腹黒狼侯爵は、兎のお嬢様を甘々と愛したい

水守真子

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出会いと決意

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「怪我をした僕をひとりにするの?」
「しない、しないよ」

 水色の目を悲しそうに覗き込むと、娘はふるふると首を横に振る。
 昨夜、記憶の一部が曖昧になった彼女は、父親と一緒に街にいたはずだと困ったように言った。ラファティが仕事で忙しい間だけ預かることになったと説明すると、考える様子を見せたが、取り乱しもせずに頷いた。
 安全な場所であるという認識をしたらしい。大怪我の手当を受けているハドリーの横でそう判断をしたあたり、彼女の感覚は異質な気がする。

 彼女にここ最近の記憶が無くても問題は特になかった。礼儀正しく、聡いだけあって人の顔色をよく見ているからだ。
 問題があるとすれば、皆に「はじめまして」と言い、相手を傷つけ悲しませたことだろうか。破壊力は抜群だった。
 目や髪の色が変わってから、よくうとうととするようになった。食事もあまり取らなくなったが、喋るのは変わらない。

「わたしがいれば治る?」
「治るよ」
「わたし、治せる?」
「君がいてくれば、治る」

 わかった、と意気込んだ表情も可愛い。
 彼女に誰かと聞かれ、一番傷ついたのは自分だと思う。目の前が真っ暗になった。
考えようによっては、忘れられても嫌がられないことが嬉しい。でも、悲しい。
 身体の上にうつぶせに寝転がる彼女の背中を撫でて、ほっと息を吐く。

 昨日、自傷でできた傷に痛み止めは一切使っていない。痛みは全く引いていない上に怪我による発熱が今朝からある。おまけに血を流したせいで貧血気味だ。
 アルファの発作も続いているが、オメガに埋めたいという本能よりも、生命の維持機能の方が勝るらしい。発作が起これば今度から自傷すればいいのかと簡単に考える自分は変だ。

 オメガの高級娼婦は、娘が持っていた『オメガの発作を抑えるハーブ』を飲んで帰らせたと聞いた。そんなものを娘にお守りとして持たせていたあたり、ラファティは何を考えているのかわからない。
 コートナー商会のハーブは効いたらしく、娼婦は融通してもらえるように顔を繋いでもらえないかと父親に粘っていたらしい。

 その父親は息子が自傷し深い傷を負ったことに狼狽していた。「お前の好きにしなさい」と憔悴した顔で伝えてきた。
 そんなことよりと父を掴んで人払いをし、誘拐の見解を述べた。最初は何を言っているのだという表情だったが、徐々に符号する点が出てきたのだろう。真面目な顔でコートナーに使いを出すと部屋を出て行ったきりだ。

「君が食べないと、僕は食事をしないよ」
「え」

 自分の首元に顔を埋めながらうとうととし始めた娘の髪を撫でながら言うと、眠そうな目をこすりながら顔を上げた。きょろきょろを辺りを見渡し、首を傾げる。

「ねぇ、わたしの父上はどこ? 母上と兄様も」
「食事をしないと教えない」

 ずっとこんな感じだ。僅かな浅い睡眠でも記憶が混濁するらしい。

「ねぇ、あなたは、お兄様ではないでしょう」
「兄ではないが、家族だよ」

 家族、と安心したように微笑み頷いてから、娘はベットの上にちょこんと座り、使用人が用意してくれたサンドイッチを食べ始めた。
 その使用人に、ハドリーは恐れられており距離を置かれている。父親からは殺気をしまいなさいと言われた。
 自分たちに手を出したら、叩きのめす。お前だけでなく、お前の大事の者すべてを壊す。
 確かにそういう気を辺りに放っている。だから誰も部屋に近寄りたがらない。基本的に二人きりで、怪我のせいで具合が悪い以外は快適で幸せだ。
 こっくりこっくりと船を漕ぎながらサンドイッチを食べる娘に話し掛ける。

「ねぇ、僕は君と本物の家族になりたいと思っている」
「本物の家族?」

 よくわからない、と彼女は首を傾げる。

「君の父上と母上も、家族になるために結婚した」
「……?」

 だるい上半身を起こして、二つ目のサンドイッチを皿から取ると彼女に渡した。彼女はそれを素直に受け取る。
 結婚の意味が分からないらしいが、眠そうな半目でおいしそうに食べる彼女を見ていると、笑みがこぼれた。
 今は幼くても大人になる。その時に隣にいるのは自分だ。
 ラファティはそれを許さないかもしれない。だが、必ず自分を選ぶようにするためには何だってしようと思える。

「ねぇ、結婚は神聖なもので、申し込むためには名前を知らないといけない。君の名前、僕だけに教えてくれないかな」

 意志を持って誰かを見れば、金色の目が仄かに光ることは知っている。彼女はそんな自分の目をじっと見つめた。
 水色の目もきれいだ。ウサギの獣性を持つと多産の傾向があると聞く。生まれる子供の目の色が楽しみとまで考える自分はおかしい。

「私はイザベラ。イザベラ・コートナー」

 呆気にとられたのは自分だ。まさか答えるとは思わなかった。
 今までが嘘みたいにあっさりと口にしたイザベラは、食べかけのサンドイッチを手にしたまま目を閉じた。すやすやと眠りに入り倒れこんできた彼女を抱きとめ、その柔らかい髪の顔を埋める。

「イザベラ・コートナー。……イザベラ」

 名を口にしていると、自然と涙が頬を伝った。
 名を、教えてくれた。あれだけ警戒して教えてくれなかったのに。
 無意識で自分を受け入れてくれている証拠だと思った。こんなに嬉しいだなんて、もう自分は狂っている気がする。
 イザベラが番(つがい)なのかと聞かれてもわからない。
 ただ、愛おしい、守りたい、幸せでいて欲しい。相手のすべてを肯定し、柔らかく包み込んで、一緒に過ごし成長していきたい。同じものを見て笑い、彼女が涙を流すときは自分が拭うのだ。
 眠っているイザベラを抱きしめながら何度も名を口にしていると、無遠慮に部屋のドアが叩かれた。
 返事をする前に、血相を変えた父親が入って来る。涙を拭わぬまま、警戒も露に顔を上げた。

「何」
「王妃マルグリット様の護衛騎士、スラド様が起こしだ。――先触れもなく」

 貴族の子息子女が学ぶ王立アカデミーで剣の講師をも務める、伝説の剣士。王妃のそばにあり、彼女を生涯かけて守ってきた功労者。――王族獣性を引く子を、命令のまま屠ってきたという黒い噂もある人物。
 イザベラを殺しに来たか、攫いに来たか。
 敵があちらからやってこざるをえない、何かが起こったのだ。

「通して」

 イザベラをそっとベッドに横たわらせると、彼女を抱いていた左手で、枕の下にあった短剣の柄に触れてその存在を確認した。
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