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あれもこれもお酒のせい
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服を着ても、私たちは、離れなかった。
ラグの上で颯太が後ろから私を抱き込むように座っている。
外は少しずつ暗くなり始めていて、颯太がさっき点けてくれたデスクの白熱灯が薄いオレンジ色の暖かい光を放っていた。
小さなテーブルの上には、階下から彼が持ってきてくれた、ビールとオレンジジュースの缶が並んでいる。
「さっき――、もしかして、膣で、イった?」
「そんなのわかんないよ」
ただ一つわかるのは、あの呪文のせいだってこと。
あれは、ずるい。
「なんか……ずるい」
「なにが?」
さすがに、あの呪文はずるいとはいえなくて、「颯太だけ、慣れてて、ずるい」と誤魔化した。
「ばーか。そういうんじゃねえよ」
こつんと頭をげんこつで小突かれる。後ろだから見えないけれど、きっと颯太は笑っているんだと思う。
何が『そういうんじゃねえ』なのか、まるでわからない。
私にとっては、ちょっとは大した問題だったりするんだけどな。
それとも、颯太にとっては、こういうことは、大したことじゃないのだろうか。
そう考えると、なんだかフェアじゃない気持ちがどんどん積もってくる。
「颯太は……来月オーストラリアに行っちゃうってのに、どうしてそんなに、余裕なのよ。 私は……すごく、不安で――」
橙色の光が届かない部屋の隅の、オレンジ色のスーツケースを見ながら、私は、正直に自分の気持ちを吐き出した。
いつもは、こんな風に素直になれないのに、たぶん、これも、お酒のせい。
後ろから伸びた颯太の手が、勉強机の端においてあるビールの缶を掴んだ。耳の横で、ゴクゴクと喉が鳴る。
それから颯太は、大きな息をつくのに合わせて、言葉を吐き出した。
「莫迦。……余裕なんて、あるかよ」
今、颯太がどんな表情をしているのか確認したくて、体をひねろうとしたけれど、しっかりと左腕で抱きこまれているので、動けない。
「……俺の方が年上なんだし、男なんだから、一緒になってワタワタできるわけねえだろ」
「颯太……」
それって、どういう――?
彼がどんな意図を持って、こんなことを言っているのかわからない。
私は背後の気配を探りながら、颯太の言葉を聞き逃さないように、気持ちを集中させる。
右手に持っていたビールの缶を再び颯太が煽った。
「おまえ、宮間のこと、どう思う?」
どうしてそこで宮間さんの名前が出てくるのかわからなかった。
颯太と同級生で、颯太と同じラグビー部に所属していて、颯太がオーストラリアに留学するって、最初に教えてくれた人。
時々、みんなで一緒に遊びに行くけど、面倒見のいい先輩。
ただ、それだけの人だと私が応えると、持っていたビールの缶をキシッとほんの少し握りつぶして颯太は、口の中で言った。
「宮間、おまえのこと狙ってた」
一瞬、意味がわからなかった。
狙うって、どういう意味だっけ?
――ああ、目標に、命中させようとするってこと?
などと莫迦げたことを考えて、ようやく別の可能性に辿り着いた。
まあ、私とはそれくらい無関係な言葉だったわけで。
「ええええっ!?」
ずれたテンポで私が驚くと、颯太は喉の奥を鳴らして嗤う。
「俺も、まさかって思ったよ」
「失礼ね」
「けど、俺が海外に行くって知ったら、アイツ、『ライバルがいなくなって、楽勝だ』とかほざきやがった」
「私の気持ちを無視してるわよ」
「お前、時々ぼーっとしてる所があるから――俺がいなくなって寂しくなったら、優しくしてくれる宮間にふらりとならない可能性がないわけじゃない」
「……」
「……だから、千尋が宮間のものになる前に、俺のものにしておきたかった。――そう考えたら、直前になって……後数カ月で遠距離になるって分かってるのに、気持ちを止められなくなった」
そこまで言って颯太はもう一度、ビールをのどに流し込み、ようやく私を抱きしめる腕を緩めた。
顔が見たくて体をひねると、颯太は、これまで見たこともないような情けない表情で笑っていた。
そんな顔見せられたら、何か言いたくても、何を言っていいのかわからなくて――
ポン、と、颯太が私の頭の上に大きな手のひらを置いて、私の瞳を覗き込んだ。
「分かったか。俺だって、結構焦ってて……不安なんだ。――って、こんなことばらすなんて、俺もたいがい酔ってるな」
そっか、だから、颯太はアルコールを飲んでるんだ。
私は、颯太の持っていたビールの缶を横から取り上げて、彼のまねをしてそれをぐいっと煽った。
にがっ――
大人は、よくこんなもの、おいしいって飲めるなと思う。
でも、それを口にするのは我慢して。
「私は――私の心は、もうずっと前から、颯太のものだよ」
彼の驚いた顔が、ふわりと緩む。ついでに、頭をがしがし捏ねまわされて、髪がぐちゃぐちゃになった。
「あたりまえだ。……お前は、ずっと前から俺のものだ。これからも――」
颯太は、私の頭を抱えるように自分の胸に押しつける。
ジャージ生地の向こうに聞こえる颯太の心臓の音は、たぶん、私と同じくらい速かった。
「うん」
強引に迫ってきたかと思ったら、すっと引くのは、ひょっとしたら、駆け引きではないのかもしれないと、その時、私は思った。
だいたい、颯太にそんな繊細で高度なテクニックが使えるとは、思えない。
胸の奥から溢れ出る想いに翻弄されているのは、私だけでは、ないのかもしれなくて。愛しくて愛しくて、でも、気がついたらそんな自分の気持ちを相手に押し付けようとしているような気がして、だから、少し押さえて様子を見たり――するのかもしれない。
颯太も私と同じように、心配したり、不安になったり、気持ちを押さえられなくなったり、するんだ。
そんなことを考えて、ちょっと安心した。
「あー、でも、料理は、もうちょっと勉強してほしいな。まさか、焼きそばに入れる玉ねぎを荒みじんにするとは――」
「あっ! やっぱり、幻滅してる」
「してねえよ。新しい発見てやつ?」
「りょ、料理は、勉強中なんです! それよりはお菓子の方が、まだ――」
「へえ」
「疑ってるでしょ?」
「別に」
「嘘。それ疑ってる目だわ」
「疑ってねえよ。それどころか、来週、すっげー美味いチョコがもらえるって期待した」
「来週?」
「来週。――恋人たちの記念日、だろ?」
あ! 来週、バレンタインデー。
私は自分の浅はかさを呪った。どうしてこう、墓穴を掘っちゃうかな。
「バイト休むから、二人でどっか行こうか? 二人っきりでゆっくりできるところで、お前の手作りチョコをいただくってのも、いい」
でも。
私の失言のせいで、こうやって颯太が機会を作ってくれたのだとしたら、まあ、結果オーライなのかもしれないけれど。
幸い、バレンタインデーまでには後一週間あるし。頑張れば、何とかなるような気がしないでもない。
だって、たかが、チョコ、でしょ?
恋愛って、押したり引いたり、いろいろとバランスとるのが難しいって、涼子さんがくれた紫色のブレスレットを見ながら、ふと思った。
手作りチョコの感想を、直接相手から貰えるってのは、たぶん、両想いのデメリット――いや、特権、なんだろうな、なんてことも。
ラグの上で颯太が後ろから私を抱き込むように座っている。
外は少しずつ暗くなり始めていて、颯太がさっき点けてくれたデスクの白熱灯が薄いオレンジ色の暖かい光を放っていた。
小さなテーブルの上には、階下から彼が持ってきてくれた、ビールとオレンジジュースの缶が並んでいる。
「さっき――、もしかして、膣で、イった?」
「そんなのわかんないよ」
ただ一つわかるのは、あの呪文のせいだってこと。
あれは、ずるい。
「なんか……ずるい」
「なにが?」
さすがに、あの呪文はずるいとはいえなくて、「颯太だけ、慣れてて、ずるい」と誤魔化した。
「ばーか。そういうんじゃねえよ」
こつんと頭をげんこつで小突かれる。後ろだから見えないけれど、きっと颯太は笑っているんだと思う。
何が『そういうんじゃねえ』なのか、まるでわからない。
私にとっては、ちょっとは大した問題だったりするんだけどな。
それとも、颯太にとっては、こういうことは、大したことじゃないのだろうか。
そう考えると、なんだかフェアじゃない気持ちがどんどん積もってくる。
「颯太は……来月オーストラリアに行っちゃうってのに、どうしてそんなに、余裕なのよ。 私は……すごく、不安で――」
橙色の光が届かない部屋の隅の、オレンジ色のスーツケースを見ながら、私は、正直に自分の気持ちを吐き出した。
いつもは、こんな風に素直になれないのに、たぶん、これも、お酒のせい。
後ろから伸びた颯太の手が、勉強机の端においてあるビールの缶を掴んだ。耳の横で、ゴクゴクと喉が鳴る。
それから颯太は、大きな息をつくのに合わせて、言葉を吐き出した。
「莫迦。……余裕なんて、あるかよ」
今、颯太がどんな表情をしているのか確認したくて、体をひねろうとしたけれど、しっかりと左腕で抱きこまれているので、動けない。
「……俺の方が年上なんだし、男なんだから、一緒になってワタワタできるわけねえだろ」
「颯太……」
それって、どういう――?
彼がどんな意図を持って、こんなことを言っているのかわからない。
私は背後の気配を探りながら、颯太の言葉を聞き逃さないように、気持ちを集中させる。
右手に持っていたビールの缶を再び颯太が煽った。
「おまえ、宮間のこと、どう思う?」
どうしてそこで宮間さんの名前が出てくるのかわからなかった。
颯太と同級生で、颯太と同じラグビー部に所属していて、颯太がオーストラリアに留学するって、最初に教えてくれた人。
時々、みんなで一緒に遊びに行くけど、面倒見のいい先輩。
ただ、それだけの人だと私が応えると、持っていたビールの缶をキシッとほんの少し握りつぶして颯太は、口の中で言った。
「宮間、おまえのこと狙ってた」
一瞬、意味がわからなかった。
狙うって、どういう意味だっけ?
――ああ、目標に、命中させようとするってこと?
などと莫迦げたことを考えて、ようやく別の可能性に辿り着いた。
まあ、私とはそれくらい無関係な言葉だったわけで。
「ええええっ!?」
ずれたテンポで私が驚くと、颯太は喉の奥を鳴らして嗤う。
「俺も、まさかって思ったよ」
「失礼ね」
「けど、俺が海外に行くって知ったら、アイツ、『ライバルがいなくなって、楽勝だ』とかほざきやがった」
「私の気持ちを無視してるわよ」
「お前、時々ぼーっとしてる所があるから――俺がいなくなって寂しくなったら、優しくしてくれる宮間にふらりとならない可能性がないわけじゃない」
「……」
「……だから、千尋が宮間のものになる前に、俺のものにしておきたかった。――そう考えたら、直前になって……後数カ月で遠距離になるって分かってるのに、気持ちを止められなくなった」
そこまで言って颯太はもう一度、ビールをのどに流し込み、ようやく私を抱きしめる腕を緩めた。
顔が見たくて体をひねると、颯太は、これまで見たこともないような情けない表情で笑っていた。
そんな顔見せられたら、何か言いたくても、何を言っていいのかわからなくて――
ポン、と、颯太が私の頭の上に大きな手のひらを置いて、私の瞳を覗き込んだ。
「分かったか。俺だって、結構焦ってて……不安なんだ。――って、こんなことばらすなんて、俺もたいがい酔ってるな」
そっか、だから、颯太はアルコールを飲んでるんだ。
私は、颯太の持っていたビールの缶を横から取り上げて、彼のまねをしてそれをぐいっと煽った。
にがっ――
大人は、よくこんなもの、おいしいって飲めるなと思う。
でも、それを口にするのは我慢して。
「私は――私の心は、もうずっと前から、颯太のものだよ」
彼の驚いた顔が、ふわりと緩む。ついでに、頭をがしがし捏ねまわされて、髪がぐちゃぐちゃになった。
「あたりまえだ。……お前は、ずっと前から俺のものだ。これからも――」
颯太は、私の頭を抱えるように自分の胸に押しつける。
ジャージ生地の向こうに聞こえる颯太の心臓の音は、たぶん、私と同じくらい速かった。
「うん」
強引に迫ってきたかと思ったら、すっと引くのは、ひょっとしたら、駆け引きではないのかもしれないと、その時、私は思った。
だいたい、颯太にそんな繊細で高度なテクニックが使えるとは、思えない。
胸の奥から溢れ出る想いに翻弄されているのは、私だけでは、ないのかもしれなくて。愛しくて愛しくて、でも、気がついたらそんな自分の気持ちを相手に押し付けようとしているような気がして、だから、少し押さえて様子を見たり――するのかもしれない。
颯太も私と同じように、心配したり、不安になったり、気持ちを押さえられなくなったり、するんだ。
そんなことを考えて、ちょっと安心した。
「あー、でも、料理は、もうちょっと勉強してほしいな。まさか、焼きそばに入れる玉ねぎを荒みじんにするとは――」
「あっ! やっぱり、幻滅してる」
「してねえよ。新しい発見てやつ?」
「りょ、料理は、勉強中なんです! それよりはお菓子の方が、まだ――」
「へえ」
「疑ってるでしょ?」
「別に」
「嘘。それ疑ってる目だわ」
「疑ってねえよ。それどころか、来週、すっげー美味いチョコがもらえるって期待した」
「来週?」
「来週。――恋人たちの記念日、だろ?」
あ! 来週、バレンタインデー。
私は自分の浅はかさを呪った。どうしてこう、墓穴を掘っちゃうかな。
「バイト休むから、二人でどっか行こうか? 二人っきりでゆっくりできるところで、お前の手作りチョコをいただくってのも、いい」
でも。
私の失言のせいで、こうやって颯太が機会を作ってくれたのだとしたら、まあ、結果オーライなのかもしれないけれど。
幸い、バレンタインデーまでには後一週間あるし。頑張れば、何とかなるような気がしないでもない。
だって、たかが、チョコ、でしょ?
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