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建国~黎明~編

119 待ち人

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雪のちらつく街道を馬車も使わず帰ってきたオフィーリアは、疲れも出たのだろう、ウィリスに帰って早々、熱を出して寝込んでしまった。私も鼻水が止まらないよ…。鍛え方が違うので、熱までは出さなかったけど。
「エリンギマンAG、鼻水止める薬作って」
「いいけどぉ…副作用で鼻水止まるまでドジョウすくい踊り狂っちゃうぜ?」
「…やっぱいい」
なんだよ鼻水治したくらいでドジョウすくいって。何の呪いだよ…。
この使い魔、賢者だかなんだか知らないけど、素直に言うことをきかない。いつも威張っていて、ヒマになると悪戯する困ったヤツだ。特に、アルやカリスタさんに積極的に絡みに行く。
「な~あ~、マスター、遊んでくれよぉ~」
ヒマになると、すぐこれだ。
「アルっちもカリっちも忙しいって遊んでくれないんだ~い」
風邪を引いたオフィーリアに代わり、手紙やら会計書類やらを片付ける私の膝によじ登ってきて、駄々をこねるミニエリンギ。…私も忙しいんだよ。無視して仕事をしていると、
「もうもうもうっ!マスターのケチぃ!」
覚えてろーぃ!と、使い魔が聞いて呆れる捨て台詞を残して、ヨタヨタと部屋から走り去っていった。ハァ…。
そして、奴と入れ替わるようにダドリーが入ってきた。
「おう、風邪か?」
「…うん。後でメリッサおばさんに薬もらう」
ズビッと鼻をすすり上げて、「どうしたの?」と尋ねると。
「ああ。ベイリンの人質で、バレン卿?だっけか。おまえに会わせてくれってせっついてきてるんだが」
風邪ひいてるし断っとくか?、と気遣わしげな顔をするダドリーに私は「行くよ」と短く答えて立ちあがった。
ベイリンには冬の間にもう何度か様子を見に行く予定だけど、フェリックス君にしろアロガントのオッサンにしろ、ろくに話せていない。処遇も、まだ決めていない。でも、いつまでも先送りにはできない問題だから。会いたいと言うなら、対話する気があるなら応じておきたい。

◆◆◆

バレン卿は、ベイリン男爵領の東の端に領地を持つ貴族で、爵位は騎士ナイト。下っ端の下っ端貴族だ。現在の…というか、元・当主はニコラスさんという中年のおじさんだ。彼らは今、旧ウィリス村エリアにロシナンテ傭兵団が急拵えで建てた小屋にみんな纏めてお住まいいただいている。私が訪れると、居間の暖炉の前に陣取っていたフェリックス君から射殺しそうな眼差しを向けられた。…まあ、いつものことだ。無視してバレン卿を探すと…
「サイラス殿!」
中肉中背の中堅サラリーマンのような地味な出で立ちの男性が、こちらに駆けよってきた。
「バレン卿、私に用とは?」
「ぜひ!私を登用いただきたいのですっ!」
「ッ!」
近い。めっちゃ近い。
私の両手をガシッと掴み、食い気味に喋るバレン卿。
「アーロンは我が家門を冷遇しておりました。ここにいる者共と違い、アーロンに何の恩義もありませぬ!どうか登用を」
「ふん。下郎が」
私を抱きしめる勢いで取り縋ってきたバレン卿を遮ったのは、アロガントのオッサンだ。人質さん方の中で一番不摂生そうな体型のオッサンは元気そうだ。てことは、寒さに震えず、充分な食事を取れていると。よかった。人質だけど、苦しんで欲しいわけじゃないからね。
「小僧、そいつを取り立ててやっても得られるものなどないぞ。奴の領地は、何の作物も実らぬ不毛の地故な」
鼻を鳴らして嗤うアロガントのオッサンに、バレン卿は憎々しげな眼差しを向けている。不毛の地か…。
「なぜ、何の作物も育たないのですか?」
試しにそんな質問を投げてみた。ベイリンの東、砂漠とかはなかったはずだ。そんな気候じゃないし。塩分濃度が濃いとか?…いやいや。内陸だし、岩塩の産地が近いわけでもない。地図上だとフツーの平地…
「…風です」
「風?」
風が強い地域なんだろうか。疑問符を飛ばす私に、アロガントのオッサンが小馬鹿にしたような笑みを浮かべた。
「コイツの領はな。海の向こうからの風に晒されとるのさ。風に乗ってくるのはグワルフの火山灰じゃ。作物は皆枯れ果てる、呪いの地よ。ハハハハハッ!」
暖炉で薪が爆ぜる音を消して、アロガントの高笑いが響いた。

◆◆◆

サイラスが出ていってしばらくして。
居間にコソコソと忍びこんできたモノがある。短い足でヨタヨタと居間に入ってきたのは…
「よう!フェリなんちゃら!」
太ましい柄が特徴的な化けキノコスクイッグ、エリンギマンAGである。
「フェリックスだ!この無礼者ッ!」
命知らずなミニエリンギの主な遊び相手候補には、このフェリックスも含まれている。サイラスたちの目を盗んで、今日も今日とて遊びにきたミニエリンギ。
「フェ~リちゃんや~い♪」
フェリックスを揶揄って暖炉の前で追いかけっこをするのが、最近の楽しみだ。捕まると問答無用で暖炉に投げ込まれて焼きエリンギになるスリリングなお遊戯だが…そろそろこの遊びにも飽きてきた。
「お~い!ヒヨッ子!弱虫!いっくじ~なしぃ~!」
今日は外に繰り出そう。ミニエリンギは子供らしくムキになったフェリックスを、変顔で誘導して、まんまと小屋の外に連れだした。

◆◆◆

メリッサおばさんに薬を貰いに戻る途中、森の方で凄まじい悲鳴が聞こえた。
「行ってくる!」
この声、子供だ。魔物が出たのか?!
急いで弓矢を手に外に飛び出した私の目に映ったのは…
「カチッカチッカチッカチッ!!」
森の縁で五メートルはあろうかという巨体をもたげて威嚇する茶色のジャイアントラーバと、尻餅をついて震えるフェリックス君だった。
「走れっ!!」
叫んで弓を引き絞る。
「ギュアアアッ!!」
雷撃付きの矢はジャイアントラーバの横っ腹に見事命中した。ジャイアントラーバは巨体を痙攣させ…
「《結界》!」
動けないフェリックス君の真上に巨体が倒れこむ直前、何とか結界が間に合った。…危なかったぁ。
「あ…」
よほど怖かったんだろう。フェリックス君は結界の中で気絶していた。
「まったく、何だってこんなところに」
一応、ウィリス村に来たときに魔物が出るから森には近づくなと注意したんだけどね。
気絶した彼を抱き上げ、小屋へ運びながら私は首を傾げた。

翌朝。
フェリックス君が襲われた場所には、ジャイアントラーバのブヨブヨの抜け殻だけが残されていた。あの芋虫は、攻撃を受けると脱皮して逃げるのだ。雷撃付きの矢程度では死なない。動かなくなったのは、死んだフリをしていただけだ。こういうところは、フツーの芋虫と変わらないね。
「何だ。ジャイアントラーバが出たのか」
リチャードが懐かしそうに、ブヨブヨ皮を持ち上げる。言いつけを破って森に入った頃が懐かしいね。…フェリックス君は、かなり遠くの物陰からこちらの様子を窺っている。
「おーい、フェリックス!怖くねぇぞ!抜け殻だ」
フェリックス君に見えるように、抜け殻をびろーんと広げるリチャード。あ、逃げた。
「なんだよ…臆病だなぁ」
「仕方ないでしょ。貴族育ちだし、魔物なんか見たこともないんじゃない?」
私が笑うと、リチャードはつまらなそうにブヨブヨ皮を畳み始めた。皮自体は水分が抜けて萎びちゃうけど、強度は折り紙付きだ。色々と使い途があるんだよ。
「この弾力が維持できれば、ゴムになるのになぁ」
水かけたら戻ったりして。干し椎茸みたいにさ。ハハハハッ、そんなわけないか。
「ンでも、魔物の皮だしな。ポーションぶっ掛けたら生き返るんじゃね?」
「ハハッ、まさかぁ」
……。
……。
「…マジか。鮮度が復活した」
ほんの出来心で実験したら、マジでブヨブヨ皮の弾力が蘇った。さすが魔物の素材。ポーションが効くんだ…。
「けど、どうすんだ?これ」
「うーん…あ、そうだ!」
思いついた私は、村の倉庫まで走って行って、エヴァの車椅子を取ってきた。ヴィクターがDIYして作ったはいいけど、村では使っていない。石畳で舗装された王都と違って、砂利道のウィリス村では使い勝手が悪かったのだ。段差もたくさんあるし。
お蔵入りになっていた車椅子の車輪に、短刀でカットしたブヨブヨ皮を巻く。試しに転がしてみて…
「おおっ!さすがジャイアントラーバの皮。全然傷つかない!」
車椅子に関わらず、車輪は消耗品だ。木製だし、砂利道を走ればすぐに傷だらけになってしまう。これ巻けば、適度に衝撃も吸収するしね。
「ん?」
試しにと、車輪に巻きつけた皮の切り口にポーションを垂らしてくっつけてみたのだが…
「ふおおっ!くっついたぁ!」
皮の継ぎ目が弱点だなと思ってたけど、何コレ、再生したの?!すっげぇ…。
「あ。」
閃きは突然だ。火山灰、ブヨブヨ皮……これは…
「起死回生の一手になるかもしれない…」
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