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カイ・ロバーツ
作家の卵
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十二月の最初の土曜日、駅は人でごった返していた。
その中に、灰色のコートを着た背の高い男。
うつむき加減のその男は、透き通るような白い肌をしている。
見たところ二十代半ばといったところか。
男は凍てつく風を避け、体を丸めて歩いている。
伸び放題のボサボサ頭が北風にあおられていっそう激しく乱れ、男の艶のある黒髪は容赦なくもみくちゃにされていた。
木枯らしが強く唸るたびに男の細い体はぐらつき、いまにも吹き飛ばされそうになる。
男は足早にガード下に避難すると、コートの襟をぎゅっとあわせて辺りを見回した。
(もうこんな季節か。早いもんだな)
花屋の店員がエプロンをつけ、脚立に登って軒下に電球を吊り下げているのを見て男は弱々しい笑みを浮かべる。
洋品店のショーウィンドーには白いスプレーでトナカイやソリが描かれ、玩具屋の前には熊ほどもある巨大なサンタクロースの人形。
もろびとこぞりてが流れる往来を、暖かそうな上着に身を包んだ恋人同士が通り過ぎて行く。
通りの向こうで、大きな袋を何個も抱えた家族連れが信号待ちをしている。
若い男は立ち止まったまま美しく彩られた景色を眺めていた。
その目は、角度や光の加減によって暗く、明るく、繊細な色を放ち。
森の奥で人知れず眠る泉のような透明感を漂わせている。
じっと見つめていると深淵に引き込まれそうな。
神秘的というのだろうか、一目見たら忘れられない暗緑色の両眼は、悪魔のようでもあり、
芯に潜む輝きは天使のようでもあり。
意志を宿す翡翠の石。
そこに宿る孤独をたたえた、
寂しげな光。
そして闇。
そのとき、広場の時計台が五回鳴って時を告げた。
はっと我に返り、目元にかかる長い前髪を掻きあげる。
もう夕刻だ。
家を飛び出してからすでに三時間が経過している。
男は弾かれたように、また歩き出した。
重い足取りで細い路地に入っていく。
数分かかってようやく小さなアパートの前までたどり着くと、男はくたびれた服のポケットをかき回し、凍える指で鍵を取り出した。
外階段を上がって狭い踊り場に出、廊下を進む。
…男は三つ目の扉の前で立ち止まった。
<ヒイラギ荘203号室>
その下のプラスチック板には、油性マジックで
「カイ・ロバーツ」
と乱雑に書かれている。
カイは静かにゆっくりと扉を開けた。
カイはこのおんぼろアパートが気に入っていた。
老朽化が酷く、ギィギィと床が悲鳴をあげてうるさいけれど、家賃はタダ同然だし、ココアのおかげで孤独がまぎれる。
ココアは銀の目をした子猫だ。
ときおり屋根伝いに遊びにきては野良猫のくせにカイの膝で眠ったりする。
部屋には家具がほとんどなく、机のほかにはベッドと本棚、箪笥が一つあるだけ。
電話機と小型の古いテレビは床に直に置かれている。
変わったことがあるとすれば、部屋のあちこちに星のように散らばっている、くしゃくしゃに丸めた紙屑。
カイは足元の紙屑をいくつか爪先でさっと払いのけ、屈んでヒーターのスイッチを押した。
コートも脱がずに勢いよくベッドに倒れ込む。
(この数年間、ひたすらペンを相手に格闘してきたのに)
仰向けの首の下で腕を組んで、カイは視線の先をぐっと睨んだ。
天井に貼ってあるのはシンプルなポスター。
うたかたの夢
博愛社企画
ファンタジー小説
コンテスト
誰も見たことのない
鮮やかな未来を紡ぐ
作品を待っています
最終選考は今日だから、受賞者発表は明日の朝刊に掲載されることになっている。
受賞者には事前に連絡が入るだろうとカイは考えていた。
今度の作品は一年八ヶ月もかけて書き込んだ力作中の力作。
この作品で芽が出なければ小説家になる夢を断念しよう、そう覚悟の末、すべてをかけての挑戦。
午前中は、吉報を待ちながらあれほど胸が高鳴っていたというのに、正午を過ぎたあたりからカイの気持ちが乱れ始めた。
鳴らない電話とにらめっこ。
重圧に耐えきれなくなり、
いたたまれずに寒空の下に飛び出し…夕方までふらふらと時間を潰し。
結局、行くあてもなくすごすごと帰宅したのだった。
(才能なんかこれっぽっちも
ないのかも知れない…)
本棚に飾られた写真に目をやると、華奢でくりくりした目の女性とがっしりした男性が写っている。
男の髪はカイそっくりの烏色だが、色白のカイとは対照的に、日に焼けた肌は黒く逞しい。
美しい女性が小さな少年の肩に手を回して控えめに立っている。
背後から二人に守られるように挟まれている緑の瞳をしたその子どもが、カイの幼い頃であることは誰の目にも明らかだ。
三人とも、鮮やかな海をバックに真夏の向日葵のように笑っている…
カイが眠りにつこうと目を閉じたちょうどそのとき、出し抜けに電話のベルが鳴った。
凍りついたように電話を見つめて、息を飲む。
呼び出し音はしつこく鳴り続けている。
十回ばかり鳴ったところではっと我に返ったカイは、大急ぎで部屋を横切り、深呼吸してから受話器に飛びついた。
「…もしもし」
「もしもし?俺だけど」
「………」
「カイ、長いことトイレに入ってたんだな」
受話器からおどけた声がした。
(…なんてタイミングだ)
受話器を握ったまま、壁にもたれてずるずると座り込む。
「おーい!入ってますかぁ?」
聞き慣れた声が受話器ごしに響き渡る。
(まったく、これを忘れてた!
真っ先にいつもいつも間の悪いリックの存在を思い出すべきだった…)
「もしもし?聞いてる?おいってば」
「…OK、OK。聞こえてる。
君の声は天使の子守唄のようだよ!」
「ジョークにしてはちっとも面白くない」
カイはそれには答えずに、カーテンを閉めながら用件を尋ねた。
「明日あたり"ほろ酔い亭"で一杯やらないか?
君に話したいことがあるんだ」
カイは苦笑した。
リックの強引な性格は昔からだ。
「ああ、ちょうどいい。
こっちもそんな気分だ。
何時にする?」
「九時ってことでどうだ?」
リックが言った。
「よし、決まりだ。
君こそトイレにこもりすぎないようにねリック。
約束の時間に遅れたら承知しないぜ?」
「馬鹿いうな」
おどけて言ってみせたあと、リックが声のトーンを落とした。
「カイ…なにかあったのか?やけに鼻声だぜ?」
「花粉症かな。僕のは冬の間だけ発病する特殊なタイプなんだ。これが厄介でさ」
カイは声を出して笑ったが、
案の定リックは笑わなかった。
その中に、灰色のコートを着た背の高い男。
うつむき加減のその男は、透き通るような白い肌をしている。
見たところ二十代半ばといったところか。
男は凍てつく風を避け、体を丸めて歩いている。
伸び放題のボサボサ頭が北風にあおられていっそう激しく乱れ、男の艶のある黒髪は容赦なくもみくちゃにされていた。
木枯らしが強く唸るたびに男の細い体はぐらつき、いまにも吹き飛ばされそうになる。
男は足早にガード下に避難すると、コートの襟をぎゅっとあわせて辺りを見回した。
(もうこんな季節か。早いもんだな)
花屋の店員がエプロンをつけ、脚立に登って軒下に電球を吊り下げているのを見て男は弱々しい笑みを浮かべる。
洋品店のショーウィンドーには白いスプレーでトナカイやソリが描かれ、玩具屋の前には熊ほどもある巨大なサンタクロースの人形。
もろびとこぞりてが流れる往来を、暖かそうな上着に身を包んだ恋人同士が通り過ぎて行く。
通りの向こうで、大きな袋を何個も抱えた家族連れが信号待ちをしている。
若い男は立ち止まったまま美しく彩られた景色を眺めていた。
その目は、角度や光の加減によって暗く、明るく、繊細な色を放ち。
森の奥で人知れず眠る泉のような透明感を漂わせている。
じっと見つめていると深淵に引き込まれそうな。
神秘的というのだろうか、一目見たら忘れられない暗緑色の両眼は、悪魔のようでもあり、
芯に潜む輝きは天使のようでもあり。
意志を宿す翡翠の石。
そこに宿る孤独をたたえた、
寂しげな光。
そして闇。
そのとき、広場の時計台が五回鳴って時を告げた。
はっと我に返り、目元にかかる長い前髪を掻きあげる。
もう夕刻だ。
家を飛び出してからすでに三時間が経過している。
男は弾かれたように、また歩き出した。
重い足取りで細い路地に入っていく。
数分かかってようやく小さなアパートの前までたどり着くと、男はくたびれた服のポケットをかき回し、凍える指で鍵を取り出した。
外階段を上がって狭い踊り場に出、廊下を進む。
…男は三つ目の扉の前で立ち止まった。
<ヒイラギ荘203号室>
その下のプラスチック板には、油性マジックで
「カイ・ロバーツ」
と乱雑に書かれている。
カイは静かにゆっくりと扉を開けた。
カイはこのおんぼろアパートが気に入っていた。
老朽化が酷く、ギィギィと床が悲鳴をあげてうるさいけれど、家賃はタダ同然だし、ココアのおかげで孤独がまぎれる。
ココアは銀の目をした子猫だ。
ときおり屋根伝いに遊びにきては野良猫のくせにカイの膝で眠ったりする。
部屋には家具がほとんどなく、机のほかにはベッドと本棚、箪笥が一つあるだけ。
電話機と小型の古いテレビは床に直に置かれている。
変わったことがあるとすれば、部屋のあちこちに星のように散らばっている、くしゃくしゃに丸めた紙屑。
カイは足元の紙屑をいくつか爪先でさっと払いのけ、屈んでヒーターのスイッチを押した。
コートも脱がずに勢いよくベッドに倒れ込む。
(この数年間、ひたすらペンを相手に格闘してきたのに)
仰向けの首の下で腕を組んで、カイは視線の先をぐっと睨んだ。
天井に貼ってあるのはシンプルなポスター。
うたかたの夢
博愛社企画
ファンタジー小説
コンテスト
誰も見たことのない
鮮やかな未来を紡ぐ
作品を待っています
最終選考は今日だから、受賞者発表は明日の朝刊に掲載されることになっている。
受賞者には事前に連絡が入るだろうとカイは考えていた。
今度の作品は一年八ヶ月もかけて書き込んだ力作中の力作。
この作品で芽が出なければ小説家になる夢を断念しよう、そう覚悟の末、すべてをかけての挑戦。
午前中は、吉報を待ちながらあれほど胸が高鳴っていたというのに、正午を過ぎたあたりからカイの気持ちが乱れ始めた。
鳴らない電話とにらめっこ。
重圧に耐えきれなくなり、
いたたまれずに寒空の下に飛び出し…夕方までふらふらと時間を潰し。
結局、行くあてもなくすごすごと帰宅したのだった。
(才能なんかこれっぽっちも
ないのかも知れない…)
本棚に飾られた写真に目をやると、華奢でくりくりした目の女性とがっしりした男性が写っている。
男の髪はカイそっくりの烏色だが、色白のカイとは対照的に、日に焼けた肌は黒く逞しい。
美しい女性が小さな少年の肩に手を回して控えめに立っている。
背後から二人に守られるように挟まれている緑の瞳をしたその子どもが、カイの幼い頃であることは誰の目にも明らかだ。
三人とも、鮮やかな海をバックに真夏の向日葵のように笑っている…
カイが眠りにつこうと目を閉じたちょうどそのとき、出し抜けに電話のベルが鳴った。
凍りついたように電話を見つめて、息を飲む。
呼び出し音はしつこく鳴り続けている。
十回ばかり鳴ったところではっと我に返ったカイは、大急ぎで部屋を横切り、深呼吸してから受話器に飛びついた。
「…もしもし」
「もしもし?俺だけど」
「………」
「カイ、長いことトイレに入ってたんだな」
受話器からおどけた声がした。
(…なんてタイミングだ)
受話器を握ったまま、壁にもたれてずるずると座り込む。
「おーい!入ってますかぁ?」
聞き慣れた声が受話器ごしに響き渡る。
(まったく、これを忘れてた!
真っ先にいつもいつも間の悪いリックの存在を思い出すべきだった…)
「もしもし?聞いてる?おいってば」
「…OK、OK。聞こえてる。
君の声は天使の子守唄のようだよ!」
「ジョークにしてはちっとも面白くない」
カイはそれには答えずに、カーテンを閉めながら用件を尋ねた。
「明日あたり"ほろ酔い亭"で一杯やらないか?
君に話したいことがあるんだ」
カイは苦笑した。
リックの強引な性格は昔からだ。
「ああ、ちょうどいい。
こっちもそんな気分だ。
何時にする?」
「九時ってことでどうだ?」
リックが言った。
「よし、決まりだ。
君こそトイレにこもりすぎないようにねリック。
約束の時間に遅れたら承知しないぜ?」
「馬鹿いうな」
おどけて言ってみせたあと、リックが声のトーンを落とした。
「カイ…なにかあったのか?やけに鼻声だぜ?」
「花粉症かな。僕のは冬の間だけ発病する特殊なタイプなんだ。これが厄介でさ」
カイは声を出して笑ったが、
案の定リックは笑わなかった。
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