優しい手に守られたい

水守真子

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番外編

夫婦から家族へ 8 ※R18(簡易保険)

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 胸に白の刺繍文字が入った赤いジャージ上下。頭には悪趣味だとしか言いようが無いピエロのマスク。化繊だと一目でわかる朱色のもじゃもじゃの髪、瞼より大きく水色の円で塗りつぶされた目元、鼻には真っ赤なボール、赤い唇は切り裂かれた様に描かれ、開いた口から覗く歯は黒ずんでいた。肩に乗せて持った木製のバッドは古い傷が沢山あり色褪せている。足元は無垢な灰色のうさぎのスリッパで、背中から足を入れるような形はこの格好の元では残酷に見えた。
 リビングのドアから姿を現した異形な恰好の人物が『鬼』役だと気づくのに、可南子は数秒かかる。鬼の横に広信が立っているということは、間違いなく鬼は亮一だ。可南子は唖然として固まった。
 彼の腰に巻かれていたヒョウ柄のショールを指差して結衣が叫ぶ。

「私のショールがどうして! 広信!」
「まぁまぁ」

 可南子は結衣の怒号で我に返る。足元に縋りついてくる翔の手がブルブルと震えていた。鬼がピエロの不気味な顔をこちらに向けたまま静止すると、翔は声にならない掠れ声を出して可南子の背後に回った。広信はその翔のそばに屈むと神妙な顔をつくった。

「翔……。あの鬼は亮一おじさんの仲間だよ。あんまり亮一おじさんに調子に乗ったことしてると仕返しに……来るかもしれない」
「ひっ」

 翔は亮一に敵意を向けることがあり叩くことは珍しくなかった。注意してもすぐに忘れるらしく、攻撃の手を緩めない。

「叩いたり蹴ったりしては駄目だ。わかったか」
「うん、うんうん」

 目に涙をいっぱいに浮かべながら翔が何度も頷く。広信はにこりと笑うと「約束だ」と翔の頭をぽんぽんと撫でた。

「鬼は、外ぉぉぉーー!」

 その時、結衣の威勢のいい掛け声と、バチバチッと何かが物に当たった音がした。結衣が大きく振りかぶって煎り豆が幾つか入った個包装の袋を亮一にぶつけたのだ。近距離から思い切り胸に当たった豆の袋はぼとぼとと落ちて重さを思わせる音を残した。可南子はスローモーションにも見えた光景にあんぐりと口を開けた。

「ひ、広信さん。これ、豆まきですか……」
「僕、ビデオを回さないと!」
「私のショールを外して!」
「うわーん」

 豆をぶつけられてもピエロのマスクで覆われた顔からは亮一の表が読めない。亮一はバットを持ったまま足元に落ちた豆の袋を拾うと結衣の方に投げた。それは迷いなく結衣が手に持っている豆が入った籠の中に入る。
 もっと来いよとあざ笑うかのような挑発にみえた。可南子は思わず翔を抱き上げる。可南子が知っている豆まきの範疇をかなり超えていた。

「は、離れていようね」
「うん」

 結衣が投げた豆を身体に受けても逃げも隠れもしない鬼。鬼に大きく振りかぶって豆を投げつける結衣。それをスマートフォンで動画を撮る広信。可南子は翔を抱いたままベランダの窓そばに身を寄せた。翔を放って楽しんでいるようにしか見えない三人に呆気に取られる。
 そのうちピエロのマスクを被り、赤ジャージの腰にヒョウ柄のショールを巻いた亮一も拾った豆の袋を拾い上げては結衣の足にビシビシと当て始めた。

 ……福は内、鬼も内……なのはいいかもしれないけど。

 バットを持ったまま豆を拾っては母親である結衣に豆を投げている鬼に翔は完全に怯えていた。可南子の首にかじりついて真っ青な顔で震えている。可南子は眉を潜めて翔の背中を撫でながら優しい声をかける。

「もうやめようって言いに行くけど一緒に行く? 待ってる?」
「かなちゃんと、いっしょがいい」
「わかった。ちゃんと一緒にいるからね」
「うん」

 翔のこめかみに頬をくっつけると翔が嬉しそうに頬を綻ばす。
 可南子がまっすぐにピエロ姿の亮一に近づくと、亮一は手に持っていた豆を床に落とした。近くに寄ってまじまじと見て、マスクの迫力に可南子は感心してしまう。
 三人の動きがピタリと止まった。

「鬼さん、もうやめましょう」
「……」
「結衣さん、やり過ぎです」
「はい……」
「広信さん、翔君が怖がってるのに、動画を取り続けるどうかと思います」
「反省します!」

 口調は柔らかいながらも可南子が窘(たしな)めるように言葉をかけていくと、三人はそれぞれ目の反応を示した。
 一番飄々と受け流した広信はニコリと可南子に微笑みかける。

「じゃ、かなちゃんは鬼さんを見送って来てもらえる?」

 広信はにこやかにスマートフォンをタップして動画を停止すると、ズボンの後ろポケットに入れる。

「お見送り、ですか」
「うん。鬼さんが迷った挙句、家に居座ってたら困るからさ。な、翔」
「い、いえにいるの?」

 恐怖で頬を引きつらせた翔は、広信から伸ばされた手を掴んだ。

「だって、鬼はお母さんと対等に戦って逃げなかったし」

 広信の腕の中に移動した翔は、怯えてピエロに背を向ける。確かに豆を投げられた鬼は逃げていくものであったはずだ。
 何の問題も反省も感じさせない態度で、威風堂々と見下ろしてきているピエロのマスクは不気味で怖い上に、逃げる様子もない。可南子は苦笑して亮一の腕に触れ、広信に向って頷いた。

「見送ってきます」



 リビングのドアを抜けると、忌々しげに亮一は喉元のマスクの端を掴むと脱いだ。乱れた髪のまま、ジャージの腕で顔の汗を拭う。
 珍しく照れたように目を合わさない亮一に可南子は微笑みかける。

「お疲れさまでした」

 亮一は渋面を作ったまま小さな声で何か言った。聞き取れなかった可南子は首を傾げてもう聞き返す。

「ごめんなさい。聞こえなかったの」
「……こういうので、嫌にならないよな」

 亮一はぼそりと言った。渋面を正面に向けたまま、玄関の近くにある広信の書斎のドアノブに手をかける。可南子は「こういうの……」と亮一の言葉を繰り返して、思いつく限り素直に並べてみる。

「……ピエロのマスク? 赤いジャージ? ウサギのスリッパ? このバット? 結衣さんと本気でお豆をぶつけ合った事?」

 亮一は顔を渋らせた。書斎のドアを開け可南子の背中を押して中に入れると、そのドアの鍵を後ろ手で締める。

「その全部だな」

 広信の書斎には入って右側に壁一面に天井にまで届く本棚がある。文庫本からハードカバーまで気の向くまま買っている本棚は趣味の多さを物語っていて面白い。左手には仕事をするための机があり、中央には足を投げ出して座れる座面の長いシェーズロングのソファがあった。
 その上に亮一の服が畳んで置いてある。ここで着替えて出てきたらしい。
 亮一は手に持っていたマスクを広信の机の上に置きバッドを立てかけるとソファに腰かけた。その前に控え目に可南子が立つと、亮一は可南子の両手を持ち親指で手の甲を撫でた後、薬指の結婚指輪をくるりと回した。
 広信が関わると、物事が大事(おおごと)になるのは感じている。可南子は亮一の不貞腐れたような顔に微笑みかけた。

「嫌になるはずがないよ」
「ならキスしてくれ」

 亮一の低い声には焦れが絡まっていた。可南子が笑って誤魔化そうとすると、真剣な目とぶつかる。じわりと甘い疼(うず)きが下腹部に宿った。亮一の情欲の宿った目に流されないよう、呼吸で自制心を思い出しながら可南子は首を振る。

「……ここ、広信さんの書斎」
「エレベーターと何が違うんだ」

 縋るように口づけをせがんだ事を思い出させられて可南子の心臓が跳ね上がった。亮一の真っ直ぐな目から目をそらすと、手の甲を熟した果実を触るように丁寧に撫でられた。下腹部に宿った疼きに、なんとか保っている気持ちが溶けそうになる。

「着替えた方がいいよ。もうピザが来るんだって」
「なら、着替えさせてくれ」
「子供みたいなこと、言わないで」

 亮一の目に宿る情欲が熱さを増した。可南子は手を引こうとして止められる。亮一の身体を情欲が纏っている。可南子はどうしていいかわからずに瞬きを繰り返した。

「ピザが来る。ここは鍵を掛けてるから入ってこれない。俺は着替えない限り出ない。可南子も出さない。……何をしてるって思われるだろうな」

 亮一の目が本気だった。可南子はどこで機嫌を損ねただろうかと考えて、おずおずと聞く。

「さっき、愛想を尽かされるって言ったのを怒ってる?」
「……翔に甘い」
「……ん?」

 急に翔の話が出てきて頭がついて行かずに固まる。

「甘いから翔がつけ上がるんだ」
 
 亮一に手を引かれて一歩近づくと亮一の膝の間に可南子は立った。手は離されたが腰に手を回され抱き寄せられた。甘い痺れは徐々に身体の奥からの渇欲に変わっていく。翔がどう繋がるかわからないまま可南子は亮一の後頭部にそっと触れる。

「……三歳だよ」
「あれは三歳の目じゃない。広信の悪いのを受け継いだな……」
「目? 確かにやんちゃんが同じ年だった時よりは大人びてると思うけど。すごく可愛いよ」
「自分の子供を可愛がればいいじゃないか」

 身体がびくりと痙攣した。可南子を抱き締めている亮一にはわかっただろう。頭の中に母親からの手紙の文字が姿を現し無愛想に鎮座する。

「さっき、食事の予約をした。夜に話そう」

 亮一が可南子の下腹部に顔を摺り寄せ、可南子の細い腰をゆっくりと愛おしそうに撫でた。

「俺の子供を、可愛がれよ」
「あの」
「俺の子は嫌か」

 亮一の喋る言葉が下腹部に直接響いている。考えるよりも先に首を振っていた。亮一の子供を産めるなら産みたい、この腕に抱きたいと胸の奥に強い想いが疼いた。子供を産むということは未知すぎてどういうことかわからない。考える以上に大変な事だけはわかる。だが、子供ができない可能性もあると、実の母親に示唆された。
 無意識に亮一の後頭部に回した手に力が籠っていたらしい。亮一が宥めるように可南子の腰を撫でた。

「考え過ぎるなよ。俺は可南子が俺の子を産みたいと思ってくれているだけで嬉しい」

 亮一の言葉に驚いて息を吸い込み、呼吸が止まっていたことを知る。硬直していた身体は撫でられた腰から緩んでいった。
 自分の意見や気持ちを言っても大丈夫な空気を作ってくれる亮一に気持ちを委ねて可南子は思いを伝える。

「亮一さんの子供、産みたい」
「そうか、ありがとう」

 亮一に嬉しそうにお礼を言われて胸が詰まった。可南子は自分が子供のできない身体だったらと身を乗り出す。子供が欲しいなら、亮一なら他にも人を選べる。

「だけど」
「あの手紙な、気持ちの整理がついたら久実に見せてみたらいい。可南子と対極の反応が見れる」
「久実さん?」
「ああ、結衣でもいい。ソファを持ちあげて怒りそうだ」
「ソファ」
「怒っていいっていう感覚を、わけてもらえ」

 亮一は可南子の身体から顔を上げると、二人の身体は自然と少し離れた。亮一は精悍な容貌の中にある力強い双眸で可南子の瞳を覗き込む。魅入られて動けず、可南子の唇は小さく振動する期待にほんの僅かだけ開いた。

「だが、俺には怒るなよ」

 念を押すような子供っぽい亮一の態度に可南子の肩の力が抜けた。くすくすと笑ってしまう。触れ合うのも恥ずかしかった頃はとうに通り過ぎた。自ら孤立を選ぶ必要が無いと教えてくれる亮一は、可南子にとっては太陽のようで、眩しくて愛しい。可南子は亮一の肩に手をそっと置いた。

「……キスは」
「待ってる」
「良かった」

 可南子は微笑んで身を屈ませると亮一の唇にふわりと重ねたが、後頭部に亮一の手が回って来て深いものになった。深く挿入された舌に咥内を蹂躙され、息苦しさに離そうとした頭を強く押さえられる。可南子が飲みこむのが追いつかない唾液を亮一がすする。ずずっいう音が耳に届いて媚肉が蠢いた。

「りょ、ういち、さん」

 熟れたように赤くなった唇で可南子が途切れ途切れに名を紡ぐと亮一の唇が離れた。欲に滾った亮一に腰を引き寄せられたと思ったら視界が反転していた。ソファに押し倒されたのだと思った時には亮一に口の中を犯されていた。
 顔の横で手首を押さえられ、身体の上を跨(またが)るように膝を付かれて、身動きが取れない。咥内をまさぐる舌に容赦は無く、上顎の中や歯列を舌で舐(ねぶ)られ、流れ込んでくる唾液を飲みこむように唇は覆われ、生理的な涙を浮かべながら可南子は何度も嚥下をした。

 亮一の膝が可南子の両脚の間に入り擦りながら動き始めると可南子の背が反り返った。口から出る喘ぎは亮一の咥内に消える。目を開けると飛び込んでくるのは亮一の顔だけだったが、ここは間違いなく広信の書斎だ。いつ誰が来るかもわからない。可南子は身をくねらせて喉から声を出しながら抵抗する。だが、下着の中で芽吹いた花芽に刺激を与えるように、亮一の膝にその場所を当てて動いてしまう。零れた蜜で濡れた下着は亮一の膝に合わせてぬるぬると滑った。蜜唇に宿った熱さを引き込むように蜜壺は蠢く。

「イケるだろ」

 可南子の腰の動きに亮一は蠱惑的に笑む。もうわかってるだろうといった視線を送られて、可南子は花開かされた官能の深みを思い知る。
 弾けたいという願いが強く身体に巻き付き、陽炎のように掴めなかった高みへの階段を見つけた。濃く甘い霧の中に埋没していく自分自身を感じて、押さえられた手首にさえもゾクゾクとした陶酔を感じる。服の上からでは足りないと蜜路が脈打ち蠢いていた。
 可南子はごくりと生唾を飲みこむ。

「ちょ、直接がいい」
「……俺の奥さんは、突拍子も無い事をいう」

 可南子の黒い瞳は情欲に鼓舞されて煌めき、亮一が執拗に口づけして濡れて紅く染まった唇からは短い息が漏れていた。亮一は目を細め、可南子の耳元に唇を寄せて、息を吹きかけると耳の裏を熱い舌でじゅるりと舐めた。可南子の口から短くも淫靡な声が漏れる。

「あの二人に文句を言われる筋合いは無いが、俺がそれだけじゃ我慢できなくなる。これでイッてくれ」

 亮一はそういうと膝をぐっと押し当てて擦るように動き始めた。

「ぁっ」
「いつもより良さそうだな……かわいいよ」

 喉を反らしながら慌てて唇を噛んだ可南子に囁くと、亮一は白い喉の筋に唇を這わせた。手首は解放されていた。いつもより良さそうと言われて可南子は固く目を瞑る。手の甲で口を押えて、息を短くして漏れそうになる声を逃がしていく。亮一は欲情の火の粉が散る目で可南子の薄桃色に火照った首筋を、頬を見て、動きの烈しさを増した。可南子の下腹部の中の悦びが塊になり、背中を昇りはじめた。あっというまに愉楽の炎に埋め尽くされるていく。

「あっ、いっ、ふっ」

 身体全部が鼓動になり弛緩して柔らかい場所へ落ちた。どくどくと脈打つ媚肉は蜜をこぼして下着を濡らす。そこに質量が何もない違和感は拭えず、可南子はぼうっとした目で亮一を見上げた。亮一は可南子の脚の間から脚をどけるとソファに腰かけ直し、可南子の顔に掛かった髪を漉くって落とす。じっと見つめてくる可南子に笑みを浮かべた。

「おねだりする目だな」

 可南子は頬を染めて目だけを綻ばせる。指一本を動かすのもだるかった。
 亮一は振り切るように可南子から手を離した。自分の首の後ろを撫でた後立ち上がる。ソファのそばに落ちていた自分の服を拾うと赤いジャージを脱ぎ始めた。下に着ていたカットソー越しでも背中の筋肉の形がわかる。可南子は大きなサイズのジャージの持ち主に疑問を持った。

「……ジャージ、亮一さんのなの?」
「広信の高校の時のらしい」
「……」

 可南子は横たわったまま手で顔を覆う。広信の書斎の、いつも広信がくつろいでいるシェーズロングのソファの上で、広信のジャージを着た亮一と情欲に負けて溺れてしまった。
 じわじわと襲ってきた羞恥とやりきれなさに、愉楽に火照っていた身体が冷えていく。

「気にするな」

 亮一は可南子のこめかみに唇を落とした。

「無理」
「気まずそうな顔をしてたらバレるぞ」
「わかってるけど、そんな上級者なこと……」
「だろうな。結衣も無理だったから、良いんじゃないか」

 亮一は片方の口角を意味ありげに上げた。
 マンションに使っていない部屋にあった簡易ベッドを捨てる際『十年以上は使ったな……』と亮一は言っていた。結衣は『あのマンション、女の子を絶対に入れなかったの。学生時代、広信と私はよく遊びに行っていたのだけど』とも。全てを組み合わせると、導かれるのは一つの結論になる。可南子ははっとした。頬を赤くして上体を起こす。

「……普通に、振舞います」
「まぁ、頑張れ」

 亮一は可南子に率直な笑顔を向けると、自分の下半身を見ながら溜息をついた。
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