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共同作業
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番(つがい)は同種族とは限らない。それは異性とは限らないのと同様だ。
番を求めているのに自分に触れてくるハドリーは、広義の意味で浮気なのではないだろうか。
庭に花が咲けば必ず部屋に活けてくれる。これは、ハドリーからの指示だと使用人は言う。
ハーブの為とはいえやりすぎじゃないかと、イザベラは頭が痛い。
考え込んでしまうのは嬉しいと思ってしまう自分のせいだ。
しっかりと抗えない自分は、本当にどうしようもない。
晴れない気分のままハーブの配合の書類を抱え、厨房へ抜けるために中庭に作られた回廊を渡る。
中庭でエックハルトとマーロリーがふたりで花を眺めながら談笑ているのが目に入ってきた。
長く一緒にいるはずなのに、本当に仲睦まじい。見ているこちらまで照れてしまうほどだ。
こちらに気づいて手を振ってくれたので、イザベラは照れながらぺこりと頭を下げた。彼らの邪魔をしないように足早にその場を去る。
狼にとって番というのは、本当に特別らしい。
エックハルトとマーロリーは狼獣人同士の番だ。
ふたりが一緒になると言った時、跡取りは分家から出そうと決められただけで、誰も反対しなかったと使用人が教えてくれた。
狼同士だけに、子どもを作るために愛人を囲うだなんて、まったく考えにないのだ。
違う種族の獣人同士が結ばれた場合、男性側の獣性が出る割合が九割を超える。
普通なら他種族の愛人を持てば良いと考えるのだが、狼は非常に嫌悪する。
だからこそ、ハドリーがイザベラと必要以上に一緒にいることに、侯爵が将来の番(つがい)に悪いと思わないのかなどと苦言を呈する様子もない。
ハドリーは特殊な狼、なのだろうか。
最もおかしいのは夜だ。ソファとはいえハドリーが一緒の部屋に寝ている。
発情が起こった時のためだと彼は言うが、今は手に届くところに必ずハーブがあるし問題ない。
そう伝えたところで自室へ帰ってはくれない。
ハドリーがそばにいるだけで発情の発作が起こりそうで怖い、といえば帰ってくれるだろうか。
考えていてもしょうがないと気を取り直して厨房に近づくと、甘ったるい香りが漂ってきた。
「ごめんなさい。遅くなりました」
「俺が早くから仕事を始めてしまうんです。お嬢様、さっそくですが確認をお願いします」
甘い香りが充満する侯爵家の厨房。
百人ほどの来客の食事の用意もこなせる機能的な厨房の一角を借りて、ハーブ入りのチョコレートを開発している。
侯爵家専属の菓子職人であるパトリックは、練ったチョコレートが入ったボウルを差し出してきた。
イザベラは小さな匙を差し入れて、チョコレートをすくうと口に入れる。
苦みの後に甘み、最後に口の中に残る清涼感。悪くはないけれど、おいしくはない。
パトリックはイザベラの表情を見て笑った。
「おいしくなっていう顔ですね。まぁ、同意見です。菓子職人としては納得いきません」
「味を優先して配合を変えすぎて、発情が抑えられなくなれば意味が無いので、おいしさは我慢ですね」
イザベラは作ったものの配合表のリストに目を落とす。
これまで配合であれば十種類、味を加えるとその三倍は作った。
効果を確かめる試食のために、発情しないといけないと思うだけで疲れる量だ。
方法も考えねばと思う。
「味なら工夫はできます。それが俺の仕事ですから。コーティングするチョコレートをどうにかするとか」
パトリックはボウルを置くと、戸棚に並べてあるガラス瓶を見上げた。
ナッツや砕かれたチョコレート、いろんなお菓子の食材が並んである。
アルファで菓子職人のパトリックは美意識も高く味や見た目にとことんまでこだわる。
「こんな感じです」
そこから砕かれたナッツでコーティングしてあるチョコレートをひとつ手の平に乗せてくれる。
いただきます、と口に運ぶと、まずナッツの食感、次に干しブドウの香りが鼻に抜けた。
上品な甘みが何層も重なるような味。
「おいしい……」
キラキラした目をパトリックに向けると、彼は照れくさそうに微笑んだ。
「おいしい、と思えるものがやっぱり良いと、俺は思うんです」
オメガ以外が口にしたところで発情用ハーブは無害だ。
味見も含めてお願いしているのだが、パトリッが納得する味には到底届かない。
蜂蜜ハーブとの対比から、一口大の大きさで効くハーブ量を割り出し、その限界量から試しているから、やはり苦いものは苦い。
イザベラは小さく溜め息を吐く。
美味しいもので発情を抑えたい考え方は贅沢だとは思う。
けれど発情が『苦い』ものであってほしくないという気持ちもある。
「ハーブを粉ではなくて、オイルでも効くのかを試してもみたいとは思っています。でもオイルは量が取れないものなので……」
「オイルを舌下でも良さそうですね。ただお菓子とオイルか……。どんな風味になるかですね」
「効能が変わったりもするから、その実験は後回しになります」
植物は、根、茎、葉、花、実、それぞれ効能が違うものも多い。
花は毒だが根は使える、なんてものもある。
安心して使ってもらうためには、やはり実験を繰り返す必要がある。
「ああ、そうだ。牛乳と砂糖とバターでキャラメルってのが作れるんですよ。それを加えてみていいですか」
「キャラメル?」
初めて聞くお菓子の名前に想像がつかないイザベラは首を傾げた。
「図書室で見つけたんですよ。許可をもらって作ったのがこれなんですけどね」
パトリックは他のアルファと同じくやはり優秀で言語習得にも優れている。
一冊の本を読むころには異国の言語の規則を理解し、さくさくと読んでしまうのだ。
パトリックはイザベラの手の平にころん、と硬すぎず柔らかすぎずの薄茶色の個体を乗せてくれる。
「食べてみてください」
口に入れるとチョコレートは違う甘みが広がった。
油分があるからか、もったりと重みのある甘みだ。
「おいしい!」
目をキラキラさせると、パトリックは頬を赤らめて嬉しそうに笑んだ。
「お嬢様に喜ばれると、張り合いがあります。……っと、ちょっとすみません」
パトリックはイザベラが何を言う前に、唇の端に親指で触れてきた。
番を求めているのに自分に触れてくるハドリーは、広義の意味で浮気なのではないだろうか。
庭に花が咲けば必ず部屋に活けてくれる。これは、ハドリーからの指示だと使用人は言う。
ハーブの為とはいえやりすぎじゃないかと、イザベラは頭が痛い。
考え込んでしまうのは嬉しいと思ってしまう自分のせいだ。
しっかりと抗えない自分は、本当にどうしようもない。
晴れない気分のままハーブの配合の書類を抱え、厨房へ抜けるために中庭に作られた回廊を渡る。
中庭でエックハルトとマーロリーがふたりで花を眺めながら談笑ているのが目に入ってきた。
長く一緒にいるはずなのに、本当に仲睦まじい。見ているこちらまで照れてしまうほどだ。
こちらに気づいて手を振ってくれたので、イザベラは照れながらぺこりと頭を下げた。彼らの邪魔をしないように足早にその場を去る。
狼にとって番というのは、本当に特別らしい。
エックハルトとマーロリーは狼獣人同士の番だ。
ふたりが一緒になると言った時、跡取りは分家から出そうと決められただけで、誰も反対しなかったと使用人が教えてくれた。
狼同士だけに、子どもを作るために愛人を囲うだなんて、まったく考えにないのだ。
違う種族の獣人同士が結ばれた場合、男性側の獣性が出る割合が九割を超える。
普通なら他種族の愛人を持てば良いと考えるのだが、狼は非常に嫌悪する。
だからこそ、ハドリーがイザベラと必要以上に一緒にいることに、侯爵が将来の番(つがい)に悪いと思わないのかなどと苦言を呈する様子もない。
ハドリーは特殊な狼、なのだろうか。
最もおかしいのは夜だ。ソファとはいえハドリーが一緒の部屋に寝ている。
発情が起こった時のためだと彼は言うが、今は手に届くところに必ずハーブがあるし問題ない。
そう伝えたところで自室へ帰ってはくれない。
ハドリーがそばにいるだけで発情の発作が起こりそうで怖い、といえば帰ってくれるだろうか。
考えていてもしょうがないと気を取り直して厨房に近づくと、甘ったるい香りが漂ってきた。
「ごめんなさい。遅くなりました」
「俺が早くから仕事を始めてしまうんです。お嬢様、さっそくですが確認をお願いします」
甘い香りが充満する侯爵家の厨房。
百人ほどの来客の食事の用意もこなせる機能的な厨房の一角を借りて、ハーブ入りのチョコレートを開発している。
侯爵家専属の菓子職人であるパトリックは、練ったチョコレートが入ったボウルを差し出してきた。
イザベラは小さな匙を差し入れて、チョコレートをすくうと口に入れる。
苦みの後に甘み、最後に口の中に残る清涼感。悪くはないけれど、おいしくはない。
パトリックはイザベラの表情を見て笑った。
「おいしくなっていう顔ですね。まぁ、同意見です。菓子職人としては納得いきません」
「味を優先して配合を変えすぎて、発情が抑えられなくなれば意味が無いので、おいしさは我慢ですね」
イザベラは作ったものの配合表のリストに目を落とす。
これまで配合であれば十種類、味を加えるとその三倍は作った。
効果を確かめる試食のために、発情しないといけないと思うだけで疲れる量だ。
方法も考えねばと思う。
「味なら工夫はできます。それが俺の仕事ですから。コーティングするチョコレートをどうにかするとか」
パトリックはボウルを置くと、戸棚に並べてあるガラス瓶を見上げた。
ナッツや砕かれたチョコレート、いろんなお菓子の食材が並んである。
アルファで菓子職人のパトリックは美意識も高く味や見た目にとことんまでこだわる。
「こんな感じです」
そこから砕かれたナッツでコーティングしてあるチョコレートをひとつ手の平に乗せてくれる。
いただきます、と口に運ぶと、まずナッツの食感、次に干しブドウの香りが鼻に抜けた。
上品な甘みが何層も重なるような味。
「おいしい……」
キラキラした目をパトリックに向けると、彼は照れくさそうに微笑んだ。
「おいしい、と思えるものがやっぱり良いと、俺は思うんです」
オメガ以外が口にしたところで発情用ハーブは無害だ。
味見も含めてお願いしているのだが、パトリッが納得する味には到底届かない。
蜂蜜ハーブとの対比から、一口大の大きさで効くハーブ量を割り出し、その限界量から試しているから、やはり苦いものは苦い。
イザベラは小さく溜め息を吐く。
美味しいもので発情を抑えたい考え方は贅沢だとは思う。
けれど発情が『苦い』ものであってほしくないという気持ちもある。
「ハーブを粉ではなくて、オイルでも効くのかを試してもみたいとは思っています。でもオイルは量が取れないものなので……」
「オイルを舌下でも良さそうですね。ただお菓子とオイルか……。どんな風味になるかですね」
「効能が変わったりもするから、その実験は後回しになります」
植物は、根、茎、葉、花、実、それぞれ効能が違うものも多い。
花は毒だが根は使える、なんてものもある。
安心して使ってもらうためには、やはり実験を繰り返す必要がある。
「ああ、そうだ。牛乳と砂糖とバターでキャラメルってのが作れるんですよ。それを加えてみていいですか」
「キャラメル?」
初めて聞くお菓子の名前に想像がつかないイザベラは首を傾げた。
「図書室で見つけたんですよ。許可をもらって作ったのがこれなんですけどね」
パトリックは他のアルファと同じくやはり優秀で言語習得にも優れている。
一冊の本を読むころには異国の言語の規則を理解し、さくさくと読んでしまうのだ。
パトリックはイザベラの手の平にころん、と硬すぎず柔らかすぎずの薄茶色の個体を乗せてくれる。
「食べてみてください」
口に入れるとチョコレートは違う甘みが広がった。
油分があるからか、もったりと重みのある甘みだ。
「おいしい!」
目をキラキラさせると、パトリックは頬を赤らめて嬉しそうに笑んだ。
「お嬢様に喜ばれると、張り合いがあります。……っと、ちょっとすみません」
パトリックはイザベラが何を言う前に、唇の端に親指で触れてきた。
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