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魔法学園編

72 兄の秘密

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ベイリン男爵領は、元々はモルゲンと大して変わらない面積の文字通り男爵が持つに相応しい田舎の小さな領だった。主な産業は、牧畜。他にこれといった特色のない、長閑な田舎街――それが数十年前のベイリンだった。
それがアーロンの代になってから、少しずつ拡張を始める。まず、アーロンは希少な触媒原料を産するネーザル家の家督争いに絡み、かの領を取り込んだ。そして、ネーザル領を取り込んだことで、ベイリンはグンと豊かになった。さらに決定的な出来事として、アーロンは今をときめく宮廷魔術師と友誼を結ぶことに成功した。豊かさと権力者との繋がり――そのおこぼれに預かろうと、かの領を取りまく小粒貴族たちは、こぞってアーロンに近づいた。アーロンは彼らと非常に親密な同盟を結び、手の内に取り込んだ。アーロンのやり方に異を唱える者――小粒貴族たちのいくつかは唐突に跡継ぎを失うか、当主が不幸な事故に見舞われるなどして消え、主を失った領はアーロンが直接支配下に置いた。こうして、ベイリン男爵の支配域は徐々に拡大し……

今、かの領ではその併合された地区や街が次々と男爵からの離反を宣言している。

「ネーザル同様、取り潰しを恐れたのでしょうか」
ブルーノの執務室にて。報告書を携えてきたウェズリーがそんな推測を述べた。
「事実上は併合されたようなものですが、厳密には別々の領ですから」
確かに。純粋なベイリン男爵領は、実質上のベイリン男爵領――アーロンの影響下にある地域――の半分にも満たない。アーロンの意志を色濃く治政に反映しているとは言え、形の上ではかの領域の半分以上を治めるのは、ネーザルをはじめとする小粒貴族たちのままだ。つまり、かの地の領主や名主たちは健在。彼らはあくまでも利があるから、アーロンに従っていただけ、とも取れる。
それが今、次々に離反を明言している。巻き添えを恐れた、ということに間違いはないだろう。
「アーロンはどうしているんだ」
ブルーノの問いに、従者は顔を顰めた。
「王都を去ったことは確かです。しかし…」
以後の足取りは掴めていないらしい。
「あくまでも私の推測でございますが…」
「聞こう」
ブルーノが促すと、ウェズリーは躊躇いがちに、
「処罰を恐れ、雲隠れなさったのでは…?」
小さな声でそう言った。
(…ふむ)
しばし思案する。処罰を恐れた――その可能性もあるだろう。だが、宮廷魔術師に始まる王妃派の有力貴族とも繋がりのあるアーロンが、果たしてそこまで臆病になるものだろうか。
「引き続き、ベイリンの動きを探れ。それから、王妃派の動向もだ。奴らがベイリンを切るか否か、まだ結果が出たわけではないからな」
まだ決断するには材料が足りない。そう判断した。
「ブルーノ様、どちらへ?」
「学園だ。試作品のドレスの採寸があるならな。妹を迎えに行く」
ジャケットを羽織り、執務室を後にするブルーノを、ウェズリーは書類の束を抱えて見送った。

◆◆◆

一方その頃クィンシーは…
「美しいお嬢さん、一緒にお茶でも?」
王都でナンパに勤しんでいた。君の髪はまるで月光のようだ…と、ありきたりな褒め言葉を囁く彼に、意外にもその女性――十人いれば十人全員が美人と太鼓判を押すだろう――は気をよくしたらしい。そのほっそりとした手を、クィンシーの差し出した手にのせた。そして、親しげに言葉を交わしながら、二人は近くのカフェへと入り…
「ぷっはぁ~~、やっぱ仕事明けの一杯はしみるわねぇ」
並々と注がれたワインを一気に飲み干した女性に、クィンシーは苦笑を漏らす。
「お疲れ様です、フリーデ『先輩』」
「ちょ~疲れたぁ~」
暗い店内でもほんのり輝くエルフ特有のストレートな金髪をかきあげ、コソ泥エルフはへらりと嗤う。
「もぉ~、遅いんだから。騎士学校で一騒動起こすだけのお仕事でしょ?」
「ははは。要領が悪くてさ。新人だし、仕方がないでしょ?それに、予想外なことが起きてさ、」
言い訳をしながら、クィンシーも手酌でワインを注ぐ。クィンシーもといグワルフ王国第三王子セヴランは、本来ならフリーデを使う立場の人間だ。しかし、今は真面目な諸事情により一諜報員として、フリーデの『後輩』としてこの場に来ている。別に故国でやんごとなき女の子たちに声をかけまくってトラブルを起こし、緊急避難的にこの立場にあるのではない。
クィンシー個人の事情はさておき。
「ほぉ~んと。あの逆臣がこんなにあっさり失脚するなんてぇ~」
ワインのお代わりを注ぎながら、フリーデが言った。
「例の禁術の書は?」
「見つかりませんでした」
「ハァ…。やっぱりね」
まあ、そっちは期待していないわ。と、フリーデは手をひらひらと振った。
「計画は動き始めたもの。シャーロットもバカよねぇ。あの忠犬ありきの政権だったのに、ポイしちゃってぇ」
もうあっちこっちで綻びが出てるわよ?と、フリーデは愉しげに言い、ワイングラスを傾けた。
「さすが先輩。余裕綽々ですね」
クィンシーが褒めると、フリーデはムッとわざとらしく眉間に皺を寄せた。
「やっだぁ~、大変だったのよぉ?か弱い乙女に山道を往復させるんだもの~。もう足も腰もクッタクタよぉ?」
「俺でよければ手取り足取り腰取りお揉みしますよ?」
芝居がかった仕草で、腰を叩く先輩にクィンシーはいつもの軟派な軽口で返した。
「ん~~、ご褒美はぁ、疲れも吹き飛ぶヴィヴィアンの赤が飲みたいわぁ」
物流も発展した大国グワルフではあるが、敵国の辺境で産する希少ワインとなると、輸送コストから凄まじい値段になる。密かに楽しみにしていたのだが、予想外に早くウィリス村を追い出されてしまい、味わい損ねた、と零すと、『後輩』は「任務完了の暁には」と、彼女のグラスに安ワインを並々と注いだ。

◆◆◆

学園を訪れたブルーノは、妹の元へ行く前に学園の男子寮に立ち寄った。
「先日は、うちの者が大変なご無礼を。なんとお詫びを言ったらよいか…」
年下の公爵令息に謝罪し、王都で買い求めた菓子折を対応に出た従者の青年に手渡した。
「これはご丁寧に」
押し込み強盗擬きをやらかしたどこぞの庶民についての謝罪――領民のやらかしは領主の責だ。父は領地にいるので、代わりにブルーノが詫びに来た。一応、あの庶民と公爵令息もといアルフレッド様は仲良くして下さっているが、何もしないわけにはいかない。
…そう言えば、当の庶民の姿が見えないな。アルフレッド様と従者の青年の後ろには、しゅーんと肩を落とした茶髪のメイドが一人いるだけだ。まだ若い。仕事で失敗でもして叱られたのかな?
ブルーノは彼女を励ますつもりで、淡く微笑みかけた。同じ庶民でも、女性には優しいのだ。……皮肉。

◆◆◆

何故かご機嫌の妹を連れて、王都の仕立屋を訪れた。ちょっと奮発して、普段よりワンランク上の店だ。採寸だと言うと、妹はきょとと首を傾げた。
「お兄様、失恋なさいまして?」
妹よ、おまえもかい?まったくあの従者といい妹といい…もう少し兄に優しくあっていいと思う。
「とあるツテで、良い布地が手に入ったんだよ。おまえの贔屓の店で商品化するのに使えないかと思ってね」
試作品を仕立てるのだと言い、例の織物を見せると妹の目が輝いた。
「まあ!お兄様、これって『美姫』で染めたものではありませんこと?」
実に嬉しそうだ。それもそのはず。アーロンはネーザル産の『美姫』を決してモルゲンへは流さなかった。よって、産地が近いにも関わらず、モルゲン男爵家はこの最高品質の織物から縁遠かったのだ。
「お兄様、試作品ということは仕入先が?」
うっとりと目を細め、妹は深い海のような紺青のベルベットを撫でた。…ネーザルのものだと、今はまだ明かさない方が良いだろう。無駄な心配をかけるのは本意ではない。
「うん。やっと渡りをつけたところだから、まだ明かせないけどね。そのうち紹介するよ」
ドレスの仕立てには、少なくとも三ヶ月以上かかる。ワンランク上の店なので、男爵家の優先順位は後ろの方になる。恐らく、それだけ経つ前に、ベイリンとネーザルのことは決着がつくと思うのだ。
「デザインは俺が決めておいた。リアは楽しみにしておいで」
己を見上げた嬉しそうな紅玉の瞳を見下ろして、ブルーノは柔らかな妹の巻き毛を撫でた。
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