上 下
27 / 49
CHAPTER.4 旧態依然な灰緑(キュウタイイゼンナハイミドリ)【天体衝突3ヶ月前(冬)】

§ 4ー3  12月16日  変わらぬ音

しおりを挟む
--神奈川県・某大学キャンパス内--


 1限の臨床心理学概論の講義が終わり、2限は先週から引き続き休講だったので、颯太は学科の友人たちと別れて軽音楽部の部室に向かっていた。
 大学キャンパス内もパンドラの接近による影響が出ていた。学生食堂は食材の供給不足と価格の高騰こうとうにより閉鎖され、地方から上京していた学生の多くは故郷に戻り、講義もレポート提出や休講が増えていた。
 師走しわすの冷たい空気が、閑散かんさんとしたキャンパスをよりさびしげに映すために色を奪っていた。


 あざやかさがおとろえた景色の中、鼓膜がかすかに震える。進行方向から流れてくるメロディ。
 このギターのサウンドを出せる人は1人しか知らない。オサムさんだ。そのサウンドがえるように寄りうドラム音。ルミ先輩が叩いているものだ。そこに遅ればせながら流れてくる歌声。3バカと揶揄やゆされるが、息と調子の合った3人の自己主張100パーセントの声は、ギターとドラムに負けない異様な存在感を放っている。合わせる気なんて更々さらさらないのに、それを聞いた者の鼓膜のもっと奥を揺さぶる。これがオサムさんが率いるバンド『アソパソマソ』の音楽である。
 色がせた景色を、音が補填ほてんしていく。感情を色づける。颯太はリュックの左肩紐を右手でにぎり、足早に部室に向かった。

 …………

 第2次ルードヴィヒ作戦が先日、失敗に終わったことが報道された。天体望遠鏡で撮影された黒き魔女パンドラの闇がただ深くなり、その衝突軌道に変化もなかった。
 この結果の社会への副作用は見えないところで広がっていた。ネガティブなニュースがTVやネット・SNSで常に溢れ、それにともなうウェルテル効果により精神障害を発症する人が加速度的に増え、敏感な心の十代・二十代の自殺者が深刻な社会問題になっていた。
 それ以外の人々も、感情的になりやすくなることが多くなっていた。少し気に食わないことがあると声高こわだかに怒鳴り暴力を振るったり、欲求から窃盗せっとうや性犯罪も増加し、抑圧よくあつを発散するための迷惑行為やいじめ、中には放火なども増えた。
 治安の悪化は顕著けんちょであった。現実感のない未来への不安が、理性という本能への抑止を弱体化させていたのである。

 …………

 気づくと小走りになっていた颯太が、軽音楽部の部室のある部活棟の3Fに着くと、部室の外に久弥とてっちゃんが座り込んでいた。

「颯太~♪ おつかれぇ~」

 変わらぬ笑顔の久弥と、寡黙かもくに手だけで挨拶を済ますてっちゃん。「おーッス、おつかれ」といつもの調子で言葉を返す。
 オサムさんたちの演奏を邪魔しない様に部室の外のひんやりとした廊下に、2人の横に座る。

「やっぱり、ライブやりたいよな~」

 久弥はつぶやく。おれも同じことを思っていた。てっちゃんもゆっくり深く2度うなずく。

「落ち着いたら、絶対またやろうぜ。黒い翼は折れてないから!」

 厨二病コメントに2人は笑顔になる。颯太おれも笑う。この笑顔が3人の約束への了承だった。

 そこからしばらく、3人の近況報告をして過ごした。
 久弥は動画投稿を熱心に行なっていて、黒い翼エルノワール以外に【〇〇をやってみた!】【▲▲を歌ってみた!】などのよくある動画投稿を楽しんでいた。餃子を作る動画で、焦げた皮がフライパンにくっついて中身の具がき出しになってしまったのに、天真爛漫てんしんらんまんに笑ってたのが印象的だった。
 てっちゃんは、ちょくちょくプロデビューした舞衣のさ晴らしに付き合わされてるとのことだ。少し前に、手の皮がけるまでパッティングセンターでバットを振り続ける舞衣に付き合わされたらしい。舞衣とてっちゃんは中学の頃からの付き合いで、家も近い。無口なてっちゃんに舞衣への恋愛感情がないのかとお酒をんだ勢いで聞いてみたことがあったが、何も言わずに帰ってしまった。舞衣に聞くと「テツとはそういうのじゃないよ。お節介ないい奴で、私がそれに甘えてるだけなんだよ」と言葉で説明するのが難しい関係のようだ。
 2人とも今後も高地に避難せずに、今の場所にとどまるとのことだった。「ホントにパンドラをバックにライブしちゃおっか♪」と久弥が言ってくれた言葉が妙に嬉しかった。

 …………

 話に盛り上がっていると、部室のドアが急に開いた。いつの間にか演奏が終わっており、ドアからはTシャツを汗びっしょりにしたオサムさんが出てきた。

「なんだお前ら、来てたなら入ってこいよー」

 ひたいから汗を流しながら、オサムさんはニコッと笑う。ちょっと水買ってくるわ、とオサムさんが去っていったドアから部室に入ると、ルミ先輩と3バカが息もえに倒れ込んでいた。

「ハァ……ハァ……あのバカ、3時間も、ハァハァ、ぶっ通しで、演奏しやがって……」

 ルミ先輩がなんとか声を出すが、3バカの御三方は3人ともうつせに真っ直ぐに寝そべり『川』の字を作っていた。

「「「……ジー……ザス……」」」

 ガラガラにかすれてても声がそろっているのはさすがだ。彼らがうつ伏せになっているのは、憔悴しょうすいしてイケてない顔を見せたくないからとのことだ。

 ……10分後。

 冷蔵庫にしまってあったルミ先輩特性のハチミツレモンティーをがぶ飲みして、ようやく息も整い椅子に座れるぐらいには4人とも回復していた。

「まだ腕に力が入らないよ。あの野郎……、急に人を呼び出したと思ったら『練習するぞー』って……」

 疲労困憊こんぱいで口悪いが、その口元はどこか楽しそうだ。

「ホントにお気の毒さまです。でも、久しぶりに先輩たちの演奏聞きましたけど、流石ですね。聞き入っちゃいましたよ」

「そっか、ありがとう。練習があまりできてなかったから腕が落ちたかな。でも、久しぶりに思いっきりドラム叩いてスッキリしたよ」

 やっぱりこの人も音楽が心から好きなんだと実感させられる。心が少しうずく。

「で、お前たちはこの先、どうするんだ?」

 これからの話。誰と話しても必ずこの話題になる。自分でも決めていないことを何度も聞かれると、さすがに辟易へきえきする。そんな心情をおもんばかったのか久弥が答える。

「俺とてっちゃんは残りますよー。颯太はまだ決めてないみたいですけど」

「そっか……。じゃぁ、次もこうやって会えるか分からないな……」

 別れが増えた。それが日常になりつつある。電話やインターネットで間接的なコミュニケーションでつながることはできる。だが、震わせた空気が相手を震わせ、当たった光の反射で像を結び、触れた私の温もりが貴方に伝わる。そんな当たり前のことが断たれる。それが今の当たり前になってきていたのである。
 颯太はルミ先輩の声に内包ないほうされた寂しさに反抗的になった。

「また会えますよ、先輩。また学祭の時みたいにライブ、やりましょうよ!」

 一瞬目を丸くした先輩は、目元を柔らかくした。

 …………

 話を聞くと、ルミ先輩も3バカの御三方も、どうやら今の場所に留まる意向のようだ。
 ルミ先輩は都心が実家で、移り住むアテがないとのことだ。いよいよとなったら、その時には避難すると言っていた。
 3バカは「どうせ終わるなら美しく終わろうじゃないか~!」とミュージカルのような小芝居で格好つけていた。避難どころか南国の小島にでも行きそうだ。「そうですねー」と適当に相槌あいづちを返す。

 どうなるか分からない先の未来でも、この場所にまた集まれるかもしれない淡い期待に、颯太は気持ちのモヤが少し晴れた気がした。


 そんなとき、また急に部室のドアが開く。汗だくだった先程とうって変わって、さっぱりした顔をしたオサムさんだ。よく見れば、着ている服も変わっている。

「フゥー、スッキリしたー」

 伸ばしっぱなしの長髪がしっとりしている。いつものように、勝手に運動部のシャワーを浴びてきたのだろう。部室の椅子に座り、手にしたミネラルウォーターをグビグビと飲み干す。

「あれ、お前らは演奏しないの?」

「ヴォーカルがいないッスからね」

 黒い翼を代表して久弥が答える。「あー、そうだったなぁー」と視線をゆっくり上に向けた後、流し目でこちらに視線を送る。

「そんなの別に関係ないだろ? 弾きたくなったら弾けばいいんだよ。型にこだわるなんてつまんないぞ」

 オサムさんが言うことはまったくなのだ。ただ、舞衣がいない黒い翼エルノワールは、飛んでいく先を見失って羽ばたけなくなっていたのだ。それは久弥もてっちゃんも同じだろう。2人から練習を催促さいそくする連絡もなければ、こちらから連絡することもなかったのだから。
 引きった顔で「そ、そうですよね」となんとか返す。それをオサムさんは察したのか「まぁ、お前らなら、音楽が必要になったら自然とその手に楽器を握るさ」と含み笑いで優しく気遣ってくれた。

 …………

 オサムさんのギターのサウンド。初めて聞いたのは高校2年のときだった。好きだったビジュアル系バンドのライブに前座として出てきた、今では伝説的なバンドグループ『Made In Earth』。そのギタリストだったオサムさんのギターは圧倒的な存在感を放っていた。退廃たいはい的な自由で繊細な音。衝撃と嫉妬にかられた。
 その後、幾度いくどと足を運んでそのギターサウンドを耳にする度に、『豪徳寺理』という人となりに強い興味をいだくようになった。その人が大学生で、自分の生きたい心理学が学べる大学に在籍ざいせきしていることを知ったときに自分の進路は自然と決まった。

 必死に受験勉強に明け暮れ、なんとか合格して迎えた入学式。式の後に待ちきれずに足を運んだ『豪徳寺理』がいる軽音楽部の部室。そのドアに手をかけたときの胸の高鳴り。ドアを開けて目に入ったギターを持ってたたずむオサムさんが見せた笑み。
 今と同じ笑みを浮かべていた。そのときの気持ちを忘れていたのかもしれない。

 でも、そもそも何故、音楽に興味を持ったのか……。

 このときの自分にはまだ思い出せずにいた。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

💚催眠ハーレムとの日常 - マインドコントロールされた女性たちとの日常生活

XD
恋愛
誰からも拒絶される内気で不細工な少年エドクは、人の心を操り、催眠術と精神支配下に置く不思議な能力を手に入れる。彼はこの力を使って、夢の中でずっと欲しかったもの、彼がずっと愛してきた美しい女性たちのHAREMを作り上げる。

ボッチによるクラスの姫討伐作戦

イカタコ
ライト文芸
 本田拓人は、転校した学校へ登校した初日に謎のクラスメイト・五十鈴明日香に呼び出される。  「私がクラスの頂点に立つための協力をしてほしい」  明日香が敵視していた豊田姫乃は、クラス内カーストトップの女子で、誰も彼女に逆らうことができない状況となっていた。  転校してきたばかりの拓人にとって、そんな提案を呑めるわけもなく断ろうとするものの、明日香による主人公の知られたくない秘密を暴露すると脅され、仕方なく協力することとなる。  明日香と行動を共にすることになった拓人を見た姫乃は、自分側に取り込もうとするも拓人に断られ、敵視するようになる。  2人の間で板挟みになる拓人は、果たして平穏な学校生活を送ることができるのだろうか?  そして、明日香の目的は遂げられるのだろうか。  ボッチによるクラスの姫討伐作戦が始まる。

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

キャバ嬢とホスト

廣瀬純一
ライト文芸
キャバ嬢とホストがお互いの仕事を交換する話

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

処理中です...