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1:年上上司の口説き方
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(あれ? いないなー……)
夕方、濱口は喫煙室を覗いて、おかしいな、と思った。
時刻は五時半、昼一から会議に入ってしまっていた部長に資料を見せたいと思って探しにきたのだが、会議は終わったようなのに彼の姿が居室にも喫煙室にもない。一緒に会議をしていただろう他部署の課長が濱口を見て、奥村さん探してるのか? と声をかけてくれた。
「ええ、部にいないので……会議が終わってからだとここかなと思ったんですが」
「会議室でて、そのまま上に行くって言ってたぞ? 社長室か秘書室の応接か何かじゃないかな。予定見てみたら?」
「ありがとうございます!」
相手はにこにこと笑うと、そのまままた喫煙室で他の人との会話を始めた。濱口は部長のスケジュール、あとはあいてたと思うんだけどな、と予定表を思い出し、そこでふと彼との会話を思い出した。飲んでいた時、少し機嫌良さげに言っていたことを。
エレベーターのボタンを押し、少しだけ上に上がると、濱口はあまり来なれない階に降りた。
秘書室がある其処は、他のフロアとは違い、木などを使った重厚なつくりとなっている。
海外からの顧客応接専門フロアだ。濱口は受付にいる秘書部の同期に近づくと、奥村さん来なかった? とこっそりときく。同期の彼女は、内緒ね、と、一番端の奥にある小さな秘書室喫煙ブースを案内図の上で指差した。サンキュと笑い、ゆっくりとその部屋に近づくと、失礼します、と静かに扉を開ける。
予想通り中に居た奥村は、ブースの端に腰掛け、ゆっくりと煙草を吸っていた。一瞬、扉の方を見たものの、休憩中、と言わんばかりに濱口を無視して紫煙を吐き出した。濱口は少しあけて隣いいですか、と了承をきく前に座る。奥村は少しして、お前、煙草吸わねえじゃねえか、と言った。
「よく分かったな、ここ」
「前、飲んでた時に、ポロッとおっしゃってました」
「そうだったか? あー言うんじゃなかった」
「あ。ひどいッスね」
ははっと濱口が笑うと、昼の会議の結果か、見せてみろ、と奥村は濱口から資料を受取り、さっと目を通して、ここに竹田から数字もらって入れておけ、とだけ指示をした。濱口はそれをメモすると、ありがとうございます、と頭を下げた。
「あと、奥村部長」
「何」
「一本、もらっていいすか?」
「何、お前、吸わねえっつってただろーが。スポーツマンのくせに」
「いや、ちょっと興味があって」
「中学生か、お前は」
休憩中や飲んでいる時、奥村は少し口が悪くなる。そんなのを知っているのも会社では自分くらいかもしれない、そう思うと少し嬉しくて、濱口は奥村にちょっとおねだりしてみたのだ。奥村は、オレのきついけど、それでいいならいいぜ? と眼鏡の奥の瞳を少し細め、煙草を取り出し、濱口にくわえさせた。ほら、と渡された古いライターの付け方がわからず、お前ほんとに吸ったことねーんだな、と奥村は呆れると、使い慣れた手つきで火をともし、それを濱口のくわえている煙草に近づける。へえ、と思って息を吸った瞬間、今までにない感触に、濱口は思わず咽せた。
「まじで中学生かよ。だっせぇな」
「げほっ……すんません……」
「お前には、にあわねーなぁ」
けほけほっと咽せるのをおさえて奥村を見ると、相手はニヤニヤと嬉しそうにしている。その表情が少し幼くてかわいかった。
(ん? かわいい?)
自分の中にでてきた形容に少し疑問を抱くが、満足そうな顔をした奥村は、すっとブースから外へと視線を移していた。
「……もうすぐ陽が沈む」
「え? ああ、そんな時間ですね」
「こっちから見えんだよ。ほら、間に」
来てみろ、という感じで、奥村が言うので、濱口はそっと体を寄せ、どこですか、と窓側を覗き込んだ。確かにビルの合間から夕日が沈んで行くのが見えてきれいだ。へえ……と一瞬見蕩れていると、いいだろ? と奥村が嬉しそうに話す。
「並びにある社長室からは絶景だぜ。ビルを見下ろせるし、きれいな夕暮れも見れる。ちゃんと窓も全面に設計したんだ」
新ビルが建ったのは三年前。その時、奥村もプロジェクトのメインリーダーとして今の部長職と兼任し、このビル設計に携わっていたという。思い入れもあるのだろうし、気に入っているのはわかっていた。社長室なんか縁がねえな、と思いながら、濱口はぼうっと空を見つめていた。ふわりと香り立つ匂いは、奥村の重い煙草の匂いだけではなく、彼の首元からかすかに香るものだった。煙草のにおいが混じるのが嫌いだと言っていたのには、このコロンを自分の煙草にあわせているからだろうか、そんなことを思うと、なぜだか少しどきりとした。想像なだけだけれど、相手の秘密をまた知ってしまったようで。
「濱口」
「はっ!? はい」
「何ビビってんだよ……お前、今日まだ時間あるのか?」
「あ。はい」
「ごめん、じゃあ、十五分付き合え」
「え?」
そう言うと奥村はブースの椅子にもたれかかり、濱口の肩に頭を置いた。えっ、と濱口が抵抗できないままでいると、彼は、ゆっくりと視線をあげて、眼鏡の奥の目をゆっくりと細め微笑む。
「オレ、また会議あるから、十五分後に起こして」
「っ! あ……はい……っ」
「あとさ……」
ここで寝てるの、ナイショな? ……そう言った奥村は、無防備にもすっと目を閉じ、すうすう、とすぐに寝息を立て始めた。濱口は、なんだか違和感のある肩を、水平に保つよう努力しながら、ちらっと腕時計に目をやり、時間を確認する。責任重大……と溜息をつきそうなのをおさえ、もう火をおとしてしまった煙草を灰皿でつぶした。
ゆっくりと翳っていく空の変化をぼんやりと眺めていた。彼の傍らで眠る、上司の澄んだ肌に映る、その色で。
(あれ? いないなー……)
夕方、濱口は喫煙室を覗いて、おかしいな、と思った。
時刻は五時半、昼一から会議に入ってしまっていた部長に資料を見せたいと思って探しにきたのだが、会議は終わったようなのに彼の姿が居室にも喫煙室にもない。一緒に会議をしていただろう他部署の課長が濱口を見て、奥村さん探してるのか? と声をかけてくれた。
「ええ、部にいないので……会議が終わってからだとここかなと思ったんですが」
「会議室でて、そのまま上に行くって言ってたぞ? 社長室か秘書室の応接か何かじゃないかな。予定見てみたら?」
「ありがとうございます!」
相手はにこにこと笑うと、そのまままた喫煙室で他の人との会話を始めた。濱口は部長のスケジュール、あとはあいてたと思うんだけどな、と予定表を思い出し、そこでふと彼との会話を思い出した。飲んでいた時、少し機嫌良さげに言っていたことを。
エレベーターのボタンを押し、少しだけ上に上がると、濱口はあまり来なれない階に降りた。
秘書室がある其処は、他のフロアとは違い、木などを使った重厚なつくりとなっている。
海外からの顧客応接専門フロアだ。濱口は受付にいる秘書部の同期に近づくと、奥村さん来なかった? とこっそりときく。同期の彼女は、内緒ね、と、一番端の奥にある小さな秘書室喫煙ブースを案内図の上で指差した。サンキュと笑い、ゆっくりとその部屋に近づくと、失礼します、と静かに扉を開ける。
予想通り中に居た奥村は、ブースの端に腰掛け、ゆっくりと煙草を吸っていた。一瞬、扉の方を見たものの、休憩中、と言わんばかりに濱口を無視して紫煙を吐き出した。濱口は少しあけて隣いいですか、と了承をきく前に座る。奥村は少しして、お前、煙草吸わねえじゃねえか、と言った。
「よく分かったな、ここ」
「前、飲んでた時に、ポロッとおっしゃってました」
「そうだったか? あー言うんじゃなかった」
「あ。ひどいッスね」
ははっと濱口が笑うと、昼の会議の結果か、見せてみろ、と奥村は濱口から資料を受取り、さっと目を通して、ここに竹田から数字もらって入れておけ、とだけ指示をした。濱口はそれをメモすると、ありがとうございます、と頭を下げた。
「あと、奥村部長」
「何」
「一本、もらっていいすか?」
「何、お前、吸わねえっつってただろーが。スポーツマンのくせに」
「いや、ちょっと興味があって」
「中学生か、お前は」
休憩中や飲んでいる時、奥村は少し口が悪くなる。そんなのを知っているのも会社では自分くらいかもしれない、そう思うと少し嬉しくて、濱口は奥村にちょっとおねだりしてみたのだ。奥村は、オレのきついけど、それでいいならいいぜ? と眼鏡の奥の瞳を少し細め、煙草を取り出し、濱口にくわえさせた。ほら、と渡された古いライターの付け方がわからず、お前ほんとに吸ったことねーんだな、と奥村は呆れると、使い慣れた手つきで火をともし、それを濱口のくわえている煙草に近づける。へえ、と思って息を吸った瞬間、今までにない感触に、濱口は思わず咽せた。
「まじで中学生かよ。だっせぇな」
「げほっ……すんません……」
「お前には、にあわねーなぁ」
けほけほっと咽せるのをおさえて奥村を見ると、相手はニヤニヤと嬉しそうにしている。その表情が少し幼くてかわいかった。
(ん? かわいい?)
自分の中にでてきた形容に少し疑問を抱くが、満足そうな顔をした奥村は、すっとブースから外へと視線を移していた。
「……もうすぐ陽が沈む」
「え? ああ、そんな時間ですね」
「こっちから見えんだよ。ほら、間に」
来てみろ、という感じで、奥村が言うので、濱口はそっと体を寄せ、どこですか、と窓側を覗き込んだ。確かにビルの合間から夕日が沈んで行くのが見えてきれいだ。へえ……と一瞬見蕩れていると、いいだろ? と奥村が嬉しそうに話す。
「並びにある社長室からは絶景だぜ。ビルを見下ろせるし、きれいな夕暮れも見れる。ちゃんと窓も全面に設計したんだ」
新ビルが建ったのは三年前。その時、奥村もプロジェクトのメインリーダーとして今の部長職と兼任し、このビル設計に携わっていたという。思い入れもあるのだろうし、気に入っているのはわかっていた。社長室なんか縁がねえな、と思いながら、濱口はぼうっと空を見つめていた。ふわりと香り立つ匂いは、奥村の重い煙草の匂いだけではなく、彼の首元からかすかに香るものだった。煙草のにおいが混じるのが嫌いだと言っていたのには、このコロンを自分の煙草にあわせているからだろうか、そんなことを思うと、なぜだか少しどきりとした。想像なだけだけれど、相手の秘密をまた知ってしまったようで。
「濱口」
「はっ!? はい」
「何ビビってんだよ……お前、今日まだ時間あるのか?」
「あ。はい」
「ごめん、じゃあ、十五分付き合え」
「え?」
そう言うと奥村はブースの椅子にもたれかかり、濱口の肩に頭を置いた。えっ、と濱口が抵抗できないままでいると、彼は、ゆっくりと視線をあげて、眼鏡の奥の目をゆっくりと細め微笑む。
「オレ、また会議あるから、十五分後に起こして」
「っ! あ……はい……っ」
「あとさ……」
ここで寝てるの、ナイショな? ……そう言った奥村は、無防備にもすっと目を閉じ、すうすう、とすぐに寝息を立て始めた。濱口は、なんだか違和感のある肩を、水平に保つよう努力しながら、ちらっと腕時計に目をやり、時間を確認する。責任重大……と溜息をつきそうなのをおさえ、もう火をおとしてしまった煙草を灰皿でつぶした。
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