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「ジョシコーセー」というブランド
しおりを挟む「アサギ――、悪いが、これも教室に持って行ってくれ」
二年生を担当する数学の教師が職員室で大声を上げたのを聞いて、俺は呼びかけられたであろう生徒に、自然を装いながらもぎこちなく視線を向ける。
――なんだ、男か。しかも「あさぎ」って、一字足りねぇし。紛らわしい。
呼びかけた教師のところへ面倒くさそうに歩み寄る男子生徒を見て、その視線の先の生徒に軽く心の中で毒づいてから、心もち肩を落とす。
自習監督をしたあの日以来、俺はずっとこんな調子で「あさぎり」という名前に過敏に反応していた。
彼女を見かけるのは、たいていが雨の日だった。梅雨のシーズンで雨が多いのだから、こじ付けかもしれないが。
彼女はいつも、友人たちの中で一人、凛とした淡い輝きを放っている。
正直、高校生とは思えない、大人びた雰囲気の彼女に興味があった。
しかし、気になるとは言っても、授業を担当しているわけではないので接点がなく、彼女に会える可能性があるのは廊下と職員室のみ。だから、余計に彼女の名前に、耳が敏感になっている。
俺にとっての女子高生なんて、きゃっきゃと騒いでいるだけの浮ついた生き物でしかなかった。
だから、講師の職が決まったとき友人に「手ぇだすなよ」とからかわれても、「出さねぇよ」と即断言した。制服しか価値のない、夢しか見ていない「ジョシコーセー」というブランドは対象外だった――筈なのに。
今の俺の頭の中は、その半分以上を一人の女子高生によって占められていた。
けれどそれはジョシコーセーの大好物の『恋愛』という類のものなどでは断じてない。規格外の者もいるのだという、あるいは、彼女のあの年不相応な――何でも知っているとでもいいたそうな笑顔の後ろにあるものを見てやりたいという、不思議な生き物に対する興味からだ。
そして、接点も何もないこんな状態ではそれができないから、余計気になるだけなのだ――と、俺は自分をコントロールしていた。
――のに、まさかこんなことになるとは。
定期テスト期間最終日に行われた職員会議。会議の最後の議題で、俺は注目の的になった。
「―― 2年3組担任の中村先生がご懐妊とのことで、12月には産休に入られる予定です」
あちこちから上がるおめでとうの声が落ち着いてから、教頭が言葉を続ける。
「――産休の期間は代用教員を迎えることになりますが、問題は10月の修学旅行です。安定期と言っても何かあっては困りますので、学校としましては、万が一を想定し、中村先生には今回は大事をとっていただくべきと考えます―― 」そこで言葉を切った教頭の、視線がガッチリ俺を捕らえた。
「――そこで、検討を重ねた結果、修学旅行の2年3組の担任の代替要員として、水瀬先生にお願いしたいと思います――」
授業の方は臨時の講師を迎えることでなんとかなるが、時期的にも修学旅行の引率まで押し付けるわけにはいかず、白羽の矢が立ったのが俺だったというわけだ。
ベテランの域に入った教師の中には、すでに授業が一年分パターン化されており、学校行事でそのペースを乱されるのを嫌がる者もいる。一方俺は、校内でも大して重要な分掌を受けておらず、この春に入ったばかりの下っ端で――いちばん融通が利く。勿論俺には断る理由も、あったとしてもそれを聞き入れてもらえるほどの影響力もない。
事前と事後に授業を振り替え、数日分の自習課題を用意さえしておけば、旅行中の授業は何とかなる。帰ってきたときに課題のチェックをしなければならないのは多少骨が折れるが、それも数時間で片付くだろう。
それに――2年3組。
俺の心に大きく刻まれたのは、その単語だ。
いずれにしても、学校側と俺との間に利害は対立しない。
ついでに、若いというだけでセンスがいいと決め付けられ、『修学旅行の栞』の作成係の担当という余計な仕事も押し付けられたが、まあ、それもいい。実際に栞を作成するのは生徒たちで、俺は彼らを上手く動かせばいいだけだ。
センスも何も必要ないはずだが、他の係より集まる回数が多いから、面倒ではあるというだけで。
それにしても、大して忙しくない俺にしてみれば、打ち合わせの頻度など問題ではなく、それよりも他の責任の重い係の担当を任されるよりはむしろ良かった。
しかも、ただで沖縄旅行に連れて行ってもらえるなんて、こんなチャンス滅多にない。
「よろしくお願いします。わからないことや、困ったことがあったらお声掛けくださいね」
職員室に戻る途中に声をかけてくれたのは、2年4組の担任の山科先生だ。現役で採用されて三年目の英語の先生。この学校ヒエラルキーではまだ下の方で、何もわからない俺の世話を押し付けられたのだろう。
そうとでも考えないと、俺にこんな風に声をかけてくれる理由がない。――なにしろ生徒の間では、スタイルがよく美人なのに気さくで、その上授業もわかりやすいという人気の教師で、――正直、今の俺にとってはこういうバリバリ仕事のできる女性は苦手かも。
俺は当たり障りなく「ありがとうございます」とだけ答えた。
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