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港 2

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 馬車は港の端のほうに、ほかの荷車などと一緒に行儀良く並べられていた。
「私の仕事が終わるまで、どうかこちらで大人しくお待ちください」
 伯爵にそう言い残してエリックは船着場へ戻っていく。
 荷馬車の影に隠れて見ていたカペラがさてどうしようかと考えていた時、馬車の扉が薄く開いた。少しの間の後、キィと今度は大きく開き、中から伯爵夫人がそっと姿をあらわした。外の様子を伺って、エリックがいないのを確認したから、また船着場に戻るつもりなのだろう。
 流石に白い総レースの日傘は目立つので手にしていない。とはいえ、身につけている物である程度の身分の者であることはすぐにわかるはずだ。
 何も起こらなければいいと思いながら、カペラは身を隠し彼女の後を追う。
 港湾区域に戻ると3本マストの帆船が係留されようしていた。
 桟橋側に係船索が渡されて、人夫が索を係柱ピットに結びつける。船が索を辿り岸壁にゆっくりと横付けになると、船から陸へ足場が渡された。
 たくさんの荷が船から順に降ろされる。降ろされた荷の周りには、検品する者、値踏みする者、見物する者など――そのほとんどが船員か港湾作業員か商人だ――が我先にと押し合いをし、商談が始まり、一方で小競り合いが見られたりしていて、女子供が近寄れる雰囲気ではない。
 カペラは、何かの拍子に押されでもしてエリックの怪我がひどくならないか心配になった。
 港に下された荷が増えていくにつれて、集まる人も増えてきて、仲買人に卸された荷は小売り商や店主らへ取引されている。
 そして日が暮れかける頃には、一仕事終えた男たち目当てに酒場の呼び込みや娼婦も集まり始めた。
 そんな港の雰囲気に圧倒されつつ、カペラは街に溢れる活気を肌で感じとる。今はまだ、船が港に入っている時のみではあるが、農業の再興とともに、この街に常時活気が戻ってくるだろう。
 それを想像しただけで、胸がいっぱいになる。
 そのために自分ができることはなんでもしようとカペラは心に改めて誓った。今となってはもう、その夢だけが自分の生きがいでしかない。

 ――とにかく、堤さえできれば。

《――――》

「――な、何をなさるのっ」
 高飛車に叱り飛ばす声に、カペラは現実に引き戻された。エリックの腕より、サーシスの未来より、今は、ルセイヤン伯爵夫人の監視が最優先事項だったことを思い出す。
 そして大事な客人が、何かのトラブルに巻き込まれたであろうその声に、カペラの頭から血の気が引いた。
 声のした方を見ると、仕事を終えた船員と思われる体格の良い男が、伯爵夫人の腕をつかんでいる。
「おやぁ、こんなところに、貴族様がお出ましとは――」
 こちら側からは男の背の陰になってよく見えないが、値踏みをされているようにも見える。
「無礼な、その手を放しなさい」
 伯爵夫人はその手を振り解こうとするが、どう考えても彼女の力では無理だろう。ここでは貴族のステイタスは、何の武器にもなりはしない。
 カペラはあたりを見回したが、どの人も、それぞれの興味のあるものを手に入れることで頭はいっぱいそうで、あちこちで発生している諍いの一つなど気に留める者もいない。
「その、汚い手をお放しなさいと、言っているのです」
 そうこうしているうちに、ルセイヤン伯爵夫人は空いている方の手で男を殴り始めた。
 無論、日々遊興に励む貴族の拳が、屈強な男に効くわけもない。
 むしろ逆効果になりはしないかとカペラはハラハラする。
 もう一度、辺りを見回してみたが、誰も助けてくれる様子もなく、仕方なくカペラは、足元に落ちている小さな石を拾い上げた。
 これで、男が気を逸らせてくれれば、その隙に伯爵夫人は逃げられるかもしれない。
 カペラは、男を直接狙える位置に移動し、男の腕をめがけてその石を投げた。
「――ってぇ」
 運良くか、悪くか、カペラの投げた石は狙いを外れて、男のこめかみにあたる。
 彼の気が逸れた瞬間、伯爵夫人は男の腕を振り解いて、人混みの中へにげこんだ。
 一方、反射的に石が飛んできた方向に目を向けた男と、カペラの目があった。
 知らない顔をしていればよかったのだろうが、「しまった」という表情が彼女が投石したということを明らかに物語っている。
「貴、様――っ!」
 男は石を投げたのがカペラだと分かると、標的を伯爵夫人からカペラに変え、こちらに向かって来た。
 こうなったら、カペラには逃げる一択しかない。
 彼女は身を翻し、人を押しのけながら走り出した。


***


「お嬢さ――カペラ様がいなくなった!?」
 エリックと伯爵夫人が城に戻るなり、困った顔をした執事が彼を出迎えた。
「あら、まだ日が暮れてそんなに立っていませんわ。子供でもないのに、そんなに大騒ぎするほどのことではないのでは?」
 横からつまらなそうに伯爵夫人が口をはさんだ。
「陽が落ちれば、森はすぐに冷え込んで参ります」伯爵夫人におざなりに返事をした後、エリックは執事に向き直る。「いずれにしろ――カペラ様ならこのあたりの森はよくご存じのはずなのに、この時間になってもお戻りになられないのはおかしいですね。事故に遭われていなければいいのですが――」
 すると、執事が半分泣きそうな顔をしてしきりに頭を下げた。
「申し訳ありません。私がご一緒していれば、こんなことには――」
 エリックは執事の肩に手をかける。
「貴方が責任を感じる必要はありません。カペラ様は以前より一人で森にお出かけになることはありましたから――」
「本当に、申し訳ありません」執事は再度深く頭を下げる。「――恐れながら、カペラ様はひょっとしたら街に行かれたのではないかと推察いたします」
「街、ですか? そういえば、街の門の横に馬が一頭つないでありました――」
 またもや、執事が頭を下げる。
「あら、やっぱりあたくし達と一緒に行きたかったのね」
 一方で伯爵夫人がのんきに割り込んで来た。その世間知らずでいい加減な物言いに流石のエリックもつい口調がきつくなる。
「船が着いたばかりの港の夜は、皆が興奮し気が大きくなっています。加えて、船員の中には一時的な帰港ということで、犯罪紛いのことも厭わない者もいて、治安は一気に悪くなる――」
「あ、あたくしは大丈夫でしたわ」
「貴女がご覧になったのは、船であって船員ではございませんでしょう。それに、街が暗くなる前に戻ってまいりましたので、お気づきになる暇もなかった」
「そういうことでしたら、彼女はきっと今ごろ街で羽を伸ばしているのでしょう。いろいろと欲求不満であったようですし――」
「失礼ですが、少し黙っていていただけますか」
 明らかに悪意を含んだルセイヤン伯爵夫人の言葉に、エリックはこれまで見せたことのない険しい表情で伯爵夫人を制した。
「あ、あたくし……。そ、そろそろ夕食にしていただけないかしら?」
 伯爵夫人はエリックから目をそらし、横に控えていたフットマンに助けを求める。視線で了承を求めたフットマンに、エリックは小さく頷くと、ルセイヤン伯爵夫人は彼とともにダイニングルームへと姿を消した。
 彼女の後姿を何も言わず見送った後、エリックは執事に向き直る。
「すみませんが――詳しくお聞かせ願えますか」
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