腹黒狼侯爵は、兎のお嬢様を甘々と愛したい

水守真子

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出会いと決意

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――十数年前。

「喧嘩だ、喧嘩だ!」

 キューリー王国の王都は海のそばにあり、大規模な港湾を有していた。海は富や恵み、文化を運んでくれるが、病気も犯罪も持ち込まれる。
 避難港としても地図に乗る港は、密輸や密航の監視、取締り、適正な輸出入の管理など、法律によって運用されていた。
 ともすれば既得権益に繋がりやすいそれらの管理を、王家がウェントワース侯爵家に担わせている理由がある。
 狼の忠誠心と、真面目さ。これを利用されていた。

 ウェントワース侯爵家の采配の元、分家が港湾の適正な運営を任され要所に配置されている。自然と一族が富む形になり、侯爵家が王家の信頼を受けてこその繁栄。
 元々、一族を大事にする種族でもあり、ますます真面目に働いている。 
 狼が雇用主だと給料の中抜きを心配する必要が無いと、働き手も欠くことが無い。

 侯爵家は領地の運営もしなくてはいけないし、何よりも当主は王族の信任に厚くなければならない。
 現当主のエックハルト・ハイエットは温厚な人柄で滅多に怒らず王に気に入られているという。
 問題があるとすれば、同性の狼獣人をパートナーに選び、彼らの子は望めなくなったことだろうか。
 分家の中から養子を出すと決まったため、跡取り問題はすぐに解決した。
 白羽の矢が立ったのは、狼獣人の中で唯一のアルファであるハドリー・ハイエットで迷惑なことだと本人は思っていた。
 正式なお達しはないのに、幼少時から優秀(アルファ)あるというだけで、仕事を任されるのだから。

「おい、ハドリー。喧嘩だってよ」
「――どこの船」

 午後の岸壁を見回りしていた矢先のことだった。
 今日は岸壁には大型客船が停泊する。澄ました観光客は別文化に苦情を入れることも多い。少し向こうの岸壁には中型の商船も停泊するため、問題が起こる条件は整っていた。

「ヘイザル国の商船と、クランデスの客船の乗組員だ」
「あぁ……」

 ハドリーは自分が呼ばれた理由がわかって、対処は自分がすべきだと判断し「すぐに行く」と足をそちらに向けた。
 ヘイザル国は内政が落ち着かず、治安が悪いせいで国の格付けは下の方。
 クランデス国は王国として歴史が長く格付けも上だが、社会階層が明確にあるという構造を抱えている。
 その歴史の古さや『人間優位』思想で他国を見下し他国を蔑む。獣人も多分に漏れず、キューリー王国民も彼らを観光客としてあまり歓迎していない。

「喧嘩は止めてくれませんか」
「ガキは黙れ!」

 ハドリーが現場に着くと、ヘイザルの乗組員が浅黒い太い腕を振り上げて威嚇してきた。その腕を冷たく一瞥して、わかりやすく溜め息を吐く。
 見物客はあっという間に自分たちを囲み、何かかの祭りを待つかのように談笑していた。

「その耳、本物なのか。マジかよ」

 クランデス王国の乗組員は、ハドリーの狼の耳を見て侮蔑の表情を浮かべた。だったら獣人国に来るなと思う。

「何かもが本物ですよ。で、岸壁での喧嘩はご法度だから今すぐやめてください。できないのなら、出航してもらうか、船長に詰所まで来てもらう」

 ハドリーは詰所を指さした。岸壁そばにある煉瓦で作られた三階建ての建物だ。
 一階と二階には誰でも利用可能な食堂、仮眠室、サウナなどを兼ね備え、一番上の階が来客を迎えるための事務所フロアになっている。

「おいおい、ガキんちょ。俺らのために船長様が動くと思ってんのか。んなわけがないだろう。頭を使え、このガキ獣人」

 ガハハ、と馬鹿にした笑いがハドリーに向けられ、横にいた大猿獣人であるマルコスがいつでも殴り倒しますけど、という視線を投げかけてきたのを制す。
 もっとも成人している彼には獣人らしい身体的特徴はないが、蔑み視線は向けられていた。仕事で仕方なくキューリー王国に足を踏み入れ、機嫌が悪いといったところか。

「ねぇ、クランデスの人。君、こんなことをしていると船長に怒られるよ。今日は絶対に騒ぎを起こせないって言っていたけど」

 今日は王族が乗船していて、それ故に王家から騎士団が警備として派遣もされている。

「獣風情が、人間様に喋りかけるな、この獣(けもの)」
「おい、ハドリー! コートナーの旦那がお着きだ!」

 詰所の三階から、とんでもなく通る声で岸壁まで叫んだのは狼獣人のテオドルだ。

「はぁ」

 ハドリーは息を吐いた。
 この港湾運営の大口支援者であり、その生まれからも豪運の持ち主と言われる、この国で最も名を知られたアルファ、コートナー商会の代表、ラファティ・コートナーを待たせるわけにはいかない。
 そんな重要人物の相手さえも、たった十二歳の子どもにアルファという理由で任せる。ウェントワース侯爵が温厚だとしても何だか腑に落ちない。
 良識と常識という言葉を早く思い出してくれないかな、とハドリーは二人の異国人を見比べた。
 若さゆえの華奢な細身で身長は百六十センチほどのハドリーを、国民でないふたりの船員は完全に見下している。

「もう、君たち二人は僕に対して暴力を振るったということでいいかな」
「「ああ?」」

 敵対する両国が手に手を取り合った。やはり大事なのは共通の敵らしい。

「ねぇ、マルコス。僕、この二人に殴られたよね」
「ええ、殴られていましたとも」

 しごく真面目な表情でマルコスが頷く。『言葉で』という言葉は割愛したが問題ないだろう。
 早く早くと詰所の三階から手招きするテオドルに待っていてと視線を送って、ハドリーは手首を回しながら早口で言う。

「港湾法第四章第二十条、港湾利用契約第三十条に基づき、港湾管理代表及び責任者として、治安維持の権利を行使する」

 瞬間、ハドリーは二人の腹に拳をめり込ませた。ふたりの大の男が目をぐあっと開けて、口から唾液を垂らしながら前のめりに倒れる。
 見物客から歓声と拍手が起こった。

「獣人を敵に回すとか、馬鹿だなぁ。力の差ってのをわかってない」
「クランデスには良い薬だろ。あいつら、どこの国でも威張りすぎなんだよ」

 いい気味だ、と笑いが聞こえる。止めてやらなかったのは、長い船旅で気晴らしが欲しかったというところか。

「マルコス、この二人を独房に。迎えに来た人間に船長に始末書を書かせるように言ってくれ。王族の謝罪でもいいって言っておいてよ」
「アイアイサー」

 マルコスが二人を脇に軽々と抱えて、騒ぎを起こした者を収容する建物へと走っていく。
 ハドリーはそれを見送りながら膝を曲げ呼吸を整えると、その場で大きく跳躍した。
 近くの建物の壁や石の塀を足場に、跳躍を繰り返し、詰所の三階の窓へと至る。
 窓枠に着地して、部屋の中を見渡すと、客人は既にそこにいた。

「おお、ドアはそこなのかい」
「ここは、臨時的なドアなんです」

 既にソファに座っていたラファティは振り返って笑顔で手を振ってくる。

「申し訳ありません。時間に遅れました」
「いいんだ。港湾の治安維持の方が大事だよ」

 コートナー商会の代表は良い仕立てのワイシャツにズボンというラフな格好だ。そんな格好でも、彼の威厳は損なわれない。
 ウサギ獣人です、と言っても初見では誰も信じないだろう。
 ただ、いつもと違う光景がひとつあり、ハドリーは戸惑った。

「……その子は」

 ラファティの首根っこにぎゅっと掴まっている、紺に白の花柄の刺繍されてあるワンピースを着た、白いウサギ耳の小さな女の子。
 窓枠にいる自分をじっと見つめてくる、好奇心丸出しの紫の目が自分から離れない。
 あまりにも可愛い存在はこの場に似つかわしくなく、柄にもなくその愛らしさに目を奪われてしまった。

「僕の娘だよ。可愛くて、可愛くて、可愛すぎて、どうしようかと思ってる、僕の宝物」

 コートナー商会の末子は女子。それは知っているが、先の二人の兄とは違い初めて会った。
 ラファティがちょっとおかしくなるのがわかる可愛さではある。

「名前は何と仰るのですか」

 窓枠から降り、事務員に差し出された蒸しタオルで両手を清めながら、なんとなしに聞いた。
 小さなウサギ獣人の紫の目はずっと自分の動きを追っている。なんだか落ち着かない。

「教えないけど?」
「……は」

 予想外の答えに、こちらも返答に窮す。

「この間のお礼を考えたんだ。そして、僕の宝物に会わせることにした。だから、宝物って呼んでくれていいよ」
「……はぁ、お礼……?」

 この間、というのは荷物を海賊から守った件だろうか。
 いつも冷静な紳士なのに、娘の前ではただの変な人になるらしい。
 ちらり、と娘の方に視線を移す。ラファティに抱かれながら、こちらを見つめる目はとてもきれいな菫色。

「……まぁ、きれいですね」

 それは、本心だった。
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