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2巻
2-1
しおりを挟む第一章 新たな商売
ハンズを撃退してから早数週間、ここ最近は非常に充実した日々を過ごしている。
ルーティーンとなったポーション作りをしながら、あまりにも忙しない日々だったこの数ヶ月を、俺は軽く思い返していた。
前当主である父の死後、逃げるように婿に出て行った二人の兄のせいで、世間知らずな三男のこの俺――フローラルがダーヴィッツ家の当主となった。当主の仕事など何一つ知らない俺が当主になった上に、父の散財が原因で、貴族でありながら金銭的な余裕など一切ない我が家。それに愛想を尽かし、忠義に厚い二人を除いて、全ての召使が辞めていったのがまるで昨日の事のように思い出される。
そんな中、貯めていたお小遣いと唯一の特技である回復魔法を頼りに、欠損奴隷を治療して働いてもらうという一世一代の大勝負に出たわけだが……これがどういうわけか上手く運び、我がダーヴィッツ家は、再建の兆しを見せている。迎え入れた三人の欠損奴隷は、メイドとして働いてくれているリリ、盲目ながら物の価値を見極められるレレーナ、元凄腕の冒険者のライチとそれぞれが優れた人材だった事が幸いだった。
更に幸運は続いた。俺が生まれるよりもずっと前から我が家に仕えてくれている執事のセバスチャンが密かに作り上げていた巨大な地下施設の発見。独裁的な政治を行うミストレード領で弾圧されていた人達を保護したら、それが土の民と呼ばれる途轍もない魔法を使う事が出来る民族だった。などなど、予期しない幸運の連続に恵まれて、俺達は順調に前進している事は間違い無い。
土の民が築き上げた屋敷の裏地の発展は凄まじく、今では土造りの建造物が幾つも建ち並んでいる。
彼らが魔法によって生産した大量の野菜の仕分け場所や、子供達の遊び場。土の民やライチ率いる冒険者組のトレーニングのための施設があるなど、それぞれ用途の異なる建物がずらりと並んでいる。
有能過ぎる彼らならば、俺如きに仕えなくても余裕で生きていけるんじゃない? と、セバスチャンに言ったのだが……彼曰く、皆ここでの自由な暮らしに満足しているらしく、むしろ俺に感謝しているし、ここに留まりたいらしい。嬉しい限りだ。
俺はただ奴隷として彼らを購入して、少し働いてくれたらいいな、くらいにしか思っていなかったが、皆が皆優秀過ぎて、とてもありがたいくらいだ。
また、他にも良い事がある。
それはライチ達冒険者組の活躍だ。
俺がライチのトラウマを治療した数日後、彼女達はスモーラータウンの冒険者ギルドで冒険者登録を済ませていた。
現在のランクはD。
ランク的には、いわゆる、中堅冒険者に位置するらしいのだが、あまりのステップアップの速さに、ライチ自身も驚いていた。
おまけに稼いでくる額も中々のものだ。やはり、命を賭けた職業なだけはある。
「……順調過ぎて怖くなるな」
俺は厨房でポーションを作りながら、領主になってからこれまでの波乱の出来事を一気に振り返った。
同時に、貴族らしい自堕落な不労所得生活を送るためには、まだまだ我が領地の発展や全体の稼ぎが足りない事に気づく。
中々スムーズにダーヴィッツ家は再建の一途を辿っているが、やはり大きな懸念点がある。
それは、ミストレード侯爵の事だ。
まだ何かを仕掛けてきたわけではないが、必ずアクションを起こしてくると俺は踏んでいる。
だからこそ、仕掛けてくる前に何か対策を用意する必要がある。
「どうしようかな」
当主として恥ずかしい限りだが、何をすべきか全く思い浮かばなかった。
こういう時は他の人に頼るに限る。
「……完成。容器に移すか」
俺は完成したポーションを丁寧に小瓶の中に注ぎ入れていく。
その数、およそ百。製造自体は水に回復魔法を付与するだけなので、ものの数秒で終わるのだが、瓶の中に注ぐ作業に思いのほか時間を取られてしまう。
こればかりは仕方がない。
「これでよし……っと」
並べた百個の小瓶の中には、美しい緑色の液体が注がれていた。
俺は慣れてきた事もあって、この程度の作業ならば数十分で終わらせられるようになった。今はかなりの備蓄があるので、一度に大量に作る必要もなく、時間を持て余す事もしばしばだ。
つまりどういう事かというと、ポーションと野菜を販売するだけの暮らしに少し飽きてきたという事だ。
同じ商売ばかり続けるのも悪くないが、第二、第三の矢を準備しておくのが不労所得への最短ルートである。
そろそろ新たな商売を始めてみるか。
でも、何をしようか……行き当たりばったり過ぎて、今回もいつも通り何も閃いていないのが現実だ。
今のところ、ミストレード侯爵が攻め入ってくるような気配は無いので、対策を講じつつも商売の方にも力を入れておきたい。
「そう言えば、昨日ライチが言っていたな……」
昨夜、俺は珍しくライチと二人で夕食を取ったのだが、その際に彼女がちらっと話していた内容を思い出した。
『フーくん、泥臭く見える冒険者もおしゃれをしたい時があるんです! 特に女の子はいつでも自分磨きをするものなんですよ! まあ、皆そういうのには疎いので、買う事自体のハードルが高いんですけどね』
普段は子供じみていながらも、俺達以外の前ではクールなライチが、そう熱弁していた。
冒険者……おしゃれ、ファッションアクセサリー……うん。いいな。需要がありそうだ。
思い立ったが吉日。俺はそそくさと小瓶を片付けて厨房を後にすると、毎度の事ながら頼りになる青髪の少女の元へと向かった。
「……というわけで、レレーナ。俺に知恵を貸してくれ」
レレーナの部屋にやってきた俺は、かつて父が使用していた高級な椅子に腰を据えながら彼女にわけを説明した。
散らかっていたはずのデスク周りはいつの間にか整頓されているし、部屋の雰囲気も単なる書斎ではなくなっている。
宝石や鉱石、様々な魔道具や貴重なドロップアイテムなどが所狭しと並べられており、知識人からすればお宝の山に違いない。
「それは別にいいけど、ファッション用のアクセサリーでお金を稼ぐのは難しいと思う」
足を崩して床に座り、手元でお宝の仕分けをしながら、レレーナはそう口にした。
ちなみに、未だ目の治療はしていないので、目元には黒い布が巻かれたままである。
「確かにな。でも、正直、俺達みたいなしがない貴族が生き残っていくためには、色々と試していった方がいいと思うんだよな」
「それはそう。でも、ファッション用のアクセサリーかぁ……良品なら単価を高く設定出来るし、顧客を裕福な層に絞りやすいから悪くないけど、私達はそんな高価な物を作れないと思う」
俺の言い分に対して理解を示しつつも、レレーナは早々に現実味のある問題を提示した。
確かに彼女の言う通りだ。
俺はもちろんの事、この屋敷や裏手の地下に住まう全員がそんな高品質な物を作れない。土の民に頼めば土を原料にそれっぽい物は製作可能だろうが、土製のアクセサリーを売るわけにもいかない。
自然の香りがするし、ネックレスなら汗と混じって首が汚れるのが目に見えている。
だが、別に高品質な物である必要は全く無いような気がする。
「今回のターゲットは冒険者だ。ライチによると、冒険者はファッションとかアクセサリーとかおしゃれに疎いらしいから、低品質であろうとシンプルなデザインで誰でも身につけられるようなアクセサリーを量産出来れば、かなり需要が見込めるぞ」
第一線で冒険者をしてきたライチの言葉に間違いはない。貴族や商人、成金にターゲットを絞ったレレーナの言うようなお宝販売会とは趣向を変えた方がいい。幅広い層に様々な物を展開した方が、どれか一つのビジネスが上手くいかなくなったとしても総崩れにならない。
「……それならありかも。例えば、こんなのは?」
「これって……」
レレーナは自身の胸元から、小さなリングを取り出して手渡してきた。
そのリングには小さな美しい宝石が嵌め込まれている。それはレレーナの髪色と同じく、深い青色をしており、どこかで見た覚えがあるような気がした。
「これは私が初めてフローラルと会って話した時、この部屋で私にプレゼントしてくれた水晶……を、リングの台座に据えた。覚えてない?」
「あー、あれか! どこかで見た事があると思ったら、前よりも一段と綺麗になってるな!」
レレーナに言われて思い出した。
これは魔力を含有したドラゴンの排泄物だった気がする。とはいえ、見た目は水晶のようで、鑑賞用としての人気はかなり高いと言っていたな。
「これを指に嵌めると何か効果があるのか?」
俺は青い水晶がついたリングを右手の人差し指に嵌めてみた。
「特に無い。これはただのアクセサリー。でも、見た目はかなり良いでしょ?」
「高級品に見えるな」
「うん。リングのシャンク部分とペンダントは山ほどあるから、後は台座に据える宝石とペンダントトップさえあれば、簡単に量産可能」
レレーナはベッドの下のスペースから大きな箱を引き摺り出して中を見せてきた。
箱の中には、どこから持ってきたのか、大量のシャンクとペンダントが詰め込まれていた。どちらも銅製で錆も見受けられるが、手入れをすればどうにかなりそうだ。
ちなみに、シャンクというのはリングの指を入れる本体部分の事で、ペンダントトップはペンダントの先についている装飾の事を指す。
「こんなにたくさん……これも父上のへそくりか?」
「へそくりというより、贋作製作用だったのかも」
俺は呆れて何も言えない。
確かになんの装飾も施されておらず、アクセサリーとして加工される前の物がこれだけあるのは不自然だもんな。
「……これ、全部貰ってもいいか?」
「うん。持っていっていいよ」
「まずは表面の錆をとって魔力でコーティングしてみるよ。なんとなく綺麗になりそうだな」
「艶感も出るし耐久力も上がるから冒険者向けのアクセサリーにぴったりだと思う」
「よしよし……早速やってみるか」
俺はアクセサリーを作った後のビジョンについては鮮明に見えているので、まずは作るまでの過程を乗り越えなければならない。
些か不安はあるが、とりあえず一人でやってみるとしよう。装飾品がなくてもピカピカにしたら普通に売れそうだ。
「無理はしないでね」
「ああ、レレーナもな」
俺が微笑みかけると、レレーナは嬉しそうに首肯した。
同時に開け放たれている窓から心地よい風が吹き抜け、彼女の青い髪を揺らした。
今日はいい天気だな。
「またな」
俺は重たい箱を全力で持ち上げると、足元に転がる鉱石や魔道具などを避けながら歩いていき、静かに部屋を後にした。
そして、その足で厨房へと向かう。
楽をして生きたい。そして、不労所得を目指す俺からすれば、もっと効率的に物事を進めたいのが本音だ。だが、何事も準備をしっかりする事が成功への近道だと自らに言い聞かせ、早速アクセサリーの製作に取りかかる。
「さて、とりあえずポーション漬けにしてみようか」
回復魔法は対象を良好な状態にする魔法である。それと同じ効果を持つポーションに漬ければ、錆びた状態から本来の綺麗な状態に戻ってくれるのではないか。回復魔法を物に使った事はないが、やってみる価値はあるだろう。
俺は物は試しと言わんばかりに、ペンダントとシャンクを一つずつ手に取ると、水を注いだ適当な容器の中にそれらを投入した。
そして、ポーション作りと同じ要領で、容器の水に回復魔法をかけてみる。
「……いいのかな、これで」
俺は不安になりながらも容器の中を確認してみた。
水の色は……いつもは緑色だが、今回ばかりは錆混じりでやや濁りがある。
茶色い油膜のようなものも浮いてきていて、飲めるようなポーションではない。ただ、よくよく見るとシャンクとペンダントに纏わりついていた錆がぺりぺりと剥がれていっているのが分かる。
「どれどれ……」
俺は試しに、濁ったポーションの中からペンダントを取り出して、綺麗な水ですすいでみた。
すると、先ほどまで茶色く錆びていたペンダントが明るい輝きを取り戻していた。
おまけに表面が少しばかりツルッとした仕上がりになって、俺の目論見通り、装飾が無くとも普通に売れそうなレベルになった。
だが、もう少し綺麗にしたい。漬け置きの時間を長くしてみようか。
「よしよし!」
ポーション漬けが見事に功を奏したので、俺は大胆にも箱の中の全てのペンダントとシャンクを大鍋に移して、先ほどと同様の作業を始めた。
大鍋の中のシャンクとペンダントがひたひたになるまで水を注ぎ、回復魔法をかけていく。今回は気合を入れて魔力の量もやや多めに。
量も多いから漬け置きする時間はよりしっかりと確保した方が良さそうだな。
「ふぅ……」
俺は大鍋に蓋をした。
これで、とりあえずアクセサリー販売への第一歩は踏み出す事が出来た。
ただ、他にもまだまだ色々とやる事があるので、こんなところで休んでいられない。
「何をしているのですか?」
一通りの作業を終えて息をついていると、いつの間にか隣にライチが来ていた。
彼女は蓋がされた大鍋と俺の顔を交互に見やっている。
「今後の商売のために試行錯誤してたんだよ。ライチこそ、どうしてここに?」
「ボクはフーくんの事を探していたんです。ポーションの事で相談がありまして」
ライチは腰元の麻袋からポーションの小瓶を取り出した。
今日は冒険帰りなのか軽鎧を装備して、錆まみれの長剣も携帯している。
「ポーションの事? 何か問題でもあったか?」
「問題は何もありません」
「じゃあ、なんだ?」
「簡単に言うと、ポーションとしての効果もあり、栄養価も高い特殊なポーションを製造して欲しいのです」
「……あー、回復だけじゃなくて携行食としても使えるポーションを別で作るって事か?」
「そうです。今の言葉だけでよく分かりましたね」
「まあな」
ライチは感心した様子だったが、考えれば容易に分かる事だ。
冒険者はモンスターと戦う事で心身ともに疲弊し、時には命の危険にも晒される。
そして、野営時は食事中も周囲に気を配り、常に気を張り詰めていなければならない。
悠長に食事を取る暇などないのだ。
つまり、冒険者が気軽に栄養を摂取出来る特殊なポーションが欲しいという事である。
「可能ですかね?」
「んー、そうだなぁ……」
俺は腕を組み、ライチが手に持つポーションを見ながら考える。
いつものポーションは、無心で水に回復魔法を付与しただけの液体に過ぎないが、効果は絶大だ。
ただ、冒険者が気兼ねなく栄養を摂取出来て尚且つポーションの効果も落とさない代物を作るとなると、中々に作業は大変そうだ。
おまけに味が大きく変容したら、このポーションの隠れた利点であるほのかなリンゴ味が消えてしまう。
それは大いに問題だ。
「あの、今の話は先日野営中にモンスターから襲われた時に思いついただけなので、厳しいようであれば忘れてください……」
俺がじっと黙り込んでいると、ライチはかなり残念そうな顔つきで俯いてしまった。尻尾と耳もぺたんと垂れている。
そんな顔をされたら考えざるを得なくなる。
それに、せっかく冒険に出てくれて、俺達のために大金を稼いできてくれるのだから、出来る限りの事はしてあげたい。
何か方法を考えてみるか。
通常のポーションについては未だ我が領地以外には配布していない状態だし、どうせなら今回の冒険者向けポーションと併せて各地へ販売してみるのもありだろう。
ついでに、冒険者向けのアクセサリー販売も開始し、ポーションとの相乗効果で莫大な利益を上げちゃったりして……
よし、そうと決まれば、行動開始だ。
リンゴ味を殺さずに、むしろ味わい深く飲みやすくするには、栄養価の高い様々な果実、あるいは似たような食材を混ぜ合わせるのが良さそうだ。
「この話は俺の方で預からせてもらう。何か進展があったらまた声をかけるよ」
「ほ、ほんとですか?」
ライチはパァッと花の咲いたような明るい表情だった。
こちらに距離を詰めて前傾姿勢になっている。
「ああ、俺に任せてくれ」
「さすがはフーくんです! 困った事があったらなんでも言ってくださいっ! ボクに出来る事なら全力でサポートするので!」
俺が胸を張って強気にそう宣言すると、ライチはぴょんぴょん跳ねながら走り去っていった。
本当に嬉しいようだ。
それほどまでに冒険中の栄養摂取とは、大切な要素の一つなのだろう。
食事すらまともに取れない環境なんて、貴族の三男坊としてぬくぬく育った俺には想像も出来ないがな。
「それじゃあ、裏の農地に行くか」
味わい深くて栄養素が高く、尚且つポーションとしての効力を残すためには、土の民の力を借りるしかない。
俺は軽く体を伸ばしながら厨房を後にした。
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