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"お"姉
しおりを挟む「え、でも――」
「ユウヤは、アクアフォビアでしょ?」
「アクアフォビア?」
「水が怖いってことよ」
「でも、悠兄ちゃんは、それを克服するために努力を――」
誰にも内緒で、特訓しているのを私は知っている。少しずつだけど、水中にいられる時間が長くなってもきている。
弱くない悠兄ちゃんなら、このままがんばって続ければ、水に対する恐怖にも打ち克つことができると思う。
私がそう説明しても、キースさんの表情は明るくならなかった。
「それだけが理由じゃないの。――こっちも見て」
次に出されたのはスタジオで撮影されたものだった。
夏ものの衣装に身を包んで、ポーズを決めている。よくファッション雑誌で見かける類の写真だ。
でも、なんというか――、海の上の写真と同じくらい、表情がパッとしない。
「このままだと、専属も下ろされるかもね」
キースさんは、それは私のせいだとでも言いたげだ。
確かに、私があのときプールに落ちそうになったから、悠兄ちゃんは代わりに落ちたのだし、それでマリアさんがプールに飛び込むことになって、結果流産してしまったのだから、もとはと言えば、私のせいってのも、間違いではない。
だから、キースさんは最初に、私に「責任をとって」と言ったのか。
「――でも、私たちは、会うことも禁止されているし――」
私だって、悠兄ちゃんが、仕事に影響が出るほどまでに気落ちしているなら、その原因が、たとえ自分ではなかったとしても出来るだけのことはしたい。それが自分のせいならなおさらだ。
――でも、会うことさえできない私に、何ができるのか。
「それも、ユウヤから聞きだしたわ」
意外だった。
悠兄ちゃんが、そんな風に家庭内のごたごたを他人に話すということが。
それとも、私とのことは、他人に話せる程度の重さしかないということだろうか。あるいは、心を割って話せるキースさんだから、話したのか。
私の沈黙を、どうとったのか、キースさんはフォローするように言葉を続けた。
「もちろん、吐かせるのにしこたま飲ませたけどね。今頃、ユウヤは二日酔いでダウンしてるわよ。――それで、最初の話に戻るけど」
キースさんは脇に置いてあった先ほどのナイフを手に取った。
「……貴女たち見てたら、人魚姫のお話を思い出したの」
そのために髪も切ったのよってキースさんが笑う。
確かに、人魚姫のお話の中には、人魚姫を心配した姉たちが長い髪を切って魔女から魔法の解き方――短剣をもらいうける 行がある、けど。
「どう……いう、ことですか?」
髪と引き換えに手に入れたナイフを私に差し出すということは、――キースさんは、私を助けてくれようとしているのだろうか。
それは、つまり――
キースさんが、私の悠兄ちゃんに対する気持ちを知っているような口ぶりで話すから、思わず、声が震えた。
にこりと、キースさんが綺麗に笑う。
「本当にユウヤを助けたのは、あなた、なのに。そして――」
やだ。
その先は、言わないで。
「……私は、一緒に溺れただけです」
こんな気持ち、気づいても報われることがないのを知っているから、必死で、押さえているのに。
「貴女は、彼を愛しているのに、横からマリアに持ってかれて――」
「ち、がいますっ!」
「あら、アタシの見立て違いだった?」
「悠兄ちゃんを助けたのは、マリアさんだし、それに、私は――」
そうだとしても、私は、どこにも行けない。
「アレは、ギョフのリってやつね。――パニックだったユウヤを、大人しくさせたのはあなたよ。だから、マリアもユウヤを助けることができた」
「……悠兄ちゃんを助けたのは、マリアさんです。憶測で……言わないでください」
「アタシ、二階から見てたの。貴女が一番最初に、きれいに飛び込んだところ」
「そう、見えた、かもしれませんけど、私も悠兄ちゃんと、"落ちた"んです」
キースさんは私の抗議には耳も貸さずに、次の台詞を口にした。
「このまま黙ってたら、貴女、海の泡となって消えてしまうわよ。――ユウヤのこと好き、なんでしょ?」
このままで、良いとは思わないけれど、でも、だからといって、このままで困るわけではない。
私は悠兄ちゃんと会うことも禁止されているわけだし、いまさら、どうこうなるわけではないのだから。
それに私は、どこへも行けないのだから。
「泡になっても、……いいんです」
「そうして、自分だけ逃げるつもり?」
「逃げるだなんて――」
「きちんと向き合って、責任を取ってよ。――責任を取って、このこんがらがった糸を解いて頂戴」
当事者でもないのに、どうしてそこまで。
私がそう尋ねると、キースさんはそこにあったすべての写真を横へ退け、一枚目と二枚目の写真だけをもう一度テーブルの上に並べた。
「この視線の先にいるの、貴女よ。それから――」
言いながら、キースさんは、パーティの写真の束をパラパラめくり、一枚の写真を抜き出した。
風船を割った後の瞬間を、建物の二階から捕らえたものだろう。
カラフルな風船に囲まれて、顔を見合せて笑っているその写真の二人は、とても幸せそうに笑っている。
「アタシはね、嘘のない――良い写真を撮りたいの」
そういえば、キースさんに初めて会ったとき、良い写真を撮るためだったら何でもする人だって、悠兄ちゃんが言っていたっけ。
「貴女が、本気でユウヤを愛しているなら、《声》をあげなさい。貴女が声を上げるなら、アタシが糸を切る手伝いをするわ」
こんがらがった糸が解けたとしても、私にはまだ暗い海の底につながる重い鎖が付いている。
「もし、声を上げなかったら?」
「海の泡となるのね。貴女は、一人で悲劇のヒロインぶって、その状況から逃げられて、それでいいのかもかもしれない。でも、王子も隣国の姫も、偽りの幸せの中で一生過ごすことになるのよ」
「……すこし、考えさせて下さい」
「また、連絡するわ」
キースさんは、ナイフと写真を残し、颯爽とカフェを去って行った。
私が、ハッピーエンドを望む読者なら――
人魚姫が泡になる結末でも良かったから、王子には本当のことを知ってほしかった。
王子を愛していた者が、王子のそばにいたのだと、彼には気づいて欲しかった。
そう、願ったのではなかったか。
そうであるなら、たとえ、この身が鎖で縛られていようとも、私は、声を上げるべきではないのだろうか。
本当のことを、きちんと伝えるべきではないのだろうか。
ああ、でも――
今なら、何も言わずに泡になった人魚姫の気持ちもわかるような気がする。
伝えれば、もしかしたら――、という未練が残る。
王子が幸せに暮らすためというのは建前で、本当は、何も言わずに一人で消えてしまう方が楽な気がしたのではないか。
……私なら――
小さく切り取られた写真の中で、悠兄ちゃんは僅かにはにかみ、甘く微笑んで"私"に手を伸ばしていた。
キースさんから電話があったのは、それから一週間後だった。
「準備は整ったわ。"声"を上げる気になったなら、パスポートと、リゾート向けの荷物持って、明日朝八時に成田空港にいらっしゃい。あ、水着は絶対に忘れちゃだめよ」
悠兄ちゃんに対して"声"を上げる覚悟が、できたわけではないけれど、もう一度キースさんと話をしてみたかった。
少なくとも、私には、アンデルセンのお話にはない設定がある。
縛られていなければ、"声"を挙げて、王子の船で一緒に旅に出ることもできるだろう。
だけど。
それでも、はたして"声"を聞くことが王子にとっての幸せとなりうるのか。
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