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出会いと決意
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唯一無二の番が世界のどこかにいるのに、探す前にすべてを諦めないなんて納得ができない。
なぜ父親たちの尻ぬぐいのようなことを、自分が一挙に引き受けないといけないのだ。
腹の底から沸き上がる嫌悪感は狼の獣性の問題だけなのかはわからない。
アルファだとか神祖だとか、どうでもいい。ただすべてを壊したいという衝動が込み上げてくる。
そのせいか廊下ですれちがった使用人が端に避けて萎縮しながら頭を下げてきた。
「あの娘は」
「お、奥様とお過ごしです」
「そう。ありがとう」
早く部屋に来てくれないかなと思う。そうすれば少しは落ち着くのに。ハドリーは彼女の感触を探すように、自分の右手を見た。
十二歳で港湾の仕組みを隅々まで理解できることがおかしいのは、同年代と話していればわかる。どんな大人より喧嘩が強いのも考えなくてもおかしい。
今日はもう疲れたと、部屋に戻るとナイトシャツに着替えてベッドに潜り込んだ。
そろそろあの娘が来る時間。彼女の香りを嗅ぎながら眠れると思うだけでほっとできるのが救いだ。
天蓋を見つめながら苛立ちに耐えていたせいで、ドアが開くまで人が来る気配に気づくことができなかった。それほどに、感情的になっていたのだろう。
あの娘は使用人と堂々とやってくるので静かな登場に違和感を覚える。理由はすぐにわかった。匂いが違う。
「誰だ」
ベッドから降り、招かざる訪問者の姿を確認する。
今日はもう疲れていると追い出そうとしたが、見知らぬ女が立っていたので言葉に詰まった。
茶色の長い髪、きれいな顔立ちの若い女。ドレスはお世辞にも質の良いものではない。自身で一番良いものを選んだのだろうが、貴族ではないのは一目でわかる。
女が微笑んで手に持っていた何かを口にした。
「お前は誰……」
徐々に彼女から甘ったるい香りがし始めた。それに反応して、自分の下腹部がずきずきと疼きだす。この感覚は初めてではないが、この変な感じは異常だ。
父親に先手を打たれたのだとわかって、頭に血が上る。
「父上……」
オメガの娼婦を雇ったのだ。
本能が血を沸騰させる、忌々しくも喉から手が出るほど欲しくなる香りに、腕で鼻を塞いでも無駄だとわかる。
「こんばんは。アルファさん。歓びのために参りました」
女は艶美に微笑する。
オメガは高級娼婦。偏見は特にない。船旅で荒ぶった男たちを慰めてくれて感謝さえしている。
ただ、この状況では忌々しい。
本能が彼女に自分を埋めたいという疼きで自分をいっぱいにする。欲しい。彼女が欲しい。この身を埋めて、解放されたい。
これがアルファの抗えない強い衝動というものなのかと体験し、こんな目に遭わせた父親を憎悪した。だが、自分の性が目覚めただだけなのだ。
アルファがオメガを遠ざけたい気持ちがよくわかった。
ハドリーは熱に浮かされながら、近づいてきた女に手を伸ばした。
熱い、冷ましたい、あの香りには従わないといけない。
「楽になりますよ」
「ああ……」
もう、楽になろう。すべてを放棄して、他人の思惑に乗って、性に流されて生きていこう。
そう自分を手放した瞬間、意識が飛んだ。
魂、というもの存在を他国の書籍で読んだことがある。精神の奥深く深淵にある、無色透明なのに全てが詰まっているという自分自身の核。
「きゃぁっ!」
女の叫び声が自分を現実に繋げた。目の前に怯え切った女が、オメガの発作を起こしながら、恐怖という感情に震えている。
女が凝視している箇所を見るために少し視線を下に落とせば、自分の右腕があった。
無意識に彼女に伸ばした自分の腕に噛みついたらしい。鋭く変化した牙が皮膚を突き破って深く達している。鼓動に合わせた痛みが自分を正気に留めさせていた。離せばきっと血が吹き出してくるだろう。彼女が怯えるのも当然だ。
こんな痛みの中でも怯えた表情で後退る彼女に埋めたいと思っていた。彼女も、たぶん同じだ。性に振り回されることを空しく思いながら、耐えるためにぐっと顎に力を込める。痛みに痺れが混じった。
魂の奥底から、腕を嚙みちぎった所で人生になんら影響はないと囁きが聞こえる。
そうだ、唯一を愛する生き方をしないほうが、人生の毒だ。
流されて生きるものかと意志を強くした時だった。
「だめぇ!!!」
乱暴に開いたドアがギィッと揺れ、首根っこに小さな甘い香りが抱き付いてきた。衝撃を受けつつも受け止める。安堵感にいっきに体が弛緩して、傷の痛みが増しアルファの欲求が小さくなった。
追いかけてきた使用人たちが部屋のオメガとアルファの匂いにわかりやすく立ち止まり、そして、ハドリーの状態を見て皆が真っ青になる。
「手当てを!」
使用人には大丈夫だと目配せをしたが、彼らに届いたとは思えない。
腕から口を離せば愛らしい娘が血で汚れてしまうから、左腕で彼女が落ちないように抱きしめ、その髪に頬を寄せ、耳の感触がおかしいことに気づく。
使用人が部屋を明るくして、目を丸くした。
娘のウサギの耳が小さくなって、ネコ科のそれになっていている。
おまけに、髪は黒から美しい白へ、目の色は水色に変化していた。甘い匂いは彼女のそれだ。だが、風貌が変わってしまっている。
しかも誰かを威圧しようとする、威厳が垣間見える。
何が、起こった。
目の前の状況を理解できないのに、娘が明瞭に指示を出す。
「だめ。そこに座って」
オメガの発作で自身も苦しそうな女に、娘は言い放つ。言葉は従わせる力になって、彼女は跪く。
「父上からもらった、私のおまもりを飲ませてあげて」
使用人のひとりに指示を出し、自分のポケットから何かを小さな包みを出させた。
てきぱきと指示をする幼女と、それに従う大人という構図に、誘拐の子細が嫌でも見えて眩暈がした。
ラファティ・コートナーの触れられたくない話、商会の盤石な地位、息子ではなく娘の誘拐。
ドアの向こうに、父親と母親がいてこちらを伺っているのが視界に入った。
たぶん、部屋に立ち入ることができないのだ。オメガの匂いはベータにも作用すること、それから小さな娘が発するこの気のせいだろう。
この気の感じは、貴族の集まりで一度だけ遠巻きに見た高貴な方のそれだ。貴族は骨の髄まで従うようになっている。正気でいられるのは少数のアルファともっと僅かな神祖。
誘拐犯に狙われる理由がわかった。
ラファティ・コートナーは間違いなく王の血を継いでいる。彼はずっと見張られているから王宮にも簡単に出入りができる。
ウサギの娘はそのせいで獣性が安定しない。それを王族――王妃に目を付けられた。
王は、アルファの性を抑制するのに時間が掛かったという。
王妃は捨て置かれ心を病み、王がオメガに手を出し授かった王族獣性の子を全て天に返したと噂がある。
だから、王には長く血の繋がった子がいなかった。
ラファティ・コートナーは母親のウサギの獣性を引き継いだから無事だったと、まことしやかに囁かれていた。
でも、全てが御伽噺のようなものだと思っていた。
自分が生まれたときには、王は賢王とさえいわれていたから。
黒幕は、高齢の王妃だ。まだ、生きている。
自分が気を失えば獣性が安定していないこの娘が危ない。
ハドリーは遠くなりそうな気を、なんとか保つ。
大急ぎでやってきた医師のお陰で腕から口を離すことができた。
止血の為に強く押さえされながら、激痛に耐えつつ娘に額を寄せる。
「……君、僕から離れないでよ」
水色の目が不思議そうに自分を見つめた。瞬きをして、眉間に皺を寄せる。
「お兄さん、だれですか」
――記憶が曖昧。
愛しい娘に他人を見る目を向けられて、生まれて初めてぞっとした。
なぜ父親たちの尻ぬぐいのようなことを、自分が一挙に引き受けないといけないのだ。
腹の底から沸き上がる嫌悪感は狼の獣性の問題だけなのかはわからない。
アルファだとか神祖だとか、どうでもいい。ただすべてを壊したいという衝動が込み上げてくる。
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「あの娘は」
「お、奥様とお過ごしです」
「そう。ありがとう」
早く部屋に来てくれないかなと思う。そうすれば少しは落ち着くのに。ハドリーは彼女の感触を探すように、自分の右手を見た。
十二歳で港湾の仕組みを隅々まで理解できることがおかしいのは、同年代と話していればわかる。どんな大人より喧嘩が強いのも考えなくてもおかしい。
今日はもう疲れたと、部屋に戻るとナイトシャツに着替えてベッドに潜り込んだ。
そろそろあの娘が来る時間。彼女の香りを嗅ぎながら眠れると思うだけでほっとできるのが救いだ。
天蓋を見つめながら苛立ちに耐えていたせいで、ドアが開くまで人が来る気配に気づくことができなかった。それほどに、感情的になっていたのだろう。
あの娘は使用人と堂々とやってくるので静かな登場に違和感を覚える。理由はすぐにわかった。匂いが違う。
「誰だ」
ベッドから降り、招かざる訪問者の姿を確認する。
今日はもう疲れていると追い出そうとしたが、見知らぬ女が立っていたので言葉に詰まった。
茶色の長い髪、きれいな顔立ちの若い女。ドレスはお世辞にも質の良いものではない。自身で一番良いものを選んだのだろうが、貴族ではないのは一目でわかる。
女が微笑んで手に持っていた何かを口にした。
「お前は誰……」
徐々に彼女から甘ったるい香りがし始めた。それに反応して、自分の下腹部がずきずきと疼きだす。この感覚は初めてではないが、この変な感じは異常だ。
父親に先手を打たれたのだとわかって、頭に血が上る。
「父上……」
オメガの娼婦を雇ったのだ。
本能が血を沸騰させる、忌々しくも喉から手が出るほど欲しくなる香りに、腕で鼻を塞いでも無駄だとわかる。
「こんばんは。アルファさん。歓びのために参りました」
女は艶美に微笑する。
オメガは高級娼婦。偏見は特にない。船旅で荒ぶった男たちを慰めてくれて感謝さえしている。
ただ、この状況では忌々しい。
本能が彼女に自分を埋めたいという疼きで自分をいっぱいにする。欲しい。彼女が欲しい。この身を埋めて、解放されたい。
これがアルファの抗えない強い衝動というものなのかと体験し、こんな目に遭わせた父親を憎悪した。だが、自分の性が目覚めただだけなのだ。
アルファがオメガを遠ざけたい気持ちがよくわかった。
ハドリーは熱に浮かされながら、近づいてきた女に手を伸ばした。
熱い、冷ましたい、あの香りには従わないといけない。
「楽になりますよ」
「ああ……」
もう、楽になろう。すべてを放棄して、他人の思惑に乗って、性に流されて生きていこう。
そう自分を手放した瞬間、意識が飛んだ。
魂、というもの存在を他国の書籍で読んだことがある。精神の奥深く深淵にある、無色透明なのに全てが詰まっているという自分自身の核。
「きゃぁっ!」
女の叫び声が自分を現実に繋げた。目の前に怯え切った女が、オメガの発作を起こしながら、恐怖という感情に震えている。
女が凝視している箇所を見るために少し視線を下に落とせば、自分の右腕があった。
無意識に彼女に伸ばした自分の腕に噛みついたらしい。鋭く変化した牙が皮膚を突き破って深く達している。鼓動に合わせた痛みが自分を正気に留めさせていた。離せばきっと血が吹き出してくるだろう。彼女が怯えるのも当然だ。
こんな痛みの中でも怯えた表情で後退る彼女に埋めたいと思っていた。彼女も、たぶん同じだ。性に振り回されることを空しく思いながら、耐えるためにぐっと顎に力を込める。痛みに痺れが混じった。
魂の奥底から、腕を嚙みちぎった所で人生になんら影響はないと囁きが聞こえる。
そうだ、唯一を愛する生き方をしないほうが、人生の毒だ。
流されて生きるものかと意志を強くした時だった。
「だめぇ!!!」
乱暴に開いたドアがギィッと揺れ、首根っこに小さな甘い香りが抱き付いてきた。衝撃を受けつつも受け止める。安堵感にいっきに体が弛緩して、傷の痛みが増しアルファの欲求が小さくなった。
追いかけてきた使用人たちが部屋のオメガとアルファの匂いにわかりやすく立ち止まり、そして、ハドリーの状態を見て皆が真っ青になる。
「手当てを!」
使用人には大丈夫だと目配せをしたが、彼らに届いたとは思えない。
腕から口を離せば愛らしい娘が血で汚れてしまうから、左腕で彼女が落ちないように抱きしめ、その髪に頬を寄せ、耳の感触がおかしいことに気づく。
使用人が部屋を明るくして、目を丸くした。
娘のウサギの耳が小さくなって、ネコ科のそれになっていている。
おまけに、髪は黒から美しい白へ、目の色は水色に変化していた。甘い匂いは彼女のそれだ。だが、風貌が変わってしまっている。
しかも誰かを威圧しようとする、威厳が垣間見える。
何が、起こった。
目の前の状況を理解できないのに、娘が明瞭に指示を出す。
「だめ。そこに座って」
オメガの発作で自身も苦しそうな女に、娘は言い放つ。言葉は従わせる力になって、彼女は跪く。
「父上からもらった、私のおまもりを飲ませてあげて」
使用人のひとりに指示を出し、自分のポケットから何かを小さな包みを出させた。
てきぱきと指示をする幼女と、それに従う大人という構図に、誘拐の子細が嫌でも見えて眩暈がした。
ラファティ・コートナーの触れられたくない話、商会の盤石な地位、息子ではなく娘の誘拐。
ドアの向こうに、父親と母親がいてこちらを伺っているのが視界に入った。
たぶん、部屋に立ち入ることができないのだ。オメガの匂いはベータにも作用すること、それから小さな娘が発するこの気のせいだろう。
この気の感じは、貴族の集まりで一度だけ遠巻きに見た高貴な方のそれだ。貴族は骨の髄まで従うようになっている。正気でいられるのは少数のアルファともっと僅かな神祖。
誘拐犯に狙われる理由がわかった。
ラファティ・コートナーは間違いなく王の血を継いでいる。彼はずっと見張られているから王宮にも簡単に出入りができる。
ウサギの娘はそのせいで獣性が安定しない。それを王族――王妃に目を付けられた。
王は、アルファの性を抑制するのに時間が掛かったという。
王妃は捨て置かれ心を病み、王がオメガに手を出し授かった王族獣性の子を全て天に返したと噂がある。
だから、王には長く血の繋がった子がいなかった。
ラファティ・コートナーは母親のウサギの獣性を引き継いだから無事だったと、まことしやかに囁かれていた。
でも、全てが御伽噺のようなものだと思っていた。
自分が生まれたときには、王は賢王とさえいわれていたから。
黒幕は、高齢の王妃だ。まだ、生きている。
自分が気を失えば獣性が安定していないこの娘が危ない。
ハドリーは遠くなりそうな気を、なんとか保つ。
大急ぎでやってきた医師のお陰で腕から口を離すことができた。
止血の為に強く押さえされながら、激痛に耐えつつ娘に額を寄せる。
「……君、僕から離れないでよ」
水色の目が不思議そうに自分を見つめた。瞬きをして、眉間に皺を寄せる。
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