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二人きりの時間 1
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カペラが明け方近くに決意を新たにするその数時間前。
「――そんなに、むきになることはありませんよ」
グレン侯爵は、自分の脚の間で縋るように顔を上げた伯爵夫人の口元にてらてらと光る唾液を親指で拭い取った。
余裕を見せて笑ってはいる伯爵夫人だが、額にかかる乱れ髪からは、微かな疲れと苛立ちが読み取れる。
「強情なのね」
「あなたが魅力的過ぎて、別の意味で緊張しているのでしょう」
「ふふ。ものも言い様ですわね」
おどけたように口にした侯爵に、なんとか笑い飛ばしたものの彼女は苛立ちを隠せない。
彼は伯爵夫人を隣のソファに座らせてから立ち上がると、柔らかいままの肉棒をしまい彼女に葡萄酒を差し出した。
「噂ほどの男ではないと、わかっていただけましたか?」
「ええ。思った以上に強い意志をお持ちだということは」
彼女からの失望を期待していた侯爵は「買い被りすぎですよ」と肩を竦める。
「――あなたを手に入れるためには、策が必要ですわね。でも、それはそれで楽しめるというものですわ」
伯爵夫人にも届いたはずの彼のため息は、彼女の言葉でその重さを失った。
簡単に引き下がるとは思ってもいなかったが、どうやら逆効果だったようで――、先が思いやられる。
飲みかけのグラスを空けて侯爵は扉に歩み寄った。
「部屋までお送りしましょう」
「お構いなく。一人で戻れます」
すいっと背筋を伸ばして彼の前を横切った伯爵夫人の背中を見送りながら、「お手柔らかに」とグレン侯爵は苦く嗤い扉を閉めた。
***
翌朝、外は久しぶりの快晴。しかし、カペラの気分はどんよりと曇っていた。
食事中だというのに、伯爵夫人はずっとちらちらと流し目を隣の侯爵に送っている。
二人の正面に座しているカペラは、昨夜のことを思い出してしまい二人をまともに見ることが出来ない。
原因である侯爵とエリックがいつも通り落ち着いた様子で朝食を口に運ぶのも、彼女の苛立ちを助長していた。
執事が彼女のカップに紅茶をサーブしかけたとき、カペラはとうとう立ち上がった。
「馬を用意してください」
「馬、でございますか? 馬車でなく?」
注ぎかけたポットを持ち直して、執事は不思議そうな面持ちでカペラを見る。
テーブルの向こうで、侯爵が興味深そうに顔を上げたのが視界に入ったが、それを横目で見ながら、カペラは続けた。
「ええ、馬で構いません。一人で出かけますから」
その言葉に、侯爵が面白そうに眉を上げる。
「サーシスに逃げ帰るのか?」
「違います。――堤がどこまで進んでいるのか、この目で確かめたいと思いまして」
「それなら、エリックに日程調整を頼んだはずだが?」
視線を感じてエリックが「はい。来週には荷揚げが終わる予定ですのでその後がよろしいかと――」と静かに答える。
「待ちきれません。今日は天気もいいですし、馬一頭貸していただければ十分です」
「はねっかえりだな」
そう呟いてくくっと侯爵は嗤い、ナフキンをばさりと皿の上に投げるように置いて立ち上がった。
「なら、俺も同行しよう。ちょうど視察に行こうと思っていた所だ。一望できるいい場所がある。――二人で乗馬というのも、面白そうだ」
おそらく心配してくれているのだろうが、ため息混じりのその言葉が、小娘のお守りは面倒だ、と語っている。
それを聞いて、彼の隣に座っていた伯爵夫人が持っていたカップを音を立ててソーサーに置き、慌ててナフキンで口元を拭った。
「あたくしも、ご一緒しますわ」
「貴婦人がわざわざ足を運ばれるところではございませんよ」
伯爵夫人が彼よりも年上だからだとしても、この――自分と伯爵夫人に対する侯爵の態度の違いに、カペラは一瞬気分を悪くする。
だが、この侯爵のやんわりとした拒絶はありがたかった。
今は、伯爵夫人と同席したい気分ではない。
「構いませんわ。侯爵のこと、もっといろいろと、知っておきたいもの」
侯爵は小さくため息を漏らすと、仕方なさそうに給仕をしている執事の一人に合図を送る。
意を汲んだ彼が軽く一礼して部屋を出ていくと立ち上がったままのカペラとグレン侯爵はこの中途半端な状態のまま退室するわけにもいかず、いったん椅子に腰かけた。
伯爵夫人は再びカップを手にして優雅に口をつけ、エリックはいかなる状況にも素早く対処できるよう、食事を終え様子を窺っている。
ダイニングルームには、フットマンがカップにお茶を注ぐ音だけが響いていた。
沈黙を破ったのは、居心地の悪さを隠せなかったカペラだった。
「いい場所って?」
当たり障りのなさそうな話題を選び、彼女は侯爵に声をかける。
「東の森を抜けた先が高台になっていて、そこからならサヌール川一帯が見下ろせる。向こう側の丘にサーシス伯爵邸も――」
珍しく面倒そうな表情も見せず彼がその場所について話し始めたとき、席を外していた執事が戻ってきて、話はすぐに中断された。
小さく耳打ちした執事に侯爵は頷くと、伯爵夫人に向き直る。
「残念ながら、馬車は修理中ですぐには用意できないようで――」
「でしたら、あたくしも馬で参ります」
その返答に、侯爵は困ったように苦く嗤い、カペラは気が付かれないようにため息を吐き、ただ一人エリックだけは何の反応も見せることなく、静かにティーカップを口に運んだ。
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