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魔女のナイフ
しおりを挟む指定された先は、ナチュラルモダンな感じが女性に人気のカフェだった。二十代から三十代の女性が中心に、店内は適度に込み合っている。
運よく窓際の席に通された私は、後から姿を見せたキースさんの変わりように、挨拶の言葉も出なかった。
カールするほど長かった髪が、ばっさりと切り落とされて、短髪になっている。
そうしてみると、金髪で、背が高くて、白いスーツをイヤミじゃない様子で着こなす彼はイケメンなんてものではなく――貴公子と言っても通りそうなほどの美青年。その証拠に、店内の女性がちらちらとこちらを盗み見ている。
「……髪、とても、似合ってます」
「アーヤにそう言ってもらえると、嬉しいわ」
にっこりと笑ってキースさんは、私の隣に腰かけた。
普通、こういうテーブル席だと、向かい合って座りませんかと口にする前にはもう、キースさんの腕は私の肩に回っている。
密かにこちらをうかがっていた女性グループが小さく「きゃーっ」っと盛り上がった。
なんとなく、ここで座り直したら、またあの人たちにネタを提供するような気がして、私は、べたべたのカップルに見えない程度に冷静な表情を作り、軽くキースさんの手を抓って牽制しながら、できるだけ事務的な調子で口を開いた。
「それで、悠兄ちゃんのことなんですけど――、どうしてますか?」
「……それが、言いにくいんだけど」
キースさんの話では、パーティの後マリアさんが流産したというのは事実で、悠兄ちゃんは、自分のために水に飛び込み救助してくれた彼女に恩義を感じているのか、入院中はもとより、退院後の今まで、ずっと付き添っているということらしい。
「――まるで恋人みたいよ」
不満そうに口を尖らせるキースさんに、私は宥めるように口を開いた。
「もともと、お互いに惹かれていたのではないですか?」
悠兄ちゃんは、ただの噂だと言っていたけれど、それ以前から彼女に対する気持ちはあって、あの事件をきっかけに二人の仲が進展した――そういうこと、なのではないだろうか。
それで悠兄ちゃんが幸せになるのであれば、私が心配する必要もない。
「そうかしら。――なんだか、二人とも心から幸せって感じじゃないのよね」
「それは、マリアさんがあんなことになったから――」
「それも、アタシは納得いかないの」
二人を擁護するような発言を、横からキースさんが奪い取る。
キースさんが納得いかなくとも、二人が好きで一緒にいるなら、周りがとやかく言うことはできないだろう。
「どうして、キースさんが納得する必要があるんですか? それは、悠兄ちゃんとマリアさんの二人の問題ですよね?」
悠兄ちゃんと会うことさえ禁止されてしまった私に、彼の幸せを祈る以外の何ができるというのか。悠兄ちゃんがマリアさんを選んだのであれば、私はそれを祝福するしかない。
キースさんに言いながら、私は、自分に言い聞かせていた。
「大問題よっ」
「どうしてですか?」
「いい写真が撮れないからに決まってるでしょ。……それで、貴女に相談なんだけど――」
キースさんは、私の肩に回していた腕を外し、持ってきていたハードケースを引き寄せてそれを開いた。カチャリと金属音が小さく響き、彼の手の中に、鋭い切っ先を持ったナイフがきらりと現れる。
思いもかけない物騒な品物に私はごくりと唾を飲んだ。
それだけですむほど冷静でいられたのは、チラ見をしているあのグループが、キースさんの手に握られている冷たく光る凶器にわずかにどよめいたのが視界に入ったからだ。
私は、少しだけど、キースさんの無邪気な性格を知っている。
それに、もし、ここでキースさんに刺されても、それはそれで構わないような気もした。
「ナイフ、ですね」
「髪と引き換えに手に入れたの」
それほどの決意を持って手に入れた、といいたいのだろうか。それとも、髪を売ったお金でナイフを購入したということか。
研ぎ澄まされたナイフを目の前にしながら、余計なことを考えている自分がおかしかった。
ナイフを手にしているのがキースさんだからか、あるいは、私が殺傷に頓着していないからか、それとも、話の内容が非現実的だからか、なんとなく心に余裕がある。
「これを彼の心臓に突き立てなさい。そうすれば、貴女は苦しみから解放されるわ」
妙に芝居がかった口調と、ひそめた声。
でも、この台詞って――
「――彼の血が貴女の足元にかかったその時、貴女は本来の姿に戻るのよっ!」
そして、朗々と最後の言葉を言い放ったキースさんは、ナイフの切っ先を天井に向けて立ち上がった。
先程からこちらを気にしているグループだけでなく、周囲のお客さんが、大仰な台詞を吐いて立ち上がった彼に目を向ける。
しかし、その台詞回しのせいか、この美貌のせいなのか、予想に反して、彼女たちの視線は熱かった。舞台の練習か何かだと思ってくれているのかもしれない。その証拠に、小さな拍手さえ送られている。
私は、キースさんに「とにかく座ってください」と合図を送った。
「……それ、人魚姫、のお話ですよね」
こんな状況なのに、なぜか笑みが漏れる。
「やっと笑ったわね。必要だったら、胸も貸すけど?」
そう言って彼は大きく両手を開いた。
本気なんだか冗談なんだかわからないキースさんを見ていると、なんだか、一人で落ち込んだり、考え込んだりするのがばからしくなってきた。
私は胸を借りる代わりに、手元にあったカップを一口すする。
「大丈夫です」
「遠慮しなくても、襲ったりしないわよ」
「いえ、そう言う意味ではなく――本当に、元気が出ました」
「それはそれで……ちょっと、残念だわ」
何が残念なのか、聞いてみたい気がしたけれど、やぶへびになっては困るので、ここはさりげなく流すことにする。
「ところで、お電話でおっしゃってた相談って、なんですか?」
笑顔でかわした私のその一言に、キースさんは笑みをすっと消し、真面目な表情を作った。
そうすると、先ほどまでの人懐っこさが消え、反対に知的で黒豹みたいな印象に変わる。
美術の彫刻のような端正な顔立ちに、じっと見つめられて、私は小さく喉を鳴らした。
「貴女に、責任をとってもらいたいのよ」
「責任、ですか?」
思い当るところを探していると、ナイフをテーブルの隅に置いたキースさんが、ケースの中から今度は、はがきよりも少し大きいサイズの写真の束を取り出した。ざっと見ただけでも百枚くらいはありそうだ。
テーブルに置かれた一枚の写真は、この間訪れた、あの白い洋館の写真だった。手前のガーデンの小さなライトにフォーカスが当てられていて、建物自体は少しボケた感じになっている。
「こうやって、写真にすると、全然違った雰囲気で、――なんていうか、おしゃれで素敵ですね」
キースさんは、写真の束を一枚ずつテーブルに重ねておいていく。
素早く繰り出される素敵な写真を見ていると、あのパーティが夢のようにも思えてきた。
これが、もう、二週間以上も前のことになるなんて。
「腕が、いいのよ。――で、こっち」
さらりと自画自賛を入れたキースさんは、一枚を抜き出し――私の目の前に置いた。
悠兄ちゃんが少し離れたところで、緑をバックに、会場とは反対の方向に焦れるような目を向けている写真。その先は葉っぱのないバラの蔓のアーチ――あの会場への入り口だ。
大きく開いた胸元には、プレゼントしたネックレスがないから、私が来る前に、撮影したものだろう。
「それから、これ」
その隣に並べて置かれたのは、同じ場面の写真。でも、悠兄ちゃんは、一枚前のとは全く別人のように微笑み、アーチの方へ手を差し出している。
その笑顔は、アーチのバラが芽吹き、蕾をつけて今にも花を開かせてしまいそうなほど、甘く素敵で、私はつい見惚れてしまう。
写真集の表紙を飾ることも出来そうなほどのいい表情のそれは、雑誌で見せるユウヤとはまた違った人間的な魅力に溢れていた。
けれど、こうやって悠兄ちゃんの素敵なところを発見するたびに、私からは遠く離れていくようで、胸の奥をわずかな痛みが走るのもまた事実で――、
「ほんと、こんな表情されたら、妬けちゃうわよね。……それで、こっちが、三日前のユウヤ」
サクサクっと写真が繰られ、その隣に置かれたのは、白い船の舳先に腰かける悠兄ちゃんの写真だった。
早速マリンスポーツの撮影が始まっているのだろうか。青い空に、青い海。それらをバックに笑う悠兄ちゃんの表情が、今一つパッとしないのは、海の上での撮影だからかもしれない。
これが単体で雑誌に載っていたら気がつかなかったかもしれないけれど、アーチへ手を差し出している写真の横に置かれると、余計に浮かない表情が目立つ。
「このままじゃ、この企画、単発でおしまいよ」
ため息とともにキースさんが吐き出した。
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