優しい手に守られたい

水守真子

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番外編

夫婦から家族へ 6

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「あの次の日、取引先から帰社するのを利用して一旦(いったん)家に帰った。その時に手紙を見つけた。……可南子はわかりやすいんだよ」

 亮一はエレベーターのボタンを押しながら苦く笑った。
 可南子は使ったものを片付けることが習慣づいているらしく、何かあるとそれが疎かになるらしい。亮一はそれで『疲れている』『何かあった』と判断していると言われたことがある。あの日もそうだったかもしれない。記憶を辿るように瞬きを繰り返すが可南子には覚えがない。
 ただ、亮一の顔を見上げて表情に怒りなど浮かんでいないことには安堵した。

「話せなくて、ごめんなさい」
「話せなくて当然だと思ったから待ってた。勝手に読んだしな。すまなかった」

 可南子は頭を振る。読まれていたとわかって気持ちが軽くなった自分がいる。
 エレベーターのランプが一階で点滅し扉が静かに開いた。誰も乗っていなかったエレベーターに可南子は亮一に引かれて半歩遅れて乗り込む。

「可南子のお母さんらしいとは思った。……辛かったな」

 優しい声は心に染み渡る。目の中に涙が溜まらないよう、気を逸らすように可南子は頭を振った。辛くなかったと言えば嘘になる。心の整理をする時間が欲しかった。事情を知ってなお、亮一はずっと見守ってくれていたのかと思うと、切なくも温かいものがじんわりと可南子の心の中に広がる。

 亮一が真田家がある階のボタンを押すとエレベーターの扉がゆっくりと閉じていく。完全に閉じかけた時、亮一はポケットから可南子の手を出した。向かい合うと可南子に顔を寄せる。亮一からシャンプーの香りが漂ってくると、可南子の身体の中に悦びが息づいた。亮一に息が掛からないようにと思うと呼吸が浅くなる。
 可南子の耳に、亮一は口を近づけた。

「好きだよ、奥さん。俺は可南子一筋だ」

 冷えた耳に熱い息が掛かり溶けていく。

「俺はどこにも行かない。だから、可南子もどこにも行かないでくれ」

 小さく頷くのが精いっぱいだった。母親の手紙に書いてあったことは亮一の事も傷つけている。
 可南子は、はっとした。自分が楽になるためだけに、その手紙を亮一に読ませようとしていたのだ。要点だけ絞って亮一に話すこともできた。ショックを受けていたからとはいえ、そこまで頭がまわっていなかった。
 自分の愚かさが痛切に胸に迫り、自己嫌悪に身体が小さく震えた。

「ごめん、なさい」
「謝るなよ。誰も悪くない。……それぞれ立場があるだけだ」

 亮一が可南子の母親の立場をさりげなく擁護してくれたのがわかった。堪えていた涙が込み上げてくるのを我慢する。母親は悪い人ではないと思いたい。だが、価値観が合わない。
 手を繋いだまま、可南子は亮一の逞しい胸に額を押し付けた。エレベーターはぐんぐん昇っていき、すぐに目的の階に着く。扉が開いた先には人がいるかもしれない。それでも、もっと近づきたかった。

 亮一は繋いでいた手を離すと可南子の華奢な顔の輪郭に添えた。優しく上を向かせられて、可南子は亮一の端整な顔立ちを間近で見る。整った顔を正面で見据えるには勇気がいる。恥ずかしさから可南子が目を伏せようとすると、さらに上に向かせられた。

 エレベーターが緩やかにスピードを落として止まりドアが開く。わかるのに亮一の視線に絡み取られて可南子は動けない。口元を緩めた亮一が可南子の唇を柔らかく食(は)んだ。優しい口づけに可南子は目を閉じる。寒い中、触れあっている唇だけが暖かい。もっと感じたいと身体の奥が渇えたように蠢くと自然に手は亮一の腕に触れていた。エレベーターの扉が閉じてまた動き出し下に降りていく。
 唇が深く重なる。

 ……あと少しだけ。

 可南子は亮一の腕を支えにして背伸びをすると、亮一にもっと近づいた。
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