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情事 1

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 軽やかな音が響いて程なく、書斎の側の扉からエリックが現れた。
 おそらく侯爵の書斎に控えていたのだろう。
 でも、どうして侯爵が彼を呼びつけたのか――その意外な展開にカペラはついて行けない。
 混乱するカペラなど気にする様子もなく、グレン侯爵は寝台から身を起こすと、ドアのそばに直立するエリックに近づいた。
「旦那様――?」
 状況を理解しようとする彼の背後に回り、後ろから抱きかかえるように腕を回した侯爵に、エリックも驚きの色を隠せない。
「じっとしてろ。――俺がこれまでに悪くしたことがあったか?」
 囁くようにそう口にしたグレン侯爵は、エリックの前に回した手で上着のボタンを外し始める。
「なにを――?」
 明らかに動揺しているはずなのに、侯爵に動くなといわれているため、エリックは彼にされるがままだ。
 上着のボタンを外し終えた侯爵の指が、慣れた様子でレースのクラバットを解いて床に落とし、続いてシャツのボタンへと移動する。
 その指先が少しずつ下にずれていくにつれてエリックの肌が露わになり、全部外し終わった後、侯爵のがっちりした手が、上着とシャツを一緒に肩からはぎ取った。
 蝋燭の明かりが弱々しくしか届かないの部屋の隅に、エリックの白い上半身が映える。
 筋骨隆々の侯爵ほどではないが、ある程度の筋肉がすらりとバランスの取れたしなやかさを感じさせ、カペラは目のやり場に困った。
「旦那様、カペラ様もいらっしゃることですし、それ以上は――」
 なんとなく状況を把握したのか、エリックは、肩にかかった侯爵の手を制するように自分の手を重ねる。
「今夜は、ここで仕事だ」
 侯爵は”仕事”という単語に妖艶な抑揚をつけた。
 それが、昨日盗み聞きしたあの会話と相まって、カペラの不埒な妄想を再び掻き立てる。
 薄闇のせいか、エリックの肩越しにカペラを窺う侯爵の視線が蠱惑的で、彼女の不埒な妄想を後押しする。

 仕事って――

 やはり、毎晩書斎にこもって侯爵はエリックとそういうことをやっていたのだろうか。
 そして、それを、今、目の前で再現されるのだろうか。
 今まで知らなかったそんな世界に興味がないわけではないが、それでも他人の――それも男性同士の――情事をまともに目にするのは恥ずかしくて、カペラは思わず目を逸らす。
 しかし次に放たれた侯爵の言葉は、彼女の予想からは大きく外れていた。
「花嫁は欲求不満のようだ。満足させてやってくれ」
 カペラにも聞こえるように耳打ちされたその――本気とも冗談とも判断しかねる指示に、一瞬困惑した表情を見せたエリックは、すぐにいつものように恭しく頭を下げる。
「どこまでお手伝いすればよろしいので?」
「どこまででも。お前に任せる」
「かしこまりました」
 これだけ聞いていると確かに、仕事の話のようだが。
 侯爵は頼んだとでもいうように、エリックの胸の辺りを軽く小突くと、そばにあった椅子を寝台がよく見える位置に動かし、観劇でも楽しむかの様子でゆったりと腰かけた。
「では、カペラ様、失礼いたします――」
 一方、靴をそろえて脱いだエリックが、寝台に膝をつく。
 どうやら、こちらも本気らしい。
 彼のことを想っているカペラにとっては、願ってもいなかった機会だが、それが夫主導で――しかもその目前で行うとなると……
 他人の情事を見るのも恥ずかしいが、自分のが見られるのはそれ以上に恥ずかしい。
 カペラは、エリックとグレン侯爵とを交互に見た。
 二人とも落ち着き払っている。一人焦っている自分の方が何か間違っているのだろうか、とさえ思うほどに。
 ひょっとしたら、これは侯爵特有の揶揄の一種で、あらかじめ打ち合わせ済みだったのではないだろうか。
 どこかのタイミングで、グレン侯爵がもういいと笑い出すのではないか、あるいは、エリックが頭を下げるのではないのだろうか。
 それは、うっすらとした彼女の期待でもあったのだが――侯爵もエリックもカペラの予想通りには動かなかった。
 それどころか、侯爵は「明かりを入れて、紗幕を下せ。その方が彼女にとってもいいだろう」と追加の指示を出し、エリックは言われるままに寝台の上の壁の燭台に明かりを入れたのだ。
 紗幕の紐を解くと、寝台の周りが白く縁どられ、その向こう――侯爵の姿が見えなくなった。
「――さあ、続きを」
 グレン侯爵の愉しげな声が白い覆いの向こうから聞こえてくる。
 素直に喜んでいいのか、わからない。
 困った瞳でエリックを見上げると、彼からはいつもの涼やかな笑顔が返ってきた。
「嫌なら、嫌と、仰っていただいても構いません」
 侯爵の耳には届かないほどの小声で、エリックが気遣ってくれる。
 そうじゃない。
 そうじゃない、けど――
「エリックは?」
「私は、このような役を仰せつかり、大変光栄に存じております。お嬢――カペラ様がよろしければ、の話ですが」
「私は――」
 返す言葉を選んでいるうちに、「何をしている、エリック。遠慮は無用だ。早く始めろ」とグレン侯爵の急かす声が飛んできた。
 エリックは小さく肩を竦め、カペラの耳元に僅かに唇を寄せるようにして「せっかちなお方だ」と微笑む。
 笑みとともに漏れた息が、彼女の耳を擽り、つい腰を僅かに弾ませてしまったことに、エリックは気づいただろうか。
「――では、失礼いたします」
 そのまま、ゆっくりと近づいてきたエリックの唇に、どうするべきか決めかねていたカペラは上体を引いた。
 だが、すぐに背あてが彼女の背中を捉え、それ以上逃げ場がなくなる。
 彼の唇が優しくカペラの頬に触れたその瞬間、くらり、と彼女の頭の中で何かがよろめいた。
 蝋燭の炎に照らされて、エリックの髪が赤みを帯びた金色に輝いている。
「エリックは……、平気なの?」
 カペラは困ったように侯爵の座っているあたりに視線だけを走らせた。
 彼女が及び腰なのは、彼にもわかっているはずなのに、それでもエリックはさらに前へ体重をかけてくる。
 頬から耳元へ。
 暖かい息が頬の温度を上げていくのがわかる。
 正直、身体はもう、彼を欲していた。
 でも――
「舞踏会の夜の続きだと思えばいいのです。――見られている方が、興奮してきませんか」
「あの時は、薬のせいで――」
 それにあの時は、誰が見ているのか分からなかった。けれど、今晩は違う。
 すぐそばで、夫がじっと見つめている中、彼の命を受けた使用人が仕事として迫っている。
 そして、その使用人は奇しくも自分が想いを寄せる相手で――
 カペラとしてはとても複雑な心境だ。
「それとも、薬がないと、気が、乗りませんか?」
「そういうわけじゃ、ない、けど……」
 私の気持ちをわかっているくせに。
 カペラはそのあとの言葉を飲み込んだ。
 エリックがそれを口にしないのは、初めから本気にされていなかったか、あるいは、侯爵とカペラへの配慮なのだろう。
 それでも、彼女の意識は紗幕の向こう側から離れない。
 エリックは小さく微笑むと、いったん体を引いた。
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