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バレンタインデー 小春日和
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そして翌日――バレンタインデー当日。
私は、颯太の車の助手席に乗せられた。
BGMには今流行りの軽めのJ-ポップ。冬はめったに天気の崩れることのない関東地方――お天気は当然オッケーで、窓を閉めていれば暖房は要らないくらいの――窓を開けると、ふっとどこかから梅の香りが車内に迷い込む、ドライブ日和。
平日の昼間なので渋滞もなくて、気分もいい。
どこまでも遠くへ、行ってしまいたい気分。
「こんだけ、気持ちがいいと、何時間でも運転してられそうな気分だな。――どこいく?」
車が住宅街を抜けて信号で止まったところで、颯太が私の気持ちを代弁してくれた。
颯太と一緒なら――
「どこでもいい」
車の中は、非日常なんだけど、窓の外の小張日和の穏やかな日常に包まれて時間と空間の感覚がおかしくなり、颯太と二人きりでドライブしているのが、なんだか普通のことのようにさえ感じられてくる。
こうしていると、来月颯太がオーストラリアに行ってしまうなんて、嘘のようだ。
幸せって、もっとドラマチックなものかと思っていたけれど、本当は、普通の中にひっそりと隠れていて、その秘密を知った人だけが、手に入れられるものなのかもしれないな、と思う。
「ほんとに?」
颯太の返事が、あまりにも嬉しそうに聞こえた。どこか心に決めたところがあるのだろうか。
「……どこに行くつもり?」
「ん? ホテル、とか?」
ハンドルを握ったまま、颯太はちらりと私を伺った。
冗談……にしても、まだ、日の高いうちから、そんなことを露骨に言われると、なんか、すごく恥ずかしい。
「そんな……、つもりできたんじゃないし」
思わず声が小さくなった私の頭を、颯太の左手が引き寄せた。運転中の彼の脇腹あたりに突っ込む形になる。もう少し私が体の力を抜けば、膝枕になりそうな気がして、慌てて私は体勢を立て直した。
「俺は、そんなつもり、なんだけど?」
二人きりになると途端に強引になる颯太に、私は時々ついていけないことがある。
だって、数ヶ月前までは、ただの幼馴染で、二人きりになるなんてめったになかったし、あったとしても、こんな会話になったりはしなくて――。こういう会話を二人でしていると、ほんとに、恋人になったんだなあと、胸の奥がちょっとくすぐったくなる、けど。
きっと私の顔は、真っ赤になってるだろう。
私が黙り込んだのを誤解したのか、颯太は軽く笑った。
「……じょーだん。――最終的にはそこへ行くとしても、その前に、どこか行きたいとこない? せっかくこんないい天気なんだし、それを楽しむのも、いいよな」
ここで黙り込むと、本当に颯太ならこのままホテルに行きかねないような気がして、私は、思いついたことを口にした。
どうせなら、来月、遠くへ行ってしまう颯太と、素敵な思い出が欲しい。
「……どこでもいいんだけど、颯太とデートみたいなこと、してみたいな」
笑われるかと思ったけど、颯太は、目元と口元を緩めただけだった。
そっか。幼馴染なら一笑に附されたであろうこんなセリフも、恋人なら許されるのか。
『恋人』という立場を改めて実感して、胸の奥が小さく震えた。そんな私を見るいつもより柔らかい颯太の視線や、穏やかな日常に包まれた非日常の幸せが、余計に私の胸の奥をくすぐる。まるで、そこに風船が入っているかのように、ふわふわ、ふわふわ――
「千尋の考えるデートって、どんなの?」
「んとね……ディスカバーリゾートで一日遊び倒して、オフィシャルホテルのバルコニーから夜の花火を観たり?」
「ディスカバーリゾートのオフィシャルホテルって、半年前から予約取んなきゃムリだろ?」
「半年前に言ってたら、つれてってくれた?」
私がそう聞くと颯太は少し考えてから、小さく「予算的にも、キツいな」とこぼす。
「じゃあ、ディスカバーランドだけでも」
「その手前の臨海公園で妥協しないか? あそこなら観覧車もある」
「……なんか、上手くごまかしてない?」
「ランドは、また、今度、な」
「約束、だからね!」
颯太が、わかったよとばかりに左手の小指を立てて差し出した。
私は、そこに自分の小指をそっと絡める。
『また、今度、な』
ただ、それだけのことなのに。小指を絡めるという行為によって、曖昧だった未来の道に、「その時」に向けての道しるべができたようで、ちょっと嬉しかった。
颯太がオーストラリアに行っちゃったら、いつ叶うのかわからないけれど、でも、その約束をお互いに忘れなければ「その日」はきっと来るわけで。それって、「その日」までは、別れないって颯太も思ってると考えて、いいんだよね?
「どうした?」
「ううん。……なんでもない」
「じゃ、臨海公園な」
颯太の運転する車は、小春日和の穏やかな天気の中を、海に沿って軽快に走り抜けていく。
フロントガラス越し――目的地の観覧車の向こう側に、ディスカバーランドのお城が小さく見えた。
――また、今度。
駐車場に車を止めて、芝生の公園を突っ切って観覧車へ向かう。
どこの観覧車にもあるように、海浜公園の観覧車にも「頂点でキスした二人は幸せになれる」というジンクスがあった。
まあ、観覧車の中で、キスくらいなら、べつに構わないけど――などと、私の中で勝手に期待は高まる。
冬の平日の昼間のせいか、観覧車はよく空いていた。
待ち時間なしってことは、心の準備をする時間もそれほどないってことで、チャンスがあれば、言おうと思っていたジンクスのことも、結局言えずじまいで私たちはゴンドラに案内された。
ゆっくりと、空に向って上って行くにつれて、目の前に生えていた大きな木が視界の下へ回り込み、反対に、空が大きくなってくる。
小さなビル群の向こうに小さく富士山が見えた。地面にいると、見えないものも、こうやって高いところに来ると見える。
私は左手にある海の向こうに視線を向けたけど、どれほど目を凝らしてみても、オーストラリアは見えなかった。
どれほど高くに行けば、見えるのだろうか。
そんな――見えないところに、本当にオーストラリアのような大陸があるのがなんだか不思議で。ううん。それを言うなら、颯太がもうすぐオーストラリアに行ってしまうというのさえ、現実のこととは思えない。
私は、颯太の車の助手席に乗せられた。
BGMには今流行りの軽めのJ-ポップ。冬はめったに天気の崩れることのない関東地方――お天気は当然オッケーで、窓を閉めていれば暖房は要らないくらいの――窓を開けると、ふっとどこかから梅の香りが車内に迷い込む、ドライブ日和。
平日の昼間なので渋滞もなくて、気分もいい。
どこまでも遠くへ、行ってしまいたい気分。
「こんだけ、気持ちがいいと、何時間でも運転してられそうな気分だな。――どこいく?」
車が住宅街を抜けて信号で止まったところで、颯太が私の気持ちを代弁してくれた。
颯太と一緒なら――
「どこでもいい」
車の中は、非日常なんだけど、窓の外の小張日和の穏やかな日常に包まれて時間と空間の感覚がおかしくなり、颯太と二人きりでドライブしているのが、なんだか普通のことのようにさえ感じられてくる。
こうしていると、来月颯太がオーストラリアに行ってしまうなんて、嘘のようだ。
幸せって、もっとドラマチックなものかと思っていたけれど、本当は、普通の中にひっそりと隠れていて、その秘密を知った人だけが、手に入れられるものなのかもしれないな、と思う。
「ほんとに?」
颯太の返事が、あまりにも嬉しそうに聞こえた。どこか心に決めたところがあるのだろうか。
「……どこに行くつもり?」
「ん? ホテル、とか?」
ハンドルを握ったまま、颯太はちらりと私を伺った。
冗談……にしても、まだ、日の高いうちから、そんなことを露骨に言われると、なんか、すごく恥ずかしい。
「そんな……、つもりできたんじゃないし」
思わず声が小さくなった私の頭を、颯太の左手が引き寄せた。運転中の彼の脇腹あたりに突っ込む形になる。もう少し私が体の力を抜けば、膝枕になりそうな気がして、慌てて私は体勢を立て直した。
「俺は、そんなつもり、なんだけど?」
二人きりになると途端に強引になる颯太に、私は時々ついていけないことがある。
だって、数ヶ月前までは、ただの幼馴染で、二人きりになるなんてめったになかったし、あったとしても、こんな会話になったりはしなくて――。こういう会話を二人でしていると、ほんとに、恋人になったんだなあと、胸の奥がちょっとくすぐったくなる、けど。
きっと私の顔は、真っ赤になってるだろう。
私が黙り込んだのを誤解したのか、颯太は軽く笑った。
「……じょーだん。――最終的にはそこへ行くとしても、その前に、どこか行きたいとこない? せっかくこんないい天気なんだし、それを楽しむのも、いいよな」
ここで黙り込むと、本当に颯太ならこのままホテルに行きかねないような気がして、私は、思いついたことを口にした。
どうせなら、来月、遠くへ行ってしまう颯太と、素敵な思い出が欲しい。
「……どこでもいいんだけど、颯太とデートみたいなこと、してみたいな」
笑われるかと思ったけど、颯太は、目元と口元を緩めただけだった。
そっか。幼馴染なら一笑に附されたであろうこんなセリフも、恋人なら許されるのか。
『恋人』という立場を改めて実感して、胸の奥が小さく震えた。そんな私を見るいつもより柔らかい颯太の視線や、穏やかな日常に包まれた非日常の幸せが、余計に私の胸の奥をくすぐる。まるで、そこに風船が入っているかのように、ふわふわ、ふわふわ――
「千尋の考えるデートって、どんなの?」
「んとね……ディスカバーリゾートで一日遊び倒して、オフィシャルホテルのバルコニーから夜の花火を観たり?」
「ディスカバーリゾートのオフィシャルホテルって、半年前から予約取んなきゃムリだろ?」
「半年前に言ってたら、つれてってくれた?」
私がそう聞くと颯太は少し考えてから、小さく「予算的にも、キツいな」とこぼす。
「じゃあ、ディスカバーランドだけでも」
「その手前の臨海公園で妥協しないか? あそこなら観覧車もある」
「……なんか、上手くごまかしてない?」
「ランドは、また、今度、な」
「約束、だからね!」
颯太が、わかったよとばかりに左手の小指を立てて差し出した。
私は、そこに自分の小指をそっと絡める。
『また、今度、な』
ただ、それだけのことなのに。小指を絡めるという行為によって、曖昧だった未来の道に、「その時」に向けての道しるべができたようで、ちょっと嬉しかった。
颯太がオーストラリアに行っちゃったら、いつ叶うのかわからないけれど、でも、その約束をお互いに忘れなければ「その日」はきっと来るわけで。それって、「その日」までは、別れないって颯太も思ってると考えて、いいんだよね?
「どうした?」
「ううん。……なんでもない」
「じゃ、臨海公園な」
颯太の運転する車は、小春日和の穏やかな天気の中を、海に沿って軽快に走り抜けていく。
フロントガラス越し――目的地の観覧車の向こう側に、ディスカバーランドのお城が小さく見えた。
――また、今度。
駐車場に車を止めて、芝生の公園を突っ切って観覧車へ向かう。
どこの観覧車にもあるように、海浜公園の観覧車にも「頂点でキスした二人は幸せになれる」というジンクスがあった。
まあ、観覧車の中で、キスくらいなら、べつに構わないけど――などと、私の中で勝手に期待は高まる。
冬の平日の昼間のせいか、観覧車はよく空いていた。
待ち時間なしってことは、心の準備をする時間もそれほどないってことで、チャンスがあれば、言おうと思っていたジンクスのことも、結局言えずじまいで私たちはゴンドラに案内された。
ゆっくりと、空に向って上って行くにつれて、目の前に生えていた大きな木が視界の下へ回り込み、反対に、空が大きくなってくる。
小さなビル群の向こうに小さく富士山が見えた。地面にいると、見えないものも、こうやって高いところに来ると見える。
私は左手にある海の向こうに視線を向けたけど、どれほど目を凝らしてみても、オーストラリアは見えなかった。
どれほど高くに行けば、見えるのだろうか。
そんな――見えないところに、本当にオーストラリアのような大陸があるのがなんだか不思議で。ううん。それを言うなら、颯太がもうすぐオーストラリアに行ってしまうというのさえ、現実のこととは思えない。
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