初恋は雷雨に誘われた

水守真子

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雨宿り

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 山の天気は変わりやすい。晴れていたのに大雨が降り出した。
 歩いてきた山道にはぬかるみ、あちこちに小さな水たまりができている。石畳では雨は大きく跳ね返って、踊っているようにも見えた。木の葉に降り注いだ雨は、風に煽られ地上に気まぐれに散らす。

 雨音は都会とは違う。もちろん雨の匂いも。帰ってきたんだなと、こんな時に思うのだ。
 深山晶は玄関で脱いで揃えておいた、泥だらけになったスニーカーを思い出して嘆息した。
 帰ってきた時は、必ず地元の神様に挨拶に行く。帰ってきて、荷物を置いて、その足できたのにこの雨だ。

 日ごろは無人の小さな社務所の鍵の場所を知っていたから雨宿りができた。
 何にせよ、先週買ったばかりのスニーカーはもう『白』ではない。土の汚れは取れにくいから、洗ったとしても新しいという感じはなくなるだろう。
 高校生になった時、一年かけて父親を納得させてしたバイト代で買ったものだから心中複雑だ。

「災難ですね」

 横でタオルで髪を拭きながら、御陵耕平は言った。色気さえ漂う幼馴染に、晶は苦笑する。
 中学校の学ラン姿の彼は、一見中学生には見えない。年に一回は会うが、その度に身長が伸びているこのイケメンの学ランのボタンは、今度の卒業の際に全て無くなるはずだ。
 耕平は立ち上がった。廊下を隔てる障子を開けて、ベランダの窓から空を見上げ、「黒いなぁ」と言う。黒に近い灰色の空は、雨はまだまだ降りやまないことを伝えてくれる。

「厄落としと思うしかないか」

 晶は立ち上がって、耕平に近づき、同じ隙間から空を見上げた。
 村一番の秀才である耕平は、春から都会の高校に、土地の有力者である深山家の全面バックアップで進学する。
 この村では深山奨学金と言われていて、優秀でかつ将来性がある子どもを、深山家は返済不要で教育資金をサポートする。
 生来は深山家が都会で経営する会社にて貢献するという条件はあるのだが、村の人間はそれを誉とした。
 都会で暮らす深山家の長女である自分は、耕平の都会に出る準備の手伝いに帰ってきているのだ。

「耕平が都会に出ますよーって、報告のお参りにも来たわけだし」
「受験まだですけど」
「偏差値聞いたけど」
「頭が良い奴ほど、心配性なんですよ」

 勉強というのは諦めたら、そこで終わりで。学んだ内容の記憶をどう定着させるかと、どう発展させるか。大雑把すぎると確かに良い点数は取れない。

「努力するだけしたら、あとは運っていうのも苦しいところだよね」
「晶さんからのお守り、嬉しかったですよ」

 信心深い村で、深山の繁栄の元だといわれている神社にお参りをするのは当然の事。深山の人間が付き添うのも、慣例。でも今回はしっかりと神様にお祈りをした。耕平の努力が報われますようにと。
 息苦しい慣習ではあるものの、慣れてしまえば心の拠り所になる。自分たちはそういう四角い決まりの中で生き、助けられていた。

「耕平、シャワー浴びてきなよ。ガス通ってるみたいだし」

 社務所に居れば寒さも凌げる。灯油のストーブのお陰で五畳ほどの畳の部屋は暖かいし、正月で人の出入りも多かったので、比較的新しい食べ物も飲み物も残っていた。
 だが、濡れた服をずっと着続けるのは風邪を引く。雨が過ぎるのを待つとして、あとどれくらい待てばいいかもわからない。
 受験生に風邪をひかせるわけにはいかない。できる対策はすべてやらねば。

「晶さんが浴びればいいじゃないですか」
「受験生が先。受験生!」

 電波が届いていないスマホを触りながら、晶は耕平ににっこり笑んだ。

「……深山の姫様には逆らえないですから。浴びてきますよ」
「そうよ。社会カーストを大事にして」

 嫌味ではないのはわかるが、嫌味で返してしまう。耕平は生返事をして、部屋を出て行った。
 晶はふぅ、と息を吐く。こういう会話は疲れる。
 深山は本家をここに置きながら、都会でもうずっと会社をしている。林業から始まって建設業を手掛け、堅固に商売を広げていた。
 晶は結婚相手も、仕事も自分で選べない。そう言い聞かされて育ってきた。家の繁栄は村の安寧。自分より、他人。小我より、大我。
 時々、自分は何なのか、わからなくなる。
 晶よりずっと年上の灯油ストーブの上に置いたやかんが口から水蒸気を出していた。
 ぼうぅっと見つめていると耕平が戻ってくる。

「ちょっ……」

 晶は耕平の姿に、ぶっと噴き出した。
 社務所にあった誰かの着替えが、耕平には圧倒的に小さくて、手足の長さが足りていないのだ。
 おまけに着古して毛玉がある深緑とも茶色ともつかぬ上下の服は、さすがに耕平が着ていてもギャグのようだった。
 寒いからと、脇には毛布を抱えている。表情はわかりやすくむっとしていた。

「つ、つんつるてん。それ、つんつるてん」

 笑いながら近づいて、耕平の濡れた前髪に垂れた水滴を拭った。びくっ、と耕平の肩が震える。

「……都会の高校生は、こういうことをするんですか」

 非難するような目を向けられたので、むっとするよりも驚いた。

「え、つんつるてん? しないんじゃない?」
「違うし」

 敬語が抜けた。本当に笑われてプライドが傷ついたらしい。

「ごめんごめん。あ、前髪? 弟が濡れていたからさ、姉としては拭っただけ」
「姉弟じゃない」
「そんなもんじゃん」

 晶は眦に浮かんだ涙を拭った。
 弟の潤と耕平は幼馴染だ。潤も都会で育っているものの、長めの休みでは必ず村で過ごす。祭りには必ず帰ってきて参加をした。村が自分たちのルーツだということを忘れないために。

「あー、雨やまないかなぁ」

 晶が口にした途端、雨音が一段と強くなる。小さな声などかき消すくらいの音。晶と耕平は目を合わせた。

「晶さん、障子を閉めて、部屋の中央に」

 耕平が外を見ようとする晶の腕を引っ張ったと同時、耳を裂く雷の音、バキバキゴォンズゥン、そんな大きな音と共に揺れが起こった。
 近くに雷が落ちたのだろう。どっどっ、そんな心臓の鼓動と共に身体が震える。
 雷は平気で木を割る。だから村人は雨の日に山には入らない。

「晶さん」

 耕平が肩を抱いて抱き寄せてきた。
 さらにバサバサと木の枝が折れて落ちたような音もしたので、耕平の腕の中で縮み上がる。

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