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出会いと決意
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スラドが屋敷を後にしてから程なくして、ラファティが現れた。父親が手紙を送っていたのだから、娘の溺愛度合いを考えると当然の来訪だろう。
王妃の護衛騎士であったスラドが先程までここにいたことを伝えると、ラファティは複雑な表情を見せた後、頭を下げた。
「大方、何を言われたかは想像つくから聞かないよ。――娘を守ってくれてありがとう」
「彼に害意はありませんでした」
「そうかな。王宮は恐ろしい所だよ」
顔を上げた目の前のラファティを、ハドリーは注意深く探る。
目の下の薄紫色のクマ。安堵と不安が入り混じる表情。彼の本当の感情はどこにあるのだろうと勘ぐってしまうのは、スラドと会っていた緊張感のせいだ。
誰を信用して、しないのか。何よりも、自分はどう動くと決めるのか。
傷は痛むし、熱は下がらない。けれど身体を休めるにはまだ早い。
ハドリーは息を吸った。
「僕はあなたの娘を守ると決めました」
「君に何の得があるのかな」
ラファティの至極当然な質問に、ハドリーは口を開く前に彼を見つめた。
生きていく中で大儀を名分にして、悪いことを重ねる。そうやって、鈍く愚かになっていくのかもしれない。損得に塗れ、目が曇っていく。
「特にはありません。神祖として守りたいと思った、と言えば納得していただけますか」
「……そうだね。神祖の気持ちは、ただのアルファにはわからない」
あえて相手が返事に困る答え方をしたのは、イザベラが愛しいという想いを汚されたくなかったからだ。
ラファティは白銀の髪色になった眠ったままのイザベラを見ても驚かないし、手を伸ばそうともしない。たぶん、娘を抱きかかえようとすれば、攻撃が自分に向けられるのが本能でわかるのだろう。
それがハドリーの『答え』だと、ラファティは気づいている。
「君がその娘の愛らしさに気づくのは当然として、護衛騎士としての誓いをしてくれるということかな」
「さすが、避妊具を贈ってくださった方だ。その通りです」
積荷を守った恩を仇で返したな、という嫌味を込めた。
ラファティは苦笑して、ハドリーの腕の傷を指さす。
「発作を抑えるために、自分で自分を噛んだと聞いた」
「ええ」
ハドリーは自分の傷を誇らく見た。
あの時、正気を保てずオメガの娼婦を抱いていたなら、死ぬまで自分を呪い続けたことだろう。
「アルファの発作は生殖の本能ですが、本当の命が脅かされる時は、生殖より命を優先させるようです。なんせ、脈に合わせるように血が噴き出てしまったので……。止血処理に皆が焦っていましたね」
あの時の医師や両親の焦りと動揺の表情を思い出すとつい笑ってしまう。大事な侯爵家の跡取りを死なせるわけにはいかない、そんな危機感が部屋に充満していた。
そんな中でイザベラは噴き出る血を冷静に見つめ、止血時間を計るための時計を持ってそばを離れなかった。
笑う自分を気味が悪いと思ったのか、ラファティは小さく咳払いをした。
「そんな蛮勇で娘が守れるのだろうか」
「彼女に自分の気を纏わせます」
ラファティが怪訝な顔をしたので、ハドリーは自分の唇を捲って犬歯を見せた。
「意志を持って噛めば、神祖の護りを与えられる。害意を持って近づけば、僕の気が発動する。悪党程度なら怯んで手を出せない。ただ彼女は小さいし、護りの力を全て注ぐには危険だ。だから、小さく痕を付ける」
自分自身も成人ではないから、護りの力が完全ではない。それを打ち明けるつもりはない。ただ、自分の匂いを纏わせることは、確実にイザベラを守れる方法なのはわかる。
「それは、誰もが欲しがる誓いだ」
ラファティは息を吐きながら首を横に振った。ありえない、とばかりに。
神祖はほぼいないと等しい。力の大きさ故にその頂点にいる王族を守る義務を負わされる。だから誓うのなら王族だと思っていれば戸惑うのも当然だ。
「僕はアカデミーに入り、王族を守る義務を負います。守れと言われた。誓えとは言われていない」
「言葉遊びだ」
「彼女を守ることを自分に誓った。だから神気を置いていきます」
「それは願っても無いことだが……、何が望みだ」
商売を生業にしていれば、気になるのだろう。
別に何も、とハドリーは眠っているイザベラの美しい白銀の髪を撫でた。
現れた番(つがい)を想い、苦しむ種族は別に狼だけに限ったことではない。その苦しみは利用される。
娘と自分を結婚させてくれといえば、確実に足元を見られる。
イザベラが自分を番(つがい)だと感じなくても良い。自分が、彼女をそれにすると決めた。そうなるように手段を講じてゆけばいい。
ハドリーの覚悟を感じたのか、ラファティは大きな息を吐いて、胸元から銀製の煙草入れを出す。
「嫌だなぁ、子どもは。成長速度が速い」
「僕は秋からアカデミーに入学、その前に侯爵家の養子となります。これからウェントワースは益々栄える。だから、欲しいものはありません。何だって手に入るようになるから」
王族がウェントワースの意向を無視できないほどに栄えさせ、コートナー商会も従うしかない規模に権力を増大させる。
ラファティは観念したように笑った。
「良い顔をしている。スラド卿が来たのだから、僕の出自はもうわかっているね」
「真実かどうかは別として」
頷いてから失礼するよと言って、ラファティは煙草に火をつけた。吸って煙を出すと、ハドリーの口元に持ってくる。
怪我人に煙草を勧めてきたことに驚き、ラファティの顔を凝視した。
「王族は僕に手出しができない。なぜなら、これの配合を受け継いでいるのはラファティ・コートナーのみだと知っているからだ。だから、王妃は揺れていた。スラドもわかっていた。だから、王を賢帝として据え置くために、決定打を打つことはできなかった。ただ、亡くなる前はどういう動きをするのかが読めなかった。だから、君に預けることができて良かったと、そこは本当に感謝している」
これ、とは嗜好品である煙草のことだろう。
だから何なのだと、煙草を前に眉間に皺を寄せると、灰が可愛い娘に落ちるから早く吸ってと急かしてくる。
「君、アルファの発情を起こしたままだ。僕の可愛い娘に悪影響があるし、君の怪我の治りも遅くなる。これは王族にしか卸していない、アルファの性を抑える葉巻煙草だ。王子殿下にも卸す話になっている。母が配合したものだから折り紙付きだよ。早く吸って」
そんなものが存在しているのかと驚いたが、オメガを抑えるハーブはあるのだ。実現できないはずがない。
その発想に誰も着手しなかっただけ。コートナーの薬草への深い造詣と、商家としての才が組み合わされば、商売の基盤として最強だろう。
「これを王妃の依頼で開発したのは母だ。そこで王に見初められ、解放されず軟禁され身籠り僕が生まれた。ウサギの獣性を持って生まれたから、母も僕も王宮を出ることができた。――娘が王族獣性を顕現させたことで、僕は王の血を継ぐ者として改めて認識された。王子殿下は僕を兄だと、よく呼び出すようになったよ」
簡単に言うと、そんなところ。そう言って、ラファティは笑った。見たところ、彼らと関われる特権を喜んではいないようだ。良い商売相手として、繋いではおきたいというところだろうか。
ハドリーは煙草を吸う。ひとつ、ふたつと呼吸を続けていくと、怪我の熱とは違う火照りが治まっていくのがわかる。どんどん体が楽になっていき、煙草を持つ手が震えた。
これがあれば、アルファの発作を抑えられる。どんなオメガが来ても、惑わされることはない。
「僕からのお礼はそれ。君には君が望む限り無料で卸そう。――娘に手を出さないでくれてありがとう」
「この子は積荷を守ったお礼でしたよね。ああ、彼女を抱くためにアレを使えという意味でしたか」
嫌味の冗談だったが、ラファティは暗い顔で笑んだ。
「……王族の暗殺者は、仕事の対象者を山の奥深くに深い穴を掘って埋める。または、石と一緒に積荷にして箱ごと海に沈める。対象者が発見される時は、見せしめの時ぐらいだろう」
殺され、亡骸にも会えなくなるより、抱かれた方がマシということか。王族が最期に何をしてくるのかがまったく読めなかったのだろう。
幼児を性的嗜好の対象とする貴族も多いと聞くからしょうがないとしても、こんな小さな子に手を出すと思われていたのかとショックを受ける。
「君、きれいな目をしているからね。無いとは思っていたよ」
ハドリーは皿に煙草の火を押し付ける。
「しませんよ、そんなこと」
「君の目が曇らなければ、『お礼』になるのではないかな。綺麗な目を、娘は好む」
猜疑に満ちた大人の世界に足を踏み入れ、晴れやかに生きていけというのか。――無理だろう。
ハドリーは寝ているイザベラのドレスの襟を掴んで、そっと肩を出した。彼女が目を開けて、こちらを見てくる。
ああ、なんて愛おしいのだろうと胸が熱く燃える。
「あなた、誰?」
チクリ、と胸に痛みが走った。それでも、イザベラのまっすぐな目にハドリーは微笑む。
目の色が空色から紫色に近くなっている。髪の生え際から髪の色が黒く変化していた。昼から夜になるようだと、美しいと思った。
「誰だと思う?」
「うーん……」
肩を出したままむくりと起き上がったイザベラは、じっとこちらの目を見つめながら、太ももに跨ってくる。誰だと聞いてくるのに、警戒心はまるで無くて思わず笑ってしまった。
「兄様の、お友達?」
「うん、そうなのかもしれない」
「目の色、きれい」
「君の目もとてもきれいだよ」
父親であるラファティが横にいるのに、イザベラは気づいていない。
そのことに娘を溺愛する彼が動揺しているのが目の端に映る。ギリリと奥歯を鳴らしていて、不覚にも少し笑ってしまう。
「僕は、君のそのきれいな目を守りたい」
「私も、まもるよ」
「心強いなぁ」
何の負けん気なのか、むぅと膨らんだイザベラの桃色の頬を撫でる。
「君を絶対に守る術を僕は持っているけれど、今はそれができない。それまで君は、絶対に、大人にならないように。迎えに行ったときに、大人になるように。――約束だ。じゃないと、襲って食べてしまうよ」
「食べるの? どんな風に?」
襲って食べると言っているのに好奇心丸出しで聞いてくるあたり、食への興味は本物のようだ。
今すぐ食べてしまいたいと思いながら、小さく細い肩に牙を立てる。
「こんな風に」
「んっ」
びくりと身体を強張らせたイザベラの背中を撫でた。牙が柔らかくきめ細かい肌を突き破る感触と、血の味。
『鋼の盾、不通の鎧、炎の剣、魂の庇護者よ、ここに顕現し、この者を守りし力とならん』
古語の呪文を心の中で唱えると風が起こった。カーテンを揺らし、調度品を落とす。落ちた煙草ケースは、ラファティが拾った。
イザベラが涙目で、口を開く。
「痛い」
「気持ち良かったら、罰にならないだろう。約束を守れたら、とっても気持ちよくさせてあげる」
「ほんと、う……?」
また睡魔に襲われたイザベラを肩で受け止める。甘い香りがするが、自分を昂らせることはない。思い切り吸い込んで幸せに浸る。
殺気を感じてベッド脇にいるラファティを見れば、眉間に皺を寄せてこちらを睨んでいた。
「――僕、次期侯爵に決定しているので、これからもよろしくお願いしますね」
にっこり、とラファティに向かってハドリーは微笑んだ。
王妃の護衛騎士であったスラドが先程までここにいたことを伝えると、ラファティは複雑な表情を見せた後、頭を下げた。
「大方、何を言われたかは想像つくから聞かないよ。――娘を守ってくれてありがとう」
「彼に害意はありませんでした」
「そうかな。王宮は恐ろしい所だよ」
顔を上げた目の前のラファティを、ハドリーは注意深く探る。
目の下の薄紫色のクマ。安堵と不安が入り混じる表情。彼の本当の感情はどこにあるのだろうと勘ぐってしまうのは、スラドと会っていた緊張感のせいだ。
誰を信用して、しないのか。何よりも、自分はどう動くと決めるのか。
傷は痛むし、熱は下がらない。けれど身体を休めるにはまだ早い。
ハドリーは息を吸った。
「僕はあなたの娘を守ると決めました」
「君に何の得があるのかな」
ラファティの至極当然な質問に、ハドリーは口を開く前に彼を見つめた。
生きていく中で大儀を名分にして、悪いことを重ねる。そうやって、鈍く愚かになっていくのかもしれない。損得に塗れ、目が曇っていく。
「特にはありません。神祖として守りたいと思った、と言えば納得していただけますか」
「……そうだね。神祖の気持ちは、ただのアルファにはわからない」
あえて相手が返事に困る答え方をしたのは、イザベラが愛しいという想いを汚されたくなかったからだ。
ラファティは白銀の髪色になった眠ったままのイザベラを見ても驚かないし、手を伸ばそうともしない。たぶん、娘を抱きかかえようとすれば、攻撃が自分に向けられるのが本能でわかるのだろう。
それがハドリーの『答え』だと、ラファティは気づいている。
「君がその娘の愛らしさに気づくのは当然として、護衛騎士としての誓いをしてくれるということかな」
「さすが、避妊具を贈ってくださった方だ。その通りです」
積荷を守った恩を仇で返したな、という嫌味を込めた。
ラファティは苦笑して、ハドリーの腕の傷を指さす。
「発作を抑えるために、自分で自分を噛んだと聞いた」
「ええ」
ハドリーは自分の傷を誇らく見た。
あの時、正気を保てずオメガの娼婦を抱いていたなら、死ぬまで自分を呪い続けたことだろう。
「アルファの発作は生殖の本能ですが、本当の命が脅かされる時は、生殖より命を優先させるようです。なんせ、脈に合わせるように血が噴き出てしまったので……。止血処理に皆が焦っていましたね」
あの時の医師や両親の焦りと動揺の表情を思い出すとつい笑ってしまう。大事な侯爵家の跡取りを死なせるわけにはいかない、そんな危機感が部屋に充満していた。
そんな中でイザベラは噴き出る血を冷静に見つめ、止血時間を計るための時計を持ってそばを離れなかった。
笑う自分を気味が悪いと思ったのか、ラファティは小さく咳払いをした。
「そんな蛮勇で娘が守れるのだろうか」
「彼女に自分の気を纏わせます」
ラファティが怪訝な顔をしたので、ハドリーは自分の唇を捲って犬歯を見せた。
「意志を持って噛めば、神祖の護りを与えられる。害意を持って近づけば、僕の気が発動する。悪党程度なら怯んで手を出せない。ただ彼女は小さいし、護りの力を全て注ぐには危険だ。だから、小さく痕を付ける」
自分自身も成人ではないから、護りの力が完全ではない。それを打ち明けるつもりはない。ただ、自分の匂いを纏わせることは、確実にイザベラを守れる方法なのはわかる。
「それは、誰もが欲しがる誓いだ」
ラファティは息を吐きながら首を横に振った。ありえない、とばかりに。
神祖はほぼいないと等しい。力の大きさ故にその頂点にいる王族を守る義務を負わされる。だから誓うのなら王族だと思っていれば戸惑うのも当然だ。
「僕はアカデミーに入り、王族を守る義務を負います。守れと言われた。誓えとは言われていない」
「言葉遊びだ」
「彼女を守ることを自分に誓った。だから神気を置いていきます」
「それは願っても無いことだが……、何が望みだ」
商売を生業にしていれば、気になるのだろう。
別に何も、とハドリーは眠っているイザベラの美しい白銀の髪を撫でた。
現れた番(つがい)を想い、苦しむ種族は別に狼だけに限ったことではない。その苦しみは利用される。
娘と自分を結婚させてくれといえば、確実に足元を見られる。
イザベラが自分を番(つがい)だと感じなくても良い。自分が、彼女をそれにすると決めた。そうなるように手段を講じてゆけばいい。
ハドリーの覚悟を感じたのか、ラファティは大きな息を吐いて、胸元から銀製の煙草入れを出す。
「嫌だなぁ、子どもは。成長速度が速い」
「僕は秋からアカデミーに入学、その前に侯爵家の養子となります。これからウェントワースは益々栄える。だから、欲しいものはありません。何だって手に入るようになるから」
王族がウェントワースの意向を無視できないほどに栄えさせ、コートナー商会も従うしかない規模に権力を増大させる。
ラファティは観念したように笑った。
「良い顔をしている。スラド卿が来たのだから、僕の出自はもうわかっているね」
「真実かどうかは別として」
頷いてから失礼するよと言って、ラファティは煙草に火をつけた。吸って煙を出すと、ハドリーの口元に持ってくる。
怪我人に煙草を勧めてきたことに驚き、ラファティの顔を凝視した。
「王族は僕に手出しができない。なぜなら、これの配合を受け継いでいるのはラファティ・コートナーのみだと知っているからだ。だから、王妃は揺れていた。スラドもわかっていた。だから、王を賢帝として据え置くために、決定打を打つことはできなかった。ただ、亡くなる前はどういう動きをするのかが読めなかった。だから、君に預けることができて良かったと、そこは本当に感謝している」
これ、とは嗜好品である煙草のことだろう。
だから何なのだと、煙草を前に眉間に皺を寄せると、灰が可愛い娘に落ちるから早く吸ってと急かしてくる。
「君、アルファの発情を起こしたままだ。僕の可愛い娘に悪影響があるし、君の怪我の治りも遅くなる。これは王族にしか卸していない、アルファの性を抑える葉巻煙草だ。王子殿下にも卸す話になっている。母が配合したものだから折り紙付きだよ。早く吸って」
そんなものが存在しているのかと驚いたが、オメガを抑えるハーブはあるのだ。実現できないはずがない。
その発想に誰も着手しなかっただけ。コートナーの薬草への深い造詣と、商家としての才が組み合わされば、商売の基盤として最強だろう。
「これを王妃の依頼で開発したのは母だ。そこで王に見初められ、解放されず軟禁され身籠り僕が生まれた。ウサギの獣性を持って生まれたから、母も僕も王宮を出ることができた。――娘が王族獣性を顕現させたことで、僕は王の血を継ぐ者として改めて認識された。王子殿下は僕を兄だと、よく呼び出すようになったよ」
簡単に言うと、そんなところ。そう言って、ラファティは笑った。見たところ、彼らと関われる特権を喜んではいないようだ。良い商売相手として、繋いではおきたいというところだろうか。
ハドリーは煙草を吸う。ひとつ、ふたつと呼吸を続けていくと、怪我の熱とは違う火照りが治まっていくのがわかる。どんどん体が楽になっていき、煙草を持つ手が震えた。
これがあれば、アルファの発作を抑えられる。どんなオメガが来ても、惑わされることはない。
「僕からのお礼はそれ。君には君が望む限り無料で卸そう。――娘に手を出さないでくれてありがとう」
「この子は積荷を守ったお礼でしたよね。ああ、彼女を抱くためにアレを使えという意味でしたか」
嫌味の冗談だったが、ラファティは暗い顔で笑んだ。
「……王族の暗殺者は、仕事の対象者を山の奥深くに深い穴を掘って埋める。または、石と一緒に積荷にして箱ごと海に沈める。対象者が発見される時は、見せしめの時ぐらいだろう」
殺され、亡骸にも会えなくなるより、抱かれた方がマシということか。王族が最期に何をしてくるのかがまったく読めなかったのだろう。
幼児を性的嗜好の対象とする貴族も多いと聞くからしょうがないとしても、こんな小さな子に手を出すと思われていたのかとショックを受ける。
「君、きれいな目をしているからね。無いとは思っていたよ」
ハドリーは皿に煙草の火を押し付ける。
「しませんよ、そんなこと」
「君の目が曇らなければ、『お礼』になるのではないかな。綺麗な目を、娘は好む」
猜疑に満ちた大人の世界に足を踏み入れ、晴れやかに生きていけというのか。――無理だろう。
ハドリーは寝ているイザベラのドレスの襟を掴んで、そっと肩を出した。彼女が目を開けて、こちらを見てくる。
ああ、なんて愛おしいのだろうと胸が熱く燃える。
「あなた、誰?」
チクリ、と胸に痛みが走った。それでも、イザベラのまっすぐな目にハドリーは微笑む。
目の色が空色から紫色に近くなっている。髪の生え際から髪の色が黒く変化していた。昼から夜になるようだと、美しいと思った。
「誰だと思う?」
「うーん……」
肩を出したままむくりと起き上がったイザベラは、じっとこちらの目を見つめながら、太ももに跨ってくる。誰だと聞いてくるのに、警戒心はまるで無くて思わず笑ってしまった。
「兄様の、お友達?」
「うん、そうなのかもしれない」
「目の色、きれい」
「君の目もとてもきれいだよ」
父親であるラファティが横にいるのに、イザベラは気づいていない。
そのことに娘を溺愛する彼が動揺しているのが目の端に映る。ギリリと奥歯を鳴らしていて、不覚にも少し笑ってしまう。
「僕は、君のそのきれいな目を守りたい」
「私も、まもるよ」
「心強いなぁ」
何の負けん気なのか、むぅと膨らんだイザベラの桃色の頬を撫でる。
「君を絶対に守る術を僕は持っているけれど、今はそれができない。それまで君は、絶対に、大人にならないように。迎えに行ったときに、大人になるように。――約束だ。じゃないと、襲って食べてしまうよ」
「食べるの? どんな風に?」
襲って食べると言っているのに好奇心丸出しで聞いてくるあたり、食への興味は本物のようだ。
今すぐ食べてしまいたいと思いながら、小さく細い肩に牙を立てる。
「こんな風に」
「んっ」
びくりと身体を強張らせたイザベラの背中を撫でた。牙が柔らかくきめ細かい肌を突き破る感触と、血の味。
『鋼の盾、不通の鎧、炎の剣、魂の庇護者よ、ここに顕現し、この者を守りし力とならん』
古語の呪文を心の中で唱えると風が起こった。カーテンを揺らし、調度品を落とす。落ちた煙草ケースは、ラファティが拾った。
イザベラが涙目で、口を開く。
「痛い」
「気持ち良かったら、罰にならないだろう。約束を守れたら、とっても気持ちよくさせてあげる」
「ほんと、う……?」
また睡魔に襲われたイザベラを肩で受け止める。甘い香りがするが、自分を昂らせることはない。思い切り吸い込んで幸せに浸る。
殺気を感じてベッド脇にいるラファティを見れば、眉間に皺を寄せてこちらを睨んでいた。
「――僕、次期侯爵に決定しているので、これからもよろしくお願いしますね」
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