腹黒狼侯爵は、兎のお嬢様を甘々と愛したい

水守真子

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共同作業

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 イザベラは夜着を着てベッドの上にいた。
 枕を背にハーブの本を読んでいたが、全く内容が頭に入ってこない。

「はぁ……」

 大きな溜息を吐いて両手で顔を覆うと本がぱたんと閉じる。
 夕方のコトが衝撃的過ぎて落ち着かず、食事もあまり喉を通らなかった。
 救いなのが来客があったハドリーと共に食事をしなくて良かったことだろうか。長引いているのか、彼は部屋に来ていない。
 まさか、さすがの彼も反省をしている、とか。でもそうならば、もやもやもする。
 イザベラは勝手に赤くなった頬を膨らませる。
 パトリックがアルファだと知っていて、腕の良い菓子職人として彼を選択したのはハドリーだ。
 その張本人が『匂いがする』と言いがかりで怒るのは、最初からおかしい。
 そもそも、こちらが発情をしていないのに、あんな触れ方をしてくるハドリーの方が変だ。

「……」

 ハドリーの手や舌の動きを思い出してしまったイザベラは、頭をぶんぶんと横に振って記憶を追いやる。
 もし、ハドリーが後悔をしているのであれば、ちょっと傷つく自分もいた。
 未来の番に対して罪悪感が芽生え、イザベラという平民の他種族の獣人を弄んだことを恥じていたら……。
 奥歯を噛み締めて、唇を引き結んだ。

「悩むなら、お父様に相談をすればいいの」

 イザベラは自分に言い聞かせて、ベッドから勢いよく降りると机に着き、ペンを手に取る。
 父にこのハーブ開発の場所の変更を申し入れよう。
 自分がハドリーとはいられないと、何が起こっているのかも書けば、きっと理解をしてくれる。

「誰に何を書こうとしているのですか。パトリックに恋文でも?」

 気配無くハドリーがそばにいて手紙を覗き込んできたので、驚いたイザベラはペンを手から落とした。
 真鍮製のペンが転げて床に落ちる前に、机の端でハドリーが受け止める。
 そのペンをそっと手元に戻してくれた。
 そばにいるだけでわかる彼の体温に鮮烈な体験が蘇って、イザベラは顔を真っ赤にする。

「図星ということでしょうか」

 振り返って「違う」と言いかけて固まった。
 こちらを見るハドリーの表情に何も浮かんでいない。
 強烈な羞恥を抱いているのは自分だけで、ハドリーはいつもと何も変わりがないように見えた。
 イザベラの心の底に悲しみが渦巻いた。形作ればきっと怒りに近い。
 本当の意味で大事になどされていない。ハーブを理由に、遊ばれている。

「……ハドリー様、自室に戻っていただけませんか」
「あなたを守れませんので、断ります。パトリックが来たらどうしますか」
「彼は来ません。あなたが自室にお戻りにならないのであれば、私は自分の家に帰ります。それを父に伝えるための、手紙を書こうとしていました」

 パトリックの唇の端がピクリと動く。

「ハーブの件、志(こころざし)半(なか)ばで放り出すつもりですか」

 イザベラはさらに強く奥歯を噛み締めながら立ち上がると、パトリックは完璧なマナーで椅子を引いてくれた。
 顎がじんじんと痛んでくる。
 彼の行動のひとつひとつは、自分をとても大事に思う気持ちが伝わってくる。
 自分の期待が、そう感じている気もした。

「ハドリー様、言っておきます」
「何ですか」

 ハドリーは番(つがい)との出会いを望んでいる。現実問題、彼は結婚して侯爵家の跡取りを作らなければならない。
 イザベラだって同じだ。どこかに嫁がせると言われた。
 忘れられない快楽を与え合うのはお互いのためにならない。

「私は父から結婚をするように言われています。昼間のようなことは、困ります」

 しっかりと顔を上げて目を見ながら伝える。
 ハドリーの金色の瞳がとてもきれいだ。
 じっと見つめてしまったせいで、不覚にも彼の左手が腰に回ってきたことにも気づかなかった。
 軽々と持ち上げられ、ベッドの中央に身体を丁寧に置かれる。
 瞬きをする間に同じくベッドに乗ったハドリーの両腕が、背中から身体に回り抱き寄せられた。
 逃げ場だけでなく動きも封じられ、力の差に抗う気さえ持てない。

「お願いをしているのです。こういうのを止めていただきたいと」
「ところで、私の指はおいしいですか」

 低い声で、耳もとで囁かれた。
 おいしいに決まっている。
 でも、認めるわけにはいかない。イザベラは気持ちを強くする。

「ハドリー様、話を聞いてください」
「イザベラの話なら、いくらでも聞きますよ」

 同じく耳元で囁かれて、肌がぶるっと震えた。

「ハ、ハーブや発情のこと以外で触れられれば、父の用意する縁談に支障が……」
「縁談を用意されているとは知りませんでした。――まぁ、やりそうなことだ」

 ハドリーに後ろからあらためてぎゅっと抱き締められる。
 解(ほど)けないけれど、痛くも怖くもない力加減が、イザベラを留めさせていた。

「……オメガはアルファに愛撫されると、微量の発情の香りを発するようですね。快楽で香りは強くなる。ここ二週間で私が出した推論です。そして、その時にも即効性ハーブは有用だと、確信しました。――何の考えもなく、触れているわけではありませんよ。これで触れる理由はあると理解していただけましたか」

 イザベラは殴られたような衝撃に固まった。
 頭から冷や水を浴びせられたかのように、首筋から足先へと冷たい何かが下りていく。
 温かい腕に後ろから抱かれているのに、寒い。

「…………私を観察していたと、仰ってる……?」
「はい。申し訳ありません。話をすれば、結論に影響が出るかと思いまして」

 ハドリーから貰った花が、手紙が、優しさが、心の中で消えていく。
 彼がどんな顔をしてそんなことを言っているのか、見えなくて良かったと心から思った。

「そうですか」

 イザベラは唇を噛んだ。
 苦しんでいるオメガのためになるのなら、これくらいどうってことはない。
 ハドリーに、礼儀正しく、丁寧に、接してもらっていることを、ちゃんと不思議に思っていた。
 実験、観測、お金、利権。コートナー商会代表である父親が絡んでいるのだから、無縁でないことは理解もしている。
 でも、突きつけられるのは、やはり痛い。

「申し訳ないと思っています。それでもあなたにお願いをしないといけない」

 声色の中に後悔だとか、そういった感情を探して、何も無いことに落胆する。
 ハドリーは親指と人差し指に挟んだ丸い塊を、魔法のようにイザベラの前に出した。

「これはオメガを発情させる他国の丸薬です。非常に強力で、気が触れるオメガもいるそうです」
「……」

 イザベラの紫色の目から、涙が一筋、頬を流れた。

「これを飲んでも、即効性のハーブが効くかを試したい」
「……まずは、離してください」

 ハドリーの腕から逃れようと身体を捩るが、腕は逃してくれない。
 オメガとして実験体に自分を差し出した。
 それを選択したのは自分。でも、心はある。

「私は、イザベラ以外に触れません」
「発情しても、冷静でいられるオメガだからでしょう」

 心が、痛いと叫んでいた。
 アルファは目的のためには手段を選ばない。だから優秀だと言われるのだろう。

「ただの実験体として見ているオメガだから、触れることができるのでしょう。私は、あなたには触れられたくない――ッ」

 瞬間、鋭い痛みが肩に走った。
 噛まれたのだとわかって涙がすっと止まる。
 イザベラが静かになったからか、ハドリーは肩から口を離し夜着の襟元を捲った。

「痛かったですね。申し訳ありません。でも、ちゃんと付きました」
「な、何を……」
「痛みはすぐに引きますから、しばらくは我慢してください」

 何を、言っているのだろう。
 夜着の上からじくじく痛むくらい噛まれて、喜ぶとでも思っているのだろうか。
 怖い。なのに、どこか嬉しい。そんな自分が一番怖い。
 ハドリーは丸薬を、指の腹で転がす。

「これを強制的に飲まざるをえない状況に置かれた人(オメガ)たちがいます」
「……離して」
「その人たちの発情をできるだけ早く治めるものが欲しいと依頼がある」
「もう離して」

 肩は痛いし、涙は止まらない。
 オメガである自分に、即効性ハーブを試すために、それを飲めと言っているのだ。 
 でもこのアルファのために何かがしたいと、呪いのような思いが体中を渦巻く。
 それでも震える声を振り絞った。

「お願いだから、触れないで」
「嫌です」

 何も、聞き届けてくれない。
 イザベラは泣きながら、目の前にある丸薬をハドリーの指ごと口に含んだ。
 おいしい、自分のものだけにしたい指。
 名残惜しく舐めたのは、これが最後だと思ったからだ。
 口の中に入れた丸薬を奥歯で噛む。
 その途端、口の中に広がる癖のある苦さとえぐみが鼻にも抜けて、激しく咽(むせ)た。
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