人魚と水宝玉 【石物語 3月号】 (R-18)(悠哉×綾菜1)

るりあん

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新しい旅の始まり

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 帰国したその足で、悠兄ちゃんは私を家まで送ってくれた。私が帰ってくるというので、旅行の件を事後承諾させられたお義父さんが、所有欲をむき出しにして家に戻ってくると踏んだからだ。
 果たして、お義父さんは何も知らずに帰宅し、悠兄ちゃんと対峙することになる。
 その間、悠兄ちゃんはずっと私の手を握ってくれていた。

「綾から、全部聞きました」

 悠兄ちゃんが、私とのことを全部知っていると明かすと、お義父さんの顔色が変わった。
 けれど、すぐにそれは「ふん」と余裕の笑みに変わる。

「公言したければするがいい。――だが、できるはずがなかろう。お前にとっても不利になる話だ」

 お義父さんはそういう考え方をする人だ。
 いつの間にか、私もそれに染まっていた。
 誰かに言っても、自分が傷つくだけだ、知らされた相手も、何もできない無力さに臍をかむしかないのだ、と。
 でも。悠兄ちゃんは、私の傷を舐めとり、これ以上怪我をしないように考え、一緒に立ち向かってくれる。そう信じられたから、私はお義父さんとのことを話せた。

「俺には、綾菜以外に守らなけれなばならないものはありません。ですが、あなたには、会社も名誉もある。義理とはいえ、娘に手を出したあなたの方が、社会的に受ける傷は大きいはずだ。――これ以上、綾菜を傷つけるのはやめて下さい」
「私を脅迫するつもりか。大したものだな。その会社だって、将来は、お前のものとなるかもしれないだろうに」

 自分にとって大事なものは、他人にとっても同じように大事だと考えているのだろうか。あるいは強がりか。

「はじめから、俺に継がせる気など、ないんでしょう?」
「なんだとっ!?」

 終始、静かに語る悠兄ちゃんに、苛立ったお義父さんが大きな声を上げる。
 お義父さんの怒声に反射的に竦んだ私の肩を、悠兄ちゃんがそっと、撫でた。

「俺を勘当したのはあなたの方だ。無論、もともと黙って会社を受け継ぐ気なんてありませんが」
「……初めから、綾菜が目的だったのか」

 ぐっと一瞬唇を噛んだ後、お義父さんは、話題を強引に変える。それは、最後の悪あがきにしか見えなくて、勝敗はすでに決まっているようだった。


「五年前、僕が家を出たのは、僕の勝手な思いで綾菜を傷つけたくなかったからです。――ですが、それがかえって綾菜を傷つける結果になったのだとしたら、こうなった一因は僕にもあります。……僕は、もうこれ以上綾菜を傷つけたくない」
「綺麗事を――」とお義父さんが鼻で嗤う。「結局お前も、綾菜を自分のものにしたいだけではないか」
「否定はしません。僕の気持ちがあなたの綾菜に対する気持ちとどう違うのかなんて、比べることもできませんが、これだけは言えます。
 ――あなたの元に綾菜を置いておくのだけは、我慢が出来ない。だから……綾を、連れて行きます」

 それは、静かな宣言だった。
 お義父さんは、握りしめた拳を振り上げる。

「息子が思い通りにならないから、暴力ですか。僕は殴られても構いませんが、――例えば『モデル ユウヤの父親との確執』なんて記事を打たれた日には、あなたの印象はさらに悪くなるでしょうね」

 爆発的な人気があるわけではないが、そこそこ顔が知られている職業の悠兄ちゃんの後ろには、お義父さんにとって味方にも脅威になりうる"世間"がある。
 悠兄ちゃんのこの一言に、お義父さんは拳を下げ、顔をゆがめて歯噛みした。

「行こう、綾」

 悠兄ちゃんが私の肩を抱いたまま、お義父さんに背を向けようとする。
 でも。
 私は、その場から動くことができなかった。



 翌日。私は、キースさんにナイフを渡されたあのカフェにいた。
 相変わらず女性客が多い中、私の前にはキースさんが座っている。けれど、あの時以上に周囲の視線が集まっているのは、貴公子然としているキースさんのせいだけではなく、半分は私の隣に座っている悠兄ちゃんのせいでもあった。

「――それで、そっちはうまく行ったのかしら?」

 すらりとした腕と足を組んで座ったキースさんは、開口一番そう聞いた。それから、真っ赤になった私を見て、満足そうに頷く。

「かわいいわね、アーヤ」

 キースさんがテーブルの向こうから手を伸ばした指が私の頬に触れようとした直前、悠兄ちゃんがその手を叩いた。

「気安く触るんな」
「あら、ヤーダ。ちょっと触るくらいいいじゃない、ケチな用心棒ね」
「用心棒じゃなくて、……だし」

 ぽそりと横に向かって悠兄ちゃんがつぶやくのがおかしい。

「ところで、どうなったのよ?」
「どうって?」
「アクアフォビアよ」

 私は再び、おそらく耳まで、真っ赤になった。
 悠兄ちゃんが、水中でのいい思い出があったら怖くないって言うから、プライベートなのをいいことにプールの中で何度も……
 悠兄ちゃんの水恐怖症は、多少良くなったかもしれないけれど、反対に私にも困った影響をもたらした。しばらくは、悠兄ちゃんとプールや海を見るたびに、あのときのことを思い出してしまい、真っ赤になりそうだ。

「アーヤのその反応を見るに、アクアフォビアが治ったってことでいいのかしら?」

 熱くなった頬を両手で押さえた私にキースさんが楽しそうに笑った。もう何も言えなくなった私を助けるように悠兄ちゃんが口を挟む。

「少なくとも、近くに綾がいれば、大丈夫なくらいにはなった」
「へえ、がんばったわね」

 というか、なんでキースさんは、その台詞を私に言うのだろう。頑張ったのは、私ではないのに。
 そういう風に思わせぶりな視線を送られると、ますます恥ずかしくなってくる。

「綾をからかうのは、そのくらいにしとけよ、キース」
「あら、怖い」

 悠兄ちゃんが不機嫌を露わにして釘をさすと、キースさんは嬉しそうに肩を竦め、話題を変えた。

「アーヤの、それ、アクアマリン?」
「……お土産に、買ってもらったんです」

 さすがに、キースさんは、こういう細かいところに気がつく。
 嘘をつく必要もないので、私は熱くなった頬をピタピタと手の平で冷やしながら、悠兄ちゃんに買ってもらったことを正直に話した。

「船乗りのお守りね。アーヤにぴったり」
「私、船に乗りませんけど?」
「アクアマリンはね、船乗りに恋した人魚の涙、とも言われてるのよ。海難防止のほかにも、長い航海のお守りにもいいの。――でも、ほんとに良く似合ってるわ」

 人魚の涙――
 なんとなく、昔からアクアマリンに惹かれていた理由が分かったような気がした。

「キースさん、物知りですね」
「ナンパなだけだろ」

 隣からまだ機嫌の治らない悠兄ちゃんが突っ込むと、キースさんは鮮やかな笑顔のまま目を眇めて、視線をそちらへ向けた。
 そういう表情をすると、確かに"策士"という単語が良く似合う。

「――それで、ユウヤ、アタシへのお土産は?」
「土産?」
「やだー! ちゃんと頼んだじゃない」

 そういえば、出発ロビーでキースさんは悠兄ちゃんにそんなことを言っていたっけ。それで、餞別は――って話になって。

「なんだっけな?」
「ガムランの鉄琴みたいなのよっ!」

 必死に食い下がるキースさんは、ちょっとかわいい。
 私は、ホテルのレストランで見たガムランショーを思い出した。
 十数名の楽師がいろいろな楽器を演奏していたけれど、鉄琴みたいなのって、結構大きかったはずだ。

「冗談だろ? あんなでかいの、買って帰れわけねぇだろ」
「ええええっ!? ちゃんと、お餞別だって渡したのにー。自分たちだけ、やーらしい!」

 ぷいと横を向くキースさんに、思わず笑みが漏れた。
 やっぱり、この二人が話すと、まるで中学生の男子の会話だ。

「……あの、キースさん」

 私は頬を膨らませて横を向いているキースさんに声をかけ、バッグから出した小さな茶色の紙袋を「これで良かったら」とキースさんの前に置いた。

「やだっ! お土産っ!? さすが、アーヤ!!」

 小さく悠兄ちゃんにべっと舌を出してから、キースさんは早速包みを開け始める。
 紙袋をさかさまにしたキースさんの手のひらの上に、シルバーの小さな鈴のようなものが、シャルンと不思議な音色を発して現れた。

「ガムランボールっ!」
「こんなので、すみませんけど、よかったら」
「十分よ。――この音、癒されるわ!」

 キースさんが嬉しげにガムランボールを振ると、シャルンシャルンとエスニックで複雑な音色が広がった。

「喜んでいただけて、よかったです」
「優しいアーヤに、アタシからのお返し」

 そうして、キースさんがすっと腰を浮かせて私の頬に軽くキスをした。

「キース、てめっ!」

 悠兄ちゃんが立ち上がるより一瞬早く、キースさんはすっと伝票に手を伸ばし、出口へと向かう。
 立ち上がったものの、すでに扉を抜けてしまったキースさんの背中を追うのをあきらめた悠兄ちゃんは、わずかに頬を膨らませて再び腰を下ろした。
「ごめんな」
 悠兄ちゃんにこんにいろいろな表情をさせられるのはキースさんだけなのだなと、すこし、妬ける。
 申し訳なさそうに頭を下げた悠兄ちゃんの胸元で、十字架の中のアクアマリンがきらりと揺れた。

 長い長い航海のお守り。
 もしも、人魚姫が本当のことを王子に伝えられたら、彼女は彼と一緒に豪華な船でいろいろなところを旅することになったのかもしれないなと、ふと思う。



 結局――、と私は昨日のことを思い返してみる。
 お義父さんを置いて家を出ることができなかった私のせいで、話し合いは、全員の妥協点を探る方向へと向かっていった。
 家には新しい住み込みのお手伝いさんを迎えることになり、それまでは悠兄ちゃんが家にいてくれるよう話がつき、それに伴い、悠兄ちゃんの勘当が解かれた。
 それは、小さな一歩だった。
 ただ、世間体を大事にするお義父さんは、たとえ法律が許そうとも、義理の関係である私たちの結婚には反対するだろう。
 先はまだまだ長い。
 この先、どうなるか、分からない。
 けれど――
 私は、一緒に行くことに決めたから、声を上げたんだ。
 願を掛けるように、私は指先で胸元のアクアマリンにそっと触れた。

『アクアマリン、マリッジ、チャーム』

 ――どうか、私たちの乗ったこの船が、無事に安息の地へたどり着きますように。

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