腹黒狼侯爵は、兎のお嬢様を甘々と愛したい

水守真子

文字の大きさ
上 下
9 / 29
共同作業

しおりを挟む
 人の指を咥えて喜ぶような、そんな育てられ方をした覚えはない。
 母がそんなことを聞いたら、卒倒してしまうだろう。
 これもオメガの性(さが)なのだとすれば、昔の人がいろいろと工夫をしてきたのも理解できる。

 貴族の邸宅にはどんな形であれ、オメガの発情対策があった。
 古くの名残ならば鉄格子の付いた牢、地下牢。ウェントワース侯爵邸の場合、離れだ。
 本宅である建物と回廊で繋がる形で、一人で住まうのに丁度よい広さの別棟がある。
 オメガが発情すれば、その匂いは人のベータの劣情さえも煽る。それを避ける為と言われている。
 ハドリーのようにオメガの発情に反応しない人が多ければ、こんな発想も無かっただろう。

 別棟は裕福な特権階級の人たちの邸宅に多いが、絶対数が少ないオメガのために建てられているのかと言われれば、たぶん、それだけではない。
 性(オメガ)を楽しむ人(オメガ)がいるのは確かだし、好色なベータの貴族がオメガの娼婦を囲うのもよくある話。
 アルファがオメガの首の後ろを噛めば、お互いしか求められない身体になるが、どちらか、または双方がそれを望まない場合もある。
 自分の性癖を満たしつつ醜聞を防ぐために、あると便利な建物なのだろう。
 そのウェントワース侯爵家のオメガ居住用別棟に、イザベラは滞在していた。

「侯爵様。私は一度、家に戻った方が……」

 ハドリーは屋敷に戻って来るや否や、待ち構えていたように王宮に呼び出されてしまった。
 もう一週間は帰ってきていない。
 王宮に居住用の部屋を与えられているというから、そこで寝泊まりをしているのだろう。
 悪いと思っているのか、毎日、イザベラ宛に花と手紙が届けられる。
 手紙の返事を書くわけでもないのに、だ。

「コートナー家に安全に暮らせる工事が終わっていないと報告を受けている。私たちの話し相手は飽きてしまったかな」
「いえ、そんな。良くしてもらって申し訳なくて……」
「それならば気にする必要はないよ」

 ウェントワース侯爵ことエックハルトは微笑んだ。
 エックハルトと呼んで欲しいと初対面から歓迎してくれた上に、届けられた花を離れに運ばせ生けるように指示をしてくれている。
 スラリとした逞しい体型の、グレーカラーの髪がその凛々しさを引き立てる紳士だ。

「ハーブ園は母君が面倒をみているようだ。野生の熊が出たのだろう。安全の確保が確認できない限りは、あちらにも戻れないよ」
「でも、私が住んでいた小屋は山間では無いので……」
「野生の動物が人里に降りてくるなんてざらにあることだ」

 パートナーであるマーロリーは、スレンダーで狼らしい鋭さを持つ濃紺の髪が印象的な紳士だ。
 寡黙だがイザベラを気にかけてくれている。
 二人に共通しているのは優しさと、帰ると言わせない圧。

「イザベラ、ハドリーが帰ってくるまでは待ってくれないか」

 マーロリーはそう言って、外はサクサクで中は甘い果実のペーストが挟んである、小さなお菓子を勧めてくれる。
 口の中に入れると果物の香りが広がって、噛んでいるとふわりと口の中で消えるような触感が癖になるお菓子だ。
 即効性ハーブもこれくらいおいしければいいのにと思いながら食べる。
 紅茶とよく合って、自分の主張がすっかり萎んでしまったのがわかった。
 おいしさのあまり、耳がふわふわと動いてしまう。

「とてもおいしいです。でも」
「それは良かった」

 話は強制的に終了させられた。
 エックハルトとマーロリーはお菓子に口を付けず、食べるイザベラをニコニコと見るだけだ。
 この構図は、知っている。絵本で読んだことがある。
 兎を太らせて食べようとしている狼の話。
 それを想像してイザベラも何とか断ろうとするのだが、毎回根負けしてしまう。
 どれも一口サイズで、甘くて、蕩けてしまいそうなほどにおいしいせいだ。
 しっかりハーブを取っているお陰か、発情が起こる気配もない。
 小屋の不自由さが嫌いだったわけではないが、ウェントワース侯爵邸は快適すぎで気が緩んで食が進んでしまう。

 貴族間では力の順位というものがあるが、侯爵家は歴史や血筋は確かでかなり高位だ。
 王都に広い屋敷を維持できる財力もある。
 使用人はしっかりと教育されていて、見目も良く礼儀正しい。彼らはイザベラの身の回りの世話も、てきぱきとこなし話し相手にもなってくれる。
 侯爵家に仕えることを誇りに思っている彼らに、自分のことは自分でできると言えば、彼らの仕事だけでなく自尊心を奪うことになる。

 小屋ではハーブ摘みから乾燥調合、身の回りの事も一人でしていた。
 目まぐるしい労働をパタリとしなくなったのだから絶対に太る。
 自分の性(オメガ)のこともあって、自由に屋敷を自由に歩くのも遠慮しているから尚更だ。
 暇を持て余し、つい、お菓子に手が伸びている悪循環に陥っている。

 このまま滞在していもいいのだろうかと悩むたびに、ハドリーの言動を思い出す。
 手の甲を親指で撫でながら、金色の目が自分を見据えた。
 形の良い唇が、ゆっくりと紡いだのだ。

『約束ですよ。ここにいてください。侯爵家のことを学んでくださいね』

 なぜ侯爵家のことを学ばないといけないのか、という質問を飲み込んでしまうくらいの、魅力だった。

『帰るなんて言ったら、あげませんよ』

 そう言って、指をイザベラの唇に沿わせてきた。
 無意識に唇でその指を食んでしまったのだから、思い出すだけで頬が赤くなる。
 送られてくる手紙には『ゆっくり眠れているか』『寂しくはないか』『もう少しで帰るから待っていた欲しいと』気遣い言葉を並んでいた。
 ただの客であるイザベラにこんなことを言えるのだから、番(つがい)の相手には想像もつかないような優しい態度をとるのだろう。
 
 言われたからではないが、時間を持て余しているということもあって、この一週間でウェントワース侯爵家については、詳しくなってしまった。
 領地経営の他に、王都にある港湾管理を国から任されているのは知っていた。
 煩雑なものを本家が取り仕切り、分家で現場を担っているそうだ。
 王宮に呼び出されたのも、港で問題が起こったのかなとイザベラはぼんやりと思っていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

番から逃げる事にしました

みん
恋愛
リュシエンヌには前世の記憶がある。 前世で人間だった彼女は、結婚を目前に控えたある日、熊族の獣人の番だと判明し、そのまま熊族の領地へ連れ去られてしまった。それからの彼女の人生は大変なもので、最期は番だった自分を恨むように生涯を閉じた。 彼女は200年後、今度は自分が豹の獣人として生まれ変わっていた。そして、そんな記憶を持ったリュシエンヌが番と出会ってしまい、そこから、色んな事に巻き込まれる事になる─と、言うお話です。 ❋相変わらずのゆるふわ設定で、メンタルも豆腐並なので、軽い気持ちで読んで下さい。 ❋独自設定有りです。 ❋他視点の話もあります。 ❋誤字脱字は気を付けていますが、あると思います。すみません。

ある辺境伯の後悔

だましだまし
恋愛
妻セディナを愛する辺境伯ルブラン・レイナーラ。 父親似だが目元が妻によく似た長女と 目元は自分譲りだが母親似の長男。 愛する妻と妻の容姿を受け継いだ可愛い子供たちに囲まれ彼は誰よりも幸せだと思っていた。 愛しい妻が次女を産んで亡くなるまでは…。

白い結婚は無理でした(涙)

詩森さよ(さよ吉)
恋愛
わたくし、フィリシアは没落しかけの伯爵家の娘でございます。 明らかに邪な結婚話しかない中で、公爵令息の愛人から契約結婚の話を持ち掛けられました。 白い結婚が認められるまでの3年間、お世話になるのでよい妻であろうと頑張ります。 小説家になろう様、カクヨム様にも掲載しております。 現在、筆者は時間的かつ体力的にコメントなどの返信ができないため受け付けない設定にしています。 どうぞよろしくお願いいたします。

それぞれのその後

京佳
恋愛
婚約者の裏切りから始まるそれぞれのその後のお話し。 ざまぁ ゆるゆる設定

聖女召喚されて『お前なんか聖女じゃない』って断罪されているけど、そんなことよりこの国が私を召喚したせいで滅びそうなのがこわい

金田のん
恋愛
自室で普通にお茶をしていたら、聖女召喚されました。 私と一緒に聖女召喚されたのは、若くてかわいい女の子。 勝手に召喚しといて「平凡顔の年増」とかいう王族の暴言はこの際、置いておこう。 なぜなら、この国・・・・私を召喚したせいで・・・・いまにも滅びそうだから・・・・・。 ※小説家になろうさんにも投稿しています。

急に運命の番と言われても。夜会で永遠の愛を誓われ駆け落ちし、数年後ぽい捨てされた母を持つ平民娘は、氷の騎士の甘い求婚を冷たく拒む。

石河 翠
恋愛
ルビーの花屋に、隣国の氷の騎士ディランが現れた。 雪豹の獣人である彼は番の匂いを追いかけていたらしい。ところが花屋に着いたとたんに、手がかりを失ってしまったというのだ。 一時的に鼻が詰まった人間並みの嗅覚になったディランだが、番が見つかるまでは帰らないと言い張る始末。ルビーは彼の世話をする羽目に。 ルビーと喧嘩をしつつ、人間についての理解を深めていくディラン。 その後嗅覚を取り戻したディランは番の正体に歓喜し、公衆の面前で結婚を申し込むが冷たく拒まれる。ルビーが求婚を断ったのには理由があって……。 愛されることが怖い臆病なヒロインと、彼女のためならすべてを捨てる一途でだだ甘なヒーローの恋物語。 この作品は、他サイトにも投稿しております。 扉絵は写真ACより、チョコラテさまの作品(ID25481643)をお借りしています。

私に告白してきたはずの先輩が、私の友人とキスをしてました。黙って退散して食事をしていたら、ハイスペックなイケメン彼氏ができちゃったのですが。

石河 翠
恋愛
飲み会の最中に席を立った主人公。化粧室に向かった彼女は、自分に告白してきた先輩と自分の友人がキスをしている現場を目撃する。 自分への告白は、何だったのか。あまりの出来事に衝撃を受けた彼女は、そのまま行きつけの喫茶店に退散する。 そこでやけ食いをする予定が、美味しいものに満足してご機嫌に。ちょっとしてネタとして先ほどのできごとを話したところ、ずっと片想いをしていた相手に押し倒されて……。 好きなひとは高嶺の花だからと諦めつつそばにいたい主人公と、アピールし過ぎているせいで冗談だと思われている愛が重たいヒーローの恋物語。 この作品は、小説家になろう及びエブリスタでも投稿しております。 扉絵は、写真ACよりチョコラテさまの作品をお借りしております。

処理中です...