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舞踏会 1
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「カペラっ、どこへ行っていたの!?」
娘の帰宅を聞きつけたサーシス伯爵夫人があげた金切り声で、カペラは意識を玄関ホールに戻した。
すっかり外出の用意の整った母親は、手にした扇でせわしなげに顔を仰ぎながら高い声でまくしたてる。
「――すぐ支度しないと間に合わないわ。マリー、カペラの支度を急いで頂戴。エリック、馬車の用意は?」
「支度?」
母親の言葉の意味が理解できないカペラは、反射的にエリックを振り返る。
そのエリックは、すべて承知という様子で「すでにできております」とサーシス伯爵夫人に頭を下げた。
「いいわ。マリー、すぐにカペラの支度をして。エリック、十分後に馬車を回してちょうだい」
現在、館に残っている使用人は、極限まで減らされている。
そんな中でエリックは、家令を兼ねた執事としての本来の仕事のほかに、庭師や厩舎要員の管理、はては御者の仕事までも任されており、そして周囲の期待通り彼はその仕事を完ぺきにこなしていた。
おそらく夜遅くまで職務に服しているのだろう。
それでも彼は、不満を口にするでもなく、朝早くから下男とともに馬車の準備をしてからカペラをピクニックに誘い出してくれたのだ。
そう思うと、カペラはもっとたくさんの使用人を雇ってエリックが執事としての仕事だけに専念できるようにこの家を立て直したいとの思いを強くする。
「ねえ、出かけるって、どこに?」
マリーに背中を押されながら、カペラは脇をついて歩いている母親を見た。
彼女は上等なベージュ色のドレスを纏っている。小さな小花柄は王都で流行っているスタイルだ。せわしなげにパタパタさせている扇子も――わずかな黄ばみが年月を感じさせるもの――水鳥の羽のついた高級品。
「聞いてなかったの? アルダートン城で開かれる舞踏会にご招待いただいてるのよ」
「舞踏会?」
「ええ、そうよ。あなたにはそのために修道院から帰ってきてもらったんだから、早く支度して頂戴」
「舞踏会ってパートナーは?」
「それを見つけるための舞踏会よ。ああ、もう。説明は後でするわ。とにかく、着替えて」
部屋に入るとすぐにマリーに乗馬服を脱がされた。
支度の間中、伯爵夫人はずっとカペラの横にいて遅い帰宅に対して小言を言い続ける。そして、それに気が済んだかと思うと、今度はこのあとの振る舞いについて注意を与え始めた。
主催者は王の義妹にあたる舞踏会好きのグリブレイユ公爵夫人で、アルダートンを所持しているタナス公爵の従妹にあたる。
その会に招待されるのにどれだけ苦労――という名の心付けを渡したか、とか、これ以上の機会はもう二度とないので今晩を逃すともういい縁談は見つからないだろう、とか、そうなれば、当家は爵位を手放さなくてはならないだろう、とか、そんなことを、目頭を抑えながら延々と語るものだから、自分がこの家に呼び戻されたのは、彼女が手腕をふるうためではなく、政略結婚をさせるためだったのだと、ようやくカペラは理解した。
胸に去来したやるせなさを隠しつつ、何でもない様子を装って「持参金はどうするの?」と聞く。
貴族と結婚するということは、その支度にも相応の金額が必要だ。
それを用意できる見込みがないから、自分は一時修道院に入れられたのではなかったか。
「お金のことは気にしなくてもいいのよ。とにかく貴女はいいお相手を見つけて頂戴」
「今更そんなこと言われても――」
「全部、サーシスのためよ」
サーシスの復興は、彼女の縁談にかかっている。母親の目は暗にそう語っていた。
貴族の家に生まれた限りは、政略結婚という道からは外れることはできないのはわかっている。領民のためと言われれば仕方がないし、彼女が結婚することでサーシスのためになるのなら、それはカペラの望みと言えないこともない。
だが、それは、エリックとの離別も意味した。
――もともと報われる恋では、なかったのだ。
自分にそう言い聞かせることで、カペラは自分の感情を抑え込む。
「それにしても、こんな辺鄙なところで舞踏会だなんて――」
「近頃は、王都での舞踏会に飽きた貴族たちの間でははるばる馬車に乗って各地で開かれる舞踏会に参加するのが流行っているのですって」
王都となると片道二日はかかるので、金銭的に難しいが、ここから馬車で一時間程度のアルダートン城なら日帰りで参加できる。
そこで裕福な貴族との縁談が上手くまとまれば、資金援助も望めるかもしれないという算段なのだろう。
資金さえあれば、貯水調整施設の整備ができる。上手くすれば水路も。そうなれば、天候に左右されずに作物が育つだろうし、離れていった農民も戻ってくるかもしれない。
カペラは小高い丘から見下ろした荒れた土地を思い出す。
嫁ぎ先によっては、あそこに金色の小麦畑が戻ってくるのも夢ではないのだ。
「グリブレイユ公爵夫人には、良い方をご紹介いただけるようお願いしてあるわ。粗相のないようにして頂戴ね」
この日のために調達した薄いブルーのドレスを身に着けた彼女を見て、伯爵夫人は満足げに頷いた。
娘の帰宅を聞きつけたサーシス伯爵夫人があげた金切り声で、カペラは意識を玄関ホールに戻した。
すっかり外出の用意の整った母親は、手にした扇でせわしなげに顔を仰ぎながら高い声でまくしたてる。
「――すぐ支度しないと間に合わないわ。マリー、カペラの支度を急いで頂戴。エリック、馬車の用意は?」
「支度?」
母親の言葉の意味が理解できないカペラは、反射的にエリックを振り返る。
そのエリックは、すべて承知という様子で「すでにできております」とサーシス伯爵夫人に頭を下げた。
「いいわ。マリー、すぐにカペラの支度をして。エリック、十分後に馬車を回してちょうだい」
現在、館に残っている使用人は、極限まで減らされている。
そんな中でエリックは、家令を兼ねた執事としての本来の仕事のほかに、庭師や厩舎要員の管理、はては御者の仕事までも任されており、そして周囲の期待通り彼はその仕事を完ぺきにこなしていた。
おそらく夜遅くまで職務に服しているのだろう。
それでも彼は、不満を口にするでもなく、朝早くから下男とともに馬車の準備をしてからカペラをピクニックに誘い出してくれたのだ。
そう思うと、カペラはもっとたくさんの使用人を雇ってエリックが執事としての仕事だけに専念できるようにこの家を立て直したいとの思いを強くする。
「ねえ、出かけるって、どこに?」
マリーに背中を押されながら、カペラは脇をついて歩いている母親を見た。
彼女は上等なベージュ色のドレスを纏っている。小さな小花柄は王都で流行っているスタイルだ。せわしなげにパタパタさせている扇子も――わずかな黄ばみが年月を感じさせるもの――水鳥の羽のついた高級品。
「聞いてなかったの? アルダートン城で開かれる舞踏会にご招待いただいてるのよ」
「舞踏会?」
「ええ、そうよ。あなたにはそのために修道院から帰ってきてもらったんだから、早く支度して頂戴」
「舞踏会ってパートナーは?」
「それを見つけるための舞踏会よ。ああ、もう。説明は後でするわ。とにかく、着替えて」
部屋に入るとすぐにマリーに乗馬服を脱がされた。
支度の間中、伯爵夫人はずっとカペラの横にいて遅い帰宅に対して小言を言い続ける。そして、それに気が済んだかと思うと、今度はこのあとの振る舞いについて注意を与え始めた。
主催者は王の義妹にあたる舞踏会好きのグリブレイユ公爵夫人で、アルダートンを所持しているタナス公爵の従妹にあたる。
その会に招待されるのにどれだけ苦労――という名の心付けを渡したか、とか、これ以上の機会はもう二度とないので今晩を逃すともういい縁談は見つからないだろう、とか、そうなれば、当家は爵位を手放さなくてはならないだろう、とか、そんなことを、目頭を抑えながら延々と語るものだから、自分がこの家に呼び戻されたのは、彼女が手腕をふるうためではなく、政略結婚をさせるためだったのだと、ようやくカペラは理解した。
胸に去来したやるせなさを隠しつつ、何でもない様子を装って「持参金はどうするの?」と聞く。
貴族と結婚するということは、その支度にも相応の金額が必要だ。
それを用意できる見込みがないから、自分は一時修道院に入れられたのではなかったか。
「お金のことは気にしなくてもいいのよ。とにかく貴女はいいお相手を見つけて頂戴」
「今更そんなこと言われても――」
「全部、サーシスのためよ」
サーシスの復興は、彼女の縁談にかかっている。母親の目は暗にそう語っていた。
貴族の家に生まれた限りは、政略結婚という道からは外れることはできないのはわかっている。領民のためと言われれば仕方がないし、彼女が結婚することでサーシスのためになるのなら、それはカペラの望みと言えないこともない。
だが、それは、エリックとの離別も意味した。
――もともと報われる恋では、なかったのだ。
自分にそう言い聞かせることで、カペラは自分の感情を抑え込む。
「それにしても、こんな辺鄙なところで舞踏会だなんて――」
「近頃は、王都での舞踏会に飽きた貴族たちの間でははるばる馬車に乗って各地で開かれる舞踏会に参加するのが流行っているのですって」
王都となると片道二日はかかるので、金銭的に難しいが、ここから馬車で一時間程度のアルダートン城なら日帰りで参加できる。
そこで裕福な貴族との縁談が上手くまとまれば、資金援助も望めるかもしれないという算段なのだろう。
資金さえあれば、貯水調整施設の整備ができる。上手くすれば水路も。そうなれば、天候に左右されずに作物が育つだろうし、離れていった農民も戻ってくるかもしれない。
カペラは小高い丘から見下ろした荒れた土地を思い出す。
嫁ぎ先によっては、あそこに金色の小麦畑が戻ってくるのも夢ではないのだ。
「グリブレイユ公爵夫人には、良い方をご紹介いただけるようお願いしてあるわ。粗相のないようにして頂戴ね」
この日のために調達した薄いブルーのドレスを身に着けた彼女を見て、伯爵夫人は満足げに頷いた。
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