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第五計画

愛していると伝えて4

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 アレクが兄に呼び出された場所はチャペルだった。
 神などまったく信じていない男が、祭壇の前で待っている。どこからかここを見ているジェラルドは顔を顰めているだろう。
 ジャックは全身に倦怠をまとい全く覇気がない。青白い顔にはクマがくっきりと浮かび、浮腫んだ顔には不摂生がありありと現れていた。
 昔から内気で籠りがちではあったが、こんな陰はなかった。
 人の口車に乗せられて賭博に耽り、地の底まで転がり堕ちた兄に同情する気持ちはまったくない。
 冷めた気持ちでジャックの近くで立ち止まると、彼は単刀直入に切り出してきた。
「私は王位に興味はない。譲ってもかまわぬ。その代わり私には直轄領の富を求める」
 アレクははっと笑いを漏らした。王家が直接治めている直轄領は、貴族の跡取りが見つからないなどの問題で一時的に預かっている場合や、褒章として与えるためにある。
 貴族が治める領地とは毛色が違う。
「国の富とは言っておらぬ。直轄領だ」
 バカバカしさも手伝って、アレクは冷ややかな視線を兄に投げかけた。
 怒って冷静さを失えばジャックの思うつぼだ。王位は既にアレクが継ぐことが決まっていて、兄を捕らえることも王である父から許可は受けている。
 ジャックを幽閉する、表向き穏便な方法が見つからないだけだ。
「私を呼び出して、その話ですか」
「条件を呑むならば、私より先に結婚することも許そう。だが、受け入れて貰えないならば、私もジュリア・マルヴァーンを妃に迎えたいと申し出ようと思う」
 ジュリアの名を出された瞬間、頭の中でジャックを切り捨てていた。
 肩から斜めに斬った後、臓腑を一突きする。口から真っ赤な鮮血を迸らせるジャックを想像すると、アレクの気持ちが少しだけ落ち着いた。
 この男は、王と王妃に心労を与え、国の富を私有財産だと勘違いするだけでなく、兄だという理由で弟に命令できると思っている。
 アレクは冷静になるために、笑顔をつくった。
「ジュリアは私の婚約者だ」
「彼女は美しい上に優秀であると聞いた。母上は私を支えてくれると喜ぶであろう。あの魅力を一人で独占するのは、国の富を独占することと等しいとは思わないか」
 怒りで血管が膨張する。ジャックがわざと刺激してくるような仕掛けをしてきているとは思えなかった。
 そんな機転が利けば、これまでうまく立ち回ってきたはずだ。
「富と快楽をわけあうのでもかまわない」
 突き抜けた怒りに手を腰にやった。帯刀していなくて残念だと心から思った。
「……兄上は何か勘違いをしていらっしゃる。王位に関しては王が決める事だ。直轄領に関しても同じです。そして、ジュリアはすでに私のもの。兄上は街に美しい花を囲われているはずだ」
「花は枯れる」
 アレクは深く息を吸って、吐く。
「美しく咲かせ続けることこそ、大事なのでは」
「一気に咲き乱れ、散りゆく花もまた美しい。すぐに枯れるがな」
 暗に、女を使い捨てにしているように聞こえた。
 欲求に忠実になった結果、残忍性が増すなどもはや人ではない。
 直感で、ジャックはあの悪事に加担していると確信した。
「……ノア・バインの商売に融通をきかせているとか」
 昼間にテラスでジュリアに欲望の目を向けていた太った男。莫大な富を貿易で得ているノアは黒い噂が絶えなかった。
 王都内で最も厳しいと言われている修道院に彼はよく出入りしていた。
 そこは、親が未婚の娘を姦通したと送り込み、口減らしの為に少しの食べ物と子供を門前に置いていく。
 表向きは全てを受け入れる慈悲深い修道院だ。
 だが裏では、生涯そこから出られないのを良い事に過剰な無償労働のみならず、人身売買の温床になっているという情報はつかんでいる。
 修道院とノアが手を組み船で人間を国外へ連れ出し、売る。
 その前に媚薬を飲ませて娼館で働かせているなど、聞くに堪えない噂もあった。
 それに、事もあろうに王太子が関わっているのだ。彼は否定しない所か悪びれることなく言った。
「私に働けというから、できることをしているだけだ」
「否定しないのですか」
 ジャックはちらりとアレクを見た。その目には感情がない。
「私は働いているだけだ。ジュリアの事は私から母上に伝えよう。……妃に迎えたいとな」
 そう言いジャックはアレクの横を通って、チャペルを出ていく。
 王妃が頷くはずがないが、万が一ということもある。アレクは頭の中でどうすればいいか思案する。
「アレク様」
 チャペルの柱の影からジェラルドが出てきた。冷たい一瞥をジャックが出て行った扉に向け、アレクに向き合う。
「教区の神父は口を割らないか」
「知らぬ存ぜぬ、です。修道院から買い物に出てきた娘を一人保護しましたが、喋ることができない娘でした。もちろん、字も書けない」
 修道院といえども買い出しは必要だ。だから、喋る事もできない娘、情報が漏洩しないような人選をする。
 用意周到すぎて、また苛立ちがこみ上げてきた。
「ノアの船は次にいつ出る」
「三日後です」
 きっとまた、積み荷を乗せて出港するはずだ。
「兄はそれに乗って出ていくかもしれない」
 なんの役にも立たない傀儡の方がましだとアレクは心の中で悪態づく。
「ノアも、神父も、一網打尽にいたしましょう」
 ジェラルドは神妙に胸の前で十字をきった。
「神の怒りの鉄槌が下されますように」
 ジャックがジュリアを連れて行こうとするかもしれない。
 アレクは嫌な想像を払うために自分の胸を拳で叩いた。ゴッという音と痛みが冷静さを取り戻してくれる。
 いっそ街に出てくれれば、暗殺もしやすい。珍しく王宮内に留まっているせいで手が出せなかった。
 なにか、兄を抹殺する方法が、きっかけが欲しい。
「思い知らせてやる」
 名誉を傷つけ、称号も富も、未来への希望も全て奪う形で。
 アレクの目の前に愚かにもこの国を奪おうとした敵国の兵士の死体の山が蘇る。こびりついた血は、爪の中まで入り込んで洗っても取れなかった。
 汚れ仕事をした事のない兄に見せる地獄はどのようなものがいいか。
 アレクは呻く敵兵を見下ろしたのと同じ目で、ジャックが出て行った扉を見つめた。
「行くぞ」
 身を翻したアレクにジェラルドは少し間を置いて続き、気づかれないように溜息をつく。
 王や王妃の悲しむようなことは避けたい。そんな理由で穏便な方法を模索していたアレクがそれを放棄した。長い付き合いの彼にはそれがわかった。
 ここ数年、アレクはジュリアへの想いだけでやってきた。
 戦争に出たのも、狙われているのが豊かなルヴィク侯爵領だという確かな情報があったからだ。
 殲滅する、とアレクは事も無げに言ってそれをやってのけた。
 戦場でハリーを助けたのは、もちろん友人だからだ。だが、次期侯爵の彼が死ねばジュリアが家を継ぐために、ちょうどいい地位の男と結婚することになる。その可能性を潰したかった。
 ジュリアがアレクの妃候補になるのを渋るハリーに、恩を売るつもりもあった。
 二人の母が亡くなり、父が亡くなった。喪が明けるまでは結婚はできない。彼はその間に政務をこなし次の王としての立場を確固なものとした。
「やっとだ」
 ジュリアの目にアレクが映っている。
 サンルームでジャックに言い寄られた際、ジュリアはアレクの腕の中に自ら飛び込んできた。
 信頼と恋心。この二つをあと少しで確実に得られるのだ。
「邪魔者は排除する」
 そうしてきたことを、兄にもするだけだ。
 迷いが無くなったアレクは、ついてきているジェラルドにジャックの一挙一動を見張れと、改めて命じた。
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