていた馬具をつけて乗馬を楽しませてくれた。光がよく入る森での乗馬は、カペラにアルダートンでの生活を思いださせ、寂しさを紛らせてくれる。
 外に出るのがこんなに楽しいのなら、馬車からではなく、平民に交じって街を自分の足で歩いてみたい――そう思うようになるのに、長い時間は必要なかった。

 いつものように一人の夕食を終えた彼女は、ようやく聞こえてきた馬車の音で、玄関ホールに待機し、帰宅したばかりの侯爵を捕まえる。
 寝食を惜しんで飛び回る彼の顔には、疲れの色が見て取れた。
 労いの言葉を掛けたあと彼女は、彼にさらなる負担をかけるような気がして、一瞬言おうか言うまいか迷ったのだが、思い切って口を開く。
「お疲れのところ申し訳ないのですが、欲しいものがあります」
 幅広の美しいカーブを描く階段を登りながら、彼は足を止めることなくカペラに意識を向ける。仕方なくカペラは侯爵の後ろを追いかける形になった。
「お前がねだるなど、珍しいな。この上、もう一つダムをとか言い出されると、さすがの俺も少々困るが――」
 力の無い笑みが、彼の仕事が上手くいっていないことを物語っている。
 しかし、ここで彼女が我慢してストレスをためるよりは、少しの出費でも機嫌良く過ごしている方が、彼にとって精神的負担は少ないだろう。
 それに、これからねだるものは、ダムやドレスほど値は張らない。
「服、です」
 その言葉に、侯爵はようやく足を止め、彼女をまじまじと見つめた。
「服?」
「だめ、ですか?」
「ダメではないが……珍しいな。お前が普通のものを欲しがるなど。……まあ良い。明日にでも仕立屋を手配しておこう」
 明らかに誤解をしている彼に、カペラは慌てて言葉を足す。
「いえ、普通の服ではなく、平民が身につけるようなものをいくつか」
 彼は驚いて一瞬固まった後、にたりと口の端をあげて、満足そうに微笑んだ。



 仕立て上がった服での外出はまた楽しかった。
 時にはタナス公爵邸の小さな門から出て、またある時は、森の外れまで馬車で乗り付けそこで降りて、街に出た。港まで足を延ばしたこともある。アルダートンなど比にならない大きな港で、停泊している船も先日見たものと違ってとても大きい。
 街の中は人が多くごみごみしていたが、活気に溢れていた。商売を営む者、値切る者、荷を運ぶ者、港で威勢良く働く者――。人々の表情も実にいい。
 大きな町だけあって、いろいろな人種が交錯するのも、見ていて興味深いものがある。
 肌にまで伝わってくる彼らの活力は、アルダートンやサーシスも、ここまでは大きくはないが、かつてはこんな風に賑わっていたことを、彼女に思い起こさせた。
 治水工事が完成すれば、数年後にはあの地方も再び賑やかになるだろう。
 そのことを思うだけで、彼女の胸は高鳴った。
 ほんの数時間程度うろうろして邸や馬車に戻るだけの散策ではあったが、それはカペラに挫けかけていた夢を思い出させ、未来への希望を与えてくれる。
 下町や港町の賑わいを求め、彼女はほぼ毎日通った。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

シテくれない私の彼氏

KUMANOMORI(くまのもり)
恋愛
 高校生の村瀬りかは、大学生の彼氏・岸井信(きしい まこと)と何もないことが気になっている。  触れたいし、恋人っぽいことをしてほしいけれど、シテくれないからだ。  りかは年下の高校生・若槻一馬(わかつき かずま)からのアプローチを受けていることを岸井に告げるけれど、反応が薄い。  若槻のアプローチで奪われてしまう前に、岸井と経験したいりかは、作戦を考える。  岸井にはいくつかの秘密があり、彼と経験とするにはいろいろ面倒な手順があるようで……。    岸井を手放すつもりのないりかは、やや強引な手を取るのだけれど……。  岸井がシテくれる日はくるのか?    一皮剝いだらモンスターの二人の、恋愛凸凹バトル。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

とある高校の淫らで背徳的な日常

神谷 愛
恋愛
とある高校に在籍する少女の話。 クラスメイトに手を出し、教師に手を出し、あちこちで好き放題している彼女の日常。 後輩も先輩も、教師も彼女の前では一匹の雌に過ぎなかった。 ノクターンとかにもある お気に入りをしてくれると喜ぶ。 感想を貰ったら踊り狂って喜ぶ。 してくれたら次の投稿が早くなるかも、しれない。

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

お知らせ有り※※束縛上司!~溺愛体質の上司の深すぎる愛情~

ひなの琴莉
恋愛
イケメンで完璧な上司は自分にだけなぜかとても過保護でしつこい。そんな店長に秘密を握られた。秘密をすることに交換条件として色々求められてしまう。 溺愛体質のヒーロー☓地味子。ドタバタラブコメディ。 2021/3/10 しおりを挟んでくださっている皆様へ。 こちらの作品はすごく昔に書いたのをリメイクして連載していたものです。 しかし、古い作品なので……時代背景と言うか……いろいろ突っ込みどころ満載で、修正しながら書いていたのですが、やはり難しかったです(汗) 楽しい作品に仕上げるのが厳しいと判断し、連載を中止させていただくことにしました。 申しわけありません。 新作を書いて更新していきたいと思っていますので、よろしくお願いします。 お詫びに過去に書いた原文のママ載せておきます。 修正していないのと、若かりし頃の作品のため、 甘めに見てくださいm(__)m

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

完全なる飼育

浅野浩二
恋愛
完全なる飼育です。

処理中です...