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余興

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 その時、庭で歓声が上がり、それまでよりも大きな音で音楽が流れ始めた。

「そろそろ、始まるみたいだな」
「なに?」
「余興。行ってみる?」
「うん。楽しそう」

 建物のテラス部分に小さなステージが出来ていて、そこで、ロックバンドが生演奏をしていた。妖しく美しくメイクされた男性四人から生まれるノリのいい曲に、人びとの興奮がさらに高まっていく。
 一曲演奏が終わったところで、大きな金色のリボンをつけ赤と白の縦縞のシルクハットをかぶった、明らかにバンドとは異質な存在の司会者がでてきて、音量を落とした生演奏をバックに、軽やかな慣れた口調で場を盛り上げた。

「なんか……すごいね」

 まるで、大学の文化祭の縮小版のようだ。
 ステージでは、司会者がちょっとした手品を披露しているようだったけど、重なりあった人の頭で手元まではよく見えない。

「みんな、お祭り騒ぎが好きだから。やるときはとことんやるね」

 悠兄ちゃんは苦く笑い、私の手を引きながら、ステージのよく見える場所を探して歩いた。
 時々沸き起こる拍手にステージを注視すると、人びとの頭の向こうに、小さな赤い花や、色とりどりのハンカチーフが見える。
 もっともっとと、ステージが見えるところを探しているうちに、私たちは、プールサイドまで来ていた。
 後ろにプールがあるから、その分人が薄くなっているのだ。
 ステージではちょうど、手品が一区切りついたのか、これまで以上に大きな拍手が会場から沸き起こった。

「――では、マジックショーで楽しんでいただいた後は――」

 司会を兼ねたマジシャンがそこで一度溜めを作ると、ビジュアル系バンドがヘヴィなドラムロールを始める。

「豪華な賞品をかけた、全員参加のぉ、――バトルゲームぅっ!!」

 ドラムロールのタイミングに合わせて叫んだ彼は、小ぶりの風船を何もない空中から取り出した。
 会場からは、待ってましたとばかりの、割れんばかりの拍手と歓声。

「この風船の中に豪華な商品名が書かれた紙がはいっていたら、大当たり! 巨大なスクリーン付きプロジェクターから海外旅行まで、豪華な景品がずらりとならんだゲームのルールはいたってシンプル――ただ、風船を何の道具も使わずに割るだけっ! こんな風にね――」

 言いながら彼が風船に手をかざした。触れたようには見えなかったけれど、風船が割れ、中から鳩が飛び出す。

「私への商品は、鳩のようですね。もっと上手いマジックを見せろということでしょうか」

 鳩の登場とともに拍手の起こった会場に向かっておどけて話す司会者に、会場が沸いた。

「私は、上級者なので、触れずに割りましたが、皆さんは、触れても構いませんよ。ただし、ナイフやフォークなどの凶器、火器の使用は反則ですので、ご注意を。――さてみなさん、準備は、いいですかー?」

 司会者の「それでは、スタートぉおおお!!」の叫びとともに、生バンドはアップテンポの曲の演奏を始まり、建物の二階の窓から小ぶりの風船が庭に放たれた。
 風にのって、ゆっくりと舞い降りる赤や黄色、緑などの色とりどりの風船が、さっきのカラフルなサラダのようにも見える。
 誰もが、われ先にと、上方へ手を伸ばす中、水色の風船がふわりと私の手の中に舞い落ちてきた。
 両手で包み込めるくらいの大きさの風船は、中途半端に膨らませてあるせいで、握ると自在に形を変える。力を入れて握っても、せいぜい色が薄くなる程度で、破裂するまでには至らない。

「そのままぎゅっと握ってて」

 悠兄ちゃんが、私の手の中で私の横から手を伸ばし、薄い水色となった小さな風船を、両手で握った瞬間――

 パアンッ!!

 風船が弾けて、中から小さなヒラヒラと紙吹雪が舞い上がった。
 顔を見合わせたあと一拍おいて、私たちは、声をあげて笑った。

「残念……ハズレ」

 中から紙片は出てこなかったけど、悠兄ちゃんとの楽しい時間をもらえて、思いがけないプレゼントをもらった気分だ。
 あちこちで破裂音とともに紙吹雪が舞い上がる。
 時には、嬉しい歓声も混じり、人々が童心にかえって楽しんでいた。
 ふわふわと、じらすように人の手から逃げる風船は、まるで小さな妖精ようで、見ているだけで私の心も軽くなる。

「綾っ!」

 ――と、楽しげな光景に見とれていた私に、悠兄ちゃんの、その場には全くそぐわない鋭い声が響いた。
 その瞬間、私の左側に大きな影が舞う。
 私の方へ向かって飛んできていた黄色の風船を無理して取ろうとジャンプをした、体格の大きな男の人だった。その彼の着地点が、私と重なって――
 左肩に大きな衝撃。
 大きな人はそのままバランスを崩し、私の体を押しのけるようにして、その場で踏ん張ったが、プールのすぐそばにいた私は腕を伸ばしてもつかむものもなく、体を支え切れなかった。

「綾っ!!」

 もう一度、悠兄ちゃんが叫んだのが聞こえる。
 眼の下には滔々と水をたたえたプール。「落ちるっ!」と私は目を閉じた。
 腕を引っ張られたような気がして、重力の向きが変わる。
 次の瞬間、大きな水音とともに頬に飛んできた水飛沫に、自分がプールサイドに座り込んでいるのに気がついた。
 じゃあ、あの水飛沫は――とプールに目を向けると、二メートルほど離れた水の中で、悠兄ちゃんが、もがいている。
 落ちそうになった私を引き戻し、その反動で、自分が落ちてしまったのだろう。

「や――、悠兄ちゃん!」

 飛び込み台があるくらいなのだから、水深はかなりのものだと思う。まだ顔を十秒――それも、意を決しての場合だ――しかつけられない悠兄ちゃんは、足がつかないこともあって半ばパニックになりかけていた。
 次の瞬間、私は草履を脱ぎ棄て、夢中で水の中に飛び込む。
 まずは、暴れる悠兄ちゃんを落ち着かせなくては。
 三月の夜で気温も低いし、暴れればそれだけ体温の消耗は激しい。
 ああ、それに――私は、必ず助けてあげるって、約束したんだ。
 悠兄ちゃんに向かって泳ぎながら、そんなことがいっぺんに頭の中を駆け抜ける。
 パニックになった悠兄ちゃんは、足や腕をむやみやたらとばたつかせていて、体が沈みかけている。
 こんなことなら、あの時にちゃんと溺れる者の心得を教えてあげてれば良かった。
 私はなんとか背後に回ろうとしたけれど、悠兄ちゃんが助けを求めるように私の方へ体を向けるものだから、なかなか後ろに回れない。

「悠兄ちゃん、おち、ついて――」

 巻き込まれないように、少し離れた位置で声をかけてみる。
 けれど、私の声は、悠兄ちゃんが水を叩く音でことごとくかき消された。
 冷たい水は、私の体温も奪っていく。早くしないと、こちらの体力も持ちそうにない。

(やだ――っ!!)
 
 足に疲れを感じ始めてようやく、私はとんでもない過失に気がついた。
 着物を着たままだ。
 正絹の着物が水分を含んで重くなっていた。
 着物を着ている分、体温の低下は防げ、浮力は確保できる。でも、着衣がいいのは遭難者のほうだ。救助者にとっては、水を吸った衣類は重りにしかならない。しっかりと締めた帯のせいで、呼吸も思い通りにはできない。
 このままでは、悠兄ちゃんをプールサイドまで引っ張ってくるのに、かなりの力が必要だろう。
 かといって、水中で服を脱ぐのは、簡単ではない。ましてや、普段着なれない着物だ。帯を解くことさえできるかどうか――
 躊躇しているうちに、目の前で悠兄ちゃんの頭が水中に沈むのが見えた。

「悠――っ!!」

 頭の中が一瞬で真っ白になる。
 私は着物の裾をぐっと開いて、悠兄ちゃんに向かって泳いだ。
 思った以上に水の抵抗が大きかったが、そんなことを気にしている間にも、悠兄ちゃんが離れていく。
 無我夢中で水を蹴って、ようやくその首にしがみつくと、悠兄ちゃんが私を見て一瞬穏やかに笑ったような気がした。
 やだ、そんな風に、笑わないでよ。
 悠兄ちゃんを胸の中に抱えたまま、私は懸命に水面を目指す。なのに、無情にも水面はどんどん私たちから離れて行って――
 着物の袖と裾が、まるで優雅に泳ぐ魚のように揺らめく中で、私は悠兄ちゃんにしがみつき、ゆっくりと上昇する小さな気泡を眺めていた。

 海の泡となるのって、こんな感じなのかな――

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