腹黒狼侯爵は、兎のお嬢様を甘々と愛したい

水守真子

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出会いと決意

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 王妃は熊の獣人であり、護衛騎士もその一族から選ばれている。
 初めて会うスラドは白髪で眉までも白く年老いてはいるが、その太く逞しい体躯の筋肉に衰えは見当たらない。頬に走った傷跡は、自分が生まれるずっと前に付いたのかとても古い。
 一人で部屋に入ってきたスラドは空気を緊張のあるものに一変させた。騎士、軍人としての風格なら国一番なのかもしれない。

「初めまして。突然の訪問の非礼を許して貰えれば嬉しい」
「こちらこそ、お目に掛かれて光栄です。このような姿でお迎えして申し訳ありません」

 自己紹介もそこそこに、ベッドの脇にある椅子を勧めた。
 スラドが部屋に足を踏み入れた一瞬で、ドアや窓までの距離、部屋の大きさ、窓から見える風景、自分の怪我、そして寝ているイザベラまで確認したのはわかった。

 ハドリーもスラドが腰に差している剣だけでなく、歩き方や衣装で武器の所持を軽く見積もっていたからお互い様だろう。
 緊張で胃が痛くなることなんてそうそうない。それなのに、スラドは探り合うその空気も楽しんでいるのか、ニカッと人好きのする笑みを浮かべた。

「さて、単刀直入にいこう。アルファで神祖らしいじゃないか。そんな君のことだ、もういろいろ推測できているのだろう。だから、私が来ても驚かない」
「……憶測でしかありません。ただ、白昼堂々と来られた理由は量りかねています」
「そうか」

 スラドは膝を叩き、腰を上げてイザベラの寝顔を覗き込んできた。
 ハドリーは反射的に背中に隠し、枕の下にすぐに手を入れられる体勢に変える。熱と貧血のせいで自分の動きが悪い。そんな自分に苛立っているのに、スラドは顔の皺を深くし笑んだ。

「うむ。そうか、そうか。では、要件を話そう。君は秋からアカデミーで同学年となられる王子殿下の護衛、その母親である側妃の身辺に気を配って欲しい。そうすれば、その王族の血を引くその娘と結婚できるよう、口添えをしても良い」
「……」

 スラドがアカデミーで王族を守れと言うのは当然だ。神祖でアルファという強い力を国家の為に使うのは義務だろう。そのような損な役回りが来ることも想像の範疇だ。
 イザベラの寝息を確めながら、ハドリーは背筋に冷や汗をかく。今の彼女は始まりを白虎の神獣とする王族の風貌そのものだ。何のことかわからない、というにはあまりにも神々しい気を放っている。

「……彼女との婚姻は、コートナー氏の許可を頂ければよいかと」
「王妃が亡き今、そのラファティ・コートナーを準王族として扱うのは難しくない」

 ラファティは自分の親が王であると噂されるのをまったく歓迎していない。
 スラドが脅してきている。でも何のために、とハドリーは薄い笑みを顔に張り付けた。

「……この娘の安全が何者かに脅かされております。貴方様が……、何が起こっても王妃様のそばを離れず命令に背かなかったように、私もこの娘を守ることに使命を感じております。結婚の意味はあるのでしょうか」

 結婚という契りが欲しいと魂が叫んでいる。この娘と身も心も、社会での何もかもを繋げなければ魂が千切れてしまう。
 けれどここで餌に食いつけば、不利な立場に立たされる。

「そうくるか。神祖は面白いな。早くアカデミーで鍛えたいものだ」

 スラドは笑っている。戦場で戦った者の余裕というのだろうか、初めて勝てないと思える人間に出会った気がした。こんな時に怪我のせいで本調子じゃないなんてとハドリーは心の中で歯噛みする。

「そうだな、君には教えよう。王はつい先日、身罷られ、王妃も後を追われた。春の繁殖の時期は大事だ。崩御は祭りが大方終わったころに発表される」

 とんでもない告白にハドリーは言葉を失った。王と王妃が二人とも亡くなったことを発表してしまえば、喪が明けるまで祭りは行えない。
 ベータの繁殖の時期は決まっているから、出生率が下がってしまう。これを避けるために発表を遅らせると、一介の国民に打ち明けてきたのだ。
 ハドリーは黙ったままスラドを見つめる。長年仕えてきた王妃が身罷られたというのに、こんなにすっきりした顔をしているのはなぜだろう。

「攫おうとする者、殺そうとする者、どちらもいないのだから、その姫はもう安全だ」
「……」

 スラドの清々しい笑顔に、ハドリーは生唾を飲み込んだ。喉がひりついて痛い。王と王妃がイザベラを狙っていたとスラドは白状したのに等しい。
 昨夜父親がラファティは明後日にイザベラを迎えにくると言っていた。娘の安全が確保されたことを知っているとみて間違いないだろう。

 王が天に召される可能性がある、そんな一大事に他国の王族を受け入れたのは何故だ。
 ハドリーは眉間に皺を寄せて、はっと顔を上げる。
 あの人間の国は医療が進んでいる。この国はハーブなどを使った予防医療が中心で、枯れる命は天に返るものと考え手を出すことはない。
 だが、あの国は延命をする。命は長く続いてこそ価値があると考える。

「……延命に、宮廷医師を、招いたのか」

 後ろでイザベラが寝返りを打った。
 背中に庇いながら、老剣士を見上げる。アルファと神祖の組み合わせは怖いなとスラドは自分の膝を撫でている。
 怖いのはどちらだ。
 ハドリーは背後ですやすやと寝息を立てているイザベラを、怪我をしている右手で触れた。
 王妃から命令をされ、この幼い子の誘拐か殺害の指示していたのはこの男だ。
 たぶん、他の王の血を継ぐ子を手に掛けた噂は、真実だろう。頬が痙攣した。

「君はアルファが集まる特別なキングスクラスだ。王子殿下が通われる。そばにいてお護りするように」

 王子殿下の母である側妃は熊獣人のオメガだったはずだ。王妃が授かった子は天に召され、一族は焦っていたのだろう。一族にやっと生まれたオメガを、生殖可能になった瞬間、親子以上の年の差がある王の側妃へと召し上げた。
 アルファの男児を産んで、その地位は盤石なものとなっている。

 ラファティは王族の政治をわかっているはず。
 イザベラの獣性が不安定であることを知らないはずがない。王族に会わせ長く時間を過ごせば、獣性がそちらで安定してしまう可能性を恐れた。
 だから、王はイザベラを攫おうとしたし、ラファティは連れて行くのを躊躇い、そばから離さないようにした。
 現在、王族獣性を持つのは王子殿下のみ。血筋の危機だ。
 ウサギの繁殖能力を持った、王族獣性の血を持つ女子を欲しがらないわけがない。もしイザベラがオメガであれば、必ず手に入れようとするはず。
 イザベラを、彼らに近づけてはいけない。ハドリーは胸に手を当て、老剣士に礼をした。

「――侯爵家を継ぐ者として、王子殿下の護衛、喜んでお受けいたします」
「ああ、頼んだ。近いうちに王宮から遣いが来る。王子殿下と引き合わせよう」

 スラドはそれまでの笑顔をすっと引かせ立ち上がるとイザベラを見下ろした。

「――で、君はその幼いオメガを抱いたのか」

 ハドリーは咄嗟に自分の感情を隠す。抱く? 誰を。混乱は眉間の皺となった。

「何の話でしょうか」
「君らの年齢での疑似性交は別に珍しい話ではない。アルファの発情も辛かろう。さっさと抱けば良いだけの話だ。妊娠もせぬだろうに」

 この老人は気が狂っているのだろうか。ハドリーがスラドを凝視すると、彼は一気に破顔した。

「その姫はオメガだ。アルファの君にはわかる、未発達の甘い香りがするだろう」

 スラドの顔は笑っているのに感情のない目でイザベラを見下ろしている。殺気も何もない、淡々とした空気がハドリーの肌をひやりと撫でた。

「さっさと初めてを奪っておけば、君が後々苦しまなくて良いかもしれん。その娘は、利用される運命だ」
 
 これが王族の考え方。
 王族をイザベラに近寄らせないための、自分が人生を掛けて自分に課す使命。
 ハドリーはイザベラの白い髪を、自分の指に絡ませた。

「そんなこと、させませんよ」

 ハドリーは部屋を去ろうとする老剣士の背に笑顔を向ける。

「神祖でアルファである自分が、させません」

 スラドは顔だけ振り向いた。ハドリーの金色の光る目を見て、口の端を上げる。

「そうか。アルファの賢さも、神祖の強さも良く知っている。せいぜい国の為に励め」
「自分の魂に誓って」

 イザベラを守る。
 魂が、熱く震えた気がした。
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