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少年期編

37 エリンギマンの…

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あと五日で、大判の植物紙を大量生産―無理だけど、やらなきゃいけない。それ以前に、フリーデさんコソ泥による情報漏洩のダメージがハンパない。どこまで知られているんだ!?
ティナによると、カリスタさんが来て以来、フリーデさんは森に潜伏していたようだ。今は森にはいない。恐らくノーマンさんたちが滞在するモルゲンの高級宿にでもいるんだろう。村に着くや、カリスタさんとザカリーさんはフリーデさんを村に入れないように警備すると言いだした。
「頼みます」
「その代わり、植物紙云々については私たちは手伝えないわ。こっちこそ頼むわよ!」
カリスタさんたちは厳しい表情で去っていった。そうだ。大判の植物紙を作れるだけ作らなきゃいけない。急いで村人に…
「サイラス、戻ったのか?大変だ、化けキノコスクイッグが…!」
村に帰るや、血相を変えたダドリーとシェリルが駆け寄ってきた。化けキノコ?確か森の入口に座っとけって命じたはずだから、村には来ないと思うけど…
「見て、アレ」
シェリルが指差した先には…
「……増えてる」
いつの間にか十体くらいに増えた化けキノコスクイッグ―エリンギマンがいた。


「マジかよ…」
ティナ先生によると。エリンギマンは四六時中胞子を垂れ流しており、胞子は毒キノコ畑になり、合体して新たなエリンギマンを生み出し続けていたと。そして厄介なことに、新生エリンギマンは、名前をつけないと私の言うことは聞かないと。つまり、村に行っちゃう可能性があるのだ。なんてこった!
こうなったら仕方がない。私はシェリルに大判の植物紙増産の伝言を頼むと、ダドリーに向き合った。
「今からコイツら全員に名前をつける。魔力切れで倒れたら、水ぶっかけてでも起こしてくれ」
こっちも無茶だけど、村を守るためにはやるしかない。私は、新生エリンギマンどもの前に立ちはだかった。

◆◆◆

結果。十体全部に名前をつけ終わった時点で、まる二日が経過した。いや、遅いとか言わないで!めちゃくちゃ頑張ったんだよ?私は!もう二日経って夜になろうとしている。エリンギマンは放置するとエンドレスに増え続ける…しかも不死身なため、エリンギマンズに胞子を垂れ流すな、と命じたことは言うまでもない。肝が冷えたよ、まったく…

ハッ!?植物紙!どうなった?!

フラフラする体を叱咤し、村に駆け戻ってみれば。
「これだけ?」
僅か数十枚の植物紙に、私はただ立ち竦むしかなかった。
「盟友様用の紙も作っているし、追いつかないよ」
義母さんたち――男手だけでは足りなくて女性も子供も植物紙作りをやってもらっているのだ――が疲れきった表情で言った。そうだよね…カードゲーム用の紙を作るだけで、村人はいっぱいいっぱいなのだ。完成品数十枚は、よくやってくれたと褒められるレベル。くっそぉ…あと三日なんて、今夜中に大判の植物紙を数百枚作らなきゃ、乾燥の時間を考えたら間に合わない。
「俺も作る!」
「サイラス、アンタふらふらだよ?」
心配するような眼差しを向けられたが、ことの発端の私が甘えたらいけないのだ。私の中にいる『私』が、「ブラック企業かよ」と毒を吐くけど、やるっきゃないでしょ?
ぞろぞろついてきたエリンギマンズは放置して、大判の植物用に用意した水槽へ走る。そして、たどり着いた水槽の前にずらりと並ぶ漉桁を見て、私は呆然とした。
「…ッ!これじゃ間に合わない!」
ネリの代用品が見つからないから、ウィリス村の紙漉きは全て溜め漉きだ。つまり、水切れまで時間がかかり、その間は木枠が使えないのだ。木枠は多めに作ったけど、乾燥させる場所には限りがある。

くっそぉ…ネリさえあれば!

ネリさえあれば流し漉きができる。流し漉きなら、湿紙ができたらすぐに重ねて乾燥させることができるから、作業が早いしたくさんできると思うけど…
「ネリさえ…水に粘り気を与えるモノがあれば!」
何やってたんだ、私は!
溜め漉きで紙が作れることに甘んじて、流し漉きへの挑戦をすっかりやめていた。粘り気を出す植物を探してすらいない。
「ネリ…」
「そーだよ!ネバネバだよっ!」
語気を荒げた私に、作業場の村人がギョッとする。…ダメだ。空気悪くしてどーする。

少し…頭を冷やそう。

ふらふらと向かったのは、慣れ親しんだ森の入口。エリンギマンズもぞろぞろついてくる。
「ネリ…探すか」
無駄かもしれない。けど、今の私が作業場に戻ったらイライラして心にもないことを言ってしまう。しんどいのはみんな同じなんだ。むしろ、大人達の方が、領主様の命令だからと普段の生活そっちのけで作業しているんだ。私には、私のできることを…
「無色で、ネバネバしたもの…」
呟いて、疲労困憊の体を持ち上げる。ああ、私も休みたいよ…

◆◆◆

ティナに聞きながら、あてどもなく私はネリを求めて森を彷徨った。日本でネリといえばトロロアオイとか、ノリウツギとか…ああ、オクラとかでもいいのか。豆系か?
「サアラ、それは手がかぶれちゃう…」
「…うん」
「それは毒」
「…うん」
何度目だろう、手にとっては捨て、ティナに止められ…。疲労困憊が過ぎて、足が棒になるのを通り越して感覚がなくなってきた。普段なら何でもない窪みに足を取られて膝をつく。頬が濡れているのは、汗か夜露かあるいは…

キツい…しんどい…助けて…

また足を取られて、枯葉の上に両手をつく。立ち上がらなきゃいけないのに、体が甘えたい、休みたいと駄々をこねる。少し…少しだけだ、休もう…。


チチチ…
鳥の囀りで目を覚ました。ハッ!私、朝まで寝て?!何やってたんだ、時間がないんだぞ!?慌てて立ち上がろうとして、パンパンにむくんだ脚に顔をしかめた…その時。ヒヤッと何かが顔に触れた。
「うわっ!」
真横にエリンギマンがいた。その短い手に何かをこんもり乗せている。
「…ネバ、ネバ?」
気の抜けた声で差し出されたそれは、ゼリーに似た透明なプルプル。
「ネバ、ネバ…」
手にとってハッとする。これ、大クジラの巣だ。そして思い出した。


アイツら、木の枝に粘膜張ってでっかい巣を作るんだ。巣が川に落ちると川の水がズルズルヌルヌルしてさ。毒があるとかじゃないけど、気持ち悪いから。時々見回りして巣を撤去しているんだよ。


そうか…植物じゃなくても。あるじゃんか、ネバネバ!!
私は脚の痛みも忘れて立ち上がった。
「エリンギマン!これ、どこにあった?!」
「ネバ…?」
「そーだよ!ネバネバだっ!」
エリンギマンについて行くと、あった!川の縁に大きな大クジラの巣がある。私は服が濡れるのも構わず、プルプルした巣を両手いっぱいに抱えた。急げ!!


作業場に駆け戻り、ゼリー状の巣を水槽に少しずつ入れてはかき混ぜる。朧気な前世の記憶を頼りに、配合はほぼ勘だ。そして、空いていた簀桁で粘り気のある紙料を掬い上げた。最初に捨て水、揺り動かして繊維を絡ませる―。半透明な湿紙ができたら枠を外して、後は溜め漉きと同じようにすればいい。
「サイラス?」
作業場で寝ていた大人達が起き出して、私の手許を見た。
「こうして、始めに一回水を捨てて、揺り動かして…」
半ば無意識に流し漉きを説明し、私は一心不乱に作業を続ける。ああ、やっぱり流し漉きの方が作業が格段に早いな。夢中になっていた私は、大人達が私の見よう見真似で作業を始めたのにも気づかなかった。

◆◆◆

「…ス、イラス…!」
どこか懐かしい声に呼ばれて、夢の底に沈んでいた意識が浮上する。同時に、鉛のように重い体に眉をひそめた。瞼を持ち上げると、
「サイラス?!大丈夫か?サイラス?」
大きく見開かれた緑玉色の瞳―アルの顔のドアップが目に映り、私は一気に覚醒した。
「な…?!」
なんでアルが?!というか、私寝てるの?え?紙作りは?!記憶をたぐり寄せても、どうして作業場からここに来たのかさっぱり繋がらない。
「おまえ倒れたんだぞ!何考えてるんだ!」
アル曰く、作業場で紙漉きをやっていた私は、突然ぶっ倒れたらしい。
「なっ!アル!俺、どんだけ寝てたんだ?!」
「まる二日だ」
「なに?!」
呑気に寝ててどーする。タイムリミット今日じゃんか!紙は?村のみんなは?はやる気持ちに任せて、ベッドから飛びおりようとした私は、アルによって強引にベッドに押し戻された。
「何するんだよっ!」
「阿呆!休め!」
死ぬかと思ったんだぞ!すごい剣幕で怒鳴られたけど、そんなの怖くない。だって…
「俺が倒れたら…休んでたら…せっかくのチャンスが潰れるんだ。村を守るために!絶対!約束は果たさなきゃいけないんだっ!!」
譲れないモノがあるんだ。そのためには、無茶の一つや二つ、やらなきゃいけない時だってあるさ!
アルと睨み合っていると。
「騒々しいねぇ…。病人は大人しくしてな」
扉から呆れた顔のメリッサおばさんが顔を出した。
「心配しなくても…」
メリッサおばさんから告げられた衝撃の事実に、私は目を見開いた。
「……できた?数百枚の紙が?」
目を丸くする私に、メリッサおばさんは微笑んで窓の外を指さした。
「あの子達が夜通し頑張ってくれたんだよ」
「あの子達??」
窓辺に駆け寄った私の目に入ったのは。作業場を行き来する……エリンギマンたち。嘘ォ?!
「アンタ、作業しながらやり方を細かく説明していたんだよ」
メリッサおばさんが言った。た…確かに自分の記憶をぶつぶつ呟きながら作業…していたかもしれない。
「紙漉き以外の作業も、アンタは事細かに指示しててねぇ、」
よく覚えていないけど、名前をつけたからエリンギマンズは私の言うことをきいた…そういうことなの?!
「けどなんだい?あのやり方で作った紙、今までのに比べて格段に破れにくくなったし、ボコボコしてなくてさ。ダライアス様もノーマン様も呆気にとられてたさ」
ああ…ネリはちゃんと役目を果たしたのか。大クジラの巣…あんなもので。
「他の水槽で作ってた紙は、ああはならなかったよ。同じように簀桁を揺り動かしても、上手くできなかった」
どうしてだろうねぇ…。ニヤリと笑うメリッサおばさん。あ…!
「あの子達が関わったから、かねぇ?」
そうか…。大クジラの巣を水槽に入れたのを、誰も見ていないの?じゃあ、もしかして誰も知らない?
「ノーマン様はなんて言ってるの?」
ようやく冷静になった頭で、私はメリッサおばさんを見つめ返した。
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