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苦いキス

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 唇にそっと落とされた柔らかくて暖かい感触に、やはり、涙を見せるべきではなかったのかもしれないと、後悔がした。
 弱っている女の唇を奪うのは、普通の男なら、仕方のないことなのかもしれない。

「ごめん……」
 彼が謝ったのは、私が無表情で、無反応で、彼の予想した反応と違っていたからだろう。
「いい。涙を見せた私が、悪いんだし……でも。もう、こんなことしないで。私も、草壁君に甘えないように、気をつける」

 物分かりがよさそうな顔で大人の余裕を見せて、にこりと微笑んで……けれども、心の中では動揺を押さえるのに必死だった。
 私は、鞄の中にハンカチをしまう振りをして、できるだけ自然に、ゆっくりとした動作で草壁君から背を向けた。

 そうだ。これくらい、何でもない。
 ただ、の、アクシデントだ。
 隙を見せた自分がいけないのだ――と、そんな風に自分に言い聞かせながら。
 その時――
 突然肩を引き戻され、気がついたら、私は再び草壁君の腕の中にいた。

「なんで、そんなこと言うんですか」
「え?」
 声は怒気を含んでいたけれど、何を怒られているのか見当がつかない。
「なんで、もっと素直にならないんです? 智世子さんの正直な気持ち、聞かせてくださいよ」
「な――」
「俺の気持ちは、ちゃんと言いました」
「だから、それは、草壁君が優しいから――」
「違う。……マジで、好きなんです」

 両肩をしっかりと握られて、瞳の奥を覗き込まれて、こんなにも一生懸命気持ちを伝えられるのは、初めてで、そのまっすぐさに、恥ずかしくなった私は、慌てて目をそらすことしかできなかった。

「す……好きって感情を勘違いしているだけでしょ」
「誤魔化さないでください。智世子さんこそ、俺のこと、好きなんでしょ?」
「ち――」

 違うと言いかけて、言いきれなかった。
 違わない。
 でも、それも、言葉にすることはできない。
 六歳という年齢の壁は、大きい。

「否定しないってことは、そういう風にとりますよ」
「た……たとえ、私が草壁君を好きだと思っていても、草壁君の感情は、愛情とは違う」
「どうしてそう言い切れるんですか」

 駄目だ。さっき泣いたせいで、涙腺が緩んでいる。
 頼むから、そんなにまっすぐ、突っ込んでこないでよ。

「だって……私、草壁君より、六つも年上だよ? 地味だし、面白くないし、どう考えても、草壁君みたいな素敵な人と釣り合うわけないじゃない!」

 言葉と一緒に、涙があふれた。
 これは、言わないでおこうと思っていたのに、口に出した途端、自分が惨めに思えてきた。
 これ以上、涙を見せたくなくて、私は、体の脇に置いたコートと鞄をひったくるように手にして立ち上がる。
 しかし、奥の席だった私が出て行くには、草壁君が物理的にも障害となっている。

「そこ、外して」
「いやです」

 初めから、こういうつもりでこの席を選んだのかもしれない。だとしたら、本当に草壁君って抜かりない。
 ええい、こうなったら最後の手段。――はしたないけど、仕方ない。
 私は「ごめんなさい」と強引に草壁君を跨いで突破しようとしたところで、立ち上がった彼に腕を掴まれた。

「放して」
「放しません」

 そして、もう片方の手で顎を取られたかと思うと、そのまま唇を押しつけられた。これまでの唇を合わせるだけの軽い――じゃれるようなキスとは違う。私の唇を唇で食む官能的なキスに溺れそうになって緩んだ隙に、舌が割り入って来た。
 口の中で、草壁君の舌が切ないほど激しく私を求める。

「……歳とか関係なく、智世子さんが、俺のこと嫌いじゃないなら――、あなたを俺のものにしたいんです」

 胃の辺りが、疼いた。後頭部の辺りにちりちりと引き攣れるような感覚が這いあがる。
 先ほどのキスと同じくらい熱く、草壁君の視線が私に絡みついて、意識をきちんと保っていないと崩れ落ちてしまいそうだ。

 ――仕事も、絵梨花ちゃんのことも忘れて、彼に全てを委ねてしまえれば、どんなに楽だろう。
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