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直情型の人
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◇
久しぶりの家からの出社は、感覚を掴むのが少し難しい。
可南子は伸びた髪をいつ切りに行けるかを考えながら、髪をまとめてねじりクリップで留めた。あらわになった耳に黄金色のシトリンがぶら下がっているピアスを付ける。
鎖骨が出る白のカットソーとグレーのパンツに、キャメルのロングカーデガンを羽織った。バッグの中を見て忘れ物がないかを確認していると、スマートフォンが振動した。
『おはよう』
簡潔すぎる亮一からのメールは、こういう事に不慣れなことが伝わってきた。可南子は、笑いを噛み殺す。
『おはようございます。今から出社します。亮一さんも、気をつけて』
こんなメールをする日が来ることを、想像もしていなかった。可南子は緩む顔を抑えられない。
9センチヒールのパンプスに足を入れたのは、仕事に行く気合を入れるためだ。身に着けるものは、その場に相応しい気持ちにしてくれる。
家から駅までの距離で、高いヒールに足の甲とふくらはぎが早くも苦痛を訴え始め、筋力の無い腹筋と背筋が痛んでくる。
その痛みが、今日は気の緩みから連発しそうな仕事のミスを止めてくれる気がする。
通勤ラッシュ時間のやや混んだ駅のホームから、いつもの時刻の電車に乗り込む。利用する車両の慣れた場所に陣取ると、やっと日常が戻ってきた気がした。
体は接触するが密着はしない程度の混み具合。
変わっていないことに、ほっとする。
地下鉄の窓からは、外の風景は何も見えない。
月曜日の倦怠感を孕んだ、感情を押し殺した車内の乗客が、窓にずっと映っている。
可南子は吊り革につかまったまま、窓に映った自分と相対する。
やはり浮ついている気がして、息を吐いて、今から仕事であることを自分に言い聞かせた。
◇
会社に着くと、結衣が磯田の席のそばに立って談笑していた。
可南子の席の通路を挟んで右側、オフィスを見渡すように設けてある上役席が、磯田の席だ。
結衣はいろいろな太さが混じった縦縞のカットソーの上から、チャコールのテーラードジャケットをはおり、同じ色のパンツを合わせていた。きれいな顔にしっかりとされた化粧は、目元のアイラインが少しだけ柔らかくなった気がする。
「おはようございます」
可南子は二人に挨拶をすると、バックの中からスマートフォンや手帳を机の上に出す。
「おはよう。今日ね、無事に井口先生のアクセサリが納品できます。いろいろとありがとう」
「本当ですか。大丈夫でしたか」
「大丈夫でした。受け取って、それから店舗に行ってきます」
添付して販売するカードも井口に気に入ってもらえたと、結衣は、本当に嬉しそうに笑んだ。
気づけばもう十月だ。店のディスプレイもハロウィン色になっている。
可南子の手から離れた件であったし、元々、関係の無い仕事ではあったので、進捗などは知らなかった。
「良かった……」
結衣の仕事を守れた気がして、可南子は、ほっとする。
「で、可南子。お祓いって行ったのか」
磯田がお洒落な老眼鏡を外しながら、可南子に言う。
そういえば、そんな話をしていた気がする。
可南子はパソコンの電源を入れながら、顔だけ磯田に向けた。
「まだ、行ってないです」
「お祓いに行くつもりだったの?」
結衣が驚いたように目を開く。
「……いろいろと重なりすぎて、これは何かに憑依されているのではないかと思いまして」
冗談っぽく言ってはみたが、結婚式から一週間、頭が痛いことを詰め込まれたあの週は、やはり、何か悪い気に当てられていたとしか思えない。
「そうか、なんかスッキリしてるから、お祓いが効いたのかと思った」
磯田らしい遊び心を含ませた言葉に、可南子は固まった。
その女子並の観察眼を分けてほしいと、可南子は思う。
表情に何も出ていないようにと願いながら、パソコン画面にパスワードを打ち込む。
「何だ、何かあったのか」
磯田が興味津々と言った様子で、机に肘をついて可南子の顔を見た。
しっかりと表情に出ていたらしく、姿を隠したくなる。
……無理して9センチのヒールで出社したのに。
気合が空振りしたようで、落胆してしまう。
「何も無いですよ。磯田さんのお勧めの神社があれば教えてください」
「俺は厄払いも行かない人間だ」
「……お祓いに行くのを、後押ししておいて、それですか」
梯子を外されたような感覚に、つい口調に呆れが滲んでしまう。
起動させたメールソフトにパスワードを入れると、未読メールで真っ赤に画面が染まった。
殆ど関係が無いメールだとわかってはいても溜め息は出る。
話題を変えられないか、同時に磯田のスケジュールも確認する。
「磯田さん、九時から早速、会議が入ってますよ。しかも、これ、上の会議室を借りました」
上というのは、上階フロアを占めている親会社の事だ。社内の会議室が埋まっていると、本社から出向してきている顔の効く磯田が親会社の会議室を押さえる。
会議室予約の社内システムが使えないので、可南子が親会社の総務に連絡をして、磯田の名前を出して借りるという面倒な方法を取るのだ。
「お、そうだった。ゆっくりしてたら間に合わないな」
磯田は手帳を持つと結衣に微笑みかけた。
「真田。報告をありがとう」
「こちらこそ、ご迷惑をおかけしました。いってらっしゃい」
颯爽と可南子の後ろを通って磯田が去ると、腰に手を当てて、結衣は仕事用の表情を和らげる。
「相変わらず、磯田さんは可南子をお抱えにしているね」
「……小間使い、ですよね。でも、良かったです、本当に。クリスマスにも影響は無さそうですか?」
井口の機嫌をあのまま損なっていたらと思うと、やはり怖い。
問い掛けながら結衣を見ると、なぜか猫のようにしなやかな目を顰めていた。
「……その、大丈夫?」
「クリスマス、ですか?」
「違う。広信に、可南子から何か言ってくるまで何も聞くな、と、言われていたのだけど、もう、限界。大丈夫?」
亮一のことだと察して、慌てて頷く。
緩みがちな気を張ろうと踏ん張っているのに、全てが水泡に帰そうとしている気がする。
「だ、大丈夫、です」
「住んで、二週間だよね」
結衣の今まで見たことの無い力強い迫力に、可南子は尻込みする。
「はい。でも、もう、私は帰りました」
瞬間、結衣の顔が無表情よりも怖い顔になった。
背中から陽炎が出たような凄みに、可南子は呆気にとられる。
結衣は手を開いた後、小指から順に指を折りたたむようにして右手で拳を作った。
可南子は、とんでもない誤解をされている気がした。
それなのに、ここはオフィスでゆっくりと話せる環境ではない。
「ゆ、結衣さん。大丈夫なんです」
「大丈夫。そう言う女の子を、私はね、たくさん見てきました」
そう言って結衣は壁に掛かっている時計を見た。
「あ、もう社を出ないと。可南子、後のことは任せて」
陽炎を背後から出したまま、結衣が可南子に背中を向ける。
可南子は結衣の腕を慌てて掴んで、耳元に顔を近づける。
「お、お付き合いはすることになって。だから、大丈夫です」
結衣の陽炎が白みを帯び、その純度を増して、全体に広がった気がした。
その迫力に驚いて、可南子は手を離してしまう。
こんな結衣を見たのは始めてだったからだ。
結衣の心の中の声が、ブツブツとその口から漏れている。
「少しは変わったと思ったから黙っていたのに。付き合っているのに追い出すとか信じられない。よりによって、よりによって、その相手が可南子とか。もう、共犯決定。広信と亮一を、まとめて吊るし上げる」
「結衣さん、いろんな誤解が」
「可南子は筋肉よりも、ポチャが好きだよね?」
「ポチャ?」
「ぽっちゃり体型の人のこと。あの、頭の中まで筋肉より、遥かに人間味あふれた良い人だから、安心して紹介されて」
「いや、私、亮一さんとお付き合いを」
結衣は可南子の肩に手を置いた。
「私に、任せて」
結衣の目に鋭い光が宿っている。
断れない強さの光だけれど、ここは頷けない。
その時、始業ベルが鳴った。
「あ、仕事。じゃあね、可南子。ポチャ!」
結衣は、拳を天に突き上げた。
……え、ポ、ポチャって、何?
結衣が去って行くのを、誤解を解けずに見送る可南子は真っ青になる。
待っていたかのように、オフィス内に電話のベルが鳴り始める。
磯田の電話も、一緒に会議に行った上長の電話も取らないといけない。
可南子は自分机の上に出したスマートフォンを奪取すると、全てを振り切るように早足でオフィスから廊下に出た。
……すぐに戻って、仕事をするから、許して!
廊下の大きな柱の陰に隠れて、電話帳で亮一を探し出すとすぐに電話を掛けた。
メールで書くよりも、留守電に入れた方が早い気がしたのだ。
『はい。志波です』
3コール以内に、まさかの本人が出て可南子は卒倒しそうになる。
「も、もしもし、相馬です。あの、お仕事は」
『同じ台詞を、返せるぞ』
亮一の笑いを含んだ声に、ほっとする。
「あ、そうか。お仕事中にすいません……」
『お疲れ様。どうした』
会社用だろうか、亮一の、少し硬さのある声に心臓が小さく早鐘を打ち始める。
全力疾走した後みたいに、苦しい。
「結衣さんが、たぶんいろいろと誤解をしたまま、外出をしてしまいました。すいません、ちゃんと話ができなかったの。亮一さんと広信さんに対して、怒っているようで、どうしようと思って」
『……また、直情を発揮したか』
電話口から、カチカチとクリックをする音がする。
『可南子、俺は今からちょっと席を外すから、すまないが話ができない。今日の7時、うちの会社の下まで来られるか。ビルの一階は誰でも入れるんだ。その一階にコーヒーが飲める店がある。そこで待っていてもらえると助かる』
「あ、はい。行けます」
ここから、二十分もあれば着く。
『来させて悪い。じゃ、夜に』
「は、はい。すいません、突然」
『いや、会えて嬉しい』
……会えて、嬉しい。
その言葉に固まり何も返せないまま、何とか電話を切った。
両手で握ったスマートフォンを呆然と見つめる。
……9センチヒールの、意味が無い。
心の中に、沢山の小さな花びらが舞い上がっている。
どこからか吹く風に吹かれて、踊って、くすぐりあって、楽しそうだ。
今日の仕事は、始まったばかりなのに。
ミスをしないように、時間を掛けるしかないと、可南子は緩んでしまう頬を押さえながら思った。
久しぶりの家からの出社は、感覚を掴むのが少し難しい。
可南子は伸びた髪をいつ切りに行けるかを考えながら、髪をまとめてねじりクリップで留めた。あらわになった耳に黄金色のシトリンがぶら下がっているピアスを付ける。
鎖骨が出る白のカットソーとグレーのパンツに、キャメルのロングカーデガンを羽織った。バッグの中を見て忘れ物がないかを確認していると、スマートフォンが振動した。
『おはよう』
簡潔すぎる亮一からのメールは、こういう事に不慣れなことが伝わってきた。可南子は、笑いを噛み殺す。
『おはようございます。今から出社します。亮一さんも、気をつけて』
こんなメールをする日が来ることを、想像もしていなかった。可南子は緩む顔を抑えられない。
9センチヒールのパンプスに足を入れたのは、仕事に行く気合を入れるためだ。身に着けるものは、その場に相応しい気持ちにしてくれる。
家から駅までの距離で、高いヒールに足の甲とふくらはぎが早くも苦痛を訴え始め、筋力の無い腹筋と背筋が痛んでくる。
その痛みが、今日は気の緩みから連発しそうな仕事のミスを止めてくれる気がする。
通勤ラッシュ時間のやや混んだ駅のホームから、いつもの時刻の電車に乗り込む。利用する車両の慣れた場所に陣取ると、やっと日常が戻ってきた気がした。
体は接触するが密着はしない程度の混み具合。
変わっていないことに、ほっとする。
地下鉄の窓からは、外の風景は何も見えない。
月曜日の倦怠感を孕んだ、感情を押し殺した車内の乗客が、窓にずっと映っている。
可南子は吊り革につかまったまま、窓に映った自分と相対する。
やはり浮ついている気がして、息を吐いて、今から仕事であることを自分に言い聞かせた。
◇
会社に着くと、結衣が磯田の席のそばに立って談笑していた。
可南子の席の通路を挟んで右側、オフィスを見渡すように設けてある上役席が、磯田の席だ。
結衣はいろいろな太さが混じった縦縞のカットソーの上から、チャコールのテーラードジャケットをはおり、同じ色のパンツを合わせていた。きれいな顔にしっかりとされた化粧は、目元のアイラインが少しだけ柔らかくなった気がする。
「おはようございます」
可南子は二人に挨拶をすると、バックの中からスマートフォンや手帳を机の上に出す。
「おはよう。今日ね、無事に井口先生のアクセサリが納品できます。いろいろとありがとう」
「本当ですか。大丈夫でしたか」
「大丈夫でした。受け取って、それから店舗に行ってきます」
添付して販売するカードも井口に気に入ってもらえたと、結衣は、本当に嬉しそうに笑んだ。
気づけばもう十月だ。店のディスプレイもハロウィン色になっている。
可南子の手から離れた件であったし、元々、関係の無い仕事ではあったので、進捗などは知らなかった。
「良かった……」
結衣の仕事を守れた気がして、可南子は、ほっとする。
「で、可南子。お祓いって行ったのか」
磯田がお洒落な老眼鏡を外しながら、可南子に言う。
そういえば、そんな話をしていた気がする。
可南子はパソコンの電源を入れながら、顔だけ磯田に向けた。
「まだ、行ってないです」
「お祓いに行くつもりだったの?」
結衣が驚いたように目を開く。
「……いろいろと重なりすぎて、これは何かに憑依されているのではないかと思いまして」
冗談っぽく言ってはみたが、結婚式から一週間、頭が痛いことを詰め込まれたあの週は、やはり、何か悪い気に当てられていたとしか思えない。
「そうか、なんかスッキリしてるから、お祓いが効いたのかと思った」
磯田らしい遊び心を含ませた言葉に、可南子は固まった。
その女子並の観察眼を分けてほしいと、可南子は思う。
表情に何も出ていないようにと願いながら、パソコン画面にパスワードを打ち込む。
「何だ、何かあったのか」
磯田が興味津々と言った様子で、机に肘をついて可南子の顔を見た。
しっかりと表情に出ていたらしく、姿を隠したくなる。
……無理して9センチのヒールで出社したのに。
気合が空振りしたようで、落胆してしまう。
「何も無いですよ。磯田さんのお勧めの神社があれば教えてください」
「俺は厄払いも行かない人間だ」
「……お祓いに行くのを、後押ししておいて、それですか」
梯子を外されたような感覚に、つい口調に呆れが滲んでしまう。
起動させたメールソフトにパスワードを入れると、未読メールで真っ赤に画面が染まった。
殆ど関係が無いメールだとわかってはいても溜め息は出る。
話題を変えられないか、同時に磯田のスケジュールも確認する。
「磯田さん、九時から早速、会議が入ってますよ。しかも、これ、上の会議室を借りました」
上というのは、上階フロアを占めている親会社の事だ。社内の会議室が埋まっていると、本社から出向してきている顔の効く磯田が親会社の会議室を押さえる。
会議室予約の社内システムが使えないので、可南子が親会社の総務に連絡をして、磯田の名前を出して借りるという面倒な方法を取るのだ。
「お、そうだった。ゆっくりしてたら間に合わないな」
磯田は手帳を持つと結衣に微笑みかけた。
「真田。報告をありがとう」
「こちらこそ、ご迷惑をおかけしました。いってらっしゃい」
颯爽と可南子の後ろを通って磯田が去ると、腰に手を当てて、結衣は仕事用の表情を和らげる。
「相変わらず、磯田さんは可南子をお抱えにしているね」
「……小間使い、ですよね。でも、良かったです、本当に。クリスマスにも影響は無さそうですか?」
井口の機嫌をあのまま損なっていたらと思うと、やはり怖い。
問い掛けながら結衣を見ると、なぜか猫のようにしなやかな目を顰めていた。
「……その、大丈夫?」
「クリスマス、ですか?」
「違う。広信に、可南子から何か言ってくるまで何も聞くな、と、言われていたのだけど、もう、限界。大丈夫?」
亮一のことだと察して、慌てて頷く。
緩みがちな気を張ろうと踏ん張っているのに、全てが水泡に帰そうとしている気がする。
「だ、大丈夫、です」
「住んで、二週間だよね」
結衣の今まで見たことの無い力強い迫力に、可南子は尻込みする。
「はい。でも、もう、私は帰りました」
瞬間、結衣の顔が無表情よりも怖い顔になった。
背中から陽炎が出たような凄みに、可南子は呆気にとられる。
結衣は手を開いた後、小指から順に指を折りたたむようにして右手で拳を作った。
可南子は、とんでもない誤解をされている気がした。
それなのに、ここはオフィスでゆっくりと話せる環境ではない。
「ゆ、結衣さん。大丈夫なんです」
「大丈夫。そう言う女の子を、私はね、たくさん見てきました」
そう言って結衣は壁に掛かっている時計を見た。
「あ、もう社を出ないと。可南子、後のことは任せて」
陽炎を背後から出したまま、結衣が可南子に背中を向ける。
可南子は結衣の腕を慌てて掴んで、耳元に顔を近づける。
「お、お付き合いはすることになって。だから、大丈夫です」
結衣の陽炎が白みを帯び、その純度を増して、全体に広がった気がした。
その迫力に驚いて、可南子は手を離してしまう。
こんな結衣を見たのは始めてだったからだ。
結衣の心の中の声が、ブツブツとその口から漏れている。
「少しは変わったと思ったから黙っていたのに。付き合っているのに追い出すとか信じられない。よりによって、よりによって、その相手が可南子とか。もう、共犯決定。広信と亮一を、まとめて吊るし上げる」
「結衣さん、いろんな誤解が」
「可南子は筋肉よりも、ポチャが好きだよね?」
「ポチャ?」
「ぽっちゃり体型の人のこと。あの、頭の中まで筋肉より、遥かに人間味あふれた良い人だから、安心して紹介されて」
「いや、私、亮一さんとお付き合いを」
結衣は可南子の肩に手を置いた。
「私に、任せて」
結衣の目に鋭い光が宿っている。
断れない強さの光だけれど、ここは頷けない。
その時、始業ベルが鳴った。
「あ、仕事。じゃあね、可南子。ポチャ!」
結衣は、拳を天に突き上げた。
……え、ポ、ポチャって、何?
結衣が去って行くのを、誤解を解けずに見送る可南子は真っ青になる。
待っていたかのように、オフィス内に電話のベルが鳴り始める。
磯田の電話も、一緒に会議に行った上長の電話も取らないといけない。
可南子は自分机の上に出したスマートフォンを奪取すると、全てを振り切るように早足でオフィスから廊下に出た。
……すぐに戻って、仕事をするから、許して!
廊下の大きな柱の陰に隠れて、電話帳で亮一を探し出すとすぐに電話を掛けた。
メールで書くよりも、留守電に入れた方が早い気がしたのだ。
『はい。志波です』
3コール以内に、まさかの本人が出て可南子は卒倒しそうになる。
「も、もしもし、相馬です。あの、お仕事は」
『同じ台詞を、返せるぞ』
亮一の笑いを含んだ声に、ほっとする。
「あ、そうか。お仕事中にすいません……」
『お疲れ様。どうした』
会社用だろうか、亮一の、少し硬さのある声に心臓が小さく早鐘を打ち始める。
全力疾走した後みたいに、苦しい。
「結衣さんが、たぶんいろいろと誤解をしたまま、外出をしてしまいました。すいません、ちゃんと話ができなかったの。亮一さんと広信さんに対して、怒っているようで、どうしようと思って」
『……また、直情を発揮したか』
電話口から、カチカチとクリックをする音がする。
『可南子、俺は今からちょっと席を外すから、すまないが話ができない。今日の7時、うちの会社の下まで来られるか。ビルの一階は誰でも入れるんだ。その一階にコーヒーが飲める店がある。そこで待っていてもらえると助かる』
「あ、はい。行けます」
ここから、二十分もあれば着く。
『来させて悪い。じゃ、夜に』
「は、はい。すいません、突然」
『いや、会えて嬉しい』
……会えて、嬉しい。
その言葉に固まり何も返せないまま、何とか電話を切った。
両手で握ったスマートフォンを呆然と見つめる。
……9センチヒールの、意味が無い。
心の中に、沢山の小さな花びらが舞い上がっている。
どこからか吹く風に吹かれて、踊って、くすぐりあって、楽しそうだ。
今日の仕事は、始まったばかりなのに。
ミスをしないように、時間を掛けるしかないと、可南子は緩んでしまう頬を押さえながら思った。
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