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オーベルジュ
しおりを挟む達彦の運転する車は、首都高から中央自動車道に入った。
車に乗せられてからここまで、そろそろ一時間になるが、その間お互いに言葉を交わしてはいない。
はたして、これでよかったのだろうか。
窓の外に広がる郊外の住宅地を助手席から眺めているうちに、マリアの中に疑問が生まれてきた。
離婚したばかりの達彦に、勢いで告白して、その流れで二人でドライブらしき事をして――なんとなく自分が彼を略奪したような気がしてくる。
――彼は、本当に、これでいいのだろうか。
ちらりと運転席を窺うと、達彦は煙草を咥え、肘を窓枠について片手でハンドルを握っていた。運転に集中しているのではない。どちらかというと、余計なものを目に入れず、道路だけを見つめて黙考しているようにも見える。
ラジオから流れてくる中身のない軽いトークだけが、車内を沈黙から遠ざけていた。
道路が切り通しに変わるころ、いよいよ周りが薄暗くなってきた。中央道の大月ジャンクションから富士山方面へ向かう富士吉田線へ入ると、それまで多かった車の数がぐんと減る。
ラジオの電波が届きにくくなり、音が時々切れるようになってきたのに気がついた達彦が、腕を伸ばして電源を切った。
プツンと音を立てて、ノイズ混じりのその場にそぐわない軽すぎる会話が突然途切れると、耳の奥に小さくキーンと耳鳴りが残った。
それでも、達彦はまっすぐに前を見つめ、黙ったまま河口湖インターで高速を降りて、そのまま湖の脇を通りすぎる。
空はすっかりと暮れ果て、目を凝らすと小さな星がきらめいていた。車のヘッドライト以外に周りに光がないため、東京で見るよりもずっときれいな星空だった。
とはいえ、両脇に木々が迫りくるようなこんな場所では、車から降りて鑑賞する気にもならないが。
森がひらけ、左手に黒く佇む水面が見えた。
また湖だろうか。それほど大きくはないから、池なのかもしれない。
などとマリアが、考えているうちに、車は湖の形をなぞる様に連続したカーブを描いて走る。
黒々とした湖が息を潜めてこちらを窺っているように見えた。
「あの……柏木さん……?」
じっと見つめているとその黒いものに飲み込まれてしまいそうな気がして、マリアは勇気を出して口を開いた。
何かを伝えようとしたわけではない。でも、何かを話していたかった。
「ん?」
「どこまで、行くんですか?」
「それは、お楽しみ。……もうちょっとで目的地だから、富士山でも見ておとなしく座ってろ」
「富士山?」
「――ほら、湖の向こうの、黒いやつ」
目を凝らすと確かに、裾野を大きく広げた、とてつもなく大きな山の黒い影がそこにある。
さっきから視界には入っていたが、大きすぎてそれとは気付かなかったようだ。
「気がつかなかった。近くで見ると、大きいんですね」
「日本一だからな」
そう言って笑った達彦は、少し脇道を入ったところにある小さな白い建物の前で車を止めた。
ライトアップされているその佇まいは、樹海の中を抜けてきたとは思えないほど垢ぬけている。
扉を入ってすぐのところにある、飲食店にしては重厚すぎるカウンターで達彦がスタッフと言葉を交わすのを横目で見ながら、マリアは見るともなく周りを見回した。
白と茶色で統一された店内は、外見同様洒落ているが、白熱灯やキャンドルの明かりのせいか、冷やかな印象はまったくない。
照明の落とされたダイニングとテーブルの上のランプは、周囲が気にならないようにとの配慮のようだが、幸い、彼らの他に客はいなかった。
提供された料理は、地元の野菜や鶏肉を使ったもので、シンプルな味付けながらも素材の味を良く活かしている。合わせるのはラベルに筆文字が入っている、甲州ワイン。
料理そのものも美味しかったが、達彦と二人きりという状況が、胃だけではなく、マリアの心も満たした。
デザートを終えて立ち上がると、そのままレストランの三階の部屋に案内された。
レストランにしては三階建のこの建物は大きすぎると思っていたが、どうやら宿泊施設も兼ねているらしい。
「面倒くさくなくて良いだろ?」
想定外という表情のマリアに、達彦は笑って見せた。
扉を開けると、奥へとつながる通路の左手にバスとトイレのスペース。正面突き当りは窓で、左側に折れて広がる奥のスペースに足を踏み入れたマリアは息を呑んだ。
予想以上の広いスペースに、猫足のアンティークな応接セットが一組と、さらにその奥にツインサイズのベッドが二台並んでいる。応接セットの正面にある大きなクローゼットの扉は彫刻が施してあるオーク材。白いシーツの上にかけられた深緑色のベッドライナーがアクセントになっていて、森の中を思わせるような色合いの、落ち着いた部屋だった。
「……明るければ、窓から富士山が見えるんだが――」
レストランに入った時から、達彦の慣れた様子には気が付いていた。
「ここには……よく、いらっしゃるんですか?」
聞いては失礼かと思い黙っていたのだが、こんな素敵な部屋を目にして、マリアの中で芽生えた他の誰かに対する嫉妬心が大きくなる。それにつれて、口を開かずにはいられなくなった。
それを、全部わかっているとでも言うように、彼は笑い飛ばす。
「たまに――一人になりたいときなんかに。樹海を散歩してみたり、な」
達彦が背後からマリアをその腕の中に囲い込み、髪に顔を埋めた。
「柏木さん――?」
「……マリアに嫉妬されるって、なかなかいい気分だ」
達彦の息が首筋を擽る。
心の準備ができていなかったせいで、息と一緒に「あっ」と声が漏れた。無防備に半分だけ開いた口に、達彦が指を突っ込み、もう一方の手が彼女の身体の凹凸を確かめるように撫であげる。
彼の手の温かさにうっとりと目を細めたところに、すいっと彼の掌が襟元から入ってきた。
「柏木さんばっかり、ずるい、です……」
「何が?」
マリアの耳に息で囁いたあと、おまけのように達彦はその柔らかい耳朶を食んだ。
いつの間にか羽織っていたカーディガンが脱がされ、ワンピースのジッパーが下ろされている。
「っ……だって……いつも、余裕がないのは、私のほうで――」
ふつん、と胸の辺りが楽になって、そのふくらみを達彦の手が下から直接持ち上げるように優しく揉んだ。
「……俺が、余裕に見える?」
背後にいる彼がどんな顔で触れているか、彼女には分からない。
首から肩にかけて唇を滑らせた達彦の指が、胸の突起に触れ、マリアの背中を微細な電流が駆け上った。
「――としたら、君より長く生きているから、だろうな」
「それは……どういう――?」
その言葉の意味を知りたくてマリアが顔を彼に向けたところへ、待っていたとばかりに、達彦がタイミングよく唇を重ねた。
顎を少し強めに掴まれ、口が開いたところに、舌が入ってくる。
衣擦れの音をたててワンピースが肩から落ちた。
「く……ぁ、ん……」
驚いて彼の名を口にしかけたが、激しく吸い付かれていてうまく言葉にならない。代わりに漏れた意味のない声が、マリアの耳にも艶めかしく届いた。
思う存分マリアの口腔を蹂躙した後、銀色の糸を曳いて達彦が離れる。
マリアは、名残惜しそうに、そのてらてらと光る彼の口元を見つめた。
「余裕なんて、あるかよ」
顎を伝うマリアと自分の唾液を袖で拭った達彦は、焦れた様子で着ていたシャツのボタンを全部外してその場に脱ぎ捨て、マリアの膝を横から掬い上げた。
「――っ!?」
露になった上腕に、頬に、達彦の引き締まった胸が密着している。
横抱きにされたことよりも、その感触が、マリアの胸を熱くした。
触れている部分から彼の熱が全身へ、じりじりと伝わっていき、胃の辺りがこそばゆくなる。
ギッとベッドを軽く軋ませ、達彦はマリアをそこにそっと横たえた。彼が手を伸ばした先に、ライトの調光器があるのか、ふっと照明が明度を落とす。
すぐ近くで、口元ににやりと笑みを湛えて、見下ろしている達彦に気がついた。ただそれだけで、その先の期待にマリアの胸が高鳴る。
片手で体を支えながら、マリアの上に覆いかぶさった達彦の右手が、優しく彼女の頬に触れた。
「ラブホテルじゃないから、大声で喘ぐなよ」
これには、マリアのほうが戸惑った。
このまま黙ってされるがままになっていたら、その言いつけを守れそうにない。
なんとかもう少しだけでも、形勢をこちらに傾けたいとマリアは、雰囲気に流されないようにありったけの力をこめて達彦を見上げた。
「どうして、今日はそんなに、強引なんですか?」
「こういうのは、だめか?」
楽しむような、いたずらっぽい視線を返した達彦に、かえって冷静さが奪われていく。
「いえ……嬉しいですけど」
「――なら、黙って受け入れろ。この件に関しては、いろいろ考えるのはやめて――」
達彦の顔が至近距離まで迫る。
こんな風に迫られるのも、悪くない。
「俺は――勘と本能に、従うことにした」
達彦はマリアに口付けながら、彼女の下着を優しく剥ぎ取った。
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