腹黒狼侯爵は、兎のお嬢様を甘々と愛したい

水守真子

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出会いと決意

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 紫の目がずっと自分を追ってくる。一挙手一投足を瞬きもせずに見られれば、さすがに落ち着かない。
 彼女が首を動かす度に青みもある細い黒髪がふんわりと波打って揺れていた。指を絡ませたら柔らかそうだと思う。
 何を考えているのだと咳払いで誤魔化しつつ、テーブルを挟んでラファティの前のソファに腰かける。

「お礼というのは、海賊の件ですか」
「そう、それだよ」

 内海で海賊が出るというのは報告に上がっていた。先月、ハドリーが巡視船に乗っていたところ、商船を襲おうとした船を発見、乗組員を全員拿捕したのだ。
 運よく危機を脱したのは、コートナー商会が王族から依頼されていた積荷が乗っていた商船だった。豪運、と言われる由縁はこういうところだろう。

「実体のない会社をいくつも経由して輸入したんだがね。――情報を漏らした奴は捕まえたよ」
「それ以上は聞かないでおきますよ」

 ラファティの口調から自死を選んだのだろうと受け取った。小さな子の前で話すべきことじゃない。

「で、お礼に娘さんを僕にくれるのですか」

 話の方向を変えようとしたらさらりと口から出た。とても自然に思えたというのもある。

「……この子をいくつだと思ってるんだい。君、幼女趣味なの。気持ち悪い」
「……人を変態みたいにいうの、やめてもらえませんかね」

 犯罪者を見るような目で見てくるラファティを苛立たし気に睨んだ。お礼に娘をなんてそういう流れじゃないか。貴族の中では幼少期に婚約者が決まるのは珍しい話ではない。

 ハドリーの父親は現侯爵の弟だ。ハドリーは侯爵と甥となり、アルファと分かった時から子爵の地位も継承している上に、次期侯爵と内定もしている。正直、縁談の話なら断っても断ってもやってくるくらいだ。第二夫人、第三夫人、果ては妾でも良いと言われる始末。

 コートナー商会は豪商ではあるけれど平民で爵位を持たないので本来なら結婚は難しい。だが、そこは内政にさえ影響力を持つコートナー商会。王が許せば問題ないだろう。

 いろいろと問題もあった現在の王は齢八十を超えた。ハドリーが結婚を決める頃には崩御し、王が七十歳の時に生まれた王太子が王となっているだろうから、代替わりをしているはずだ。現実として許しが出る可能性が高い。

 ――と、ここまで考えてハドリーは我に戻った。何を真剣に考えているのだと。

「娘の顔を覚えていて欲しい」
「それ、お礼ですか?」
「こんなかわいい子に会えるというのは、至高のお礼だよね」
「お礼の意味の認識の違いがあるようです。で、用はそれだけですか」

 真顔で言い返されるので、だんだん何を会話しているのかがわからなくなってくる。
 ハドリーは港湾の仕事に勉強と忙しいのだ。

 でも、ラファティはもっと忙しいだろう。今日は他国の王族がやってきている。彼らは買い物をしたがるが、警備の面から見てどこでも良いというわけじゃない。
 この国で一番の店を持つ、絶対にコートナー商会に声がかかっているはず。だからここにいることを不思議に思った。

 ラファティは『宝物』の耳に頬をこすりつけて、ニコニコしている。

「この子、生まれてから今までの間に十数回は誘拐未遂にあっていてね。本当に姿が見えなくなった数回だけど。その度に記憶が曖昧になって、成長に影響があるんだ。ほら、小さいでしょ」

 ラファティがまるで今日の天気の話をするように言った。なでなで、と娘の頭を撫でている。

「言葉も遅くて、食事も細くて、心配なんだ」

 ハドリーは無意識に自分の『気』を広げ辺りを伺った。感じるのはラファティの護衛が数人といったところだろうか。敵意を向けてきている感じは受けない。

 コートナー商会の娘というだけで価値はあるし、この可愛さなら獣人幼女趣味の人間に高値で奴隷商でも取引されるだろう。
 それにしても、回数が多い。

「娘に付けていた護衛が誘拐を起こしたこともあってね。それから僕が連れて行動をするようにしている」

 護衛が信用できないのは辛い。ウサギは肉食系の獣人を相手にすれば逃げることはできても戦えば負ける。
 ラファティの護衛は彼を裏切らないということか。確かに気配を絶妙に残しつつ消している。能力の高さを感心していると、油断のならないラファティの視線がハドリーを捉える。

「誘拐で連れ出されるとすれば、国内外問わず、獣人の鼻が利かない海路を選択するだろう。ハドリー君、娘の顔を覚えていてくれないかな」
「わかりました。警備を見直し、強化しておきます」

 幼い獣人が愛玩として国外に売られるのは、もう昔から問題になっている。王家の息がかかった貴族が港湾を管理しているのはそういう事情もある。

「かわいそうに、常にぼうっとしている」
 
 娘の頭頂に頬をこすりつけるラファティの話を聞きながら、ハドリーは内心首を傾げた。
 会った時から、キラキラした好奇心丸出しの瞬きを忘れた目で、こちらをじっと見ているではないか。これがぼぅっとしているということか、否、狼が珍しいのか。

「邪魔したね。念の為のお願いだった。本当のお礼を今日までに用意はできなかったから、次回訪問時に持ってくるよ」

 ラファティが立ち上がろうとしたその時、彼の宝物が胸を足場にして、こちらに手を伸ばし飛んできた。

「ウグッ」

 足場にされたラファティは痛そうに胸を押さえてソファに腰を落とす。
 紫色の目が真っすぐにこちらを見ている。さすがウサギ、と思った時には、首根っこに温かい彼女の腕が巻き付いていた。
 彼女が首元をくんくんと嗅いでくる。獣人らしい挨拶とはいえ、こそばゆい。
 殺気を感じて顔を上げれば、ラファティが殺すといった目でこちらを見ていた。本当にウサギかなと思う。
 これは怖いと視線から目を逸らしながら、きゅっと抱き付いてくる、小さくて、暖かくて、可愛いその子に声を掛ける。

「……君、父上のところに戻った方が良いよ。僕の為にも」

 女の子は、首を傾げて不思議そうに言った。

「きみって、わたしのこと?」

 幼子の丸っこい声。喋るじゃないかと思いラファティを見れば呆気にとられている。目が零れ落ちそうに開いていた。

「お日様の匂い。いい匂い」
「こら……っ」

 くん、と首筋に鼻をつけてくるものだから、ぞわぞわと肌が反応する。
 細くて小さいのに、意外なくらい柔らかくて暖かい。ぎゅっと抱きしめて離したくないくらいに、愛おしく思える何かがある。

「ねぇ、お兄さんはお日様なの?」
「違うに決まっているよ。ていうか、君の方が温かい」
「お兄さんが冷たい?」
「君の体温が高いんだ。子どもなんだから」

 ふわふわと髪の毛先が着ているシャツに纏わりつく。髪の毛をまとめて背中に流してやると、白いウサギの耳がぴくぴくと動いた。
 ラファティが手をひとつ叩いたので、ふたりは同時に彼を見る。

「ハドリー君。良ければその子を預かってくれるかな。滞在費、礼、言い値で払う。実はね、ちょっと困っていた。他国王族の接待をしなくてはいけないのに、さすがに子どもの同席はできない。かといって、他の護衛には任せられない」
「コートナーさん、それは……」

 ラファティの表情は仕事の時のものだ。
 誘拐犯から守れだなんて荷が重い。断ります、と言おうとしたのに止めたのは、首元に巻き付いたその子の腕にきゅっと力が入ったから。
 視線をずらせば、縋るような目でこちらを見ている。ぐっと言葉を飲み込んでしまった。

 小さな女の子を預かるには母親に協力を仰がないといけないが、彼女とは控えめにいっても仲が良くない。
 アルファを産んだせいで、オメガだと誤解されるのが嫌なのだという。辛く当たられる事はないが、確実に距離を取られている。
 返事をしない自分を見る紫の目が、どんどん曇っていくのがわかった。
 下品で、野蛮で、失礼な奴になら、いくらでも冷たくできる。
 でも、これはダメだ。ハドリーは観念した。

「言い値と言いましたね。しっかり請求書を回しますので」
「神祖の君に守ってもらえるのなら、いくらでも払うよ」

 ハドリーは眉間に皺を寄せた。
 爵位がある獣性には特徴がある。先祖に『神』として崇められた者がいたかどうかだ。
 そしてたまに、あらゆる能力が突出した者、特殊な能力がある一族に生まれる。
 それは神祖だと言う名で呼ばれ、一族の繁栄を約束されると言われた。
 アルファで神祖であるハドリーは、一族の誰よりも狼の気が強い。

 毎日女が寄ってきても相手にしないのは誰よりも狼らしいからだと言われると同時、他の狼ならさすがにその高い能力の発散の為に女遊びをしないと力に潰されているだろうとも言われる。
 アルファであると母に疎まれ、神祖だと勝手に期待され、不愉快なのだ。
 草食獣性を持つ豪商、自分を大人扱いもし、子ども扱いもする器用な大人に本音が出た。

「それ、言われるのが嫌いだと覚えていて頂けると嬉しいです」
「わかった。まぁあるよね、そういうの。僕もある。だが、君だから娘を置いていくよ」

 ラファエルはそう笑って、「頼んだよ」とあっさりと娘を置いて部屋を出て行った。
 そうか、自分が神祖だから置いていったのか。
 父親を追いかけるかと思ったが、首にかじりついたままの子はずっと自分の匂いを嗅いでいる。

「君、名前は」
「言っちゃいけないの」
「そう」

 無理に聞き出すことでもない。かわいいその子の髪を指に絡ませた。柔らかいからか、すぐに解けてしまう。ハドリーの顔がほころんだ。

 この小さな女の子を手放したくないから、面倒を見ると決めたわけでは、決してない。
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