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CHAPTER.4 旧態依然な灰緑(キュウタイイゼンナハイミドリ)【天体衝突3ヶ月前(冬)】
§ 4ー5 12月20日 2つの約束
しおりを挟む--神奈川県・生田家--
窓を打ち付ける冷たい雨。太陽も気落ちしてるように駆け足で姿を晦まして、重い雲のカーテンで空すら覆っている。蛍光灯の明かりで誤魔化しても、世界を包んでいる空気は常に纏わりついてくる。生き苦しさは、眩い過去に縋らせる。それはしょうがのないことだろう。未来に光がないのだから。
過ごすことが多くなった自分の部屋。袋に入れたままのベースと、高校時代に弾き込んだギターに薄らと埃が被っている。勉強机に置かれたPCのディスプレイには、静寂を紛らわすためのお気に入りの動画の音楽リストがリピート再生されている。
椅子に座り、見ていたのはクッキーの空箱に無造作に入れられた写真たち。最近の学祭のライブのものから、幼稚園で魔法使いの仮装をしてはしゃぐものまで、生きてきた証を見つめ返していた。
ふと最近の写真のほうが少ないな、と思う。そうじゃない。中学までの写真が多いのだ。そして、そこには颯太の横に映る彩。どの写真を見ても彩と一緒だ。これは、彩のお母さんがよく写真を撮っていたから。
その内の一枚を手に取る。泣き跡が残る顔の彩と手を繋いでる写真。こんなこともあったな、と当時の記憶が蘇る。
…………
たしか小学4年生の時だ。日曜日に公園で友達たちと缶蹴りをして遊んでいた。2人で物陰で息を殺して様子を伺う。
「よーし! 見てろよ、彩」と得意顔をする。
「颯ちゃん、さっきもそう言って捕まったじゃん」と疑う彩。
「こ、今度は大丈夫だよ!」とちょっと顔をしかめる。
「それも言ってたよー」と揶揄う彩。
「彩なんて何もしてないじゃん!」と、むきになる。
「んーー-!」と口を尖らせる彩。
「よし、今だ!」
オニが缶から離れたタイミングで走り出す。でも、「へへぇ」とオニ役の男の子が罠にかかったとにやけ顔をして缶のもとに走って戻る。「くそー!」と全力で走るも一歩及ばず「颯太、みーつけた!」と足を缶に乗せて宣言されてしまった。
もうちょっとだったのにな、としぶしぶ先に捕まった子たちのもとに歩く。座り込んで振り返ると、オニが油断した隙を彩が必死に缶を倒そうと走り込んできた。手をこれでもかと振りながら。「あ!」とオニも慌てて戻る。彩のほうが一歩早く缶を蹴れる! と思ったとき、思いっきり前のめりに転んでしまった。
擦りむいた彩の膝を水道で洗う。「うぅぅ」と堪えても流れる涙を流す彩。ただただ心配になり綺麗に洗わなきゃ、とそれでもなるべく優しく砂が残ってないか洗いながら確認する。お母さんに口うるさく持たされるハンカチを彩の膝に不器用に巻くと、手を引いて彩の家に向かった。ぐすん、と鼻をすすり、彩は擦りむいた方の足を引きずる。
彩の家に着くと、彩のお母さんが「あらあら」と手当をしてくれた。心配する颯太を察したのか「ありがとね、颯ちゃん」としゃがんで頭を撫でてくれた。
手当が終わり、居間のソファーにちょこんと座る彩。まだ痛むのかな? と思い、手を取り「まだ痛いの?」と顔を見る。ううん、と小さく頭を振る彩。
「はーい、2人ともこっち~♪」
そう急に呼び掛けられて振り向くと、パシャッとカメラのボタンを押した。
「撮らないでよー」と怒る彩に「ごめんごめん」とイタズラ顔で謝る彩のお母さん。
そして颯太の方に顔を向ける。
「颯ちゃん。彩とずっと一緒に居てあげてね』
そう言われた時の彩のお母さんの顔は、陽だまりのように優しかった。
♦ ♦ ♦ ♦
思い出を振り返っていたところ「ご飯よー」と母の声に現実に引き戻される。名残惜しさを残して部屋を出ると、鼻に入る香ばしい匂いで今夜のメニューが分かった。カレーライスだ。
食卓には父が既に座っており、颯太もいつもに場所に座る。机には、カレーライスにオニオンスープ、皮付きの4分の1個分にカットされたリンゴが4人分用意されていた。
準備が終わると母も席に座り、慌てて妹の凛がキッチンに入り込んで席に着く。父がやれやれと首を振る。それを察した母が「さ。食べましょ」とみんなに食事を促したところで、生田家の今後を決める大切な晩餐が始まった。
「今日は店長に言って、鶏肉を確保してもらったのよー」
スーパーのパートを5年以上続けている母だからこそ許されることだろう。海外からの輸入が少なくなっている昨今、国内自給率が乏しい食品は手に入れるのが難しくなっていた。
真っ先に影響を受けたのはエネルギー資源だ。石油、天然ガスなど高騰が続いている。それに伴い、あらゆる物の価格がより一層上がった。
食品も小麦や大豆、畜産物、海産物、農産物など価格がさらに値上がりし、品薄になっていた。それにより、食品を長持ちさせる保存法などがニュースやインターネットで多く出回り、人々はできる限り多くの食品を蓄えようとする思考に囚われていた。
「昨日は鰯の焼き魚だったもんね」今晩のカレーライスには満足そうな凛。
「鰯だって買うの大変なんだからね」草臥れた顔を見せる母。
「焼肉、お腹いっぱい食べたいなー」世の中が見えていない凛。
「母さんはタンがいいわね」現実逃避し楽しくなる母。
「私もー♪ お父さん捕まえてきてよー。昔、猪捕まえたって自慢してたじゃん」冗談で父に甘える凛。
「いいか? 猪の胆嚢はな、猟師の間じゃ二日酔いの薬として飲まれてていてな。しかし、最近な、肝炎の感染の……」得意げに語り出す父。
「父さん。胆嚢の話はしてないから」やれやれとつっこむ颯太。
いつもの食卓の団欒。デザートのリンゴを食べ終わるまでは。
一番に食べ終わった凛が「ごちそうさまー」と席を立とうとしたとき、「凛。ちょっと待ちなさい」と父がそれを制止した。
お茶を一口啜り、喉を潤してから父が改まる。
「颯太。凛。母さんといろいろ話したんだが、うちも近い内に長野の母さんの実家に一時避難しようかと思ってるんだ」
前のめりな姿勢で、指を交互にして握った腕で上体の重さを支える。その目は真剣だった。母さんも子供たちの様子を伺う。
「え! 何? 急に? いつ!?」
一瞬、唖然と真顔になった凛が前のめりに、矢継ぎ早に尋ねる。颯太は近いうちにこんな展開になるだろうと予想はしていたので、ついに来たかと息を飲む。
「こんなご時世だ。気が狂って何をするかわからん輩も増えてるからな。年内いっぱいは仕事があるから、年を越してから準備をして、整い次第って感じかな」
「それで、いつ帰ってくるの!?」
「そんなことは、あのパンドラって星に聞いてくれよ。何もなければすぐに帰ってくるし、ダメそうなら向こうでしばらくお世話になることになるかな」
「…………やだ」
「ん? 凛? やだって言ったのか?」
「……だって、私はここから離れたくないもん!」
「そうだよな……。父さんだって、母さんだってそうさ。だから、帰れるようならすぐに帰ってくるつもりだから」
「……帰って来れるの?」
この凛の一言。その答えを知る者はいない。父も母も颯太も、言い放った凛すらも俯く。会話が一旦途切れ、暖房の効いた部屋の空気に寂しさが混じる。それでも、父は前を向く。
「凛。颯太も。おれも母さんも、おまえたちがこれから先、何があっても護るつもりだ。これまでもこれからもな。父さんと母さんに任せろ。猪でもライオンでも倒してやるから」
微笑む両親。冗談めいた話をするのがたまにキズだが、父も母も心の底からの本心であることが伝わる。
だから……、そんな父と母の子どもだからと言い訳を作り、意を決する。
「父さん、おれは残るよ」
「……彩ちゃんだな?」
静かに頷く。
「彩はうちの家族なんだろ? 彩を置いて避難するなんて、絶対にできない!」
父の目を見つめ、前のめりになる。
「彩ちゃんも一緒に来てくれたらいいんだけどね。もちろん、佳苗さんもね」
母は何度も彩を生田家に招こうと誘った。だが、やんわりと断られてきた。また、彩のお母さんともあの事故の前までは、気心の知れた友人だった。母は今でもそう思っているだろう。
「彩は……、一緒には来ないよ。家にお母さんが帰ってくるのを待ってるからさ。それが叶おうが叶わなかろうが、いつまでも待ち続けるんだよ、あいつはさ……」
自分には解くことができない彼女の呪縛。今の未熟な自分じゃ役に立てない。それでも……
「颯太!」
名を呼ぶ父の目。その眼差しは今まで見たこともないほど、鋭く威圧的だった。その視線に負けてはならないと目を合わせる。
「…………わかってるのか? お前、『人を護る』ということがどういうことなのかを」
「わかってる! 絶対にあいつを見捨てたりしないよ!」
「違う! そうじゃない。いいか、颯太。誰かを護るってことは、まずお前自身が強くあらねばならないってことだ! 何が合っても心が折れてはならないし、弱音を吐いてもいけない。そして、相手にも護ってもらう。お互いに助け合って、それで一緒に強くいられる関係を築くこと。これが『人を護る』ってことなんだ。よ~く肝に銘じておけよ」
「…………」
相手にも護ってもらう?
颯太が護らなきゃいけないのに?
正義のヒーローに憧れていた幼少時代から、変わらない価値観だったものが揺さぶられた。
「父さんたちだって、お前たち2人に護られていたよ。成長する姿に元気を貰えるし、親として頑張ろうって気持ちにもなる。颯太、ここまで言えばわかるな?」
「……分かるよ」
湯気に手を入れて氷を掴なければならないように感じた。ハンバーガーと答える問題で、答えは食べ物だとだけわかる感覚。
しかし、『分かる』と言うしかなかった。そう言わないとここに残れない。そんな心情は目を泳がせる。息子の顔を毎日20年以上見てきた父親は、その心の有り様を即座に把握し察する。
「……よし! じゃぁ、颯太。約束してくれるか?」
「約束? な、何を?」
「お前と彩ちゃん、佳苗さんもだな。3人も合わせて、また家族全員で晩御飯を一緒に食べるってな」
真剣な父の口元が少し緩んだ気がした。その表情から伝わってくる。
『お前も大切なものを護ってみろ。俺の息子なのだから』
そう心に言われた気がした。望むところだ! 元からそのつもりなのだから。
「晩御飯は焼肉にしてくれよな!」
お互いにニヤっと笑う。言葉以上に、目と目で約束を交わした。
破天荒でアクティブな父を少し煙たがっていたが、このとき、初めて心の底からの会話をした気がした。
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