20 / 60
不穏な影
旅支度
しおりを挟む
小鳥がさえずり、ベビーカーを押した母親が散歩している昼ひなた、暗闇の中で黙々と作業をしている老人がいた。
狐火だ。
此処は日の当たらない、暗い地下室。
表の明るさとは裏腹に、明かりは赤々と燃える暖炉の火だけ。
煉瓦敷きの床に丸くなり、羽根ペンを片手にせっせと報告書を書き上げている最中だ。
文字を読み上げたり唸ったりしながら、苦労して空白部分を埋めている。
「ち、また間違えた」
ペン先をインク瓶に突っ込み、丸めた紙を暖炉に放り投げて舌打ち。
ゴーデルにああ言った手前、手抜きはできない。
残った項目を完成させるためには、今週中にもう一度プレアーに会って、最新の彼の近況を書き留めなければならないのだ。
時間がない、急がねば……
『ピ、ピ…ピーピー』
そのとき、台所のやかんが鳴り出した。
蒸気が激しく吹き出している。
無視する狐火。
次第に音が気違いじみてきた。
「いまいましい!」
杖を取り出して呪文を唱えるより早く、やかんの注ぎ口から甲高い悲鳴混じりの声が哀願した。
『ご主人様、なにをピーッ、
する気でっ、ピーッ、ございまピーッ!
そろそろお茶のお時間ピーッ、でピ、ございますピッ』
「黙れ、うるさいわ」
負けじと叫んだ声は無残に掻き消される。
『早くピーッ、吹きこぼれピッ、しまいまピッ、ピッ、ピ、ピピ、ピピピピ!!』
ピーピーの間隔が一気に短くなった。
「黙れケトル。分かった、
分かったわい」
火を消すとようやくケトルは
静かになった。
「ワシを殺す気か」
がんがんするこめかみをさすって憔悴の狐火。
仕方なく紅茶を煎れて、申し訳程度に一口すする。
しばらくして。
狐火は、のそのそと地下から一階、一階から二階へと続く階段を上がっていった。
疲れきって肩でぜえぜえ息をしながら、悪戦苦闘して重たい衣装ケースをいくつか引っ張り出す。
「おお、あったあった。
たぶんこれじゃろ」
ステッカーの埃を払って、嬉しそうに書かれた文字を読み上げた。
人間臭さを強く演出したい時用
お洒落着セット(男物一式)
定価 1750ゼオン
中には藍色でサスペンダー付きのいささか流行遅れのズボン、着古したワイシャツ、
ウールの上掛けと厚手のコート(人間の年寄りは寒がりなのだ)そのほか時計や帽子など細々したものが入っている。
杖で服の上を撫でると、
杖はすーっと手を離れて勝手に毛玉を吸い取り始めた。
(はてさて、あとはどうやってプレアーに会いにいくかじゃな)
鏡廊下は使わないほうが無難だろう。
鏡から出てくるところをプレアー本人に見られたらうまくない。
それに鏡移動をしたらせっかくの一張羅がしわくちゃの台無しになってしまう。
突然、毛玉を詰まらせて、ガーガー愚痴をこぼし始めた杖を しこたま蹴っ飛ばしながら、狐火はぶつぶつ独りごとを言った。
「時間はかかるが、ここはあれじゃな、あの列車とかいう機械に乗ってゆくしかなさそうじゃわい」
人間の乗り物に乗るのは何年ぶりだろう。
狐火は、残りわずかな髪を念入りにブラッシングしてから、いそいそと旅の準備を始めた。
狐火だ。
此処は日の当たらない、暗い地下室。
表の明るさとは裏腹に、明かりは赤々と燃える暖炉の火だけ。
煉瓦敷きの床に丸くなり、羽根ペンを片手にせっせと報告書を書き上げている最中だ。
文字を読み上げたり唸ったりしながら、苦労して空白部分を埋めている。
「ち、また間違えた」
ペン先をインク瓶に突っ込み、丸めた紙を暖炉に放り投げて舌打ち。
ゴーデルにああ言った手前、手抜きはできない。
残った項目を完成させるためには、今週中にもう一度プレアーに会って、最新の彼の近況を書き留めなければならないのだ。
時間がない、急がねば……
『ピ、ピ…ピーピー』
そのとき、台所のやかんが鳴り出した。
蒸気が激しく吹き出している。
無視する狐火。
次第に音が気違いじみてきた。
「いまいましい!」
杖を取り出して呪文を唱えるより早く、やかんの注ぎ口から甲高い悲鳴混じりの声が哀願した。
『ご主人様、なにをピーッ、
する気でっ、ピーッ、ございまピーッ!
そろそろお茶のお時間ピーッ、でピ、ございますピッ』
「黙れ、うるさいわ」
負けじと叫んだ声は無残に掻き消される。
『早くピーッ、吹きこぼれピッ、しまいまピッ、ピッ、ピ、ピピ、ピピピピ!!』
ピーピーの間隔が一気に短くなった。
「黙れケトル。分かった、
分かったわい」
火を消すとようやくケトルは
静かになった。
「ワシを殺す気か」
がんがんするこめかみをさすって憔悴の狐火。
仕方なく紅茶を煎れて、申し訳程度に一口すする。
しばらくして。
狐火は、のそのそと地下から一階、一階から二階へと続く階段を上がっていった。
疲れきって肩でぜえぜえ息をしながら、悪戦苦闘して重たい衣装ケースをいくつか引っ張り出す。
「おお、あったあった。
たぶんこれじゃろ」
ステッカーの埃を払って、嬉しそうに書かれた文字を読み上げた。
人間臭さを強く演出したい時用
お洒落着セット(男物一式)
定価 1750ゼオン
中には藍色でサスペンダー付きのいささか流行遅れのズボン、着古したワイシャツ、
ウールの上掛けと厚手のコート(人間の年寄りは寒がりなのだ)そのほか時計や帽子など細々したものが入っている。
杖で服の上を撫でると、
杖はすーっと手を離れて勝手に毛玉を吸い取り始めた。
(はてさて、あとはどうやってプレアーに会いにいくかじゃな)
鏡廊下は使わないほうが無難だろう。
鏡から出てくるところをプレアー本人に見られたらうまくない。
それに鏡移動をしたらせっかくの一張羅がしわくちゃの台無しになってしまう。
突然、毛玉を詰まらせて、ガーガー愚痴をこぼし始めた杖を しこたま蹴っ飛ばしながら、狐火はぶつぶつ独りごとを言った。
「時間はかかるが、ここはあれじゃな、あの列車とかいう機械に乗ってゆくしかなさそうじゃわい」
人間の乗り物に乗るのは何年ぶりだろう。
狐火は、残りわずかな髪を念入りにブラッシングしてから、いそいそと旅の準備を始めた。
0
お気に入りに追加
4
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい
白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。
私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。
「あの人、私が
最愛の側妃だけを愛する旦那様、あなたの愛は要りません
abang
恋愛
私の旦那様は七人の側妃を持つ、巷でも噂の好色王。
後宮はいつでも女の戦いが絶えない。
安心して眠ることもできない後宮に、他の妃の所にばかり通う皇帝である夫。
「どうして、この人を愛していたのかしら?」
ずっと静観していた皇后の心は冷めてしまいう。
それなのに皇帝は急に皇后に興味を向けて……!?
「あの人に興味はありません。勝手になさい!」
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
【完結】20年後の真実
ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。
マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。
それから20年。
マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。
そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。
おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。
全4話書き上げ済み。
あなたの子ですが、内緒で育てます
椿蛍
恋愛
「本当にあなたの子ですか?」
突然現れた浮気相手、私の夫である国王陛下の子を身籠っているという。
夫、王妃の座、全て奪われ冷遇される日々――王宮から、追われた私のお腹には陛下の子が宿っていた。
私は強くなることを決意する。
「この子は私が育てます!」
お腹にいる子供は王の子。
王の子だけが不思議な力を持つ。
私は育った子供を連れて王宮へ戻る。
――そして、私を追い出したことを後悔してください。
※夫の後悔、浮気相手と虐げられからのざまあ
※他サイト様でも掲載しております。
※hotランキング1位&エールありがとうございます!
婚約者に消えろと言われたので湖に飛び込んだら、気づけば三年が経っていました。
束原ミヤコ
恋愛
公爵令嬢シャロンは、王太子オリバーの婚約者に選ばれてから、厳しい王妃教育に耐えていた。
だが、十六歳になり貴族学園に入学すると、オリバーはすでに子爵令嬢エミリアと浮気をしていた。
そしてある冬のこと。オリバーに「私の為に消えろ」というような意味のことを告げられる。
全てを諦めたシャロンは、精霊の湖と呼ばれている学園の裏庭にある湖に飛び込んだ。
気づくと、見知らぬ場所に寝かされていた。
そこにはかつて、病弱で体の小さかった辺境伯家の息子アダムがいた。
すっかり立派になったアダムは「あれから三年、君は目覚めなかった」と言った――。
女官になるはずだった妃
夜空 筒
恋愛
女官になる。
そう聞いていたはずなのに。
あれよあれよという間に、着飾られた私は自国の皇帝の妃の一人になっていた。
しかし、皇帝のお迎えもなく
「忙しいから、もう後宮に入っていいよ」
そんなノリの言葉を彼の側近から賜って後宮入りした私。
秘書省監のならびに本の虫である父を持つ、そんな私も無類の読書好き。
朝議が始まる早朝に、私は父が働く文徳楼に通っている。
そこで好きな著者の本を借りては、殿舎に籠る毎日。
皇帝のお渡りもないし、既に皇后に一番近い妃もいる。
縁付くには程遠い私が、ある日を境に平穏だった日常を壊される羽目になる。
誰とも褥を共にしない皇帝と、女官になるつもりで入ってきた本の虫妃の話。
更新はまばらですが、完結させたいとは思っています。
多分…
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる