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川に落ちた親友
川に落ちた親友
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病院の廊下は冷たく、電気が消されて静まり返っていた。
外を降りしきる雪が窓を叩き、かさこそと乾いた音を立てている。
ナースコールが鳴るたびにカイはぎくりと凍りついた。
斜向かいのベンチに腰かけて病室のネームプレートをじっと見る。
『リック・ガードナー』
信じられない思いで何度も何度も読み返す。
けれども何度、読み返してみても…
それは間違いなく彼の名前だった。
なぜこんなことになってしまったんだろう。
扉のフックにぶら下がる
『家族以外 面会謝絶』の文字。
ステラおばさんのすすり泣きと、ショーンおじさんがおばさんを励ます声が、壁一枚隔てた部屋の向こうから途切れ途切れに聞こえてくる。
カイは自分を責めていた。
ヒイラギ荘に帰宅してすぐに電話をかけ直せば良かったんだ。
自分が側にいれば、リックの事故を防げた可能性だってあったかもしれないのに。
ひょっとしたら、今頃二人してデリバリーのピザをつつきながら笑い合っていたかもしれないと考えると、悔しさが込み上げる。
救命医療センターにかつぎこまれて既に二時間。
リックが川に落ちたとき、
偶然そこに居合わせた目撃者がすぐさま通報してくれたこと。
事故の起きた川とこの病院が目と鼻の先だったこと。
いくつかの好条件がリックを救った。
雪の舞う真冬の川に落ちたリックが息を吹き返したのは奇跡だ…
カイは朦朧とした頭でそう思った。
「窮地は脱しました。
もう少し救出が遅れていたら助からなかったでしょう」
医者は言った。
しかし、呼吸が停止していた状態が何分続いたのか正確にわからないため、脳がどれほど損傷を受けたのか、意識を取り戻すのが明日なのか十年後なのか私にもわかりません。
そう続ける医者の声が、どこか遠くのほうから聞こえてくる。
腕や胸にチューブや点滴の管をつけた姿を見たくはなかったが、カイはそれでも無性にリックに会いたかった。
かちゃっ…
小さな音を立ててドアが開き、泣き腫らしたステラおばさんが病室から出てきた。
カイが反射的に立ち上がる。
「カイ…」
一度に十歳も年をとったようなステラおばさんの姿にカイはショックを受けた。
目頭が熱くなり息ができない。
「今あの子の状態は安定してるとお医者様は言うの。ただ…いつ目を覚ますのか神様しか知らないというだけ」
顔をぐしゃぐしゃにしておばさんは泣きじゃくる。
しばらくの沈黙のあと、聞き取れないほど小さな声でカイが言った。
「おばさん。僕たち家族が自動車事故にあったとき―――」
絞り出すように続ける。
「僕は六歳だった」
ステラおばさんは一瞬、唖然とした表情でカイを見た。
カイがステラおばさんを見つめる。
「…あなたは頭の骨を陥没骨折するほどの大怪我だったのよね。私を落ち着かせるのにショーンはだいぶ苦心したのよ」
ステラおばさんはぎこちなく笑った。
「僕が生死の淵をさまよっている間、医者がサジを投げたのにリックは諦めなかったって聞いてます」
「ええ…そうだったわ。
あの子、頑固でね。あなたの側から一ミリも離れようとしなかったのよ。ベッドにかじりついて、家に連れ戻そうとする私をすごい形相で睨みつけて。
あの子、本当にあなたが大好きなのよ…」
ステラおばさんはハンカチを広げて目に当てる。
意識を取り戻したカイが最初に見たのは、看護婦でも家族でもなくリックだった。
疲れ果てて、ベッドに突っ伏して眠っていたリック。
頬に乾いた涙の筋をくっきりと残して。
熟睡しながらもカイの手をきつく握りしめていたリック。
リック…リック…
リック!
そのとき、フラッシュバックが起こった。
唐突に、鮮明な映像が…
脳裏に閃く。
稲妻が光り、差し込むような激しい頭痛が容赦なく襲う。
両手で頭を抱え込み、ふらつきながらも目を閉じて堪えるカイ。
《ネイビーブルーの、
タートルネックのセーター。
色あせて穴だらけのジーンズ……》
薄れていた記憶が台風のごとく押し寄せ、断片的なバラバラのピースが完成間近のパズルのごとく、ぴったりと合わさっていく……
外を降りしきる雪が窓を叩き、かさこそと乾いた音を立てている。
ナースコールが鳴るたびにカイはぎくりと凍りついた。
斜向かいのベンチに腰かけて病室のネームプレートをじっと見る。
『リック・ガードナー』
信じられない思いで何度も何度も読み返す。
けれども何度、読み返してみても…
それは間違いなく彼の名前だった。
なぜこんなことになってしまったんだろう。
扉のフックにぶら下がる
『家族以外 面会謝絶』の文字。
ステラおばさんのすすり泣きと、ショーンおじさんがおばさんを励ます声が、壁一枚隔てた部屋の向こうから途切れ途切れに聞こえてくる。
カイは自分を責めていた。
ヒイラギ荘に帰宅してすぐに電話をかけ直せば良かったんだ。
自分が側にいれば、リックの事故を防げた可能性だってあったかもしれないのに。
ひょっとしたら、今頃二人してデリバリーのピザをつつきながら笑い合っていたかもしれないと考えると、悔しさが込み上げる。
救命医療センターにかつぎこまれて既に二時間。
リックが川に落ちたとき、
偶然そこに居合わせた目撃者がすぐさま通報してくれたこと。
事故の起きた川とこの病院が目と鼻の先だったこと。
いくつかの好条件がリックを救った。
雪の舞う真冬の川に落ちたリックが息を吹き返したのは奇跡だ…
カイは朦朧とした頭でそう思った。
「窮地は脱しました。
もう少し救出が遅れていたら助からなかったでしょう」
医者は言った。
しかし、呼吸が停止していた状態が何分続いたのか正確にわからないため、脳がどれほど損傷を受けたのか、意識を取り戻すのが明日なのか十年後なのか私にもわかりません。
そう続ける医者の声が、どこか遠くのほうから聞こえてくる。
腕や胸にチューブや点滴の管をつけた姿を見たくはなかったが、カイはそれでも無性にリックに会いたかった。
かちゃっ…
小さな音を立ててドアが開き、泣き腫らしたステラおばさんが病室から出てきた。
カイが反射的に立ち上がる。
「カイ…」
一度に十歳も年をとったようなステラおばさんの姿にカイはショックを受けた。
目頭が熱くなり息ができない。
「今あの子の状態は安定してるとお医者様は言うの。ただ…いつ目を覚ますのか神様しか知らないというだけ」
顔をぐしゃぐしゃにしておばさんは泣きじゃくる。
しばらくの沈黙のあと、聞き取れないほど小さな声でカイが言った。
「おばさん。僕たち家族が自動車事故にあったとき―――」
絞り出すように続ける。
「僕は六歳だった」
ステラおばさんは一瞬、唖然とした表情でカイを見た。
カイがステラおばさんを見つめる。
「…あなたは頭の骨を陥没骨折するほどの大怪我だったのよね。私を落ち着かせるのにショーンはだいぶ苦心したのよ」
ステラおばさんはぎこちなく笑った。
「僕が生死の淵をさまよっている間、医者がサジを投げたのにリックは諦めなかったって聞いてます」
「ええ…そうだったわ。
あの子、頑固でね。あなたの側から一ミリも離れようとしなかったのよ。ベッドにかじりついて、家に連れ戻そうとする私をすごい形相で睨みつけて。
あの子、本当にあなたが大好きなのよ…」
ステラおばさんはハンカチを広げて目に当てる。
意識を取り戻したカイが最初に見たのは、看護婦でも家族でもなくリックだった。
疲れ果てて、ベッドに突っ伏して眠っていたリック。
頬に乾いた涙の筋をくっきりと残して。
熟睡しながらもカイの手をきつく握りしめていたリック。
リック…リック…
リック!
そのとき、フラッシュバックが起こった。
唐突に、鮮明な映像が…
脳裏に閃く。
稲妻が光り、差し込むような激しい頭痛が容赦なく襲う。
両手で頭を抱え込み、ふらつきながらも目を閉じて堪えるカイ。
《ネイビーブルーの、
タートルネックのセーター。
色あせて穴だらけのジーンズ……》
薄れていた記憶が台風のごとく押し寄せ、断片的なバラバラのピースが完成間近のパズルのごとく、ぴったりと合わさっていく……
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