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CHAPTER.1 滲んだ天色(ニジンダアマイロ)【天体衝突1年前(春)】

§ 1ー3  3月24日②  非日常で遊ぶ群衆

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 まだまだ肌寒い年度の終わりの朝。やけに色づいた住宅街。春を告げているからか、それとも突拍子もないニュースのせいなのか、普段と少し見え方が違う気がした。季節の変わり目を知らせる浜風が、出番を控える薄紅色の木々を揺らす。

 うっかりTVの天体衝突のニュース番組を観たり、自分たちのバンドのSNSに書き込まれた書き込みを閲覧していたら、時間があっという間に過ぎていた。
 午前10時からのバイトの時間にギリギリになり、朝食も摂らずにベースを背負う。リビングで情報番組を楽しそうに観る3つ下の妹の凛と「いってきまーす」「いってらっしゃーい」の往来おうらいを済まし玄関を飛び出す。愛車の3代目流星号のペダルを漕ぎだし、昨日とは見え方が変わった鮮やかな世界を、息を切らしながら誰しもに平等なときと共に進んでいく。


 途中、大通りの赤信号に捕まり息を整えていると、同じく信号待ちしていた子供連れの奥様たちの話し声が聞こえてきた。

「ホントに怖いわね、大きな隕石なんて」

「あんなニュースがあると、また買占めとか心配になるわよね」

「そうよね……。トイレットペーパーとか今のうちに買い込んでおこうかしら」

 そんな会話の足元では、子供たちが「隕石、ドカーン!」「アハハッ」とはしゃいでいる。信号が青になっていたことに気づき、あわてて颯太はまた自転車を漕ぎ出す。


 心地よい初春の駅周辺には、春休みで時間を持て余した学生らしい若者たちもちらつき、いつもより人手が多く感じる。人混みをうように走り抜け、いつもの駐輪場に愛車を止める。リュックサックとベースの重さをズシリと感じながら、早歩きで駅から5分ほど離れたバイト先の喫茶店に向かう。途中、どこからか漂ってくる香ばしい匂いと少し陽気なおしゃべりと心地よい春風の中を歩いていき、2年近く続けてきたバイト先に到着した。


 お店の入口のドアには、シンプルな白い猫のイラストとともに【ル・シャ・ブラン】と店名が記されている。店長の娘の蜜柑みかんちゃんに聞いたところ、フランス語で『白猫』という意味らしい。どうやら店を始める前に飼いだしたモカにちなんで名付けられた店名とのことだ。今ではモカはカウンター席の入口付近にいつも寝ている看板猫である。あまり動かないからか肉付きよく丸々育ち、それがまた愛くるしいと評判だ。


「いらっしゃいませー!」

 カラン、コロン♪ かわいた金属の鐘の音が鳴りドアを開けて入ると、聞き慣れた声が出迎える。声の主に視線を送り、少し右手を上げ挨拶あいさつを送る。

「おーっす。おはよー、彩」

「なんだ、颯太かー。颯太が来たってことはもう10時なんだ。 はぁー、今日は混んでたから、あっという間って気がするよ」

「天気いいもんなー。駅のほうも人が多かったよ」

「じゃぁ、ランチも混みそうだね」

 やれやれと肩を落とすと、彩は遠目に厨房に用意された次に提供するモーニングセットを確認する。こちらに「それじゃあね」と右手を軽く振り、トレンチを抱えて歩いていった。

 梅ヶ丘うめがおかあや。肩甲骨に届くロングの黒髪を、バイトや集中するときは後ろで黒猫のバレッタで軽く束ねている。
 2人は親同士の仲が良かったので、物心着く前からの幼馴染だ。幼稚園から高校までずっと同じ。大学は異なるが、それはお互いに求めるものの違いによるもの。あの事故が互いに進路に影響を与えたのは間違いないだろう。とりあえず、今彼女が笑うと無意識にホッとしてしまう。


 きびきび歩く彩の後に続いて、颯太もゆっくりと厨房に向かい顔を出す。

「おはようございまーす」

 慣れ親しんだ場所で、いつも通りの挨拶をする。

「おはよう、颯太くん」

「おぉ、おはよー、颯太。待ってたよ」

 店長の喜多見きたみ文春ふみはると、年齢は2つ上だが学年は1つ上の玉川たまがわ匡毅まさきの2人が厨房の中から挨拶を返す。

「あ! おはようございます。颯太さん」

「おはよう、蜜柑ちゃん。今日も忙しいみたいだね」

 ホールから戻ってきた店長の娘の喜多見きたみ蜜柑みかんとも挨拶を交わす。混みあって疲れているだろうに元気な声だ。

「はい、そうなんですよー。ホントに颯太さんがシフト入ってくれて助かりました。ありがとうございます」

「そんなに気にしないで。ライブまでは時間あるからね。ランチが終わるまでだけど手伝うよ」

「大事なライブの前なのに、ホンットにすいません! シフトをミスった父には、キツイお仕置きをしておきますので」

「いや、ホント、大丈夫だから」

 会話が聞こえていたのか、店長はいそいそと顔を隠す。きっと健康のためにと考案された蜜柑ちゃんの特製魚介サラダを食べさせられるのだろう。かわいそうに……

 挨拶もほどほどにして、奥のスタッフルームに向かう。大学に入ってすぐに始めたバイトで2年近く続けていることもあり、店長やスタッフとはすっかり気が許せる距離感になっていた。彩とも、今の距離感でいることがベストなんだと自分を信じ込ませている。慣れた居心地の良さと春風のせいか、ここ3カ月のざわつく水面のような心模様に、しっくりこない微細びさいな感覚をいだき、仕事の準備をした。



   ♦   ♦   ♦   ♦



 彩の予想どおり、ランチも店内はにぎわいを見せ、ひっきりなしにオーダーが入る。土曜ということもあり、カップルや家族連れが多く見受けられた。パートの奥様方が休みなので、学生陣でなんとか店を回さなければならない。おれと彩と蜜柑ちゃんでホールを回す。無駄口を叩いてる余裕もないほど、提供やらレジやら片付けに追われた。

 この店の一番の売りは、店長が豆から選んでフルシティローストに焙煎ばいせんし、丁寧にれられたブレンドコーヒーだ。少し苦みが強い気がするが、こんなに味が違うものなのかと最初に飲んだときは驚いたものだ。


 13時を過ぎて、ようやく客足も途切れだし、手が回り切らなかったテーブルの片付け物をしていると、隣りの席の若いカップルの声が耳に入る。

「ホントに隕石って、ぶつかるのかなー?」

「そんなわけないじゃん。もしかしたらって話だろ?」

「でも、朝のTVとかネットでも『ぶつかる可能性が高い』って言ってたよ?」

「とりあえず大げさに言ってるだけだよ。台風の中継のレポーターとかと一緒だよ」

「確かに、全然雨強くないのに、大げさに『雨粒が~』とか『強い風が~』とか言うよねー」

「そうそう。大げさに言おうと真顔になって頑張ってるよな」

 笑いながら朝のニュースをネタに盛り上がっていた。確かに、台風ニュースでわざわざヘルメット被って大変ですアピールしてるときあるよな、と颯太も内心で思いながら、片付け物をトレンチに乗せて席を離れる。


 14時になりバイトが終わり、更衣室で着替え終わると、彩がタマゴサンドとアイスティーを持って休憩にスタッフルームに入ってきた。

「あっ、おつかれ、颯太」

「おつかれー」

 スタッフルームの机に腰を落とし、何も加えずにアイスティーを飲みだす。

「そうだ! 母さんから渡しておけって言われてたや」

 そう言って、背負ったリュックサックを降ろし、中からパンパンになった紙袋を取り出し、机の上に置く。

「はい、これ。母さんから」

「……いつもありがとう。とっても助かってますって伝えておいて」

「いいって、そんなの。いつものことだからさ。揚げ物は早めに食べてってさ」

 紙袋の中には、昨晩の唐揚げやスーパーのコロッケ、小さいドレッシング付きのサラダなどなど、食べ物がぎっしりと詰まっている。

「颯太、なんか今日は明るい色だね?」

「え? 『色』ってまた変な言い方するよな」

「あ、ごめんごめん。癖が抜けなくてさー。颯太は細かいなー」

 何かと色をつけて表現するようになったのは高校生のときからだろうか。そのことを指摘すると、いつも少し慌てる。

「そっか! 颯太はこの後、ライブだったよね?」

「ん? あぁ、そうだよ。久しぶりのライブだよ」

「ふふ、だから、少し明るく感じるんだ」

「え、そうかな? いつもこんな感じじゃない?」

 長い付き合いなだけあって、彩には解かってしまうんだろうか。もう吹っ切って、前を向いていこうと決心したのが見抜かれてしまったのだろうか。

「彩もライブ、見に来る? 匡毅まさきと一緒に」

「……もう予定決まってるから、行けないかな」

「そっか……。まぁ、次のライブのときは早めに言うよ」

「うん……。行けなくてごめんね」

「いいって。別に謝ることじゃないから」


 おれたちが高校1年生のとき、彩の家族は自動車で事故にあった。その時に父親は亡くなり、母親は左足に深い傷を負った。彩は後部座席にいたからか軽傷で済んだ。そんなこともあって、おれの父も母も彩のことを家族のようにいつも心配している。


「じゃぁ、そろそろ行くよ」

「うん。ライブ、頑張ってね」

「彩もこの後、バイト頑張れよ」

 肩に担いだベースを今一度かつぎ直し、スタッフルームから出る。颯太を落ち込ませている本当の原因が、色彩をかすかに暗くしたことに気づくことなく、颯太はライブ場を目指して歩み始めた。



   ♦   ♦   ♦   ♦



 昼過ぎの駅は、土曜日ということも相まってバイト前より子供連れの家族や遊びに行く若者たちが多かった。
 ワイヤレスイヤホンを耳に付け、喧騒けんそうと離別して今夜のライブで弾く曲を聴く。曲に合わせて頭が軽く揺れる。

 いつも通り。乗り換えの渋谷駅に着くまでの車内。構内。違う路線に乗り換えても……。すべてがいつも通りだった。気持ち新たに、そして、ライブに意欲的になっている20歳の颯太もいつも通りの日常の中、現れた隕石と同じ時間をきざんでいた。

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