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My Favorite Things*

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 部屋に入った途端に、後ろから抱きすくめられた。
 僅かに背筋がゾクリとしたのは、きっとドアを閉める瞬間にふっと流れ込んだ冷気のせいで、首筋に唇をあてられたからでは、決してない。
 私の後ろから、草壁君は器用にコートのボタンをはずし、カーディガンをめくり上げて、ワンピースのジッパーを下ろした。
 冷やかな指先が、背中をつっと撫で、ブラに行きつく。
 胸の奥がきゅっと引き締まり、そのつもりで来たのに、怖さが立った。

「シャワー、あびてもいい?」

 怯えているところを見られたくなくて、私は逃げるように草壁君から離れたが、すぐにその腕を捕まれる。

「だめです。今日は、俺の言うとおりにやってもらいます」
 再び私を胸の中に捕えた草壁君はコートを脱がせると、その腕を私に巻きつけた。
「草壁君って、実はS?」
 体は硬くこわばっているのに、それを知られたくなくて、精一杯の虚勢で草壁君を牽制する。
 しかし、そんなことで動じることなく、草壁君はさらりと受け流した。
「そういうのも、嫌いじゃないですけど、ここは俺がリードをとらないと、智世子さん、その気にならないでしょ?」

 ……完全に読まれている。

「それに――なんだか、悔しいんです」
 後ろから、私の髪に顔を埋めたまま草壁君は呻くように言った。
「悔しい?」
「今日の智世子さん、すごく素敵すぎるから」
「……」
「――大上さんのために、めかしこんで来たんですよね?」

 めかしこんだわけじゃない。……まあ、さんざん悩んだけど。
 それまで笑っていた、草壁君の声色が一瞬だけ硬くなった。
「――だから、余計に、抑えられないのかもしれません」
 カーディガンを剥ぎ取られ、すとんとワンピースが落とされて、そのまま軽々と抱き上げられた。
 草壁君の逞しい胸が頬に触れる。弾力のあるその胸板は、服を着ているとわからなかったが、結構厚い。
 大きなベッドに下ろされた私は、精一杯の虚勢を張って、ベンチコートとジャージを脱いでいる草壁君を見上げた。

「汗臭いかもしれませんが、我慢して下さいね」
「いや、って言ったら?」
「一緒に浴室に行きますか?」
 それは、それで――要らぬ想像に、私の頬が熱くなる。
 私の反応が予想通りだったのか、草壁君の微笑みが大きくなった。
 だから、その余裕の表情は止めてってば、と思いつつ私は、ついっと顔をそらせる。
 下着まではぎ取られたけれど、薄い掛け布団をかけてくれたのは、耳まで真っ赤になっている私への配慮だろう。
 ボクサーパンツ一枚で布団の上から私の上に跨った草壁君に、頭の横で両手首を押さえつけられた。
 その瞬間、汗に混じったシトラスのコロンの香りが私の鼻をつき、心臓がさらにバクバクし始める。
 筋の立った首筋に、張った喉仏。鎖骨のラインがきれいに浮かび上がって、しなやかな肩の筋肉のラインが、なんとも艶っぽい。
 これから何が起こるのか、草壁君の口元に浮かぶ笑みの裏にそれを読み取ろうと、私は彼をじっと窺う。

「……そんなに見つめられると、やりにくいです」
「だって――」
「俺は、智世子さんをがっかりさせるようなことは絶対しませんから」
 疑っているわけではない。――むしろ、がっかりするのは草壁君の方だ。でも、そうなってしまったら、私も気を落とすことになるだろうから、あながち、外れてはいないのか。
 それでも弱まらない私の眼力に、草壁君はおどけた様子で肩を竦め、両手を上げた。

「……分かりました。じゃ、ちょっと趣向を変えます」
 一旦私の上から退くと、クローゼットを漁り始める。しばらくごそごそした後、彼はタオル地の紐を手にして振り向いた。
「それ、どうするの?」
「これで、智世子さんを縛るんです。――痛かったら言ってください」
 抵抗するべきだろうか。それとも、おとなしく縛られるべきか。
 けれど、ここまで来た以上、コトに至るのは同意しているというわけで――
 迷っている間に、草壁君は私の上に再び跨ると、頭上に挙げた両手首をヒモで縛り上げた。
 一瞬それが、あの雨の日の大上さんと重なった。――あの時も、こんな風に腕を縛られて、目隠しされたんだっけ。
 なんだって、あんな男に――
 あの時ばかりはさんざん喘いだことを思い出して、自分が嫌になった。草壁君といるのに、ほかの男のことを考えるなんて、やっぱり私は最低な女だ。
 私が、ひどいことを考えているとも知らずに、草壁君は、縛られた私を見て満足そうに頷いていた。
 もう、エイジのことも、大上さんのことも忘れて、今は、こちらに集中しなければ。

「やっぱり、Sね」
 心の奥の動揺を読み取られまいと、私は精一杯粋がってみせる。
「智世子さんが望むなら、いつでもMになりますよ。でも、今日のところはSでいきます。怖がらせるのは本望ではないので、口調はソフトで」
 口調だけソフトにされると、よけい怖いような気がしないでもない。
 そんなことを考えているうちに、着々と草壁君はもう一本の紐で私の目を隠した。
「これで、余計なことを勘ぐる必要はなくなったわけです」
「余計なコトって――?」
 視界を遮られた私は、肌の感覚を鋭敏にし、耳をそばだてて、草壁君の行動を予測しなければならない。
 すっと、動く気配がして、草壁君の手が私の頬を撫でた。

「智世子さんは、相手の気持ちを考えすぎるんですよ。そんなんじゃ、楽しめるわけがない。こういうコトは楽しんでやるんです。今日は、なにか、楽しいことを考えててください」
「楽しいコト?」
「そうですね――、じゃ、智世子さんの好きなもの、教えてください」
 頬に手を置いたまま、顔を寄せた草壁君が耳元で囁いた。
 そういえば、私のことをもっと知りたいって言ってたんだっけ。――というか、こういう状況で、聞くようなことではないと思うけど。

「分かっていると思いますけど、僕のことを考えるのは禁止です」
 声に嬉しそうな色を載せて草壁君が言う。
 やっぱり、Sじゃない。
 そんなことを思っていると、予告もなしに口を塞がれた。
「智世子さんが口を閉じた時は、僕のターンですから」
 僕のターン……って――と、頭の中で突っ込んでいると、彼の唇が再び迫って来たような気がしたので、私は慌てて口を開いた。

「わかった、から。……ええっと――、チョコレート」
「ええ、そうですね、智世子さんは、チョコレートが好きでしたね。花沢さんが教えてくれました。それから?」
 私の隣に横になった草壁君の大きな手が髪に優しく触れた。
「イチゴ」
「僕も、イチゴは好きです」
 次々と頭に浮かんだものを口にしている私の髪を撫でる手が、時折耳をかすめる。
 縛られてベッドの上にころがされているのに、髪をなでられているだけというのは、なんだか不思議な感じ。
「それから?」
 草壁君が、次の言葉を催促する。
 耳朶をかすった手で、親指がすいっと頬をなでた。
「ええっと、前川庵のカステラ、とか」
 あそこのカステラは、紙の部分にザラメ糖が混ざっていて、その触感が絶妙なのだ。
 額の髪を撫で分けるひんやりした草壁君の指先。
 頬はもうすでに熱い。たぶん、額も。
 草壁君の指に気持ちを集中させると、自分の今の状態がやけに気になってくる。
 私は、どんな反応を返せばいいのだろう。間違った態度で、彼を幻滅させやしないだろうか。
 草壁君の体重が移動して、彼の指が私の頬を捕え、唇が耳朶に軽く触れた。

「――だめですよ、智世子さん。もっと、好きな物をどんどん挙げてください」
 草壁君の手が髪に戻る。
 頭を包まれている温かい感触。これはこれで、安心できる。
「あとは、だから――イチゴ大福とか、春にははずせないっていうか――」
 再びゆっくりと、草壁君の指が耳や頬を規則的に這い始めた。
「山饅のイチゴ大福を差し入れたのは、正解でしたね」
「というか、草壁君の差し入れで、大ファンになったの。白あんで、皮が薄くて、イチゴが大きくて――甘さと酸味のバランスが絶妙で」
 頬を撫でていた指が、唇の上で、往復する。
「ええ。あれは、絶品です」
 指は、唇から頬を伝い、首筋をふんわりとくすぐった。
 予期していなかった動きに、からだが一瞬ピクリと反応した様な気がした。
 その、感覚を注意深く拾い上げようとしているところに、草壁君のつややかな声がその先を催促する。
「――好きな物の話をしている智世子さん、もっと、見せてください」
「あとは……秋の、栗の入ったお菓子。栗あんがパイ皮に包まれてるの。山慢さんのは、――たぶんアプリコットかなと思ってるんだけど、ちょっと酸味が混じってて、あれは、反則だと思う」
「栗餡に、アプリコット、ですか。おいしそうですね」
 くすっと笑ったような気配。
 それから草壁君の体重のかかり方が変化して、ベッドが小さくぎっと軋んだ。

「――僕も、食べたくなってきました」
 指に触れたのは、指ではなく、たぶん、彼の唇。手の甲に彼の息づかいを感じる。草壁君の唇は、私の様子を窺うように、表面を軽くついばんでいる。
 拒む理由の見つからない私は、黙ってそれを受けた。
「ほかにも、智世子さんの、好きなもの、教えてください」
 わずかに触れる距離で、草壁君の唇が動いた。
 やっぱり、少しくすぐったい。
「あとは、オレンジピールを、コーティングした、チョコが、駅前の《レミー=ダゲール》ってお店に売ってて」
 濃い茶の箱にブルーのリボンというこの店のラッピングも、おしゃれで素敵だ。
 良いお値段なのに、いつも週末は小さなお店の外まで列をなすほどになるので、私には何かのご褒美の時か、手土産でしか縁がないのだけれど。しかも、貧乏性のせいか、自分用のときは小さな板チョコで我慢してしまう。

「あそこのチョコレートはカカオのバランスが最高ですね。僕は、リンゴがはいってるのも、好きだな」
「リンゴのも、好き。シナモンの香りが、食欲をそそる。――ていうかチョコレート自体が、おいしいから」
 先ほどまで髪を撫でていた彼の手は、今や、私の首から肩にかけてのあたりをふわりと撫でて始めていた。
「続けて?」
「それから……草壁君の差し入れは、いつも、おいしいと思う」
「それは、よかったです」
「食べ物の好みが、似ているの、かも」
「新しい差し入れを開拓するのが楽しみになってきました」
 その言葉に、ふと寂しさが心に差し込んだ。
 もう、あの会社で草壁君の差し入れをいただくことも、無くなるかもしれないのに。
 一緒にお茶を入れたり、残業したりすることも――ひょっとしたら、もう、会えなくなるかもしれないのに。
 次の言葉を見つけるのも忘れて止まってしまった唇に、草壁君が軽く唇を合わせる。

「智世子さん――」
 そうだった。そんなこと、今考えている場合ではなかった。
「こっ! この間の、差し入れの、《レ・フルール》の焼き菓子も、すごくおいしかった」
 クスッと笑った草壁君の手が、お腹から脇腹へと降りていく。もう片方の手は、背中を優しく上下に摩っていて、少しくすぐったい。
「喜んでいただけて、光栄です」
「焼き菓子……といえば、《シェ・カムラ》の、チョコクッキーも、好き」
「それは、食べたことないです。どこにあるんですか?」
 お腹からアンダーバスト辺りをゆっくりと、まるで凝った部分を解きほぐすように草壁君の手が動く。
「双葉町の、駅前、商店街」
「智世子さんちの、近くですね」
 胸の下まで来た手が、ゆっくりとなだらかな双丘のふもとを、円を描くように辿っていくと、触られてもいないのに、先端がきゅっと小さく縮んで警戒した。
「なかに、ほんの少し、クランベリーの、リキュールが、入っている、みたいで」
「それはおいしそうです」
「あとは……あんっ」
 おいしいものを考えながら口を開いていたら、自然に声が上がった。
 草壁君の大きくて暖かい手が、私の胸の突起で止まっている。

「ここ、いいですか?」
「や、ん……ちが――」
 まるで自分に言い聞かせるように私はすぐに否定した。
「そうですか」
 先ほど私が声を上げさせられたその場所から、彼の指が遠ざかるのを感じて、私の中にくすぶった気持ちが残る。
「もっと、智世子さんの好きなもの、教えてください。――じゃないと、その口を塞いでもいいって受け取りますよ」
「えっと……それから――」
 言葉を続けようと、好きなものについて考えを巡らせるけれど、草壁君の指の動きが気になって、頭の中で上手く考えがまとまらなくなってきた。

「なんです?」
「――んと……」
 焦って次のものを考えているうちに、彼の手は、再び私の胸をゆっくりと円を描くように撫で始めている。
 あと少しで、指が、その先端に触れるかもしれない。
 そう思うと、体が固くなる。

「だめですよ」
 同時に唇が塞がれた。
 予想もしていなかったその感触に、意識が一瞬唇へ向かう。
 その隙に、草壁君の指が、胸の突起に触れたものだから――
「あっ――」
「何も怖がる必要はないんですよ。ほら、もっと、智世子さんの好きなもの、挙げてください」
「ん……と……」
 口を開いていると、思わぬ瞬間に変な声をあげそうだった。
 草壁君の手は、お腹から脇腹をゆっくりと動いている。
 触れられているところが、敏感になり、そこから全身へ甘い震動が伝わっていく。
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