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建国~黎明~編

136 メドラウド公の策謀

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へそ曲がり男色皇帝に揶揄われたり迫られたり、そしてドスのある美女に最終的には『ざまぁ』されて、私たちの初めての帝国訪問日程は終わった。
でも、まだ帰れない。
アルスィル帝国産の良質な絹、それを何とか輸入したいんだよ。何故なら、ベイリンの『美姫』の件が宙ぶらりんになっているから。帝国製絹を『美姫』を使って染めれば、ドレス地にも使える高級絹織物になる。売れば、どれだけ金貨が転がり込んでくるか。
幸い、アルに飛竜を借りたおかげで、商談する時間の余裕もある。頼りっぱなしで申し訳ない限りだけど、アルに帝国に拠点を置く有力商人を紹介してもらおう。帝都にいる間の滞在先のメドラウド公の屋敷で、そんなことを考えていると…
「やあ、サイラス君。少しつきあわないかね?」
屋敷の主、ノーマンさんからお誘いを受けた。

◆◆◆

「シェフレラ…?」
畏まらなくてもいいよ、とひと言断ってから、ノーマンさんの切りだした話は。
「そう。メドラウド領の特産でね。買ってくれないかな?」
にこにこ笑っておられるけれど、これ、ほぼ「ウチとつき合うなら買いな」って意味だよね。ふむ…
「いきなり大量に、とは言わないさ。少しずつでいい。どうだい?」
ずいっと押してくるノーマンさん。けど、『シェフレラ』って何さ?家畜?
「クッションの中身に使う植物さ。藁よりは柔らかいね」
藁と比較するってことは、繊維質の草?藺草いぐさっぽいもの?麻的なものですか??いまいちよくわからない。
ちなみにモルゲンでは、クッションの中身は藁と羊毛。芯材の藁を羊毛で包むようにして、その上に麻布のカバーをかけてあるのが一般的。
「他には何に使うんですか?」
「油が採れるね」
…なんかもっとわからなくなった。なんじゃそりゃ。まあ…油が採れるなら買ってもいいか?必需品だし。
「植物そのものを見ることは?」
「ああ。それならアルフレッドに言っておこう。帰りに立ち寄ってみるといい」
とりあえず、どんな利用法なら可能なのかは実物を見ないことにはわからない。不安だけど、先延ばしだね。ほぼ一方的に、ウチがメドラウド領の謎植物を買うことになった。
「まあ、色々疲れただろう。たまにはどうかね?」
私が言うことを聞いたのに満足したのか、ノーマンさんがメイドさんたちに合図してワインとワイングラスを持って来させた。昼間っから酒ですか?!
「女性にも人気の銘柄でね」
コポコポと、薄紅色の液体がグラスに満たされていく。甘~い香りが漂う。うん、女性向けって感じだね。オフィーリアが好きそう。ちなみに、彼女はレナリア様にお茶会に誘われていて不在。私?マイナス三十点の『ダメ男』は呼ばれませんでしたよ!悪かったな!
どうぞ、と勧められて口をつける。
「美味しいです」
「そうだろう?」
得意げなノーマンさん。自慢のお酒だったらしい。実際美味しいし。ノーマンさんは、甘いお酒は好まないのか、別の銘柄のワインを口にしている。そして、
「そうだ。『シェフレラ』で新商品を作ってくれたら、帝国のやり手商人を紹介するよ」
なんてことを言いだした。
「本当ですか?!」
「もちろんだとも」
コトリと空になったグラスを置いて、ノーマンさんが断言する。私はすかさず、ボトルを取り上げお酌をする。
「おお、気が利くね」
「その件、ぜひよろしくお願いします!」
取引先の社長を接待する時みたいに、私は勢いこんで言った。飲みニケーションばっちこい!
「ま、君も飲みたまえ」
空になりかけた私のグラスに、ノーマンさんが甘いお酒を注ぐ。…うん、何も知らずにすっかり騙されましたよ。


飲みやすい甘いお酒は、思った以上に度数が高かったようだ。ヤバい、これ潰れるヤツ……醜態を晒す前に「ごちそうさまでした」と、私は立ち上がった。どっかで酔いをさまそう。
「ああ、すまないね。つきあわせて」
ノーマンさんがメイドさんに私を客室まで連れて行くよう指示する。
「あ。お気遣いなく」
しかし。数歩歩いた途端、視界が揺らめく――マズいぞ、これ…。酔いが回るのが早い。ふらつく私をさり気なくメイドさんが支え、そこから先の記憶は…

◆◆◆

一方その頃、アルフレッドはというと。軽い鍛錬を終えて、汗を流そうと邸内の湯殿に向かっていた。
「アルフレッド様はどちらがお好みかしら?薔薇?それともベリー系?」
「若いし、ベリー系がいいんじゃない?」
(薔薇?ベリー系?何の話だ?)
ふと聞こえてきた話し声になんとなく、嫌な予感がする。さらに耳をそばだてていると…
「夜着は白かしら?」
「赤も似合いそうよ」
(何?!夜着?!)
色からして間違いなくアルフレッド本人の話ではない。踵を返し、話し声のする扉をバァンと開いたアルフレッドの目に飛び込んできたのは…
「まあ!坊ちゃま!」
「いけませんわ!ここは女性の」
「サアラ?!」
うつぶせに寝かされ、二人のメイドに今にも服を剥ぎ取られようとしているサイラスだった。彼女は、アルフレッドの声に「ん~?」と気の抜けた声をあげ――声変わりの魔法が解けている。アルフレッドは、慌てて彼女を抱えあげた。
(何で魔法が解けて…)
声が元に戻っているなら、身体の幻惑魔法も解けている可能性が高い。このまま脱がされていたら、本当の彼女の身体――竜化した左腕がメイドたちに見つかるところだった。
ぐんにゃりとしたサイラスを抱え、アルフレッドはメイドたちに鋭い眼差しを向けた。
「…父上か」
地を這うような声にも、ベテランのメイドたちはどこ吹く風だ。
「坊ちゃま、サアラ様はお任せ下さいな。私どもが磨きあげてご覧にいれますわ」
「アルフレッド様、湯殿はあちらですわ」
にこやかな彼女たちの後ろの壁には、白と深紅の二着の透け感のある夜着が掛けてある。何を企んでいたかは一目瞭然だ。
「その悪趣味な夜着は捨てろ」
言うや、アルフレッドはサイラスを抱えて、怒りも露わに部屋を出ていった。
「ハァ…。坊ちゃまったら、汗も流さずに」 「まあいいわ。ディルクに言って…」
二人のメイドは肩を竦めたものの、すぐさま切り替えてアルフレッドの後を追った。

◆◆◆

迷った挙げ句、アルフレッドはサイラスを自室に連れて行った。彼女が無防備な状態で客室で眠っている間に、あのメイドたちが何かしないとも限らない。普段アルフレッド自身が使っているベッドに彼女を降ろすと、目が覚めたのか薄らと彼女が目を開けた。
「おまえ、父に何を盛られた?」
「……い」
潤んだ空色の瞳が、ぼんやりとアルフレッドを見て、何か言いかけた。
「ん?」
言葉を聞こうと顔を寄せたアルフレッドの肩を、サイラスの手が掴み…
「ごめん、アル。私、飲み過ぎて…」
掠れた声で言いながら、彼女が身を起こした。どうやら、意識はしゃんとしているらしい。
「酒か?」
尋ねると、うんと頷く彼女。酔い潰されたのか…?心配そうな顔をどう見たのか、サイラスが苦笑する。
「甘くて飲みやすかったから、つい。今後は気をつけるよ」
淀みなく喋って、ベッドから立とうとするが、ふらついてアルフレッドの方へ倒れこむ。
「ッ!無理するな。休んでろ」
床に倒れそうになった彼女を抱きとめて、ベッドに座らせたアルフレッドだが。
「う…そうだね。ちょっとだけ迷惑かけるね…アル。暑いから脱ぐね」
ペラペラと淀みなくハキハキと……そしてサラッと。
「は?!」

今、なんつった?!

目をテンにするアルフレッドの腕の中で、
「おおい?!」
彼女は――ジャケットを着たまま内側に着たシャツのボタンを外し、クラヴァットを毟り取ると、ジャケットごと豪快に脱ぎ捨てた。シャツの下には、体型を補正するためにサラシが巻いてあるのだが、一切躊躇うことなく、それにも手をかける。
「おいコラ!冷静になれ!」
叫ぶアルフレッドに対し、
「大丈夫だよ、アル。私は冷静……酔いをさまして酒を抜くには、脱ぐのが一番だって」

絶対ちがう!!

サイラスは淀みなく意味不明なことを言って、サラシをグイッと…
「阿呆!!やめろーッ?!」

コイツ、酔ったら脱ぐのか?!

アルフレッドは咄嗟に止めようとして、彼女の胸部に直接手を触れかけて慌てて引っ込め、見ないように天を仰ぎワタワタと手を彷徨わせた挙げ句、ベッドの敷布を引っ剥がして強引に彼女に羽織らせた……セーフ。
「もう、アル…。酔わせてみたいって言った癖に全然見てくれない…。酷いじゃないか」
相変わらず淀みなく喋るサイラス。話しぶりはいつもの冷静な彼女なのに、素面の彼女とはかけ離れた大胆発言がポンポンと――アルフレッドは頭を抱えた。
「ねぇ…アル、私ってそんなに魅力ないかなぁ」
敷布で包んだサイラスが、しな垂れかかってきた。
「ッ!」
…敷布が分厚くて本当によかった。サラシが解け、敷布を押しあげる女性らしい丸みに、アルフレッドは羽が生えて飛んでいきそうな理性を必死で押し留めた。
すりすりと身を寄せてくる彼女に、身体中の血が沸騰しそうである。普段淡泊なだけに、凄まじい破壊力だ。
(ハッ!そうだこれは酒が入っているからだ。抜ければ正気に戻るはず)
酒を早く抜くには、水をたくさん飲ませてさっさと排泄させてしまうのが楽で手っ取り早い。アルフレッドは、早速水を取ってこようと扉に向かい…
「なっ!?」
ビクともしない扉に目を丸くした。
「朝まで開けられませぬ。…水もお持ちできませんので、そのおつもりで」
この声、ディルクだ。
全員グルかよっ!
アルフレッドは扉を蹴飛ばした。
「クソッ!」
水は魔法で出せなくてもないが、厠は部屋の外だ。絶望的。
振り返ると、ベッドに身体を横たえた彼女が見えた。敷布から仄見える白い脚には、無駄に色気がある。
(とにかく酒を抜けば……)
その一方で、「今がチャンスだ」と心の内で悪魔が囁く。拒否されない目算もある。当人は酒だと言っていたが、恐らく飲んだのは別物――媚薬だ。
でも…。
左腕が、肩まで黒く侵食した鱗がアルフレッドを押し留めた。

まだ、ダメだ。
そんなことしている場合じゃない。
そもそもなぜ父がお膳立てしてきたのか。

乗っ取る、または干渉するためだ。彼女の大切な故郷に。

アルフレッドの血が入った『子供』がいれば、それが可能になる。ついこの前、エヴァが話していたばかりだ。アルフレッド――メドラウド公は『格上』だからと。

と。
「私…こんなんだから、ダメかなぁ」
常にない弱気な声で、彼女が左腕を見て呟いた。その声音は消え入りそうなほど儚げで。
「サアラ、」
俯く彼女の横に腰かけ、そっと腕をまわして抱き寄せ、
「おまえが大切だから…」
労るように滑らかな髪を梳いた。
「ん…」
心地よさそうに、彼女が目を細めた。
心が凪いでゆく――寄り添い、しばし穏やかな時間を過ごした。

◆◆◆

目が覚めたら、彼氏の部屋のベッドで寝てました。……ほぼ裸で。
「え…えっとぉ?!」
確かノーマンさんと飲みニケーションしてたら酔いが回って…そこから先の記憶がない。
「ええっ?!」
ガバッと身を起こすと、隣に寝ていたアルが緩慢な仕草で伸びをした。アルは…あ。ちゃんと服着てる。
「取って食ってはいない。安心しろ」
欠伸を噛み殺しながら言われると、なんか複雑……。アルがそう言うからには、本当に何もなかったんだろう。大切にされているんだ、とも思える。でも…

私、そんっっなに魅力ないかなぁ?

仕事とビールをこよなく愛した前世の『私』よりは、スタイルがいいと思うんだけど。
「なんだ?二日酔いなら寝てるか?」
まだ早朝だしな、と言われて窓の外を見ると、まだ夜明け前のよう。アルから借りたシャツを着ながら、チラリと後ろの彼を窺う。

何となく、何となく納得がいかない。

「うお?!」
なので、とりあえず腕に抱きついてみた。アルの表情を窺い見る。彼は…
「おい。当たってるぞ」
耳まで赤くなってそっぽを向いていた。ほーお。
「フッ…当ててるのよ」
様式美、というものである。しかし、やられっぱなしのアルでもない。
「…揉むぞ」
「ふふん。やれるものならやってみな?」
その後夜が明けるまで、私たちはベッドの中でふざけた攻防を楽しんだ。
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