初恋は雷雨に誘われた

水守真子

文字の大きさ
上 下
3 / 7

届け物

しおりを挟む
 朝から強い雨が止まない。時に風が伴う、外出にはまったく適さない日。
 こういう日は憂鬱になる。
 あの日を思い出すから。

 耕平が住むマンションのオートロック解錠ボタンの前に立った。
 晶は傘を畳みながら、雨水が跳ねて濡れたズボンの裾に嘆息する。
 十数年ぶりに相対することになった日が、よりによって雨とは。
 予報は『大雨』『強風』だったっけと、チェックした天気予報を思い出そうとしたが諦めた。
 晶は痛むこめかみを押さえた。あの日のあれを思い出すような日は頭痛がする。
 あんなこともあったねと、話せばいいのかもしれないがそんな勇気は晶に無かった。
 もう来てしまったのだから、さっさと用事を済ませて帰るだけ。

 スマホを出して教えてもらった部屋番号を確認し、冷たくなった指先でそれを押す。
 カチ、カチ、カチ、カチ。丸いボタンの冷たさが、既に冷たい指先に染みた。
 ピンポーンと音が鳴る。向こうからの反応はない。
 留守かと溜息を吐き、自分にお使いを頼んだ弟の潤を恨んだ。
 届け物を頼むと、急ぎなのだと、今朝急に頼まれたのだ。
 大まかながら時間指定までされたからいるかと思っていた。
 自分で在宅を確認すべきだった。仕事ではできるのに、プライベートでは抜けてしまう。

 耕平がいないのならしょうがない。帰ろうかと降った雨が跳ねている道路を眺めた。
 靴はすでに中まで濡れている。レインシューズを選ばなかったのは、ここまでひどくなるとは思わなかったから。
 家に帰ったらまずお風呂に入ろう。熱めのお湯にとっておきの入浴剤を入れるんだ。
 踵を返そうとしたら、ほっとしていた。
 会おうとしているのに、会えないのは不可抗力。
 避けているわけでは無い。
 この免罪符に、いつも救われている。

「……晶さん?」

 信じられない、といった声がマイクの向こうから響いた。
 耕平の久しぶりの低い声に心臓が一瞬止まった気がした。
 あの頃より数トーン低くなった声は、時々聞きとりにくい。
 突然の訪問に驚いた声色の耕平に申し訳なく思った。彼だって会いたくないはずだ。
 自分は社長令嬢で、社長秘書。耕平は将来役員候補の営業のホープとはいえ、平社員。
 幼馴染とはいえ、こういった差が男性のプライドを傷つけると社会に出て知った。
 同じ会社でもフロアが違うので会わないし、顔を合わせようともしていない。
 潤はそんな自分たちを仲良くさせたいと思っているのがわかる。
 そして、抗えないワードを利用してきた。

「突然ごめんね。潤から、『村』からの届け物を頼まれて」
「ああ『村』」

 耕平の苦笑の口調に緊張していた気持ちがちょっと緩んだ。暗黙のルールが通じ合うのは楽だ。
 都会に出て何年経っても、誰に言っても理解されない、独特の空気感。
 自分たちにとっては縛りで、絶対に逆らえない色合いを持つ。
 それを理解しあえる関係というのは、仲間意識を強くした。
 地域の人達にとって『深山のお屋敷』は絶対君主で、だから耕平は逆らえない。
 仲間と言いながら、主従関係が隠れている。だから、申し訳ない気持ちがある。

「休みの日に突然ごめんね。ここを開けてくれたら、ドアの前に置いて帰るから」

 預かった紙袋に包まれたものを自分の顔の前に出すと、玄関がガチャッと解錠された音がした。

「いや、潤が来るかと思ってたんです。入ってください」

 話は一方的に終わった。最後の方に『潤の奴』と悪態ついているのが聞こえた。
 潤だけでなく、自分への言葉でもあったと感じてしまう。
 村の人間にとって深山の娘である自分は、触れたら火傷するくらいのリスキーな存在。
 父親が過保護にしている自分。『お姫様』に失礼があれば、当主自らが牙を剥く。
 だから、自分から近づいてはいけない。浅くなっていた呼吸を深くして、自動ドアをくぐってエレベーターに乗る。
 長いようで短い時間。心臓が痛く感じるほどに鼓動を続けている。
 エレベーターのドアが開き、踊り場に耕平が立っていた。躊躇う足を無理やり前に進める。
 スポーティなブルゾンを羽織り、いかにも体育会系でいたという出で立ちは、あの頃には無かった男性的なものがあった。
 細身でありながら敏捷性がありそうな体躯。肩幅は広くはないが筋肉が隆起していて、長身で手足は長い上に、顔も小さい。
 未だに熱心に身体を動かしているのだろうなと思う。
 整っている顔には、小動物のように愛くるしい大きな目と、凛々しさを表す高い鼻、いつも笑みを湛えているような人を惑わす唇……。
 だが、唇は笑みを浮かべずに歪んだ。

「……濡れているじゃないですか」

 他人には笑みを見せる癖に、耕平は自分に対してはいつも不機嫌そうに接してくる。

「雨が強かったの。はい、これ」

 腕を伸ばして古めかしい油紙の紙袋に入った届け物を差し出す。
 こちらを見定める不機嫌そうな視線にそわそわしていると、耕平はわかりやすく溜め息を吐いて、届け物を小脇に挟んだ。
 ほっとしたのも束の間、手首を掴まれる。

「え、ちょっと」

 そのままずんずんと進みだす。引き摺られるようになったのは、行動を予想していなかったからだ。

「風邪でもひかれたら、俺の首が飛ぶんで」
「大袈裟なことを言わないでよ」
「そうでしょうかね。深山のお姫様が雨に濡れて何をしているんだか」

 非難の言葉に聞こえて、晶は眉をつり上げた。

「お姫様って嫌味でしょ。田舎の因習じゃない」
「その田舎に、僕たちは縛られているんですよ」

 縛られている、という言葉に晶は黙った。その通りだからだ。
 耕平は眼光を怒りに光らせている。
 お使いを頼まれて雨の中に届けたのに、喧嘩腰の会話になっているだけでなく、怒らせてしまっていることがやるせない。
 家のドアを開くと、玄関に押し込められた。乱暴に見えて、優しいので調子が狂う。
 後から入ってきた耕平は鍵とバーロックを掛けた後、晶を玄関に立たせたまま、靴を脱いでずんずんと部屋の中に入っていった。

「……」

 呆気に取られていると、すぐに耕平は戻ってきた。手にはふかふかのタオルと畳まれているルームウェアの上下がある。晶は耕平の顔を見上げた。

「いいですか、そこのドアが風呂、こっちがトイレです。俺は奥の部屋に居て、一時間はこっちには入ってきません。シャワーを浴びて温まったら、晶さんが奥にきてください」
「……いや、それは……」

 いくら幼馴染とはいえ、独身男性の家でシャワーを浴びるなんてできない。というか、してはいけない。

「大丈夫だよ。帰るだけだか……」

 言いかけると、耕平の顔がぐっと近づいてきた。心臓が大きく跳ねる。

「きれいな顔が真っ青ですよ。春とはいえ今日は寒い。季節の変わり目を軽く見てはいけません」

 褒められたことには反応しないように、気力を振り絞った。

「私の方がお姉さんなんだけど」

 耕平は目を細めて、深く息を吸い込む。

「それ、関係あります?」

 関係はないので晶は再び黙った。

「晶さん、潤から頼まれた、あれ、中身を本人に確認しました?」

 中身までは聞いていない。ただ今日中に、と言われただけだ。
 潤が父親に呼び出されたのを知って、しょうがないと引き受けた。
 顔が近いため一歩下がりつつ、晶は首を横に振る。

「いちいち聞かないよ」
「相変わらず抜けていますね。中身、避妊具と村で使われる催淫剤ですよ」
「……え」

 事実を受け入れられず、晶は立ち尽くした。

「昔の名残ですよ。滋養強壮って名目で、爺さんたちがたまに作ってるんです」

 野草の配合があるらしいですよ、と耕平は面倒くさそうに言った。
 村には独特の風習があって、女性には伝えられないものもある。

「そんなものを届けに来るお姉さん、エロですよ」

 頭の中で羞恥と言い訳が混じりあって固まってしまった。
 その間にバッグを取り上げられ、中身の財布とスマホまで確認される。

「ちょっ」
「頃合いを見て、深山本宅に迎えの車をお願いしましょう。まずは風呂です」

 すたすたとバッグを持って耕平は奥のリビングと思しき部屋に入って行ってしまった。
 先々週だったか、潤に突然聞かれた。

『姉さん、耕平とどうなの』
『どうもこうも、連絡取ってないし……』

 その時の潤の表情は、ちょっと怒っているようにも見えた。
 ごくたまに会社で遠くか見かける程度の同郷の男性について言えることなんてない。
 雨の音と、濡れた木材の匂い。潤の熱い吐息と、自分の火照った体。
 あれは耕平にとって、出世を妨げる黒歴史だ。
 ただ、思う。何人かと寝たからこそわかったこと。セックスは、あんなに燃えるような行為ではない。
 それがわかってから恋愛そのものに興味がなくなった。
 恋愛とセックスはどうやらセットみたいだから、苦痛は遠ざけたかった。
 大雨の中、二人で夜を過ごしたのは事実だ。
 村の人たちが未だに『あの日は生きた心地がしなかった』と雨が降るたびに言うくらいだから。
 フカフカのタオルとルームウェアからは、ほんのり、耕平の匂いがする。
 あの時とは違う大人の匂い。
 晶はぎゅっと抱きしめた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

地味女で喪女でもよく濡れる。~俺様海運王に開発されました~

あこや(亜胡夜カイ)
恋愛
新米学芸員の工藤貴奈(くどうあてな)は、自他ともに認める地味女で喪女だが、素敵な思い出がある。卒業旅行で訪れたギリシャで出会った美麗な男とのワンナイトラブだ。文字通り「ワンナイト」のつもりだったのに、なぜか貴奈に執着した男は日本へやってきた。貴奈が所属する博物館を含むグループ企業を丸ごと買収、CEOとして乗り込んできたのだ。「お前は俺が開発する」と宣言して、貴奈を学芸員兼秘書として側に置くという。彼氏いない歴=年齢、好きな相手は壁画の住人、「だったはず」の貴奈は、昼も夜も彼の執着に翻弄され、やがて体が応えるように……

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される

奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。 けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。 そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。 2人の出会いを描いた作品はこちら 「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630 2人の誓約の儀を描いた作品はこちら 「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」 https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041

日常的に罠にかかるうさぎが、とうとう逃げられない罠に絡め取られるお話

下菊みこと
恋愛
ヤンデレっていうほど病んでないけど、機を見て主人公を捕獲する彼。 そんな彼に見事に捕まる主人公。 そんなお話です。 ムーンライトノベルズ様でも投稿しています。

ブラック企業を退職したら、極上マッサージに蕩ける日々が待ってました。

イセヤ レキ
恋愛
ブラック企業に勤める赤羽(あかばね)陽葵(ひまり)は、ある夜、退職を決意する。 きっかけは、雑居ビルのとあるマッサージ店。 そのマッサージ店の恰幅が良く朗らかな女性オーナーに新たな職場を紹介されるが、そこには無口で無表情な男の店長がいて……? ※ストーリー構成上、導入部だけシリアスです。 ※他サイトにも掲載しています。

お知らせ有り※※束縛上司!~溺愛体質の上司の深すぎる愛情~

ひなの琴莉
恋愛
イケメンで完璧な上司は自分にだけなぜかとても過保護でしつこい。そんな店長に秘密を握られた。秘密をすることに交換条件として色々求められてしまう。 溺愛体質のヒーロー☓地味子。ドタバタラブコメディ。 2021/3/10 しおりを挟んでくださっている皆様へ。 こちらの作品はすごく昔に書いたのをリメイクして連載していたものです。 しかし、古い作品なので……時代背景と言うか……いろいろ突っ込みどころ満載で、修正しながら書いていたのですが、やはり難しかったです(汗) 楽しい作品に仕上げるのが厳しいと判断し、連載を中止させていただくことにしました。 申しわけありません。 新作を書いて更新していきたいと思っていますので、よろしくお願いします。 お詫びに過去に書いた原文のママ載せておきます。 修正していないのと、若かりし頃の作品のため、 甘めに見てくださいm(__)m

溺愛婚〜スパダリな彼との甘い夫婦生活〜

鳴宮鶉子
恋愛
頭脳明晰で才徳兼備な眉目秀麗な彼から告白されスピード結婚します。彼を狙ってた子達から嫌がらせされても助けてくれる彼が好き

処理中です...